act.33
── カーリー、か。
香倉は、目の前に座る女の残忍な笑みを見ながら、妙に納得した。
カーリーとは、血と殺戮を好むインド神話の女神だ。
その姿は髑髏を繋いだ首飾りで着飾り、切り取った手足で腰を被うという異形の姿で描かれる。
カーリーの肌は真っ黒だが、ミンの肌はどちらかというと褐色というには若干薄かった。
ブロンドの髪は明らかに脱色して染めた色のように見えたが、鳶色の瞳と薄褐色の肌はホンモノだろう。手足の長い肉感的なスタイルは、アジアのDNA以外のものも感じる。おそらく、欧米人との混血といったところか。年の頃は30半ば。しかし、育ちはこの地、東南アジアだろう。彼女の話す英語は聞き取りずらいほど東南アジアの訛りが酷い。
カーリーという異名は、臓器売買を生業にしているところからきたあだ名だろうか。
自分が生まれ育った土地の人間を捕まえてきて麻薬まみれにし、生きながらにして臓器を捌き、売り物にしているのだから、おおよそ普通の神経はしていまい。
彼女に従う男達が、常にミンの顔色を伺っているのも頷ける。
ヘタしたら自分も、あの液体棺桶の中にいつ入れられるとも限らない。
この女が、どうしてこんな闇の商売に手を染めるようになったのか・・・それどころか闇の組織のトップとして君臨することができたのか、謎は深まるばかりである。
米国の製薬会社を追っていたはずが、とんでもないところに行き当たってしまったわけだ。
利賀もよもや自分が、こんな組織の片棒を担がされていたとは思ってもいないだろう。
こんな凶悪な組織に外資の支社といえども河田のような日本人が率先して関わっているとは由々しき問題だった。
── どうにかしてこの事実を知らせなければ・・・
香倉はそう思ったが、今のところいい手だては思い浮かばない。
香倉の命は、間違いなく目の前に立つ蛇の目を持つこの女が握っていた。
「で、一体誰に雇われたの。正直に言いな」
ミンは、香倉の目の前をゆっくり歩きながら訛りのきつい英語で訊いてきた。香倉の方を流し見る。
並の男なら、その蛇のような目を見ただけで卒倒しそうだ。
逆らえばどうなるか、暗黙の脅しがその目線に込められている。
香倉は努めて表情には出さなかったが、内心生きた心地がしなかった。
この応対如何によって、今後の自分の命がどうなるのか決定されるような気がした。
むろん、正直に答える訳にはいかない。
相手は香倉が『結城和重』と思い続けているのが、唯一のよい材料だ。
「隠し立てすると後が酷いよ。どうせいずれはバレるんだ」
ミンの言っていることは本当だろう。
自信に満ちた彼女の態度は、ブラフのようには思えなかった。
香倉は、広東語で「王龍」と答えた。
咄嗟に出た、半ばやけっぱちの嘘だった。
どうせこの状況で嘘をつくなら、あり得ない設定の方が案外うまくいく。それは過去の経験上、香倉が学んできたことだ。
「王龍!」
さすがのミンも、そんな名前が出てくるとは思わなかったらしい。彼女は目を見開き、驚いた顔つきを見せた後、すぐに大きな声をあげて笑った。
「王龍だって?!」
周囲の男達もつられるように笑うが、実際の意味を知っているのは香倉が座らされたソファーの脇に立つ老兵だけのようである。
「お前は、自分が仕えていた一族を滅ぼした男に飼われているというのか」
ミンはクメール語ではなく、ベトナム語で感嘆の声をあげた。思わず国の言葉が零れ出たといった風情だった。
ということは、女の故郷はカンボジアではなくベトナムか。
「どうやって取り入った」
ミンは香倉の前で仁王立ちになると、上から香倉を見下ろし英語で訊いてくる。
「元は敵だった一族に仕えていたお前を、王龍が雇ったというのか」
