act.79
<side-SHINO>
高速を降りると、街はうっすらと雪を被っていた。
ただ道路を行き交う車の流れは途切れることなく続いていたので、道路はまだ凍結していない。だが、おそらく夜になれば凍ってしまうだろう。
問題の酒蔵の場所は、既にナビ画面に表示されていた。
老舗の酒蔵が数多い市内より少し離れた、交通の便の悪い場所にある。
おそらく前の酒蔵が倒産してしまった理由は、純粋に日本酒が売れなくなったこともあるが、弱い商品力に加え、この『少しだけ不便な立地』というのも関係しているのだろう。確かに立て直すにはかなり難しい案件だったに違いない。
条件でいえば柿谷によく似た案件だったが、川島だけの力ではどうにもならなかったのだろう。
俺は、加寿宮と取引のある別の酒蔵に一旦立ち寄った。
その倒産した酒蔵が今はどうなっているのか、話を聞くためだ。
いきなり現場に行くよりも、地元筋の情報を前もって聞いておいた方がいいとアドバイスをくれたのは手島さんだ。
「すみません、お忙しいところ」
市の中心部にある大きな酒蔵の直販所に入ると、「ああ、手島さんから聞いてるよ。まぁ、入って、入って」と四代目にあたるご主人が手招きをしてくれた。
レジの奥にある休憩室に案内されると、ご主人は雑誌『キャラバン』を持ち出してきた。
「いやぁ、篠田さん、ずっと会いたいと思っていたんだよぉ。連載初回にうちの酒も取り上げてもらって。お陰で通販注文が大分増えてね。感謝してますよ」
ご主人にそう言われ、俺は思い出した。
そう言えば、初回は全国的にいろいろな地域の地酒を簡単に数多く例に出して紹介した。その中にこの酒蔵の酒も含まれていたのだ。
「あっ、いや。ほんの少ししか紹介できてなくて・・・。そのうち、長野県特集の順番が回ってきますから、その時もっと詳しい記事が掲載できると思います」
「え! まだ宣伝してもらえるのかい! そりゃありがたい。生産量を増やすために、こりゃ設備を整えないとダメかな」
ご主人はそう言って、ガッハッハッと笑った。
俺もまさかここでキャラバンの仕事の効果が実感できるとは思っていなかったので、とんだサプライズだった。すごく嬉しかった。
「まぁ、何でも聞いて。わかることならお答えしますよ」
ご主人がそう言ってくれたので、俺は単刀直入に聞いた。
「小岩酒造について、何かご存知ですか?」
まるで刑事ドラマか何かのような台詞だな、と我ながらそう思った。
ご主人は朗らかな笑顔を一転させ、表情を曇らせながら腕組みをした。
「ああ、小岩さんね。酒造組合も何とか支援してたけど、残念ながら倒産しちゃってね。そういえば、おたくんとこの若い衆も来てたでしょ」
「え、ええ。そうなんです」
「まぁ、一回傾くとね。こんなご時世だから、ガタガタっといっちゃうねぇ。よほど魅力ある酒を開発するか何かしないとね。最近は皆、ワインか焼酎かっていう時代だからね」
ご主人は溜め息をついて首を横に振った。
「それで、今はどうなっているんです?」
「今? ああ、小岩のじいさん達は息子さんの住む岐阜県に引っ越しちゃってね。一緒に住んでた長女さんまではどこにいっちゃったんだかわからないけど。酒蔵の方は売りに出してたけどさ、辺鄙な場所でしょう。なかなか買手も付かずにいたけども。そういや最近、若い人が買ったって聞いたなぁ」
「若い人?」
ご主人は頷く。
「そう。地元の人間じゃないみたいだね。どこの誰で名前はなんて言うかまではまだこちらにも情報が届いてないけどね。そのまま酒蔵として使うのか、建物潰して別のことに使うのか、まださっぱりわからんけどね」
「そうですか。実は、ネットのオークションサイトで小岩酒造の住所でお酒が出品されていたらしいのですが、それはご存知ですか?」
「ええ? いや、知らない、知らない。売る酒なんて小岩には残ってないと思うよぉ。破産宣告された時に、在庫は管財人が借金回収するために全部持っていっちゃったはずだからねぇ」
