act.28
── 人をコントロールする力・・・?
それを聞いて、香倉は考え込んだ。
カバーラ自体に殺傷能力がなければ、生物化学兵器などには使えない。
オゾッカ製薬が秘密裏に行っている一連の実験は、生物化学兵器の生産でなく、もっと別の目的を持っているのか・・・?
香倉の中に、次々と疑問が湧いてくる。
生物化学兵器でないとすると、真の目的とはなんだ。
人をコントロールして得られる、莫大な富を生み出すシステムとはなんだ。
香倉は全身の毛穴が沸き立つような感覚を覚えた。
自分の脳みそがフル回転している。
── よく考えろ・・・よく考えるんだ・・・。
香倉の表情がみるみる険しくなっていく。
それはまるっきり大学の研究助手という雰囲気ではなく、研ぎ澄まされたナイフのような鋭さがあった。
しかし利賀は香倉の表情の変化に気づくことなく、必死に捲し立て続ける。
「カバーラのエキスを常用すると、判断力が低下して、幸福感が高まる。アヘンや覚醒剤のような幻覚症状はないし、身体的能力を低下させることもない。それどころか、むしろ身体を元気にする効果があるんだ。元々カバーラは、東南アジア奥地の少数民族が滋養強壮剤としても使っていたぐらいなんだから・・・」
── ・・・健康な臓器・・・人をコントロールする・・・培養液・・・
香倉はハッとした。そして呟く。
「── 俺はとんだ思い違いをしたいたのかもしれん・・・」
そこでようやく、利賀が香倉の表情の変化に気がついた。
「・・・東城・・・君? ホントに、東城君、だよね?」
香倉は、冷徹な目つきで利賀を見下ろすと、一言こう言った。
「奴らが行っているのは、臓器売買だ」
赤い緞帳が上がると、ステージ中央の赤い布張りのソファーに深紅のドレスを着た女がゆっくりと立ち上がった。
緩くウエーブのかかったたっぷりとした黒髪は艶やかで、真っ白い女の顔を贅沢に飾っている。
女の顔はとてもはっきりとした顔立ちで、小顔ながら目鼻立ちが大きくまた完璧にバランスのとれた美しさがあった。白人に近い顔立ちだが、どこか東洋の雰囲気も感じさせる。
女は、小さな顔のせいで小柄かと思いきや、立ち上がるとモデルのように背が高かった。
体つきは細く、決してグラマーではなかったが、返ってその方がまるで少女のような可憐さを引き立てていて、彼女の顔つきにはあっていた。
オペラ・カルメンの最も有名な一曲『ハバネラ』の前奏に併せて、女はゆったりとした動きで腰に両手をつくと、真っ黒い大きくて魅力的な瞳で客の顔を端から端までぐるりと見渡した。
そのどこか高慢さを感じさせる表情は、曲の雰囲気と完全にマッチしてた。
男を魅了する女の目つきだ。
しかし、彼女に魅了されているのは男だけではない。
なんと数少ない女性客も、目尻の端を赤く染めて、夢見るようにステージ上の女に見惚れている。
「ああ、なんて素敵なの・・・」
櫻井の席の前のボックスに座っていた白人の夫婦も口々にそう言いながら同時にため息をついた。
曲に合わせて、女が歌い始める。
身体つきに似合わず、少し凄みのある見事なソプラノの声。
女は情熱的な恋の歌を歌いながら、長いドレスの裾を従え、客に自分の美しい姿を見せつけるようにゆっくりとステージ上を歩いた。
櫻井もしばらくは女の姿に魅せられたように、ぽかんとステージを見つめ続けた。
女はジプシーの女・カルメンのごとく魅惑的な踊りを見せながら、時折愛らしい笑顔を浮かべるのだった。
彼女が客達に目線を併せる度、そこここで熱い感嘆の溜息が漏れる。
女は、ステージから客席に降りるとボックス席を次々周り、客の顔を指で撫でたり、時には優しく頬に手を添えながら(それは男性女性性別関係なしに、だ)、瑞々しい笑顔を振りまいた。
客席は完全に彼女に魅了され、静かだったが益々熱気を帯びていた。
残念ながら彼女が目をとめず、通り過ぎていったボックス席の客達は明らかに落胆した表情で、でもすぐに恋い焦がれるように彼女の後ろ姿を目で追うのだった。