香港マフィアのお家事情は、東南アジアの闇組織でも十分知れ渡っているらしい。
香港の黄一族が王龍の手で壊滅状態にあったことは随分昔の話だが、その話は今なお色褪せていないらしい。
ミンは再び警棒で香倉の頬を押し上げた。
香倉は英語で答えた。
「俺が黄に仕えていたのは表向きだけの話だ」
実際にそれは事実だった(ただし香倉が属していたのは王龍側ではなく、日本とアメリカの合同捜査チームだったが)。それだけに信憑性があったのか、ミンは二、三度頷く。
「なるほど。お前は二重スパイだったということか。お前が、黄一族を滅ぼすために内部から手を回したというのだな」
冷ややかな目線。
内心、香倉は生きた心地がしない。
いやな沈黙が流れる。
ゴクリと誰かが唾を飲み込む音がした。
ミンが警棒を振り上げる。
反射的に香倉は目をぎゅっと瞑った。
次の瞬間、肉が警棒で叩かれる音がして、男の悲鳴と床に倒れる音がした。
香倉が瞼を開くと、これまで香倉を尋問してきた男が両手で顔を押さえて引きつるような呻き声を上げながら、のたうち回っていた。
ミンは、血の付いた警棒を空で一降りして血を払うと、ポンポンと手の内でそれを弾ませながら大げさに溜息をついた。
「これしきの情報、なぜお前は引き出せなかったの。うちの男共は本当に無能だね」
ミンは香倉に向き直る。
そして香倉を見つめると、にっこりと笑った。
「益々気に入ったわ。結城。今度アンタはアタシに寝返るべきよ。言ったでしょう。アンタがアメリカの雌犬をやってくれたことには随分感謝してるの。あの女はここいら辺も彷徨いて、随分迷惑をかけてくれていたからね。二重スパイだったアンタなら、この状況で何がベストなのか、よく分かるだろう。アタシに飼われる方が随分賢いってね。安心して。対等とはいかないけど、これはそれなりの取引だし、アンタが寝返ってくれるのならば、きちんと報酬も出す。なんなら王龍の金額に色をつけたっていい。命が助かって、なおかつ金になるんだ。悪い話じゃないだろう?」
香倉はゆっくりと立ち上がった。
これはえらいことになってきやがった・・・と思いつつ、表向きは平常心でいるほかなかった。
「まずは、トイレ付きの個室にしてもらおうか」
香倉がそう言うと、ミンは機嫌が良さそうに声を出して笑った。
その夜、クライドに連れて行かれた場所はダウンタウンの薄汚れた居住地区だった。
華やかな繁華街とは違って、みっちりと古い建物が密集している。
あの悪名高き九龍城は1993年から1994年にかけて解体され、香港のスラム街は一掃されたと大々的に発表されたが、それでもその当時九龍を追い出された人々は、また新たな生活の場所を求めて香港島全土に散らばった。
この住宅街にもそのような人々が住み着いているようだった。
クライドが足を止めたのは、その一角。
1階が何かの店舗らしき建物の横にある路地の入り口だった。
クライドが視線だけで、路地の奥を指す。そのまま黙って彼の後をつけた先にあったのは、モルタルの建物の隙間にある非常階段だった。
クライドに続いて、階段を上がる。
およそCIAの組織からは考え及ばない場所だ。
行き着いた先はやけに頑丈な南京錠がかけられた鉄のドアで、クライドは鍵をあけると重たそうにドアを開いた。
櫻井が中にはいると、クライドは内側から南京錠を掛け、電気を点ける。
ジーという音とともに蛍光灯が点くと、ウナギの寝床のような長細い部屋が現れた。
住居というよりは、もともと倉庫か何かだったのだろう。
天井や壁には無数の配管がむき出しのままだ。
そんな長いワンルームに、一昔前のタイプの会社机や下半分がむき出しの流し台、冷蔵庫、傷だらけの木製のテーブル、ロッカーなどが並んでいる。
