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act.06

 櫻井が地下の二枚目のドアを開けると、急に開けた空間の中でのんびりと新聞を読んでいる香倉が、新聞越し「早かったな」と声をかけてきた。
 櫻井はドアを閉めながら、キョロキョロと室内を見回した。
「なんですか・・・ここ」
「公安の特務員が急遽身を隠すために使う部屋だ。それ以外でも、差し迫った事情での使用者がいない場合は、他の特務員も自由にここを使っていいことになってる」
 香倉は新聞を畳むと、「ようこそ、公安特務員倶楽部へ」と言った。櫻井は、フッと今日始めての笑みを浮かべる。
「完全に会員制ですね、この倶楽部」
 そう言って櫻井は笑った。その年齢の割にあどけなさが香る笑顔。それを彩るように真新しい傷が右頬にできているのを見つけて、香倉は顔を顰めた。
「なんだ、その傷」
 櫻井は、今まで忘れていたと言わんばかりの惚けた顔で「今日、ちょっともめ事がありまして」と答えてきた。香倉は溜息をつく。
「ひょっとして、大学下の道路で騒いでたのは、お前らか」
 香倉の問いに櫻井は頷いた。
 ハァと香倉は溜息をつく。
 ── まったくこの男は、見る度にいろんなところに傷を拵えてくる。
「お前、いい加減身体に傷つけるの止めろって言ってるだろ?」
「はい・・・、すみません」
 壁際に立ったままの櫻井は、身を小さくする。
 香倉はローテーブルに置いてあったスタウトビールのボトルを手に取り、櫻井に近づいた。
「身体に無駄な傷を付けず任務をこなせるのが、腕のいい特務員の条件だぞ」
 壁際に手を付かれ、上から覗き込まれる。
 久しぶりに香倉の顔を間近で見ることになって、櫻井の頬に朱が差した。
 日本人離れした彫りの深い美しい顔。
 何度近くで見ても、香倉の整った顔は見慣れることがない。
「── 以後、気を付けます」
 櫻井が囁くように答えると、香倉は「お前、返事はいつも素直だけど、その後の行動がな・・・」と悪態を付きながら、ビールを口に含む。そしてそのままそれを飲み込むのかと思いきや、直接口移しで、そのビールを櫻井の口に流し込んできた。
「・・・んっ・・・」
 ビールはまるで媚薬のように櫻井を刺激した。
 それは、ビールを流し込み終わっても、櫻井の口から出ていかない香倉の舌のせいでもあった。
「・・・ぅん・・・ん・・・」
 櫻井の両手が香倉の背中に周り、白いシャツをクシャッと掴む。
 唇を解放されると、櫻井は水から上がった直後のように大きく口を喘がせた。
 そのまま身体をひっくり返され、背後から身体を押さえ込まれた。
「── 髪、随分短く切ったんだな・・・」
 耳元で香倉が囁く。
 そのセクシーな囁き声でさえも、櫻井をジンと熱くさせた。さっきまで、女達の淫靡な視線に気分を悪くしていたのが嘘のようだ。
「襟足なんか、完全に刈り上げてるじゃないか・・・」
 香倉はそう呟いて、そのうなじを舌ですぅっと撫で上げていく。
「・・・ぁ・・」
 ふいの刺激に、思わず櫻井の口から小さな声が漏れた。
 香倉が腹部に手を回してくるのを感じる。
 ── その時。
 けたたましく、電話のベルが鳴った。
 電話があることを知らない櫻井は、ビクッと身体を震わせる。
 香倉の方を振り返ると、香倉は超絶不機嫌そうな顔つきをして、電話のある方向を睨み付けていた。
「── チクショウ、邪魔しやがって」
 正直な悪態をつく香倉がなんだか可愛く思えて、櫻井はふふっと笑った。
 だがすっかりお冠の香倉は、それに気づくことなくズカズカと電話まで足を進めると、荒々しく受話器を取った。
「はい。・・・そうですけど。何か用ですか」
 香倉の声が益々不機嫌になっていく。
 どうやら、その口振りを聞く限りでは、電話の相手は榊らしい。
「え? あぁ? お前なんかに用はないだ? ああ、そうですか」
 香倉はそう言うと、受話器を櫻井に差し出した。
「── オヤジがお前に用事だとよ」
 香倉のその台詞に、櫻井は目を丸くした。