「岩風酒造という名前の出品者名だったらしいのですが」
「岩風酒造? そんな名前の造り酒屋は中野市にはないし、組合にもまだ登録申請出されてないよ? 篠田さんも知っての通り、酒を造って売るのにゃぜぇんぶ免許がいっから。無免許でやってたらいざ知らず、正式にまた酒蔵立ち上げようってんなら、免許がいるからねぇ」
「そうですよね・・・。では余所から持ってきた酒を売ることについては可能ですか?」
「へ? 余所から? それはつまり・・・今度小岩さんの酒蔵を買った人間が、余所の酒を持ってきて売るってこと?」
「ええ。まとまった数の完成した酒を手に入れて販売するってことです」
ご主人はう~んと唸って溜め息をつく。
「販売免許を取ればできるだろうねぇ。小岩には大きな倉庫もあるし、販売免許は製造免許よりは楽に取れるからね。でも最近、そんな免許を市役所に取りにきたって話も聞かないねぇ」
「そうですか・・・」
明らかに落胆した思いが露骨に顔に出ていたらしい。ご主人は俺を慰めるように、肩をぽんっと軽く叩いた。
「まぁそうは言っても、オークションに小岩の住所が書いてあったんなら、何か事情があるかもしれんよ。買った人がよくわかってなくて、無免許販売したかもしれんしね。無駄足になるかもしれんけど、小岩に行ってみる価値はあるんじゃないか?」
ご主人にそう言われ、やはり俺は実際に現地に行くことにした。
ご主人に付いて行こうかと言ってもらったが、雪の中でもお客がひっきりなしに店の中に入ってきていたので、それは丁重にお断りした。
それに、今回の件は俺一人で対峙しなければならない問題に思えて、しょうがなかった。
ひょっとしたらそこに誰もいないのかもしれないけれど、この目で確かめておきたいと思った。
<side-CHIHARU>
仕事場から帰宅する途中で、僕は花屋に寄った。
以前から花を貰うことはあっても自分で買いに行くことはあまりない。思えば、葵さんの誕生日プレゼントを買った時以来だ。
外はさすがに雪は降らないまでも、寒風が頬を突き刺す寒さだったが、花屋の中は色とりどりの花が咲いていた。
スーパーの野菜と同じで、花も季節問わず様々な花がオールシーズン買えるようだ。
「ご希望のお花はありますか?」
いかにもベテランといった雰囲気の女性店員にそう声をかけられ、僕は「月命日に供えるけれども、そんなに堅苦しくないものを」とオーダーした。
「かしこまりました」
実は今日は、シノさんのご両親の月命日だった。
その事実を知ったのは、先月引っ越す直前のことだ。
二人で「引っ越す前に、墓参りに行こう」と約束していたのに、シノさんと僕のスケジュールがずれまくって、結局その目的を果たすことはできずに引っ越し当日を迎えてしまったのだ。
僕としてはどこか後ろめたい気分だったのだが、シノさんは「気にするな。いつでも行けるんだし」と言ってくれた。 ── しかしでも・・・・。
本当は、月命日である今日、シノさんに仕事を途中少し抜けてもらってお墓参りに行くアイデアを提案しようと思っていたのだが、夕べ長野への出張話を聞かされて、その話をするのはやめた。
はっきり言って、うちの両親がどこで野のたれ死のうが知ったことではないが、シノさんのご両親の死は僕にとっても大きな意味をあった。
なぜなら、あの事故がなければ、シノさんは僕らの出逢ったアパートには引っ越してこなかったし、当然僕らも出逢っていなかったからだ。
そう思ってしまうと、まるで僕がシノさんの両親の死を歓迎しているように感じられて、益々自己嫌悪に陥るのだが、シノさんとの出会いは彼のご両親が僕にくださった『ギフト』のように思えてならない。
むろん、シノさんのご両親が見ず知らずの僕のような人間のためを思ってくれているはずは全くないのだろうけど、それだけ、僕とシノさんの出会いは奇跡的な確率の出来事だった。
両親を失ってあのアパートに来たシノさんと、両親を捨てて祖母の住むあのアパートにきた僕。