櫻井はホッと短く息を吐き出すと、自分の目を覚まさせるかのように両頬を手で叩いて、周囲の様子に目を配った。
努めて冷静にならねばならないと自分に言い聞かせた。
「あの人が、リンファさんなんですか?」
櫻井は、スーに訊いた。スーもまた熱に浮かされたかのような顔つきで頷く。
「そうですよ。彼女が当クラブの看板ダンサー、リンファです」
「ダンサー? 歌手ではないんですか?」
櫻井が訊き返すと、スーは首を横に振った。
「彼女は幼い頃、喉を潰されてしまって声が出せなくなってしまったんです。今かかっているのは、マリア・カラスのハバネラですわ。でも、とても彼女にあっているでしょう?」
なるほど。彼女の持ち味は歌ではなく、その踊り・・・いや彼女の姿そのものらしい。
櫻井は再びリンファを見た。
喉にある傷跡を隠しているのか、首には幾重にもオーガンジーの美しい布が巻き付けてあった。
ふとリンファと視線が合う。
喉元を不躾に眺めていたせいだろうか。
リンファは興味を引かれたかのように、マジマジと櫻井を見ると曲に合わせながら歩を進め、櫻井の席までやってきた。「L'amour l'amour」と口ずさみながら櫻井の座るソファーの縁に腰掛けると、きょとんと目を瞬かせる櫻井の頬を撫で、曲が一番盛り上がった最後のところで櫻井の頬にキスをしたのだった。
わぁっと会場が盛り上がる。
櫻井が驚きの表情を浮かべて彼女を見ると、リンファは突如突き放すかのように素っ気ない表情を浮かべ、身体をすぐに起こすと、満場の拍手の中、ステージへと戻っていった。
「よかったですわね、お客様。彼女、あなたのことが気に入ったようですわ」
結局、リンファのショーは20分程度のものだった。
女に迫られて気分が悪くならなかったのは、櫻井にとっては本当に奇跡的なことだった。そのお陰で、ショーが終わってもトイレに駆け込む必要もなく、店内の様子を見ることができた。
リンファのステージが終わると、今度は別のシンガーが出てきて新たなショーを始めたが、客の中には満足そうな顔をして帰って行く者も多かった。
内心、櫻井は、まさかCIAの諜報員の橋渡し役が高級クラブのダンサーだとは思っておらず、どのように彼女に接触すればいいか考えあぐねた。
スーの話だと、何回か華見歌壇に通って、リンファに覚えめでたきことになればVIPルームにて直接顔合わせができるらしいが、櫻井にそんな時間はなかったし、捜査費だって流石に湯水のようには使えない。
具体的なタイムリミットはないが、でもそれは確実に近づきつつあるはずだった。
まずは、彼女の周辺を調べなくては・・・。
そう思い、スーにいろいろ訊こうとしたが、流石に彼女はリンファのプライベートな質問には答えてくれなかった。
リンファは店の大事な看板だ。
余計な情報を客に流すなと教えられているに違いない。
櫻井は、びっくりする金額をカードで支払い・・・いまだかつて、こんな店で遊んだこともないので、心底その請求額に驚いた・・・、取りあえず店を出た。
店の入り口から見下ろせるロータリーには、黒塗りの高級車やリムジンが忙しなく行き来している。
その端っこで、夕べ櫻井に声を掛けてきたあの運転手が車の外でタバコを吸ってる姿を見つけた。
櫻井は、チャンスとばかりに男に近づく。
運転手は、すぐに櫻井に気がついた。
「おや、兄さん、早速リンファに逢ってきたか」
ニヤニヤと笑う。
「ああ・・・。そっちは? また客待ちか?」
運転手は肩を竦める。
「今頃、俺のクライアントはあんたの憧れのリンファちゃんとよろしくやってるさ」
「そうなんだ・・・」
櫻井が感心した声をあげると、「俺の客はVIP中のVIPが多いからね」とウインクする。
「で、どうだった? リンファちゃんは」
「綺麗だった」
「そりゃそうだろうよ」
