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nothing to lose title

act.18

 その日もいつもと変わらず、皆一列になって作業棟に向かって歩いていく。
 でも本当はいつもと違っていることを、僕とドクだけは分かっていたんだ。
 そう、今日ドクは、ここを出ていく。
 ここの仲間達の自由と希望を背負って、ここを出ていくんだ。
 二列向こうにドクの背中が見えた。
 僕らを誘導していた白い人達が作業棟のドアを開けることに気を取られている一瞬に。
 ドクが走り出した。
 周囲の仲間達は皆、何が起こったか分からず、キョトンとした顔つきをしている。
 走れ、走れドク。皆のために。
 ああ、白い人達が気がついた。
 あっという間にもの凄い騒ぎになった。
 白い人達が大声を上げて、ドクを追う。
 あと少し、あと少しだよ、ドク。
 僕は、ようやく騒ぎ出した皆の中でもみくちゃになりながらも、必死にドクの背中を見つめた。
 大勢の白い人達がドクを追いかけていく。けれどこの分だとドクは、森の向こうに逃げおおせそうだ。
 ああ、本当にあと少しだよ、ドク。
 その先に、君の自由が、そして僕の自由も待っている。
 バイバイ、ドク。またきっと会おう・・・。
 僕がそう思ったその矢先。
 僕の側を嗅いだことがないような甘い匂いの空気がサァーと流れていったんだ。
 僕があれ?っと思った瞬間だった。
 突然の聞いたことがない大きな音に、周囲の人全員が首を竦めた。
 さっきまで騒がしかった広場が、あっという間に静まりかえった。
 目の前に見えていたはずの、ドクの背中はもう見えなかった。
 僕はてっきり、森の中に逃げ出して行けたんだと思ってたのに。
 白い人達が森の方に走って行って、地面に倒れたドクの身体を抱え上げるのが見えた。
 その背中は、真っ赤に汚れていた。そしてピクリとも動かなかった。
 僕は頭の中が真っ白になって、一体何が起こったのか考えることができなかった。
 ドクは・・・ドクは死んでしまったの?
 ザワリと広場が揺れる。
 誰もが、ドクの命がなくなったことだけを理解していた。
 皆が恐怖にこわばった顔つきで、今音がした場所を振り返った。
 そこには。
 細長くて不気味に黒光りする銃を手に持った、背の高い女の人が立っていた。
 白い服を着るでも、緑の服を着るでもないその人は、身体の線がくっきり分かる黒くてテカテカに光る服を身にまとい、黒くて大きなサングラスをかけていた。
 こんな人、今まで見たことがない。
 金色の髪の色をして、赤く焼けた肌をしてる女の人。
 僕らとは全く違う姿形をしてる。
 まるで絵から抜け出てきたかのようにキレイだ。
 なのに、この女の人がドクの命を奪ったことだけは間違いがなかった。
 女の人は、サングラスを取るとニッタリと笑った。
 女の人の顔もとてもキレイだったけれど、その笑顔は毎日夢に見そうなほど怖くて恐ろしい顔だった。
 
