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nothing to lose title

act.42

<side-SHINO>

 「え?! 取引が今日で終わりって、どういうことですか?」
 浅川が思わずといった感じで大きな声を出した。
 その場にいるパートさん全員が困ったような表情を浮かべる。
 俺が理由を聞かせてくださいと懇願すると、迫田さんは渋々話してくれた。
「いやね、急に言い出したものだから、アタシ達もビックリしてるんだけど・・・。少し前に写真週刊誌に載ってたの、あれ、篠田くんのことでしょ? あれ、うちでも扱ってる雑誌だったから、店長も気がついちゃってね」
 そう言われて、薄々原因はそこにあると思っていたけど、やはりそうだった。
「そうですか・・・」
 そのまま言葉を失った俺の代わりに、浅川が迫田さんに噛み付く。
「それがどう関係あるっていうんですか? 篠田さんが誰と付き合おうと、別にいいじゃないですか!」
「おい、浅川、やめろ」
 俺は血の気の多い浅川の肩を押さえた。
 迫田さんは、「いいのよぉ。実際、アタシ達もそう思ってるんだし」と逆に俺の手を押さえた。
「これは多分、アタシの予想だけど。店長が気にしてるのは、そっちのことじゃないと思うのよ。多分、篠田くんが高校中退者だってことが気にくわないんだと思うわ。あの人、頭、硬いからね」
 迫田さんの言ったことに、俺達は面を食らった。
「え? そっち?」
 浅川が、気の抜けた声を出した。
 迫田さんは顔を顰めた。
「アタシ達も正直ビックリしたもの。篠田くんがそんなに早く働き始めてたってこと知って。でもまぁ、アタシ達は、学歴低くても今ちゃんとしてくれてるから別にいいんだけど、店長はどうやらそうじゃないらしくって・・・」
 迫田さんがそこまで言うと、他の女性パートさんが「早く店長室に行った方がいいわよ。今ならいるから」と助言してくれた。
 俺は浅川に納入した酒を運び込むように告げると、伝票を持って店長室に向かった。
 店長室のドアを二回ノックすると、「何だ」と声が返ってきた。
「加寿宮の篠田です。よろしいですか?」
 しばらくの間があって、「どうぞ」との声。俺は「失礼します」とドアを開けた。
 デスクについてチラシのゲラを確認していた店長は、老眼鏡を取りながら顔を上げた。
「今日の納入分です」
 伝票を差し出すと、「ああ、そこ、置いといて」とデスクの端を目で指して言った。
 俺が言った通りに伝票を置くと、「丁度今、倉庫に行こうと思ってんだよ。加寿宮さんが来る頃だろうと思ってね」と店長は言った。
「誰かから、話は聞いたかね」
「は・・・。取引のことですか?」
「そう。来週から、もう来なくていいよ」
 やはり、本当の話だったか・・・。
 途端に、俺の心臓の鼓動がドクドクと高鳴り始めた。
「 ── 理由(わけ)を聞かせていただいてもよろしいですか?」
 俺がそう訊くと、店長は「わけ?」と言って溜め息をついた。
「君ねぇ、中卒だっていうじゃないか。高校もまともに卒業できない人は、どうもね。しかも、妹さんも随分若いのに父親のいない子どもを生んだとか・・・。君の家はどういう教育をしているんだね」
 首の血管がドクリと鳴った。
 まさかあの週刊誌の記事で、こんなことを言われるとは思っていなかった。
「両親は・・・、自分が高校二年生の時に事故で亡くなりました。妹はまだ幼かったので、自分が親代わりに働く事にしたので、退学しました」
 自分でも、声が震えているのがわかった。
 店長は訝しげに俺を見た。
「そうなの? 両親が亡くなっても、親戚の人が援助はしてくれなかったの? 今の時分、そんな話、あるのかね」
「親代わりをしてくれる親戚の人はいませんでしたから・・・」
「つまりは、親戚付き合いもまともにできなかったご両親だったってわけでしょ。子どもにそんな苦労をさせるなんてね。俺なら、ありえないけどねぇ」
「両親もさぞ無念だったったと思います」
 俺は、唇を噛み締めた。
「でも、両親は二人切りでしたけれども、精一杯育ててくれました」
 店長は何とも言えない表情を浮かべた。
「まぁ、俺もあんたの両親を悪く言うつもりはないけどね。でもやっぱり商売は、信用で成り立つものだから。高校をドロップアウトしたような子を担当にしてこられてもね。いや、篠田くんには悪いけど。前にも何人か中卒の子を雇ったことあるんだけど、どいつもこいつも問題ありでね。すぐ休む、辞める、仕事をサボる、接客を覚えない、あげくの果てはレジの金に手をつける・・・そんな奴らばっかりだったからねぇ」
