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act.19

 利賀を拉致した連中の車は、ダンカオ地区を抜けた先にある中規模な工場の敷地へと入っていった。
 だがそれは先を走っていた一台のみで、もう一台・・・利賀の内縁の妻と子が乗せられた車・・・は、工場の前を通り抜け、更に郊外に向けて走り去っていく。
 香倉は一瞬どうしようか迷ったが、結局利賀を乗せた車の方を優先させ、工場近くの草藪に車を止め、工場まで走ると、闇の中よくよく目をこらした。
 入り口の看板には、タイマカ社うまみ調味料製造工場と記されてある。
 どうやらオゾッカの直営工場ではないらしい。
 平屋の大きな建物がいくつかと、管理棟のような五階建てのビルが一棟ある。見てくれは一見なんの変哲もない工場だ。
 しかし香倉は、奇妙だ、と思った。
 見てくれは、地元の工場にありがちな素朴な作りの建物が並んでいたが、それに比べ外壁に設置された警備カメラの数の多さや侵入防止の電気フェンスが取り付けてあるなど、警備面の充実した様は、工場の造りが素朴なだけに不釣り合いに見えた。
 ── まるでわざと何の変哲もない普通の工場だと見せかけて、その実中身は外敵を寄せ付けない造りになっているという訳か・・・。
 現実に利賀を少々手荒な方法で連れてきた連中が真っ直ぐ入っていった場所なのだから、およそ普通の工場ではなかろう。
 ── しかしまいったな・・・。
 香倉は茂みの陰から外壁に取り付けられた監視カメラの様子を眺めつつ、下顎を撫でた。
 これだけの守りなら、何の装備も持たない状態ではむろんこの塀は乗り越えられない。
 本来ならばすぐにでも工場内に侵入して、利賀の安否と連中の目的を確認したいところだが、今それを行うには準備が足らない。
 香倉が推測するに、妻と子をわざわざ利賀から離したのには、それなりの理由があるのだろう。
 きっと利賀を脅す道具にするに違いない。
 それならば、利賀も利賀の家族も今夜たちまち殺される・・・と言ったことはないだろう。
 ── 取りあえず、出直すしかない。
 香倉は軽く舌打ちをして、車に戻ったのだった。
 