アパートに来たきっかけも正反対なら、性格や考え方も真逆な僕らがあそこで出会い、今こうして人生を共に歩もうとしている。
無神論者の僕でもこんな奇跡をもたらしてくれた『何かの力』に心の底から感謝したくなる気持ちになったって、罪はないだろうと思う。
そして僕がその感謝の気持ちを向けた相手が、『シノさんのご両親』だった、ということだ。
だってそもそも、彼らが出逢って結婚しなかったら、シノさん自身この世にいなかった訳だから、やっぱり感謝しなきゃ、だよね。
「こちらでいかがですか?」
アレンジされた花束は、白を基調として、そこに淡いイエローとグリーンが合わさった上品な色合いのものだった。
「いいですね。それでお願いします」
「かしこまりました」
店員さんが花束を仕上げている間、相も変わらず僕は、店内にいる客・・・言わずもがな、全員が女性だ・・・から露骨な好奇心の視線を浴びていた。
以前はそんな視線も、どこか諦めの気持ちで受け止めることが多かったが、最近ではもっと穏やかな気持ちで ── 何というか、『無の境地』に近い心持ちで受け流すことができるようになった。
さすがに無断で写真を撮るような人には注意をするが、大抵はそんなあからさまな視線にも気持ちが乱されない。
── ああ、それを思うと、僕は随分変わったなぁと実感する。
きっと、僕が心を乱すことがあるとすれば、それはシノさんに関することなんだ。
花束を受け取って支払いを済ませると、僕は車で家に戻った。
岡崎さんからの修正指示の部分を直さねばなかなかったが、それよりもまず、お花を供えることにした。
クローゼットの隣にあるこの家で唯一シノさんだけのプライベートな部屋。
その部屋はまだ散らかってはないけれど、この部屋だけはシノさんの好きにしていいと言ってあるから、そのうちにここはあのアパートのシノさんの部屋のようになっていくのだろう。
実は、シノさんはご両親の仏壇を構えていなかった。
二人の位牌と写真だけを持って、あのアパートに引っ越してきたらしい。
だから僕は新しい家に引っ越す際、小さいけどシンプルな『ご両親の新しいお家』を構えることにした。
壁掛け形式のそのモダンなデザインは一見すると仏壇っぽくなかったが、居心地はいいと思う。
実は、その仏壇から見渡せる外の景色は、僕的に特等席なんじゃないかなと思える景色だった。
僕は”シノさん部屋”の窓を開け、仏壇の扉も開けると、買ってきた花束と線香を供えた。
プンと香しい線香の香りが立ち上る。
余り嗅いだことはないけど、とても懐かしいと感じられる香り。
思えば本当は、僕が祖母の弔いをすべきなのに、祖母の位牌は今母の手元にあるはずだ・・・いや、あると信じたいが実際はどうなんだろう。
「まぁでも、余所の人同士をひとつの仏壇に入れるわけにもいかないよなぁ・・・」
僕はそう呟いて、手を併せた。
── どうかシノさんが無事に長野から帰ってきますように、見守っていてください。
僕はそう願わずにはいられなかった。
here comes the sun act.79 end.
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編集後記
お昼ご飯食って、激しく眠たい・・・。
夕べはネコのゲロ騒動でバタバタして、寝不足気味。ブログで旅行記の続きを書くつもりだったのに、馬力が・・・。
ハハハ・・・、年かな・・・。
今現在、ipadが欲しくてたまりません。
家の中の本を電子書籍化したくって仕方ありません。
家の中の本がなくなったら、どんなに部屋が広くなることか・・・。
いずれにしても、そんな夢の世界にいたるまでに一体いくら金がかかるんだって話なんですが、まぁ、ローマも一日にしてならず、ですからね。
夢を持つことはいいことだ!
ああ、それにしても、眠いったらありゃしない・・・。
寝ます。
[国沢]
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