「彼女、ただのダンサーか? よろしくやってるって、どういうことだ。彼女の周囲にはどんな人間がいる?」
刑事時代の癖なのか、櫻井の厳しい追及に運転手は両手を挙げた。
「おいおい、恋する男は怖いねぇ。でも、その割に色気のない訊き方だな」
「頼む、教えてくれ。どうしても知りたいんだ」
櫻井は、ポケットから数枚のお札を取り出した。
運転手は金と櫻井の顔を交互に見つめ、金を受け取った。
「兄さん、あんた、面白いね。そんな清々しい顔つきをしたまま、袖の下渡してきた人間は、兄さんが初めてだ・・・」
「いいから。教えろ」
運転手はハイハイと答え、また肩を竦めた。
「この店はリンファの私物と言っていい代物だ」
「私物? どういうことだ」
「蓮花(リンファ)は、香港マフィアのドン・王龍(ワンロン)の女なんだよ。だから、誰もが手を出したくても、彼女には手が出せない。兄さんもせいぜい気をつけるんだな」
「でもさっきは、客とよろしくやってるって・・・」
「売春って意味じゃない。せいぜいやってることと言えば、客が一方的にしゃべって、蓮花はただ座って笑ってるだけだ。基本、お触りはなし。蓮花の気が向けば、軽いボディータッチぐらいはあるかもな。でも、その先はない。誰も死にたくないからな」
「そんなので、客は満足するのか?」
「ああ。もちろん。皆、完全に酔いしれた顔つきで帰ってくるさ。坊主、あの女は、魔性の女だ。男だろうが女だろうが、一瞬で虜にしておいて、肝心な時には冷たくあしらわれるんだ。皆、あの女に振り回されてポイ、さ」
そこまで訊いて、櫻井はしばらく考えた。
「彼女、イギリス人か? 白人の顔だよな」
「彼女は生粋の香港人だと聞くぜ。彼女の親は父親がイギリス人と香港人のハーフで、母親がアメリカ人ダンサーだ。でも彼女が幼い頃に両親共々黄(コウ)一族に殺されて、彼女自身も傷を負った。噂によると、両親の恨みを晴らすべく、幼い身で王龍に身体を売り渡して、仇を取ってもらったって話だ。黄一族は王龍一族と敵対していたマフィアだったんだが、今じゃマフィア間の抗争の中で一族もろとも殺されている」
そんな野蛮な身の上の女が、CIA諜報員の橋渡し役だなんて、益々もの凄い話になってきた・・・。
櫻井は冷や汗をかいた。
どうやって接触していいものやら、分からなくなってくる。
「蓮花は大層王龍に可愛がられてる。年齢的に言って、孫娘みたいなものだがな。王龍には何人も愛人がいるが、その中でも蓮花は特別扱いを受けている。何せ、こんな店をポンとプレゼントされるぐらいだからな」
「彼女と直接話すにはどうしたらいい?」
「そりゃ無理だな」
「どうして」
「彼女の楽屋には、店の者でさえ自由に入れない。彼女が住処の高級マンションに帰る時も、六人のボディーガードが周りを固めているから、近づくこともできないさ。諦めな」
そこまで話した時、運転手の客が店から出てきてしまった。
「悪い。話はここまでだ。じゃぁな。あんまり、ここをうろつき回るなよ。本気でヤバいぞ」
運転手は昨日のようにぽつりと櫻井を置いて、行ってしまったのだった。
接続 act.28 end.
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編集後記
一日遅れての更新、お待たせいたしました(汗)。
今回の更新で、アニキが事件の真相に気づいた一方で、ファム・ファタル蓮花の登場でございます。
この話でのキーパーソンでございます。
彼女が登場するまで28話までかかるとは・・・(脂汗)。一体この話、いつになったら終わるんだ(青)。
そしていよいよ、60万ヒッツ記念CDプレゼントのお知らせですが、そちらの方はブログにてご案内することになります。
もし興味を持たれた方は、そちらもご覧になってください!
[国沢]
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