 店長がそこまで言った時、店長室もドアが開いて、浅川が怒鳴り込んできた。
「あんたの目は節穴か?! そんな連中と篠田さんが同じだとでも?! じゃ、これまでの取引でなんかマズいこと、ありましたかね!!」
 俺はちょっとボウッとしていたが、浅川の怒鳴り声ではっと正気に戻った。
 店長にほとんど殴り掛かる勢いの浅川を、俺は全身で取り押さえた。
「浅川! 落ち着け!!」
「落ち着け? 篠田さん、アンタが侮辱されてるんですよ!」
「いいから! お前は外出とけって」
 俺は浅川をドアの向こう側に押し戻した。
 そしてドアに内鍵をかけると、店長に向き直った。
「僕が、担当を外れればよろしいですか?」
「え?」
「別の担当者なら、取引を続行していただけますか?」
 浅川の勢いに椅子から腰を少し浮かせていた店長は、ハァと息を吐き出すと、再び椅子に座った。
「そういうことじゃないんだよねぇ、篠田くん。俺が問題にしているのは、未成年の子をお酒関係の職に平気で付かせたっていうお宅の会社の姿勢を問題にしてるの。一応、未成年はお酒飲んじゃいけないことになってるの、知ってるでしょう?」
「僕は、未成年時代に酒は一滴も飲んでません」
「そんなの、確かめられようもないことじゃない。俺はね、未成年が酒に関係するところに出入りしているっていうのが嫌なわけ。夜のお店にもお酒を配達したりするわけでしょう?」
 俺は再び唇を噛み締めた。
 確かに配送部にいた頃から、夜開く店にも配送業務を行っていた。
 それは否定できない。
「そうです。配送、していました」
 俺がそう答えると、店長は「ほらぁ」と声を上げた。
「もう本部にも報告したんでね。悪いけど。じゃ、そういうことで」
 店長は席を立ち、俺を部屋の外に送るような仕草を見せた。
 俺はその腕を掴んだ。
「お願いします! 考え直していただけませんか?!」
「えぇ?」
「すぐに以前の担当の者を来させます。取引を続けていただけませんか?!」
 店長は眉間に皺を寄せた。
「アンタもしつこいね。もう余所の会社に連絡しちゃったんだよ。月末には営業が来てくれることになってる」
「月末? 毎週は来てもらえないのですか?」
「そんなこと、アンタにゃ関係ないね」
「細かい対応ができるのは、弊社だけです。小規模の会社だからこそできることです。どうか、再検討をお願いします!」
 俺は頭を下げた。
「そう言われてもね。ダメなものはダメだ」
「店長!」
「じゃ、何か? 土下座でもするかね」
「え・・・?」
 俺は頭を上げた。
 丁度店長の背後の窓から差し込んできた西日のせいで店長の顔が逆光になり、その表情が見えなかった。
「土下座、するかね」
 再度、黒い顔からそう声がする。
  ── 土下座・・・。
 「自分が悪いことをしていないと思った以上、土下座はするな」
 ふと、耳に父の声が響いた。
 中学校の頃、友達をいじめていた上級生と俺がケンカをして、互いに怪我をしたことがあった。
 怒鳴り込んできた相手の親が俺に土下座しろと迫った時、父親がそう言った。
「怪我をさせたことは申し訳なく思う。だかそれなら、うちの息子だって怪我をしている。あなた方も謝らなければならないのではないですか?」
「怪我の程度が違うでしょ?! こっちは額を縫ったんですよ!」
「元はと言えば、あなたの息子さんが弱い者苛めをしていたのが原因ではありませんか? あなた方はその子に対して、謝られたのですか?」
 結局その後、怒鳴り込んできた親子は帰って行った。
 俺は親子を突っぱねた父を心配したが、「正しいと思ったことをしたんなら、堂々としていろ。土下座なんて、軽々しくするものじゃない」と厳しい顔で俺を見た。
  ── 土下座なんて、軽々しくするものじゃない・・・
 俺は、身体を起こした。
 俺は、疚しいことをしているわけじゃない。
 確かに学歴は中卒だが、一生懸命働いてきた。
 妹も、若い頃にシングルマザーになったとはいえ、ちゃんと一人息子を育ててきた。
 俺が千春を愛していることだって、全然汚いことじゃない。
 俺は、恥ずかしい生き方をしている訳じゃない・・・。
「 ── 土下座は、しません」
「は?」
「土下座は、しません。土下座をすることが誠意の証だとは思いません。でも、精一杯務めます。チャンスをください」
「何を言ってるんだ! 生意気な。土下座もできんくせに。さぁ、出て行け!」
 俺は身体を掴まれ、部屋の外に押し出された。
「お願いします! お願いします、店長!」
「もういいですよ、篠田さん! 行きましょう!」
 結局俺は、浅川に羽交い締めにされ、店を後にすることになった。