「お、俺にですか?」
「そう言ってる」
「でもなんで榊部長が知ってるんですか? 俺がここにいることを」
 香倉は、受話器を手で覆うと苛立たしげにこう言った。
「コイツはお前の行動パターンを把握してる訳じゃない。『俺の』行動パターンを把握してるだけだ」
 櫻井が首を傾げる。香倉は更に顔を顰め、「だから、俺がお前と接触した時に俺がお前のポケットにメモを入れるだろうってヤツは予測してたのさ。アイツは今日、俺とお前が大学で顔を併せたことを既に知ってる」と早口で捲し立てた。
 それを聞いて櫻井は、再び顔を真っ赤にした。
 ── それって・・・部長が俺と香倉さんの関係を知ってるってことかな・・・
 櫻井が余りの羞恥心で泣き出しそうな表情を浮かべると、香倉は櫻井を安心させるように表情を和らげた。
「大丈夫だから、電話に出ろ」
 さっきとはうってかわって、穏やかな声で言う。
 櫻井も素直に従って、受話器を受け取った。
「── はい、櫻井です」
『櫻井って男は既に死んでるはずだがな』
 榊にそう返され、櫻井は慌てて「すみません、高橋です」と言い直した。
 余りのことに動揺して、思わず櫻井と口をついて出てしまった。
『まったく、お前の弱点は分かりやすいな。以後、改善の余地アリだ』
 受話器の向こうのダミ声が言う。
 またしても櫻井は「申し訳ありません」と謝った。
『お前はまだ慣れてないからな。だからこっちからわざわざ報告を聞きにきてやったんだ。今日はどうだった。── ビックリしただろう』
 榊の声は、まるでビックリパーティーをしかけた張本人であるかのような口調だった。
 ── 事実、どうやらその張本人であるようだが。
「・・・やはり、そうでしたか」
 さっきとはうって変わって落ちついた声で櫻井が答えると、榊は面白くなさそうに舌を鳴らした。
『なんだ、気づいてやがったのか』
「核心はありませんでしたが。ただ・・・何となく、そうじゃないかと」
『驚かせがいのないヤツめ』
 榊はそう言いながら、受話器の向こうで笑う。
『お前が防護楯をぶん投げたお陰で、竹下の肋が三本折れたぞ。お前はよく同僚を病院送りにするな。後で恨み買ってもしらねぇぞ』
 台詞の内容とは裏腹に、榊の声はとても楽しそうだ。
「その隊員の方は大丈夫ですか?」
『ああ。心配するな。アレぐらいの傷でどうこうするようじゃ、特務員は勤まらん』
 ── あの人達も特務員だったんだ・・・
 櫻井はちょっとドキリとする。
 ということは、同じ臭いを感じたあのバーテンもそうだということか。
 自分の知らないところで、多くの同僚が活動していることを実感できて、櫻井は背筋がゾクゾクするのを感じた。それは一種の高揚感だった。
「謝罪の言葉をお伝えください。申し訳なかったと」
 櫻井がそう言うと、『謝る必要はない。あれは必要な任務だった』と威厳深い声が返ってきた。
「しかしなぜ、あんなことを仕掛けたんです?」
 櫻井が訊くと、『やはりお前は、新入りの坊ちゃんだな。危うく俺もお前の堂々とした働きぶりにそれを忘れかけてたぜ。お前はもっと頭を使うことを覚えにゃならん』と悪態をついた。
『お前は体育が得意だからな。ああいう風に仕掛ければ、当然お前が身を挺して河田を守ることは先刻承知よ。そうすれば河田の深い信頼を新顔ボディーガードながら確実に得ることができる。万が一、それが失敗してお前が思惑通りに動かなくても、河田は身近なボディガードが信頼できなくなるくらい怯えることになっただろう。お前が動かなければ、我々は本気でヤツを拉致するつもりでいた。そうすれば、ヤツは所轄の刑事が申し出た通り、SPに身辺警護を願い出るはずだ。そうすれば、うちの奴らをSPに潜り込ませることは雑作もない。なぜなら、SPの連中と我々は共に、警察庁警備局指揮下におかれている同じ根っこを持つもの同士だからな』
 どちらに転んでも状況を好転させていたということだ。
 榊は一見すると直情的な乱暴者のように捉えられるが、本当の姿は、決して負け戦をしない用意周到な策士だ。だからこそ、2000人規模と言われる独立捜査組織の長をまかされてきた。