左手には錆びた鉄製の枠に囲まれた窓が一面並んでいるが、全て磨りガラスで外の景色は見えない。
奥には衝立があって、その向こうの様子は伺えない。
クライドは、そのまま部屋を突っ切って歩いた。
櫻井も後に続く。
衝立の向こうにはベッドがあった。
他の家具はすべてオンボロなのに、なぜかベッドだけは高価そうなダブルサイズのベッドだった。どうやら寝具だけにはこだわりがあるらしい。
クライドは、ベッドの向かいのドアを開けた。
その中は真っ暗闇だ。
櫻井が中を覗き込む。
クライドが部屋の電気をつけた。
櫻井は思わず「あっ」と声をあげる。
狭い部屋だったが、そこだけ映画で見るようなハイテク機器が四方の壁一面に並べられていた。
櫻井にはそれがどんな代物かは分からなかったが、大きな液晶パネルのパソコンや何かの通信機器、理科実験室のような設備もある。そして壁際の事務机には、無造作に軍使用の大きなハンドガンがごろりと置かれてあった。
櫻井はそこに日本にはない空気を感じて、思わずゴクリと喉を鳴らした。
それを見て、クライドが櫻井に訊いてくる。
「お前さん、撃てるんだろうな」
櫻井はクライドを見た。彼は疑り深い目で櫻井を見ている。
「撃てます」
櫻井ははっきりした声で答えた。日本ではむろん実弾訓練もしてきている。撃つことはできる。
しかしクライドは鼻を軽く鳴らした。
「日本人は、実戦になるとどうだかわからねぇからな」
本当に顔に似合わず口が悪い男だ。
華見歌壇で彼を絶世の美女と思って、目をハートにしている男達の姿を思い浮かべると、本当に滑稽に思えてくる。
「そこに座んな」
顎で事務机の前の椅子を指され櫻井が座ると、クライドは櫻井の目の前にバサッと封筒を投げ置いた。櫻井がクライドを見ると、「見てみな」と彼は言った。
櫻井が封筒を開けると、中からは四つ切りのモノクロ写真が出てきた。
それを見てハッとする。
そこには、いかにも気質ではないとおぼしき怪しげな男達に混じって写っている香倉の姿だった。
接続 act.33 end.
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編集後記
ああ、なんとか更新できた・・・。
ギリギリだ・・・。
もう本当に苦しくなってまいりました、この連載。
先を全く考えず書き続けるという無謀な行いのツケが、毎週毎週巡ってきます(笑)。
行き当たりばったり過ぎるよ~~~~。
もうホントやめよ、こんな書き方。
といっても今は始めちゃってるから、どうしようもないけど。
ああ、すいません、完成度低くて・・・。もう、ほんとにね。
とかいいながら、最近また新たなゲーム始めちゃいました。
何を今更って感じで、なぜかこの期に及んでファイナルファンタジーX。
いや、不朽の名作っていうからさ・・・。どんなもんかと思って。
でもなんだか今の段階で、そこはかとなく青臭い恋愛模様が香ってきてて、かなり甘酸っぱいです(笑)。
若い男女の恋愛模様だなんて、久しくお目にかかっていなかったので、なぜかこっちがこっぱずかしくなっちゃったりしてんの(笑)。
きっとこのゲームやられた方ならお分かりいただけると思うのですが、モーホースキーな私のような人間が楽しみを見いだすとしたら、お茶目なキマリ様か(頭に角が生えたライオン男)かどこか浪人サムライのようなアーロンに萌えるはず。いやいやどうして、国沢一番萌えてんのは、主人公のユウナちゃんの父、今は亡きブラスカ様だったりする。
ブラスカ萌え・・・。
う~ん・・・、いそうにねぇ・・・・(力汗)。
[国沢]
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