 「あんな店、こっちから願い下げですよ」
 会社に帰る道すがら、浅川はそう言った。
「あんな単純に学歴で判断するような人が店長をやってるような店、ろくなもんじゃない」
 浅川はそう何度も呟いた。
 俺は、全身まるで鉛になったかのような感覚に捕われていたが、ようやく・・・といったように声を出した。
「浅川、お前、わかってないよ、ちっとも・・・」
 浅川は俺の呟き声がちゃんと聞こえなかったのか、「え?」と聞き返してきた。
 俺は再度、「わかってない」と言った。
「あの店は、上谷部長が苦労して開拓したのを、代々営業が引き継いできた店だ。日本酒課で手島さんが頑張って注文を増やしたところを俺が引き継いだ。週一回一店舗の発注は少なくても、月やチェーン店規模でまとめれば、それなりの売り上げになる。皆が大事にしてきた取引先だ。俺の個人的事情で反故にするなんて、そんなのダメだ・・・」
「篠田さん・・・」
 浅川が困った顔をしたのはわかったが、俺はそんな浅川を気遣えなかった。
 自分が配送部から営業に鞍替えしてきたから余計そう思うのかもしれないけれど、営業の苦労は計り知れない。特に、ビールや洋酒を扱う課の連中は日本酒課の俺達より過酷な顧客獲得戦争を他社と繰り広げている。
 配送の仕事は、体力的なことやシフト時間的なもので物理的にハードではあったが、そこら辺の気苦労はまったくなかった。ただ、営業が開拓してきてくれた配送先に届ければすむ仕事だった。
 俺は、両手で顔を覆った。
 心臓が痛かった。
 いずれにしても、社に帰って報告せねばならない。 