『今まで河田につけてきた兵隊達は、お前ほど派手な奴らじゃなかったからな。今回の作戦は、まずお前ありき、だ』
「── 派手、ですか?」
『今時路上でバック転なんて、軟弱な顔をした男のアイドルか体操選手ぐらいしかしねぇだろ。ま、これで河田の側に近づけるんなら、よくよく聞き耳を立てることだ。そのコツは、そこにいる偏屈に教えてもらえ。その時間は、明後日まで十分にあるんだろう?』
 まるで休み中ずっと自分が香倉にベッタリしているつもりだろうと揶揄されたようで、櫻井の頭に再び血が登った。
「あ、あの、それは・・・・」
 櫻井がどもっていると、すいっと受話器を香倉に取られた。
「こいつはまだアンタの減らず口に慣れてないんだ。いい加減、邪魔するのはやめにしてもらおう」
 上司に言う台詞とは思えない言葉を吐いて、香倉はあっさりと電話を切ってしまった。
「えっ、よかったんですか? 俺、部長にちゃんと報告できてないですけど・・・」
 櫻井が戸惑った表情を見せると、香倉は櫻井の頭をポンポンと軽く叩いた。
「報告は既に別筋から受けてるはずだ。あのオヤジは、単にお前の様子を伺うためにかけてきただけだ。お前が今日のことで怯えていたり、逆に驕り高ぶっていたりすると、後々使えない。どうやら本採試験には合格したようだな」
 香倉は受話器をソファーの上に投げると、再び櫻井の身体を捕まえて、壁に押しつけた。
 既に赤く火照った顔つきの櫻井を、また上から覗き込んでくる。
「・・・部長は・・・俺と香倉さんのこと・・・知ってるんですか・・・?」
「お前と俺のこと?」
 櫻井の言っていることは分かり切っているくせに、香倉は聞き返してくる。
「あの・・・だから・・・こんな風に・・・」
「こんな風に?」
 香倉はそうオウム替えししながら、櫻井の耳を唇で柔らかく挟み込む。
 思わず櫻井は、香倉の胸元のシャツをクッと掴む。
「お、俺が・・・香倉さんのこと・・・」
 櫻井はふいに言葉に詰まって、更に顔を赤くした。
 櫻井は実直でまるで昔の日本男児のような性格をしているから、その先の言葉がなかなか繋げないでいるのだ。恥ずかしくて。
 香倉はそんな櫻井を微笑ましく思いながら、小鼻を櫻井のそれに擦り付けると、「お前が俺を愛してるってことか?」とはっきり言ってやった。
 櫻井がこくりと頷く。
 香倉は益々微笑みを深くして、櫻井の唇を奪った。
 櫻井が鼻を甘く鳴らすほど櫻井の舌を愛撫して、解放した。
「榊のオヤジには、お前がこっち方面にあまりにウブなんで、せいぜい面倒をみてやれと命令されてる。方法はどうでも構わないってさ」
「そ、そんな・・・」
 香倉の言い草に、櫻井の瞳が困惑で潤む。
「あれはあれで心配してるのさ、お前のことを。オヤジも、お前の生い立ちには心を痛めてる。お前が一人前の特務員になるためには、心の安定が不可欠だ。だから俺は、お前が惑わないように、お前の身体をつなぎ止める必要がある」
 香倉は、櫻井の輪郭を指で辿った。
 櫻井の顔が、ふいに歪む。
「── 身体・・・だけですか?」
 吐息をつくように、櫻井が囁いた。
 香倉はニッコリ笑うと、「むろん心もだ」と言って、再び櫻井に口づけた。

 

接続 act.06 end.

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編集後記


さぁ~~~~、皆様、盛り上がって参りました!!
ようやくラブな雰囲気。
しかも、コレを過ぎるとまたラブとはほど遠くなっていくという貴重なラブでございます・・・。
てぇへんだ、てぇへんだ!!

むろん、次週は大人コーナーにて更新ゆえ、表の定期更新はお休みとなります。
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[国沢]

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