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act.76

<side-SHINO>

 柿谷酒造での酒の仕込みが始まった。
 夏から秋にかけて自分達で育てた酒造り専用のお米を使って、一年分の酒を冬期に一気に仕込む。
 近代化した酒蔵では米作りは農家に任せて、温度調節のできる室(むろ)やタンクを使って一年中酒造りをしているが、昔ながらの造り方をしている柿谷酒造では、寒仕込みでできるだけの酒がその後一年販売できる酒となる。そういう訳で、薫風が倉庫からなくなった時もどうにもできなかった。
「さすがに迫力ありますね」
 ハンディカムのレンズを酒樽タンクの中で発酵する酒に向けながら、千春は呟いた。
 タンクの中は、お酒が発酵し始めたばかりで大きめの気泡がブツブツを沸き上がっていた。
「麹独特の甘い香りがするっぺや」
 杜氏の斉藤さんは、ここのところほとんど寝ずに酒の仕込みをしているから、目の回りには色濃いクマができていたが、表情は生き生きとしている。この時期の柿谷の男達は総じてこんな感じだった。
 皆、寝る間を惜しんで酒の仕込みにいそしみ身体的には疲労困憊のはずだったが、それでもやはり根っからの酒造り好きなんだろう、皆表情は明るかった。
 いかにも職人仕事といった一連の作業に、千春もやや興奮気味で酒造りの行程を次々ビデオに納めていった。
 都会的な千春がこんなにも酒造りに興味津々になってくれるとは思わなくて、嬉しい誤算だった。
 最初は連載小説を書くための仕事的な意味合いでビデオを撮ってるのかなと思いきや、ビデオを撮ってる目つきが爛々としていたので、意外にも千春はこういったもの造りの現場が好きなんだということを感じた。
 俺にしてみれば凄く意外だったが、何より千春が楽しんでいるのがわかって凄く嬉しかった。
 テンションの高い杜氏さん達と同じテンションで猛然と取材している千春が微笑ましいやら面白いやらで、奥さんと一頻り笑った。
 ひょっとしたら千春は、意外にこうした田舎暮らしが好きなのかもしれないなぁと思った。現に俺がいなくても柿谷での暮らしを満喫しているみたいだし、何より柿谷酒造の人達と凄く馴染んでいるのだから驚きだ。
 今じゃ、俺より千春の方が柿谷の皆から声をかけられることの方が多くて、逆に俺が少し寂しく思うくらいだった。
「そこの米は、あと30秒伸ばすっぺ」
 湧き水につけた米を水から上げるタイミングについて皆に指示をしているのは和人さんだった。
 以前は親父さんがしていた仕事を、今年は和人さんが率先して担っている。
 時折、熟年の杜氏さん達に意見を聞きながら仕事を進めて行く和人さんは、以前のどこか自信なさげで頼りなげな様子がなくなり、随分逞しく見えた。いつかの千春のお説教が、ここまで柿谷の中にいい効果を発揮してくれることになるなんて、あの時は一体誰が予想しただろうか。
「よかったですね」
 杜氏さん達と作業に没頭する和人さんの姿を見つめながら、俺は傍らに立つ親父さんに声をかけた。
 親父さんはいつものように腕組みをして口のヘの字にしていたが、今日のそれはテレ隠しのように思えた。
「親父さんも安心じゃないですか?」
 俺がそう言うと、親父さんは「ふん」と鼻を鳴らした後、
「酒が仕上がってみんとわからん」
 とひと言言い残し、麹室の方に姿を消した。
 俺と奥さんは思わず顔を見合わせて、ふふふと笑った。
 酒蔵の中は、ふんわりとした米麹の香りと人々のどこかソワソワとした静かな活気で満ちあふれている。
 あと一ヶ月もしたら続々とでき上がってくる今年の酒は、きっと例年にも増していい出来に仕上がるに違いない・・・。

 

 「あ~、お腹いっぱい」
 夕食後、お腹を擦りながらいつも使わせてもらってる客間に上がって、俺は散らかしていた荷物をまとめた。
「シノさん帰り、居眠り運転、気をつけてくださいよ」
 今日撮影したビデオをノートパソコンに繋いだ外付けHDDに落としながら、千春が俺に釘を刺した。
 千春は引き続き柿谷に残って取材を続ける予定になっていて、今夜は俺だけ先に東京に戻ることになっていた。
「小説は順調に書き進んでるの?」
 俺がパソコンを覗き込むと、「まぁね」と千春は肩を竦めた。
「今日の取材でわかったこともあるから、ちょっと書き直したりするけど、もうすぐ一ヶ月分は書き溜められるかも」
「じゃ、いよいよ連載開始できるな」
「ええ、編集に読んでもらって無事OKが出れば、の話ですけど」
「何言ってるんだよ。千春の書いたものなら、絶対に大丈夫だよ」
 俺がそう言うと、千春は横目で俺を見て、「読んでもないのにすぐそんなこと言うんだもんな」と口を尖らせる。
 今度は俺が肩を竦ませた。
「千春のことを信じてるってことだろ」          
 俺がそう言うと、千春は呆れ顔の頬を少し赤くした後、俺の肩をグイッと手で押して、「もう、早く帰りなよ。遅くなる前に」と言った。
  ── なんだよ、テレることないだろう~。
 千春はテレると直ぐに天の邪鬼になるのが、最近わかってきた。
 それを思うと、なんだか柿谷の親父さんと似てるのかも。だからかな、この二人が意外にウマが合ってるのは。
 もうすぐ小説の連載が開始されるということは、柿谷から新酒が出る少し前のことになるから、きっと早くもよい宣伝効果になるだろう。
 千春は自信なさげにあんな風なことを言っていたが、俺が仕事から帰ってきてからも、時に熱心にパソコンに向かっている夜も多かったので、彼自身手応えは感じていると思う。
 確かに薫風がなくなり、そして川島と征夫さんがいなくなり、前年の柿谷酒造は辛いことばかりで終わった。
 今だ征夫さん達からも連絡はなく、一度伸びかけていた売り上げも、昨年は薫風の出荷停止の煽りを受け、例年以下に落ち込んでしまった。
 けれど、今日のあの酒蔵に満ちる活気や千春の柿谷に対する熱い姿勢を見るにつけ、あの逆境があったからこそ柿谷や俺達が得られたことがあったんだと今はそう思えている。
  ── きっと今年は、誰にとっても忘れられない、特別なシーズンになるに違いない。いや、きっとそうなる・・・!