 
<side-CHIHARU>

 囲み記者会見という『お務め』を果たして、僕は解放された。
 写真週刊誌が出る以前はいろんな仕事を詰め込んでいたようだが、週刊誌にネタにされてからはどうやら流潮社でなるだけインタビューものの仕事は断ったらしい。
 なので僕は、突然『暇』になった。
 皮肉にも、こんな形で僕が以前願っていたような状態になるとは思っていなかった。
「せいぜい、新しい創作にでも取りかかってくれたら、嬉しいけど?」
 岡崎さんにはそんな嫌みを言われた。
 ようは、新作を書けってことだ。
 でも今の僕はシノさんとの生活で頭がいっぱいで、朝は「これ小説のネタになるかな」なんて思ったりした僕ではあったけれど、何かを書きたい!という頭にはなっていなかった。
 金銭的にハングリーな訳でなし、やはり何か追いつめられたものがないと、小説なんて書いちゃいけないんだ思う。
 シノさんと知り合う前の僕は、結構ちゃらんぽらんに小説を書いていたけれど、それでも書く衝動というものが、それなりにあった。
 その衝動が来ない限り、次の新作はきっとない。
 しかもその衝動がいつ来るかわからない・・・なんて言ったら、岡崎さん気を失うかな?
 でも幸い、僕とシノさんの出会いを綴った僕の弱音垂れ流し小説は順調に売れているそうだし、当分我慢してもらおうと思う。
 三鷹の小出さんのスタジオまでは、岡崎さんが車で送ってくれた。
 小出さんは、わざわざ僕が来る時間に合わせて、スタジオにいるようにしてくれた。
「すみません。お忙しいのに」
 僕がそう頭を下げると、小出さんはいやいやと手を振った。
「そっちこそ、忙しいんじゃないの? 写真週刊誌にすっぱ抜かれたらしいじゃないか」
「はぁ、まぁ・・・。でも逆にそのおかげで暇になったところです」
「そういうものなのか。大変だなぁ」
 そんな会話をしながら、スタジオの中に通された。
 いつかシノさんがメイクを施された時に座っていた席に促されて、僕は腰を下ろす。
「じゃ、アルバム、取ってくる。田宮さん、コーヒー淹れてあげて」
「はい。 ── 澤先生、お久しぶりです」
「お久しぶりです。その節はお世話になりました」
「いいえ。こちらの方も、あの日の撮影はとても楽しかったんですよ」
 田宮さんはそう言いながら、ドリップコーヒーが入ったカップを出してくれた。
 田宮さんと少し談笑をしている間に、小出さんが再び部屋に入ってきた。
 小出さんが田宮さんの顔を見ると、以前から申し合わせしていたようで、田宮さんは部屋から出て行った。
 僕が小出さんに頼んだ写真アルバムは凄くパーソナルな写真が多かったから、気を使ってくれたのだろう。ありがたい。
「我ながら、いい出来だ。世の中に出せないのが、非常に惜しい」
 苦笑いを浮かべながら、小出さんがアルバムを差し出した。
 小出さんが一人で編集して、印刷・製本まで自分でしてくれたものだ。
「インクジェットだけど、うちのはプロユースのだから、結構キレイに中間調のグレイも出ていると思うよ」
 ほとんどがモノクロ写真だった。
 特に後半の僕らが裸で抱き合っている写真とかは。
 確かに手前味噌で恥ずかしいが、小出さんが言ったように、絵画のような仕上がりになっていた。
 小出さんが脚立に上がったり降りたり、床にはつくばったりしながら撮影してくれたので、構図もスタンダードなおのから斬新なものまで、いろいろある。
 本当に美しい写真達。
 シノさんはおろか、僕のいろんな表情まで捉えてくれている。
「アルバムに載っけてないものは、DVDに入れてるからね」
 小出さんの言ったDVDは、アルバムの最後のページに貼付けてあった。
 むろん僕はどの写真もお気に入りだったんだけど、特に淡い色合いのカラー写真で、シノさんの笑顔がアップで写っている写真で特に胸がキューッとなった。
 あまりにトキメキ過ぎて、心臓が痛かった。
 バックにピンボケで写る柔らかく風になびくカーテンや庭の緑が、一層シノさんのピュアさを引き立てている。
 そういえばこの写真、撮影した日、僕が思わず感涙しそうになった写真だってことに気がついた。
 ああ、なんて神々しい笑顔だろう。
 純粋無垢な形そのものが写っているようなものだ。
 本当に美しい笑顔。
 この笑顔が、いつも僕の傍にあるだなんて、今でも信じられない。  
「 ── 美しい・・・」
 全体を見た後、再びその写真に戻って僕がそう呟くと、小出さんも大きく頷いた。
「まったく、俺もそんな写真がまだ撮れるんだって思っちゃったよ。初心を思い出したっていうか。いい仕事をさせてもらえて、本当に光栄だ。よければ、また二人を撮られてもらいたいね。むろん、ギャラなしでいいよ」
 僕はアルバムから顔を上げた。
「そこまで言っていただけるなんて・・・。でもひょっとして今回の騒ぎのせいで、小出さんにも迷惑をかけているんじゃないですか?」
「ん?」
「今日、岡崎さんが小出さんに電話をかけているところを見ました。内容までは聞き取れませんでしたが」
 僕がじっと小出さんを見つめると、小出さんはバツが悪そうに顔をしかめ、コーヒーをがぶ飲みした。
「レンズがないと、男前にそんな風に見つめられるのはテレるもんだな」
「小出さん」
 僕が強めに小出さんの名を呼ぶと、小出さんは観念したかのように顔の力を抜いた。
「確かに岡崎女史から写真集の出版延期の要請がきたよ。今、君のヌード写真を出版すれば、火に油を注ぐことになりかねんとね」
「・・・申し訳ないです。これじゃ、フェアじゃないですね。実質、小出さんが撮影料を受け取れなくなるってことでしょ」
「いやいや。金の問題じゃないよ。今回、篠田くんと君を撮影できたことは、俺にとっては本当にいい刺激になったんだ。目が覚めたというか。撮影のチャンスを貰えただけで、ありがたいと思ってるんだよ。それに、一生出版できないって訳でもないだろうからね」
 小出さんはそう言ってくれたが、なんだか悪い気がした。
 こんなに売れっ子のカメラマンを世に出ることない仕事でただ働きさせたみたいな気分になったからだ。
「本当に、すみません」
 僕が頭を下げると、小出さんは目を丸くした。
「俺が聞いていた澤清順は、絶対に頭を下げない男だったがね」
「何言ってるんですか。ふざけないでください」
 僕が口を尖らせると、小出さんはおかしそうに笑ったのだった。

 

here comes the sun act.42 end.

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編集後記

今週の更新は、宣言通り、痛い内容となってしまいました・・・。
シノさん、この難局、どう乗り切るんでしょうか?
続きを全く書いてないので、国沢も先がわかりません(爆)。
来週になってみないと。

自分で書いてて怖いわ~。次週どうなるか分からんて(青)。

さて、国沢はといえば、久しぶりに映画館に行って映画を観てきました。
『レ・ミゼラブル』
二時間をかるく超えるミュージカル超大作だったんですが、よかったです!
映画館の中でも、泣き出すお客多数。
そういう国沢も、ほろりとなるシーンがちらほら・・・。
思わず、サントラ買っちゃった(汗)。
そして、読めるかどうかも分からないのに、小説本も買っちゃった(汗汗)。

詳しい感想はブログにでも書くか~ってことで、皆様、ぜひオススメですぞ。

では!

[国沢]

小説等についての感想は、本編最後にあるWEB拍手ボタンからもどうぞ!

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