act.23
井手は、制服警官に仰々しく案内され、潮が丘署の刑事課にある応接室に通された。
その若い警官は、部屋を出て行く時、とうとう我慢できずにといった風情で、井手の顔を一瞥していった。
その視線の意味は、分かっている。
井手の左頬は、赤黒く腫れていた。なまじ美人なだけに、余計痛々しく見える。
自宅まで警察車両が迎えに来てくれたが、それでも方々であの警官が向けたような同情と好奇が入り交じったような視線を受けてきた。
── ま、別に治らないものじゃなし。いいんだけど。
井手はそう思いつつも、人からジロジロ不躾な視線を受けるのは、あまり気持ちのいいものではなかった。
井手は、ソファーの背に身体を凭れさせ、タバコを咥えた。
切れた唇の端がピリリと痛んで、少し顔を顰める。
しばらくは、食事をする時も苦労しそうだ。
その時、応接室のドアが開いた。
井手の予想通り、高橋警部だった。
高橋はいつものような渋い顔つきで、井手の向かいに座る。
その重々しい空気を感じて、井手は今日仰々しく呼び出された理由をなんとなく察した。
「井手さん、今回君を襲った奴らについてだが・・・」
「── 起訴を見送るとでも?」
井手がそう言うと、高橋は少し驚いたような顔つきをした。
「知ってたか」
井手は首を横に振る。
「いいえ。でも、高橋さんの表情を見ていたら何となく、ね。誰からの指示ですか? それとも、これは機密事項かしら」
「いや、君は被害者なのだから当然知る権利がある。この件については、どこからかの指示という訳ではない。ただ君が想像する通り、公安部との協議を行った」
高橋は、懐からタバコを取り出し「構わんかね?」という視線を送ってきた。どうせ井手も既に吸っている。井手は肩を竦ませると、ライターを差し出した。
高橋は井手にタバコの火を借りて一服すると、「公安部が引き渡してくれた被疑者だが、なかなかしぶとくてね」と言って額を掻いた。
「奴らはプロだろう。よもや君が公安部員に守られているとは想像していなかったようだが、なかなか肝が据わっている。一言も口を割る様子はない。むしろ、こちらの方が手玉に取られている始末だ。むろん我々は、別の殺人事件の被疑者として彼らを疑っている訳だが・・・」
「別の殺人事件って?」
井手は、櫻井が言っていたことを朧気に思い出しながら訊いた。
案の定、櫻井が言っていた事件の内容が高橋の口から出てくる。
「フリーライターの男が殺された事件だ。被害者は君と同じようにオゾッカ製薬に接触を繰り返していた。しかしこの一件では、犯人は全く証拠を残さなかった。所轄の丸の内署はすっかり頭を抱えているよ。君の件で奴らが捕まったのは、本当に幸運な偶然だったのだ」
井手は腕を組んで、目を細めた。
「でも、せっかく幸運にも捕らえられたのに、なぜ不起訴に?」
「先ほども言った通り、彼らがプロだ。奴らから自白など期待できん。だから、せいぜい奴らの罪を問えるのは、君への傷害罪しか立件できないだろう」
「── なるほど・・・。それだけの罪じゃ、せいぜい上っ面を撫でる程度だってことか。不起訴にしておいて、奴らを早々に泳がせる気ですね。奴らの母体を突き止めようと?」
高橋は頷いた。高橋は吸いかけのタバコの火を消し、姿勢を正した。
「いずれにせよ、それを行うためには君の同意が必要だ。実際に被害を受けたのは君なんだからね。我々は君の意志に従う」
井手は高橋についてタバコを灰皿に落とすと、苦笑いを浮かべ、選手宣誓のように右手を顔の横に挙げた。
「そこまで言われたら、同意するしかないでしょう。私もあのオッサンに逆らう気はありません。どうぞお好きなように」
井手が榊のことをオッサン呼ばわりしたことで、高橋はゴホンと咳払いをした。
井手は手を下ろすと、身を乗り出した。
先ほどまでの少しふざけた表情とは違う、殺気すら感じさせる表情で、井手は高橋を見つめた。
「その代わり。敵のしっぽ必ず捕まえてください。必ず。これはあくまで予想ですが、オゾッカは神をも恐れない罪深いことを生業にしているわ。これは絶対に許されないし、誰かが止めなくては」
しばしの沈黙。
