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act.41

 香倉は、ベッドから一人抜け出した。
 背後を返り見ると、ミンがまだ心地よさそうに眠っている。
 チャンスだ。
 この部屋には香倉とミン以外、誰もいない。
 外部と連絡を取るには、今が数少ないチャンスだ。
 香倉は、部屋をぐるりと見回した。
 夕べはパーティーのバカ騒ぎの中、ミンの部屋に呼ばれてからすぐさまベッドに引きずり込まれたので、ミンの寝室の様子がまったく分かっていなかったのだ。
 取って付けたような西洋趣味の部屋だ。
 おそらく彼女の血肉となっているアジアの色も米国の色もなかった。
 ヨーロッパの調度品が彼女の部屋を飾っている。
 まるで野獣のようなセックスをする彼女とはまるで趣味が違っているように思えて、そこにミンの性格の歪みを見たような気がした。
 不思議と室内に電話がない。
 香倉のことを警戒しているせいかもしれない。
 香倉は、全裸のまま室内を歩き回った。
 目につく引き出しやクローゼットの扉を開けても、電話らしきものは発見できない。
 軽い苛立ちを感じながら、入口のドアの向かいについているドアを開けた。
 バスルームだ。
 このビルの下で共同生活を送る若い衆らが使う浴室とは違って、まるで高級ホテルのような浴室だった。
 壁から床まで薄ピンクの大理石が被っている。バスタブは猫足で華奢な蛇口が取り付けられている。
 バスタブの脇には、トイレとビデが並んで設置されていた。
 ふと見ると、洗面台の脇の壁に電話が取り付けられていた。
 備え付けなのでそのまま放置されていたのか、片付けるのを忘れていたのか。
 香倉は背後にちらりと目をやって、受話器を取った。
 ツーと音が鳴っている。使えるようだ。
 プッシュフォンを押そうと指を伸ばした時、背後でカチャリと音がした。
 香倉はピタリと動きを止める。
「どこに電話するつもりだい?」
 笑い声を含んだ女の声。
 香倉が振り返ると、香倉同様生まれたままの姿のミンが香倉に銃口を突きつけて、すぐ真後ろに立っていた。
 香倉は表情を変えなかったが、内心ミンに驚きを感じていた。
 香倉に気配を感じさせず、ドアまで開けて自分の背後まで近づいていたとは。
 まるで山猫のような動きだった。
 この女は、どこでこんな技を覚えてきたのだろう・・・と香倉は思う。
 香倉はミンの鳶色の目を見つめたまま、受話器を置いた。
「どこに?」
 ミンが再度訊く。
「下の部屋に。あんたに根こそぎ食われたんで、腹が減ってしょうがない」
 香倉がそう言い返すと、ミンはニヤリと淫蕩な笑みを浮かべ、香倉の胸に這う朱雀の刺青を銃の先でゆっくりと撫でた。
 いつ引き金を引かれてもおかしくはない。
 表情を変えない香倉といえども、身体の反射は時として止められない。額にじっとりと嫌な汗が滲み出すのを感じる。
 つるりと垂れだした汗を、ミンがペロリと舐め上げた。
 そして耳元で囁く。
「残念ながら、お前のことはまだ信用しちゃいない。だけど、夕べの腰使いは最高だったよ。一人相手に満足したのは随分と久しぶりだ」
「そりゃ、光栄です」
 香倉が恍けた声でそう返すと、ミンはまたもやニヤニヤと笑った。
 ミンは銃を下ろし、香倉の身体を押しのけ受話器を取った。
「ああ。アタシだけど。朝食を持ってきて。二人分。分かってるね」
 受話器を置くミンを見ながら部屋を出て行こうとして、香倉はミンに手首をグッと掴まれた。
 振り返ると、ミンが銃の先を舐め上げた後にこう言い放ったのだった。
「朝食ができるまで少し時間がある。シャワーを浴びながらもう一ラウンドといこうじゃないか」