 俺は晴れ晴れとした気持ちで、夜の高速を東京までひた走らせた。
 途中、千春の指摘通り睡魔が襲ってきて、途中のサービスエリアで仮眠を取ったので予想以上の遅い時間に帰り着くことになったが、俺はそのまま家には帰らず、一旦会社に戻った。
 柿谷での生産見込み数についての報告書と明日の雑誌社との打ち合わせ用資料の出力を済ましておきたかったからだ。
 会社に戻ると、まだ一部の社員が残業をしていた。だが、日本酒課は誰もおらず電気も消えていたので、俺の机の上の電気だけつけて、パソコンを立ち上げた。
 翌日の資料を出力する手筈を整えたまさにその時、蒸留酒課の寺田が日本酒課に駆け込んできた。
「おお! 篠田か! 丁度よかった!」
 文字通り慌てて走って来たのか、寺田はゼイゼイと肩で息をしながら、両膝に手をついた。
「な、なんだよ、寺田。どうした?」
「い、いや・・・、電話で聞いた時点では、日本酒課の連中はもう帰ったって・・・聞いてたんだけど・・・。明りがついてたからさ・・・まだ誰かいるなと思って・・・」
「ああ、ついさっき出張先から戻ったんだ。忘れないうちに報告書を作っておこうと思って・・・。で、何だよ、血相変えて」
 寺田は元は川島の席だった椅子にドッカと腰掛けると、ハァと大きく息をしてからこう言った。
「今日、ハセベさんのところに顔をだしてたんだ。そしたら・・・ハセベの息子さんがネットで購入した酒が、く、薫風にそっくりの味だったって教えてくれた。ひょつとしたらあれは、ラベルを張り替えただけで転売された薫風かもしれないって・・・」
「え?!」
 寺田の衝撃発言に、俺は思わず椅子から立ち上がったのだった。

 

here comes the sun act.76 end.

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編集後記

本日、ちょっと短めの更新になってしまい、すみません・・・。
スマホのせいなのか年のせいなのか、眼精疲労からくる(と思われる)頭痛に悩まされておりまして、さらに梅雨時期となりダブルパンチに見舞われている今日この頃でございます・・・。皆様、いかがお過ごしでしょうか???

ところで、国沢はええ加減オバさんな年齢になった今でも、俗にいう「吹き出物」(かわいく言うと「ニキビ」?)が顔によく出るタイプの人間です。
ドライオイリー肌っていうんですかね? ついでに男子脳の傾向が強いためか、ホルモ異常からくるアダルトニキビも盛大に出ます。

と、ところが。

ここのところ、小鼻の回りの薄皮がむけむけになっていたのに、顔用の乳液やらクリームやらを切らしていた国沢。ふと目についたニベアを「これでもいいや」と塗り付けてみたんです。
さすがニベア。
王道の付け心地=重いテクスチャー(笑)。
顔はもれなくニベアでテカテカ。
丁度その頃は仕事も忙しく、ドラッグストアに行く暇もなかったので、数日間ニベアで過ごしたんですが、あらあら不思議。
なんだか・・・

新しいニキビができていない。<

いや、気、気のせいか・・・。
だって、毎夜毎夜、こんなにギラギラテカテカになってるのに・・・・。
そう疑心暗鬼になりながらも、更にニベアを使い続けて行くと、ニキビ予備軍の小さなコメドが出来はするものの、悪化することもなく、収まって行く。

ま、まさか、このギラギラテカテカが、ニキビにも効くってことか・・・???

世の中の賢い人はすでにご存知なのかもしれませんが。
国沢にとってしてみれば、軽くカルチャーショック。

これまでニキビ対策に巨額の投資をしてきたのに、ニベアでニキビ予防になるなんて。
まだまだ効果は調査中ですが。
今のところ、ニキビはできていません。

現在、禁断のチョコレート(ミニブラックサンダー)を食して、経過観察中です。(国沢はチョコを食べるとすぐにニキビが出るので)

[国沢]

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