 
 香倉は、ホテルに戻ると素早くレンタカーの手配をしてホテルの前に横付けした。そして利賀が動き始めるのを待った。
 町の屋台での宣言通り、しばらくすると利賀はホテルの部屋を出た。
 廊下の物陰でじっと様子を伺っていた香倉は、利賀が香倉の部屋の前を通る時に足を忍ばせながら歩いている様もしっかり確認して、利賀の後を追った。
 利賀はホテルの前でタクシーを拾うと、走り去っていった。すぐにレンタカーで後を追う。
 利賀が乗るタクシーが止まったのは、町はずれの住宅街の一角だった。
 香倉はゆっくりと車を頃がしながら、利賀がある平屋建ての家に入るところを確認した後、少し先の道ばたに車を停め、先ほどの家に戻った。
 今度は香倉が足音を潜め、家の裏に回り込む。小さくて粗末な家だ。周囲には同じような家屋が密集している。
 香倉は、家の中の光が溢れてくる窓辺に身体を沿わせ、中を覗き込んだ。
 いきなり利賀の背中が見えた。
 その向こうに若い女の姿が見え、女は嬉しそうに微笑むと利賀の前に彼女が作ったとおぼしき手料理を並べた。
 道理で先ほどの屋台では利賀の食が細かったわけだ。
 彼は、ここで彼女の手料理を食べるつもりでいたのだ。
 香倉は、女の姿に目をこらす。
 決して美人とはいえないが、暖かな雰囲気を持った女性だった。年の頃は二十代半ばといったところか。あまり彼女の姿からは、暗い影は伺えない。彼女は心底幸せそうに、利賀が自分の料理を口に運ぶ様子を見つめている。
 ── あの女とオゾッカの関係性はないのか・・・・
 まだ断定する訳にはいかなかったが、香倉の直感はそう言っていた。
 しかしここで利賀とオゾッカをつなげる何かを見つけなければならない。
 さて、どうするか・・・。
 香倉がそう思った時、ふいに赤ん坊の泣き声が聞こえた。
 窓の中の光景から少しの間女の姿が消え、また戻ってくる。
 その女の手の中に生まれて間もない赤ん坊の姿が見え、香倉は目を見張った。
 ── まさか、子どもまでいたとは・・・。
 利賀が赤ん坊をあやしている姿を見て、その赤ん坊は明らかに利賀の実子であることが理解できた。
 これは完全に、ひとつの家族だ。
 結婚はしていない筈だが、事実婚といったところだろう。
 香倉は、ざっと想像する。
 大学の研究助手の稼ぎは少ない。
 日本人女性と結婚するならまだしも、海外の女性を国内に呼び寄せ、新たに所帯を構えるのは難しいだろう。
 利賀のつましい生活を考えると、彼は愛しい家族を日本に呼び寄せるために現在貯蓄に励んでいる・・・といったところだろう。
 香倉は表情を和らげると、窓辺から離れた。
 利賀とあの女性がどうやって知り合ったのかを調べる必要があったが、香倉に許された時間はまだあった。
 明日改めてこの周辺に探りを入れて、利賀の妻について調べることにしよう・・・。
 香倉はそう思いつつ車まで戻り、乗り込もうとした。
 その時。
 二台の黒塗りの車が、香倉の前を物々しく走っていった。
 香倉はピンと感じるものがあって、先ほどの家に向かって走った。
 あの家の前に二台の車が停まっているのを確認して、香倉は物陰に身を潜めた。
 明らかに怪しい車だ。
 カンボジアの庶民が乗るような・・・例えば香倉が今レンタルしている白い車のようなものではなく、明らかにランクの高い、いい車だ。
 ── なんだ・・・?
 香倉がそう思っていると、家の中で物々しい音が数分続いた後、複数の人間の陰が固まって出てきた。
 香倉は闇夜に目をこらす。
 家から漏れる光に照らされ、一瞬人影の姿があらわになった。
 黒づくめの男達が、利賀を羽交い締めにして連れ出してきていた。
 男達は利賀の口を塞ぎ、両手両足とも拘束して、車に押し込む。
 そればかりか、利賀の妻や子どもも同じように連れ出して、この二人は別の車に押し込んだのだった。
 香倉はそれを確認すると自分の車まで戻った。そして素早くエンジンをかけると、黒い車が横切っていくのを確認して、さりげなくその後に続いた。
 まったく予想外の展開に香倉自身、少し浮き足立っているのを感じて、自分を戒めた。
 
