act.29
── 蓮花に近づく男は、容赦なく消される・・・。
顔なじみになった運転手はそう言った。
櫻井にしてみれば、はいそうですかと引き下がる訳にはいかなかった。
なにせ、彼女に接触しなければCIAの諜報員にすら辿り着けない。もちろん接触できねば、その先には進めない。
そうなれば、櫻井の大切な人の命も・・・。
榊の言った『粛正』がそのまま香倉を亡き者にすることに繋がる訳ではないだろうが、香倉が犯罪組織の手に落ちた可能性が高い今、香倉の命は危険に晒されていると言える。
今この瞬間にも、香倉の命が消えてしまっている可能性すらあるのだ。
櫻井はその想像して、ぶるりと身体を震わせた。
想像するだけで恐ろしい。
この世から香倉がいなくなってしまったら、自分は生きていけるのだろうかと本気で思ってしまう。
幼い頃から、櫻井は孤独の中で生きてきた。
その生い立ちや自分を律する頑なな性格が他人を遠ざけ、友人はもとより恋人と呼べる人間は誰一人いなかった。
むろん櫻井のことを気に掛けてくれた人々はたくさんいた。
親代わりになってくれた高橋警部や警察学校の教官、待機所(独身寮)の管理人夫婦など、櫻井を心配して気遣ってくれた人達。
けれど心の芯から櫻井の孤独を癒してくれた人は、香倉以外にはいなかった。
時折ぶっきらぼうだったりそっけなかったりするが、その優しさはホンモノだった。心に染みた。
一人で生きるより二人で生きていく喜びを知ってしまった今となっては、それを失うことは考えられなかった。いや、考えたくなかった。
やっと自分が見つけた安住の場所。
世界一大切な人。
失うわけにはいかない。
そんな強い思いが櫻井を突き動かした。
本当なら、任務に個人の感情を挟むことは許されない。
それは櫻井が普通の警察官だった頃から、常に教えてこられたことだ。
けれど、今は香倉への想いが櫻井を突き動かしていた。
だからこそ自分は、困難な状況にも突き進むことができる。
蓮花に近づくことが危険なことだとしても、引き下がるわけにはいかない。
櫻井は建物の裏手に回ると、『STAFF ONLY』と書かれた裏口が見える場所に陣取った。
蓮花が出てくるまで、何時間でも立っているつもりだった。
きつい張り込みなら慣れている。
刑事時代、櫻井の根気強さには同僚の誰もが舌を巻いた。
蓮花に接触できるまで、何時間でも・・・いや必要なら何日もそこにとどまっているつもりだった。
店が終わるのは、午後一時。
その間に、幾人ものスタッフらしき人間が裏口を出入りする。
中には、数人の若い女達が華やかにおしゃべりしながら、店を出て行く集団もいた。どうやら彼女達はレビューを踊る若手のダンサーらしい。
櫻井は幾分もどかしい思いに駆られた。
刑事時代なら警察手帳さえ出せば大抵のところに入り込めるし、話を聞くこともできる。
だが公安の特務員である今、それも叶わない。
香倉や阿部は、天下の宝刀(警察手帳)なしによくスムーズに捜査活動ができると思う。
その一方、櫻井は明らかに経験不足だった。
根が真っ直ぐな故、捜査対象へのアプローチの仕方も真っ直ぐな方法しか思いつかない。
こんな自分が、公安特務員としてきちんとやっていけるか、常に不安だった。
けれど今は、やるしかない。
そうこうしている内に、裏口がものものしい雰囲気になった。
厳つい身体つきをした男達が次々と出てくる。
櫻井は、壁に凭れかけていた身体を起こした。
男達の後から、大きなつば付きの帽子と顔を隠すための大きなサングラスをかけた彼女が出てくる。
舞台に出ていた時の髪はウイッグだったのか、実際の彼女はショートカットのようだ。
ぽってりとした唇に深紅のルージュをひいている蓮花は、サングラスで顔の半分が隠されているとはいえ、十分美しく華がある。白いスリップドレスに淡いベージュの薄手コートも華奢な彼女によく似合っている。喉元から小降りな胸元まで露わになったその姿は、上品だが酷くセクシーだ。マフィアのドンの愛人にふさわしい装いである。たがその喉元には、あの運転手の話通り生々しい傷があった。彼女の容姿が完璧なだけに余計痛々しく見える。
「すみません」
櫻井が英語で丁寧に声を掛けると、たちまち二人の男が櫻井と蓮花の間にぐいっと身体を入れてきた。
「NO NO」
いきなり殴りつけられるようなことはないが、身体ごと押し返される。
「蓮花さんに話があるんです。お願いします」
「申し訳ないが、ミス・リンファはファンサービスを行わないんだ」
