act.05
僕らの面倒をみてくれる人達には種類がある。
普段はただ白い服をきて白い帽子を被った人達だけれど、たまに腕に黒いバンドを填めた人達が現れる時がある。
その人達は、不幸なことに僕らの仲間の中で体の具合が悪くなって人を連れていく役目の人だ。
きっと別のところにある病院に連れていってくれる人なんだと思う。
この黒いバンドをはめた人達に連れて行かれた仲間は、戻ってこない。
他にも、バンドをはめた人達がいる。
赤いバンドをはめた人達だ。
この人達も仲間を連れに来る人で、この人達に連れて行かれる仲間も戻ってはこないけれど、この赤いバンドに指名された仲間は、凄くラッキーな人だと僕らは思っている。
なぜなら、赤いバンドをした人が来た日は、その仲間は僕らが普段食べている健康的な食べ物とは違って、凄く豪華で贅沢なご馳走を食べさせて貰えるからだ。そして白い人達と同じ様な純白の洋服を着せられ、大層大切にされながら連れて行かれる。
白い人達は普段あまり砕けた様子は見受けられないけれど、その赤いバンドの人達に仲間が連れられていく時は、皆拍手して見送ってくれる。よっぽど、良いところに連れて行かれるに違いない。
しかも、赤いバンドをした人に連れて行かれる仲間は、これといって特徴はなかった。
年齢もまちまちだから、いつ誰が連れて行ってもらえるのか、誰も予想が付かない。
だから皆、その日を待ち望んでいる。
僕も早くそうなるように、祈っている。
襲撃現場を管轄している最寄りの所轄署の応接室で、河田達は足止めを食らっていた。
河田は、日本国内だというのに銃で武装した連中に襲われたショックと夕方からの予定がこのお陰ですべておじゃんになったことで怯えと苛つきが最高潮に達しており、警察ののらりくらりとした対応にも頭にきているようだった。
捜査担当の刑事が櫻井に事情を聞くため他の個室に案内しようとしたが、すっかり神経過敏になっている河田は、櫻井が側を離れることを頑なに拒んだ。
仕方なく事情聴取は、応接室でそのまま行われた。
櫻井は沖と山田と共に身分証を提示し、襲撃時の様子を的確に説明した。
だが犯行グループの手がかりとして出せる情報は、車の車種と相手の人数、背格好、武器に関することぐらいで、車のナンバープレートに至っては端からついておらず、その線からの手かがりも得られそうになかった。おまけに、銃弾を受けた肝心のアタッシュケースも持ち去られており、そこら辺に散らばっていた筈の薬莢も、櫻井が大男と奮闘している間に、運転席にいた男が丁寧に拾っていったらしい。だから全くと言っていいほど証拠品は残っていなかった。
しかし唯一、跳弾があるはずだった。
櫻井の頬を掠めていった弾である。
それを見つけることができれば、使用された銃が鑑定できるやもしれない。
櫻井はそれも報告したが、頭のどこかで『弾はきっと見つからないだろう』と思っていた。『見つかっても、警察は見つからなかったと言うような気がする』と。
それは、漠然とした感覚だった。
まるでアタッシュケースだけに弾が当たるように狙いを定めて撃たれたサブマシンガン。
櫻井を襲った男は、かなりエキサイティングな犯罪現場に身を晒しているというのに、酷く冷静な目をしていた。── 確かに、犯罪者とて冷静にことを運ばねば目標は達せられないだろうが、犯罪者独特のギラギラした空気が、あの男にはまるでなかった。
しかもあれほどの冷静沈着さなら、なぜあんな成功する見込みが薄い襲い方をしたのだろう。河田を本気で拉致するつもりなら、河田がボディガードをいつも三人連れていることは重々承知だろうし、それならばあの規模の襲撃は何の意味もなさないことに気づくべきである。
まるで拉致自体が目的ではなく、河田を怯えさせるためだけに仕組んだ『演技』のようにも思えるのだ。