 
 早朝だというのに、部屋の中に響いてくる音は既にフル稼働しているかのような雑多な音が聞こえてきていた。
 櫻井が立て付けの悪い窓を少し空かすと、その音は更に大きくなった。
 大きなトラックが走る音。中年男の怒鳴る声。けたたましいクラクション。ゴォーと空気が蠢く音。
 ニョキニョキと伸びたビルの合間から朝日が差し込み、そのまぶしさに櫻井は少し顔を顰めた。だが、頬に当たる風は少しひんやりとしていて爽やかだ。
 櫻井は、後ろを振り返った。
 衝立の向こうにあるベッドには、布にすっぽりと包まれた人型の山ができあがっている。
 クライドは、まるで子どものようにシーツの中に潜り込んで眠る癖があるようだ。
 横目でそれを眺めながら、櫻井は小さな冷蔵庫を開けた。
 実にガランとした冷蔵庫だ。
 数本の瓶ビール。食べかけのチーズの塊。薄紙の袋に包まれた漢方らしき干からびた何かの植物の根。それと弾丸の詰まったケースが三ケースにファミリーサイズのオレンジジュースのボトル。そしてなぜか電話機。
 櫻井がオレンジジュースのボトルを取り出した時、ふいに電話が鳴り出した。
 同時に、奥のハイテク部屋からも小さなベルの音が聞こえてくる。
 櫻井はベッドに目をやったが、ベッド上に蹲る山はピクリとも動かない。
 どうしたらいいか櫻井が戸惑っているうちに、電話が鳴りやむ。しかしまたすぐに鳴り出した。
 櫻井は溜息をつく。
「よくこんな音の中で眠っていられるな・・・」
 櫻井はそう呟きながら、ベッドの上の塊を揺り動かした。しかし起きる気配はない。
 今回の電話のベルは、先ほどと違って鳴りやむ様子は見られない。
 櫻井は再度溜息をついてアッパーシーツを掴むと、一気に引き剥がした。
「う~ん・・・」
 クライドは目を閉じたまま、派手に顔を顰める。
「ミスター・クライド。電話ですよ。・・・ミスター・クライド」
 櫻井が激しくクライドの身体を揺り動かすと、丸まった肩越しに片目だけ器用に半分開いて、彼は櫻井を見上げた。
「・・・王子様がキスしてくれるとお姫様は目覚めるけど?」
「何を馬鹿なことを言ってるんですか」
 櫻井が腕を掴み無理矢理起こすと、クライドは渋々寝床から起きあがった。
 朝が苦手なこの感じは、如何にも夜の世界に生きる人間の特徴とも言えるが、クライドに関してそれはあくまで『表の顔』に過ぎない。本当の顔は、夜も昼も関係なく動く必要のある合衆国の諜報員だ。
 櫻井にとってクライドのこの様子は、クライドが自分自身をからかって楽しんでいるように思えた。
 現にクライドはすっと立ち上がると、しっかりとした足取りで奥の部屋へと姿を消した。直に電話のベルが鳴りやむ。
 櫻井は改めてオレンジジュースをグラスに注ぎ、ボトルを冷蔵庫にしまった。
 窓ガラスを空かし、桟に腰掛けながらグラスの中のジュースを飲んでいると、奥の部屋からクライドが出てきた。
 クライドはソファーの上の櫻井の上着を手に取ると、それを櫻井に向かって投げつけてきたのだった。
「おい、出かけるぞ」
 唐突な物言いに言い返そうとした櫻井だったが、クライドの顔つきをみて口を噤んだ。
 その時の彼の顔は、先ほどまでとはまったく違った『プロ』の顔つきだった。

 

接続 act.41 end.

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編集後記


今日の一日は、ニッケルバックに始まり、リーマンブラザーズで終わった、という感じです。
一体なんのこっちゃやら・・・ですよね(笑)。

昼はにこにこ動画でカナダ出身の骨太ロックバンド・ニッケルバックの名曲PVの数々を日本語歌詞付きで堪能し、夜はNHKのマネー資本主義という番組でウォール街で起きた愚かなマネーゲームの実態を知ったわけです。
で、番組を見ながら国沢が思っていたことが「羽柴君って、確実にこの大騒ぎの渦中の中にいることになるんだよな。本当に存在していたら」ということ。
彼は投資銀行に在籍している設定ではないですが、ウォール街に存在する証券会社の経済研究室に所属しているエコノミストの一人。当然アメリカの投資会社のらんちき騒ぎを身近に見ていたはずで、それを分析する立場にいたはずです。
羽柴君、いったいどう思っていたのかなぁ・・・、とか思いを馳せたり。
多分、いっぱい苦しい思いをしていたのかもしれない。いや、今もしているかも。
むろん羽柴耕造は架空の人物ですが、そんなことを思いながら番組をみてしまうところ、なんとも親ばかな国沢です・・・。

あ、でも、ニッケルバックのPVについては、どれも珠玉なものばかりですよ。
歌詞も本当に泣けるほどいいんで、ぜひとも日本語訳と合わせてご覧になることをオススメします。
国沢の中では、チャド・クルーガー、かなりキテます。


[国沢]

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