「ファンとか、そういうことではないんです」
櫻井は、身体を彼女の行く手の方にうまい具合に寄せて、なおも食い下がった。
そうこうしていたら、店の裏口から出てきたスタッフ達が幾人か出てきて、面白そうに櫻井とボディーガード達の押し問答を眺めては通り過ぎていく。どうやらこういう光景はよくあることらしい。裏口からゴミ袋を出して大きなゴミ集積ケースに放り込んでいるひげ面の若い掃除夫までが、好奇心旺盛な目で櫻井を見ている。
「あなたの協力を得るように、日本から来ました。お願いします。協力してください」
「しつこいぞ」
ボディガードの一人が、櫻井の身体を掴んで脇に放り投げようとした。
その瞬間、櫻井の身体が反射的に動いて男の腕を取り、周囲が瞬きをする間に大男が地面に伏していた。
日頃から腕っ節を自慢していた大男が、彼より数倍小柄な日本人にあっさりと組み伏せられ、残りのボディガードや蓮花ですら、一瞬呆気にとられた様子だった。山のような男達の向こうで、掃除夫が大笑いしている。
「貴様!」
蓮花や掃除夫の目の前で恥をかかされた恰好のボディガード達が櫻井に向かって詰め寄った。櫻井は、押さえ込んでいた男を離すと、即座に両手を挙げる。
「決して危害を加えるつもりはありません。蓮花さんに教えてもらいたいことがあるだけなんです。ある情報を教えてもらえさえれば、自分は消えます」
ボディガード達の動きが止まり、一斉に視線が蓮花の方に向けられる。
蓮花は、思案するように耳元に手を持っていくとしばしの沈黙の後、首を二回横に振った。
「残念だな、坊や。クライアントは、お前の質問に答えるつもりはない」
櫻井を避け、蓮花は通り過ぎる。
櫻井は叫んだ。
「人の・・・人の命がかかっているんです! お願いします!」
ふと蓮花の足が止まった。
彼女がゆっくりと振り返る。
蓮花は櫻井の顔をじっと見つめると、何か言いたげに唇を動かし、そしてはたと自分が口がきけないことを思い出したかのように顔を少し顰めた。そしてハンドバッグからメモ帳を取り出すとサラサラとペンを走らせ、ボディガードの一人にそれを手渡した。メモを渡された男が、櫻井にそれを押しつけてくる頃には、蓮花の姿は側に停めてあった高級車の中に消えていた。
一団が立ち去った後に、櫻井がぽつんと残される。
櫻井は、メモを見下ろした。
そこにはこう書いてあった。
『真の姿を見極めなければ、欲するものは手に入らない』、と。
接続 act.29 end.
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編集後記
ごめんなさい、本日少しのテキスト量となってしまいました。
理由は・・・・本日F1富士グランプリがあったから(汗)。
すみません、すっかり忘れてました(汗)。そしてグランプリの間、まったく書けませんでした(大汗)。
でも、ご贔屓のアロンソが優勝して、国沢大満足でおじゃる~~~~~~!!!
やった、やった!
国沢の中の宿敵ハミルトンは、己のミス(つーか、愚作?)に溺れ、ポールポジションから大失速。
ということで表彰台はアロンソ・クビサ・ライコネンという、とっても心地よい三人となったのであ~る。
(じつは国沢、クビサも結構好き)
しっかし、いつ見てもアロは顔でかいな(笑)。
まるで歌舞伎役者のような顔のでかさだよな。
足も短くて、完全に日本人体型。
いいよね~。親しみ湧くよ~。
ってか、前から不思議に思ってることがひとつ。
基本男前の方が、F1レーサーって注目されがちな訳ですよね。
ライコネンしかり、コバライネンや、ホンダのバトン、今年はネルソン・ピケJrとかもよくマスコミに取り上げられている訳です。
でもね、いるの。非常にハンサムなF1レーサーなくせに、まったくマスコミにフューチャーされないという華のまったくない人が。
それが、ニック・ハイドフェルド。
最近は端正な顔におひげを蓄えるようになって、前のどこかナヨッチイ雰囲気がワイルドに確変していい感じなのだが、この人、ほんっっっとに地味。
なぜだろう。ハンサムなのに、地味なんて。
しかも、結構いつも上位に食い込むほどの腕前で、過去には数回表彰台にも登っているというのに、この地味さ。
逆にこういう地味なハンサムを捜す方が難しいっていうぐらい、フジテレビから無視されている彼。
いつか注目される日がくるのか・・・。
[国沢]
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