それに・・・。
── 同じ臭いがした。言うなれば・・・公安臭というのか。
その微妙な感覚は、あれほど相手と接近したからこそ感じる、本当に微々たる『空気』だった。
でも、それが正しければあの襲撃を企てたのは・・・・。
櫻井は、その考えを表に出さなかった。
何かの核心が得られるまで出さない方がいいと、直感が教えてくれていた。
「高橋さんの言う、跳弾については後日捜索の結果が出てからお知らせしましょう」
呑気な声で、担当刑事がそう言う。
「お知らせする先は・・・、河田さんの会社にしますか? それとも、おたくらの会社の方に? ええと、何でしたっけ? セキュリティ・・・ユニ・ゾ・ンでしたっけ」
刑事は、沖の名刺を眺めながら訊いてくる。沖は河田を見た。河田の目は、沖に全部任せると言っていた。
「結果は、我が社の方までお知らせください」
「分かりました。いいでしょう。── で、河田さん。今後身辺警護は警視庁警備部に任せられますか?」
「え?!」
河田がすっとんきょうな声を上げる。
刑事がおもしろいものでも見るかのように、目を細めて河田を見た。
「いや、だって河田さん。あなた実際に銃を持った犯罪者に襲われたんですから。あなたが望めば、警視庁警備部のSPをつけることができると思いますよ」
「── SPって、警察官ですよね」
「ええ。そうですね。まぁ、要人警護に特化した警察官ではありますが、民間の警備会社のボディガードと違って銃の携帯が認められてますからね。その分安心度は高いでしょう」
刑事が、さり気なく沖達三人を舐めるように見る。
確かに民間のボディガードは、この国では銃を携帯できないのが現状だから仕方がない。
その点で言えば、SPの方が装備的に優れているのだから優位だろう。
── 任務について二週間で、この有様か。
流石の櫻井も、内心榊のニヤニヤ顔を思い浮かべて気分が重くなった。
いや、やはり普通に榊からお叱りを受けるかもしれない。
いずれにしても、自分の任務は予想以上に早く終わりを迎えるらしい・・・。
櫻井がそう思っていた時、河田はその場にいる全ての人間の予想に反してこう言った。
「いや、私はね、刑事さん。今日、命懸けで私を守ってくれたこの人達に私の安全を任せたいのですよ。その為なら、いくら金がかかっても構いません。このスタッフ達が有能なのは、今日完全に立証されたわけです。ひょっとすると、あなたが自慢するSPとかいう人間より、マシンガンを相手に素手で奴らを撃退した彼らの方が数段腕前は上かもしれませんよ」
河田の向かいに座っていた刑事は、一瞬ポカンとした顔をしたが、やがて興ざめしたかのような覇気のない表情を浮かべた。
「別にSPの連中を自慢してるつもりはないですがね。実際我々所轄の人間には、まったく縁のない連中ですし。ま、あなたがそういうなら、そういうことでもいいでしょう。何も私だって、この人達の仕事を取り上げるつもりもありませんから。でもま、気を付けてくださいよ。これに懲りず、やつらは仕掛けてくるやもしれませんからね」
刑事はそう言って席を立ち、「ご足労様でした」と頭を軽く下げたのだった。
その日の夜、河田を無事自宅まで送った三人は、交代要員と無事スイッチした。
河田は、櫻井が今晩から明日にかけて任務から外れることに難色を示したが、流石に24時間以上つきっきりにさせるのは櫻井の負担になると理解したらしい。「明後日には必ず来てくれよ」と櫻井に念押しし、彼を解放した。
「報告書は俺が仕上げておく。今夜はここで直帰していいぞ」
河田のマンションを出たところで、沖が櫻井の肩を叩いた。
「いいんですか? 沖さん」
櫻井がそう訊くと、沖は珍しく柔らかな表情を浮かべ、「今日の働きに対するご褒美だよ。── 俺は結局、何もできなかったからな。・・・あいつも」と先に会社の車に乗り込む山田を顎で指し示した。