  
 井手がその日クリニックを後にしたのは、深夜11時を過ぎた頃だった。
 この日一日、オゾッカ本社に乗り込むための準備をし、午後は実際にオゾッカに出向くことで時間を大幅に取られてしまい、日々こなさなければならない仕事がそっちのけになっていたせいで、残業を余儀なくされた。
 しかし、それでも井手の機嫌はよかった。
 オゾッカで感じた手応えは、今や確信へと変わっていた。
 オゾッカは確かに、公にできない『何か』を行っている。
 それも、あの反応からすると非合法的な、何か。
 ── 香倉の言っていた、生物化学兵器とやらの開発かしら・・・。
 そうなってくれば、これはもう個人レベルの問題でなく国家的な問題になるのだが・・・だからこそ公安部が張り付いている訳で・・・、しかしその国家的問題が井手の受け持っている個々の患者の案件とどう関わりがあるのか、皆目検討がつかなかった。むろん、オゾック社の営業本部長の前では、秘密の中身はもう確認済みという顔をしてみせていたのだが。
 いずれにしても、肝心なその部分が明らかにならない限り、この危険な綱渡りは続けなければならない、と井手は思った。
 ここまでくると、患者の病気の原因を探るという目的から逸脱しつつあることも感じるが、元来正義感の強い女である。そこに不正の陰があるのなら、意地でも暴いてやるという気になる。
 ── 井手さん、気をつけてくださいよ。公安がついてるということは、それなりに危険性がある会社だということです・・・
 数日前、久しぶりの再会を果たしたあの夜、櫻井から言われたことを、井手はふと思い出した。
 自分がやっていることが、精神科医の範疇を越えている事実を考えると、井手は自分のオフィスを出るなり、ふうぅっと大きくため息をついた。
「私、なんで警察官にならなかったんだろう」
 ぼそりとそう呟いて肩を竦めると、井手は地下駐車場に向かった。
 クリニックの地下には、10台分の駐車スペースがある。
 日中は、医師や患者の車でいつも満杯になっているのだが、流石にこの時間になると井手の乗る白いセダン車一台切りとなっていた。
 地下のエレベーターホールから駐車場に出た井手は、一旦そこで立ち止まり周囲をぐるりと見回した。
 青白いLSDライトに照らされた駐車場は、不気味なほど静寂に包まれている。
 井手は、カバンから暴漢撃退用のペッパースプレーを取り出すと、再度周囲を見回してから車に向かった。
 櫻井に言われたからという訳ではないが、このような危険な場面では井手なりに用心深く気をつけるようにしている。今日オゾッカで恐喝紛いのことをしてきたこともあるが、それを抜きにしても深夜の都会は女一人で行動するには危険が多い。世界一治安のいい国と言われた日本でも、昨今は残念ながら犯罪の数や質も欧米化が進んでいる。
 井手は運転席のドアを開けると、まず大きなカバンを助手席に置くと、素早く運転席に乗り込んだ。
 ほっと息をついて、ペッパースプレーをカバンにしまう。
 エンジンをかけてバックギアを入れ、車を動かした時、車がドスンと揺れた。
 井手はぎょっとしてブレーキを踏む。
 明らかに何かに当たったか踏んだような感覚。
「え? どういうこと?」
 井手は訝しげにバックミラーを覗き込んだが、何も見えない。
 だが左のサイドミラーを覗き込んだ時、子どもの腕のようなものが見えて顔が青くなった。
 井手は車の右側から乗り込んだので左側まで確認をしなかったのだ。
「 ── 大変・・・」
 井手は慌てて車を出て、左側に回った。
 子どもの身体は、腕以外の部分は車の下にすっぽり隠れている。
 井手が子どもの元に片膝をついた時、井手は内心「しまった、やられた」と直感した。
 その子どもは、精巧にできた子どものマネキンだったのだ。
 しかし次の瞬間、井手が立ち上がる隙もなく、その場に押し倒された。
 あっという間に口を手でふさがれ、馬乗りされる。
 井手は大きく手足をばたつかせたが、その顔を思い切り殴られ、痛さと衝撃に、一瞬目がくらんだ。
 その間に、手足を押さえつけられる。
 暴漢は一人ではない。
 井手は恐怖に目を見開いたまま、瞬きをせずに相手を見上げた。
 パーティー用の仮面をかぶっていて、服装は黒ずくめ。
 ふざけた仮面だったが、相手はこの道のプロだ、と井手は思った。
 なぜなら、相手はこれまで井手に気配を一切感じさせず、なおかつこれだけのことをしながらも、声を一切発していなかった。これほど冷静であるのに、女の顔を躊躇いなく殴れる男。
 鼻の奥からドロリと熱いものが流れ出てくるのを感じて、井手は少しむせる。
 その目の前に、男はサバイバルナイフをちらつかせた。
 もはや逃げようがない。
 ── こんなにあっけなく最期を迎えることになるなんて・・・。
 ナイフの切っ先が大きく上下する自分の胸に当てられるのを感じて井手が目を閉じた時。
 骨が折れるような生々しい大きな音が響いて、ふいに身体の圧迫が緩くなった。