高橋がオゾッカ製薬の件についてどれほど知っているか分からなかったが、しかし高橋もそれなりの決意を思わせる顔つきで、ひとつ頷いたのだった。
── しばらくの間、護衛をつける。
高橋にそう言われ、井手は見送られた。
護衛ねぇ・・・。
ここ最近起きた出来事のことを考えると確かに護衛は必要だったが、井手のような性格の人間だと些か窮屈にも思える。
井手は、皆が振り返る警察署の廊下を颯爽と歩き、早々に警察署を出た。
制服警官が、警察所有のセダン車まで案内してくれる。
井手は車に乗り込んで、おや、と思った。
「まさか護衛って、あなたのことじゃないでしょうね」
バックミラーから見返しているその瞳が、細まる。
「いいえ、違います。明日から自分は日本を出ます」
井手は、櫻井の返事に目を丸くした。
「あなたが? どうして?」
井手はそう訊いたが、櫻井は答えようとしなかった。答えられないのだと井手は分かった。
車が、ゆっくりとスタートする。
「日本を出る前に、井手さんにどうしても会いたくて」
櫻井の言った言葉に、井手は思わず微笑んだ。
「そんな台詞、男に言われるのは久しぶりよ」
そう言いながら砕けた表情を浮かべた井手だったが、バックミラーに映る櫻井の思い詰めた瞳に気づき、一瞬口を噤んだ。
彼は、何かを覚悟した上で井手に会いに来たのだ。
井手の全身に、よからぬ鳥肌がぶあっと立ち始める。
「── 命の危険がある任務なのね」
櫻井は答えない。それでも、その目が雄弁に返事をしていた。
「香倉は? 香倉と一緒に仕事をするんでしょ」
この質問にも櫻井は答えない。
しかしこの質問だけは、櫻井に答えて欲しかった。
でないと、黒い不安は大きくなる一方だ。
── お願い、神様・・・。
井手が祈るように鏡の中の櫻井を見ると、しばしの沈黙の後、櫻井は一言言った。
「香倉さんを助けに行きます」
井手の心臓がギュッとなった。
井手は思わず胸元を押さえる。
櫻井の表情を見れば、ただごとではないことは容易に分かる。
井手は、櫻井と香倉の身に迫る辛い運命を思い、目に涙を浮かべた。
井手は、決して涙を零さないように努めると、唇を食いしばって櫻井の肩をぐっと掴んだ。
「無事に・・・きっと無事に帰ってくるのよ。そうでないと、許さないから」
櫻井は何も答えなかったが、彼は黙って井手の手を握り替えしたのだった。
接続 act.23 end.
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編集後記
祭りで燃え尽き過ぎて、ちょっとしか書けなかった不甲斐ない国沢を、どうかしかってください(涙)。ホント、本当に不甲斐ないよ・・・。二週間もお休みしていたのに、これではね・・・(遠い目)。
でも国沢、本当に祭りで燃え尽きすぎちゃったんです(青)。
おかげさまで、本年も我がチームは金賞を受賞することができて(とは言っても、オリンピックと違って、金賞でも一番の賞ではないのね(涙))、実質上から三番目の賞を受賞いたしました。や~、めでたいめでたい。今年も、間違いなく酔っぱらいの集団だったのにね(笑)。それで上から三番目だから上出来ですよ。参加チームは190を越えてましたからね、今年は。
国沢も、祭りの期間中、四日間、ほぼ酔っぱらってました。一日中(脂汗)。
うちのチームは、踊ることより皆で酒盛りするのが本来の目的と化しているようで、多分大酒飲みのチームというカテゴリーなら、間違いなく一位になっていたことと思います。
や~、土佐のはちきんだらけのチームっすからねぇ・・・。
チームの仲間には、むろん国沢がモーホースキーサイトをやっていることは極秘中の極秘なので、チームの名前を書くのは控えますが(検索で引っかけられたら大変だもんね(汗))、ほんにうちのチームは楽しいチームっす。
来年も頑張るぞ~~~~~!!!
とかいいながら、身体的に言えば、ほぼ限界に近づきつつあるお年頃ざんす。
だって、祭り終わって四日経つけど、まだ両足がパンパンにむくんで(腫れて?)るもんね。ぞうさんの足だよ、これじゃ。
うはははは~~~~~~。
[国沢]
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