「でも、沖さんが特殊警棒を投げてくれていなかったら、自分は今頃ここにはいません」
沖はふっと笑う。
「可愛いことを言うな。新人は黙って先輩に甘えるもんだ。明日一日ゆっくり休め。その頬の傷の労災申請も俺が出しといてやるから」
沖は、櫻井が何か言って返す前に、車の方に駆けていった。
櫻井は、会社のステッカーが貼られた車が走り去るのを見送った後、やっと身体の力を抜いた。
今頃になって、身体の重さを自覚する。
何だかんだ言って、やはり初仕事は思ったより身体に堪えているらしい。
櫻井は、ふと思い出してスーツのポケットに手を突っ込んだ。
おそらく香倉が入れたものと思われるメモが指に触れる。
櫻井はもう一度、そのメモを広げた。
『クラブ・マシャド』
中東の都市の名がつけられた奇妙なクラブの名前。
住所は南青山だった。
その建物には、看板は一切出ていなかった。
だが、ここまで乗せてきてくれたタクシーの運転手が言うに、メモに書かれた住所は確かにその建物だという。
コンクリート打ちっ放しの真四角に伸びた建物で、窓らしい窓が全くない。
表から見る限りでは、唯一の入口は真っ赤に塗られた鋼鉄のドアだった。
櫻井は、思い切ってドアを開けた。
そこは、まだ夜も早い時間だというのに、若者の熱気で溢れ返っていた。
入口からダンスフロアに至るまで非常に込み合っていて、先に進むには人の間を縫って歩いて行かねばならなかった。
露出度の高い服を着ている客の中で、漆黒の如何にも固そうな職業であると言わんばかりのスーツに身を包んでいる櫻井の姿は、完全に浮いていた。そのせいでか、すれ違い様多くの客達が櫻井の全身を舐めるように見つめてくる。中には、櫻井がおいしそうだと舌なめずりをする若い女や豊満な胸を押しつけてくる三十代らしき美女もいた。
櫻井は軽く眉間に皺を寄せながら、そんな彼女達の視線から逃れるように明後日の方向に目をやりつつ、取り敢えずカウンター席まで足を進めた。なぜなら、カウンターが少しはまともに呼吸ができそうな程度の込み具合だったからだ。
── 香倉さんは何でこんな店をメモに書いたんだろう・・・。
まるで昔の香倉の住んでいた夜の妖しい世界を彷彿とさせる光景だった。
高い天井からぶら下げられた二つの巨大な鳥かごのようなゲージには、素晴らしい身体つきのダンサーが男女一人ずつ入っていて、音楽に合わせ腰をくねらせている。
まるで日本ではないような、退廃的な感じのする店だ。
櫻井はカウンター席に座って一息つくと、フロア全体を眺めた。だが一向に、香倉の姿は見えない。
「何飲む?」
ふいに背後から声をかけられた。
振り返ると、鼻や唇にたくさんピアスをしたバーテンらしき男が、目の前に立っていた。
── ああ、そうか。何も頼まないというのは、まずいんだな・・・
「ええと・・・日本酒ありますか?」
櫻井がそう言うと、バーテンはまじまじと櫻井の顔を見つめた後、ふっと砕けた笑みを浮かべた。
「残念ながら置いてないんだよね、日本酒。焼酎ならあるよ。き六とか宝山とかなら」
「じゃ、宝山をロックで」
「了解」
その場を離れるバーテンの姿を横目で追いながら、若干櫻井は顔を赤らめた。
こんな店で日本酒を頼むだなんて馬鹿じゃなかろうかと思われただろうか。
櫻井は、若い頃から日本酒一辺倒なのでついつい口に出してしまった。ちまたで流行っている洒落たカクテルの名前なんか殆ど知らない。
── それにしても、香倉さんはどこにいるのだか・・・。それともまだ来てないってことなのかな・・・
櫻井が、再び香倉を探してフロアに視線をやる度、方々からのねっとりとした熱い視線とかち合うので、段々櫻井は閉口してきた。
未だに他人のあからさまな性的欲望のエナジーを感じると、気分が悪くなってしまう。