 はっとして目を開けると、ナイフを持った男がいなくなっていた。
 そして井手の目の前をビュッと風を切る音をさせながら黒いものがもの凄いスピードで通り過ぎ、井手の右側の手足を押さえていた男が、「ぎゃ」と悲鳴を上げながら殴りとばされていった。
 井手はハッとして、左手を掴んでいた男の腕に思い切り噛みつく。
 男がうめき声をあげて井手の髪を手荒く掴んだ。
 しかしその手を、もう一つの手が掴み。
 またもや骨の折れるような音がして、左側の男も女のような悲鳴を上げ、自分の手を掴みながらその場にゴロゴロと転がった。
 井手が身体を起こすと、最後までうるさく悲鳴を上げる左側の男のみぞうちに、井手を助けてくれたその人が正拳をたたき込んで男を完全に黙らせる場面が見えた。
 井手は肩で息をしながら周囲を見渡すと、既に他の二人は完全に意識を失って、冷たいコンクリートの上で大の字になっていた。
「大丈夫ですか?」
 そう言いながら優しく肩に手をおいてきたその人は、やはり櫻井正道だった。
「かなり血が出てます」
 櫻井はハンカチを取り出すと、井手の鼻から流れ出る血を押さえるように押しつけた。
「── 少し血を飲んだ・・・。吐きそう・・・」
 井手がそう言うと、櫻井は「吐いてください。血はあまり飲み込まない方がいい」と言う。
 うっと井手がえづくと、櫻井は優しく背中をさすってくれる。
 幸い胃袋は空っぽだったので、おどろおどろしい惨劇にはならなかったが。
 櫻井は井手の状態を確認すると、男達に向き直り腰のポケットに手をやる仕草をする。
 そこでピタリと手が止まった。
 井手はその意味を理解する。
「公安特務員が、逮捕するのはマズイんでないの?」
 鼻をハンカチで押さえたままだったので、なんともマヌケな声になったが、井手にそう指摘され振り返った櫻井の顔もキョトンと間が抜けていて、こんな場面だというのに何となく和やかな雰囲気になった。
「そういえば自分、手錠も持ってないんでした」
 先ほどまでの勇ましさはどこへやら、櫻井はバツが悪そうに頭を掻いた。
 仕方なく櫻井は、井手の車にたまたまあったガムテープで男達の身体を纏め上げる。
 その拘束の仕方は隙がなく、仮に男達が目覚めても、歩くことはおろか起きあがることさえ困難であることが、井手にも分かった。
 その後櫻井は、携帯電話でどこかに連絡を済ませると、再び井手の元に帰ってきた。
「何か冷やすものがあればいいけど・・・」
 殴られた左側の顔を覗き込みながら櫻井が言う。頬が燃えるように熱いので、きっと酷く腫れてきているのだろう。しかしそれより、井手には気になることがあった。
「櫻井君、なんで私がここで襲われているって分かったの?」
 櫻井は軽く息を吐くと、「とにかく質問は傷を手当てしてからです。ここからなら、あの病院に行くのが近いでしょう。ここの後始末は阿部さんに任せました。彼がここに到着したら引き継ぎをして、病院に行きましょう」
 言っている側から、くたびれたサラリーマン崩れ風の男が、駐車場に入ってくる。
「おいおいおい。特務員が殺人の容疑者をとっつかまえるなんて、前代未聞だぜ」
 無精髭を携えた顎を歪めながら、男がそう言う。
 どうやら彼が『阿部』という男らしい。
 この男も、公安特務員なのか。
「ありゃりゃ~、美人が台無し」
 阿部は井手の顔を見て、そう言う。どうやら井手は阿部のことを知らなくても、阿部は井手のことを知っているらしい。
 櫻井と阿部はほんの僅かの間何事か話すと、井手に向き直った。井手が慌てて櫻井と阿部に事情を話そうとしたが、阿部に遮られた。
「詳しいことは、傷の手当てが終わってからだ。この連中は他の事件の容疑もかけられているから、実際の調書取りは事件を担当する所轄署の連中がやることになるだろうが」
 阿部にポンポンと肩を叩かれる。
 まるで軍隊で上官が部下を労うような仕草だった。
 その仕草に井手がきょとんとしていると、櫻井が井手の手を取り、「さ、急いで病院に行きましょう。自分が運転します」と言ったのだった。

 

接続 act.19 end.

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編集後記


一週休んでの更新となりました。皆様、いかがお過ごしでしょうか。
井手ねぇさん、凄いことになってます。というか、凄い顔になってます(青)。
ほんと、美人台無しだ。
でもそこは白馬の王子さまが・・・(や、それは香倉のアニキの代名詞だ)・・・というか、緊急事態のヒーロー登場というお約束で危機を回避。
なんともはや、水戸黄門のような展開で皆さんも安心して読んでおられることと思います(笑)。
一方アニキはというと、事態は益々007に。
侵入作戦開始です。


[国沢]

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