 
 井手がオゾッカ製薬を訪れると、前回とは違う相手が応対をしてきた。
 以前は広報部の若い女性だったが、今回は初めて会う男が応接室に入ってきた。
 井手が席を立って「度々済みません」と頭を下げると、男は「いえ」と断った後、「お座りください」とソファーを指し示した。
 見るからにビジネスマンと言った風情の男だ。
 細い目に細い黒縁のメガネ。きちっとセットされた髪。顎が鋭角に尖っている。
 物腰は落ち着いていたが、全体的に線が細いので鋭い印象を与える。
 井手は手渡された名刺を見つめる。
「営業本部長の鵜飼さん・・・」
 井手が顔を上げると、鵜飼は「ええ」と頷いた。
「今日は広報の者も出払っておりますし、社長もあいにく海外出張中でございますので、私が」
 落ち着いた口調だ。
「お電話を承った鈴木からお伺いしております。ええと・・・岸本緑様の件でお知りになりたいことがあるとか」
 鵜飼は胸元から出したメモ用紙に目を落としながら言う。
「ええ。そうです」
「投薬リストの照会ですか? それならば以前広報部の方が・・・」
「はい。それは既にお答えをいただいております」
 井手がそう答えると、鵜飼は首を少し傾げた。
「なら、どういったご用件でしょうか。私共の製品は大変多くの病院に納入されていますし、その病院にてどんな患者様にどういった投薬がされているかという細かなデータまでは、我が社で把握仕切れるものではございません」
「ええ。普通ならそうでしょう。けれど、こちらの営業課の方が直接お会いになっている患者さんについてなら、詳しくご存じじゃなくて?」
 少し沈黙が空いた。
 鵜飼が身体を引く。
「どういうことでしょうか?」
「私は以前、とある病院でオゾッカ製薬の営業課の方が、重病患者の病室に出入りしている姿を目にしました。その患者さんについて少し調べると、重度の心臓疾患を患った彼は、高齢でありながらも高額所得者であることが分かりました。それは目下私の患者である岸本緑さんと同じプロフィールです。そのため、私は岸本さんにご確認したのです。オゾッカの営業さんと直接お会いなさっていたのではないか、と」
 井手は、意識的にそこで言葉を切った。
 鵜飼は微動だにせず井手が次になんと言ってくるか、様子を伺っている。
 井手はスッと息を吐くと、こう言った。
「岸本さんは、こうおっしゃりました。オゾッカの方と直接何度もお会いしたことがある、と」
「 ── まさか」
 鵜飼が笑う。
「うちの社員が直接患者に会うなどと」
「あら、営業本部長である鵜飼さんがご存じないなんて。そんなに風通しが悪いんですか? 御社は」
 井手は大げさに肩を竦めた。
 井手はバッグからMDレコーダーを取り出すと、
「ここに証拠の音声も残っているんですよ。精神科医は患者とのセッション中、記録用に必ず音声を録音することはご存じですよね」
 と言ってのけた。
 確かに、岸本緑とのセッションは全て録音していた。
 しかし岸本がオゾッカの社員と会っていたことは、完全なる『ブラフ』だった。
 しかし井手は鵜飼の表情から、そのブラフが有効に働いていることを感じていた。
 井手が見るところ、やはり岸本緑はオゾッカの社員に会っていて、しかも鵜飼はそのことを知っている。いや、知っているというより、営業本部長である鵜飼自身が指示を部下に下しているのだろう。
 そしてそのことを部外者である井手に隠してくるということは、そこに知られてはならない秘密があるということだ。
 鵜飼がMDに手を伸ばしてこようとしたので、井手はすいっと鵜飼の前からMDを退け、元のように傍らのバッグにそれを戻した。
「オゾッカ製薬が岸本さんに申し出た内容についても、こちらはおおよそ把握しています。そしておそらく、謎の夢を見続けている他の七人の患者についても、同じことをあなた達はしてきたのでしょう。これ以上隠し立てしても無駄じゃありませんか?」
 井手がそう言うと、鵜飼は能面のような顔つきから一転、大きな笑顔を浮かべた。
 しかしその笑顔は、とても好意的な印象を与えるものではなかった。
 ── 化けの皮がはげた。
 井手は、鵜飼のその笑みを見て、そう確信した。
「いやぁ、よくお調べになっていますね。警察じゃあるまいし。何をそんなにムキになる必要があるのです? ── 金ですか?」
 鵜飼はそう切り返してきた。
 井手は更々金のことなど興味がなかったが、相手の船に乗ってみようと思った。確信的な情報を得るためだった。
「近々、今勤めているクリニックを独立したいと思っています。精神科医は大規模な医療器具への投資は必要ないとはいっても、それなりに開業費はかかるでしょう。私についてくださっている患者さんもそれなりの身分の方が多いですし、下町の安物件を借りて・・・なんては言ってられません。そこら辺の事情は、よくご理解くださるでしょう?」
 鵜飼は大きく頷く。
「ええ、それはもちろん」
「私は、こう考えています。あなた方が行っていることは、『必要悪』であると。私も、一定の理解をしているんですよ。ただ、これほど大きな秘密であれば、いろんな人が知りたいと思うでしょう? 例えばマスコミ関係者とか・・・警察とか」
 井手がそう言うと、鵜飼は大きくため息をついた。
「仕方がありませんなぁ。そうまで言われると。こちらもそれなりの対応をしなければならないということですね。ただ、本日は先ほども申しました通り、社長が不在です。この件に関しては、非常にデリケートな問題ですので、社長に話を通さねばなりません。それはご理解いただけますね」
「ええ。分かります」
「後日、こちらの方から必ずご連絡をさせていただきます。井手様には、一度ぜひ社長に直接お会いしていただければと思っています。きっと社長も喜ぶでしょう。こんな美人の先生に会えるとなると。きっと近いうちに、我が社の者を迎えに上がらせます」
「それは光栄ですわ」
 二人は立ち上がって、握手を交わした。
 鵜飼の手は、じっとりと濡れていた。

 

接続 act.18 end.

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編集後記


いやぁ~、今夜決まるかもしれませんね!
なにがって、バレーボール男子のオリンピックですよ。
16年ぶりにオリンピック大手って、それだけでも凄いじゃないですか!
や~~~~、トモちゃん、かっわいい!!(所詮そこか)
今回のオリンピック予選、しばらくぶりにトモちゃんがセッターでフル出場する試合が続いてます。
や~、相変わらず豆柴っこで超絶かわいいです、トモちゃん。
でも、ホントいうと身長は184もあって(香倉アニキと1cmしか違わん・・・)、声もそれなりに低くて男臭いというルックスを裏切るスペックをお持ちのトモちゃん。ぜひとも最終戦までレギュラー出場してもらいたいものです。
だって、もっと見たいものね。彼の汗拭きシーンとスポーツドリンク飲むシーン(見るポイントはそこかい)。
だって、動きが小動物系でかわいいんだもん・・・。だもん・・・。


[国沢]

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