一年前に怪我を負って入院していた際、榊の手配した精神科医の治療も受けた。
その精神科医によると、櫻井の姉が彼にかけた精神的呪縛は、あの事件解決によって完全に解放され、もはや櫻井を縛ることはないとのことだった。
この一年の間に、今までは身体が拒否してできなかった性欲の自己処理ができるようになったことを考えると、それは事実なんだろう。
けれどこうして世の中に出てみると、いまだに胸のムカツキを覚えるということは多少なりとも櫻井の中に『禁』が残っているのかもしれぬ。それはひょっとしたら、姉が残したものではなく、櫻井自身の貞操観念によるものが大きく影響しているのかもしれない。なぜなら、香倉に対してだけは寧ろ、そういった欲望が抑制できない訳だから。
── 自分は、案外そういう刺激に弱いのかもしれない・・・。だから無意識下ででも抑制しないと、それに溺れてしまうのかも・・・。
カウンターの木目をぼんやりと眺めながら、自分が酷く不埒なことを考えていることに気が付いて、櫻井はさっきより目に見えて顔を赤らめた。
思わず火照った頬を隠すように、頬杖を付く。
その腕の下に、コースターとロックグラスが一緒に置かれた。
櫻井はちょっとビックリして身体を起こす。
変なことに気を取られ、バーテンが自分に近づいてくる気配にまるで気が付かなかった。
公安の特務員としては些か失格の失態を犯して、櫻井は慌てて焼酎を飲もうとした。ふと、その手が止まる。
グラスの底越し、コースターに書き付けてある六桁の数字が見えた。
ハッとして櫻井は、隣の人のコースターを盗み見る。
彼らのコースターには店の名前が印刷されてあるだけで、何も書かれていない。
櫻井はバーテンに目をやった。
バーテンは、櫻井が自分に視線を寄越すことを予想していたのだろう。
グラスをさり気なく拭きながらも櫻井をじっと見つめて、櫻井の視線が完全に自分の方に向いたことを知ると、顎でひょいとカウンター奥の扉を指し示した。そのバーテンの表情は、これまでのクールでどこか気怠いイメージのものではなく、キリッと引き締まった精悍な顔つきだった。
── あの時と同じ『臭い』。
櫻井が、目だし帽越しの瞳に感じたあの僅かな『臭い』と同じものだった。
櫻井は、奥の扉に目をやる。
赤い扉には、ナンバーキーがついていた。
櫻井はコースターに書かれた数字を覚えると、焼酎を一気に飲み干し、コースターをポケットに突っ込んだ。
「── ごちそうさま、ありがとう」
櫻井はそう言ってグラスを前に押した。そのバーテンは、またさっきまでのクールで妖しげな雰囲気を漂わせた顔つきで物言わずグラスを下げたのだった。
櫻井は再び人混みを縫って奥の扉まで進んだ。
カードキーに覚えたてのナンバーを打ち込むと、ガコンと音を立ててドアが開いたのだった。
接続 act.05 end.
NEXT | NOVEL MENU | webclap |
編集後記
ご無沙汰してます、皆さん(汗)。私生活が忙しくて、ブログの更新が滞っている国沢でやんす。
とはいっても、ようやく母も足の調子がよくなってきたようで、家事の分担も次第に母と分け合えるようになりました。
あ~、これで毎日の生活に余裕が・・・・と思っていた矢先。
今まで放置していた仕事の締め切りが急に早くなって、休日どころじゃなくなりました(青)。
しかも、新しい仕事もいくつか入ってきて、はっきりいって「連休ってなに? どこの言葉?」って感じです。
去年の末に更新お休みしたばっかだし、新年早々更新お休みするのもあれなんで、今回は頑張って更新してみました。・・・でも、次週休みとかっていうと、皆さん怒るでしょ?きっとね。やっとラブだしね。
・・・。
頑張ります。
[国沢]
小説等についての感想は、本編最後にあるWEB拍手ボタンからもどうぞ!