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nothing to lose title

act.21

 香倉はなおもダクトを進んだ。
 やはりこの工場は、外見は警備が強固だが、いざこうして侵入すると若干緊張感にかけるようだ。ダクトの中には、およそ外敵を阻むものは何もない。時々、行く手を遮るように金網が張ってあったが、香倉の持っている電池式の携帯ドライバーでネジを外せば、すぐに取り外しができた。おそらく、これまで本当に侵入者というものを経験しなかったに違いない。
 ふと、ダクトの先から侵入した際に感じた冷気を感じた。
 どうやら工場の周りをぐるりと一周しつつあるのか。
 しかし、侵入した時より更に強い冷気が漂ってきた。
 亜熱帯の熱帯夜をしのぐ冷房というよりは、完全に冷凍庫から漏れてくるそれのように強い冷気だった。
 ── 何かを貯蔵しているのか。
 さっき見た薬剤のアンプルとは別のものを冷蔵保存しているのか。
 香倉は、冷気に誘われるようにダクトの脇道に逸れた。
 先に進むにしたがって、どんどん冷気は強くなっていく。寒いぐらいだ。
 薄暗い視界の先にダクトの下から薄青い光とそれに照らされた冷気が、ゆらりと立ち上る光景が見えた。
 どうやら、そこの下が冷蔵室なのか。
 香倉は急ぎ、そこまで這いずっていくと、目をこらして下を見下ろした。
 そこにあったのは、こちらも半透明の容器が2列に8個ずつ、規則正しく並んでいた。
 ただ先の部屋と違うのは、その容器が随分大きくて、人一人が横たわれるぐらいのサイズと形状をしていたからだ。
 例えれば、スケルトンの棺桶といった風情である。
 金網越しの肉眼で眺めるには、スケルトンの棺桶は曇っていて、中身がよく見えない。
 香倉は、カメラを構えて、一番手前の容器に向かってレンズを伸ばした。
 覗き窓から見ると、うっすらとだが中身がシルエットになって見える。
 香倉は、更にレンズを伸ばしてズームする。
 益々大きくなった画面に、人の手のような影が見えた。
 香倉は、パッと顔を起こす。
 ── 何だ・・・?
 香倉は本能的にうすら寒いものを感じて、再度レンズを覗き込んだ。しかし、やはり金網に阻まれてよく見えない。
 香倉はカメラを腰のポーチに仕舞うと、金網の周囲を調べ、そこにセンサーがないことを確認する。そしてドライバーを取り出し、慎重に金網を外しにかかった。
 最後のネジが外れると、小さくカタリと音を立てた。香倉はそっと金網を自分の身体の先に置いた。
 一気に視界がクリアになる。
 香倉は、カメラでなく小型双眼鏡を取り出した。
 更によく見るためだ。
 香倉は、ピントをあわせながら注意深く覗き込んだ。
 やはり最初に見えたのは人の手のような影だった。
 そのまま影のラインに沿って右に視線を移すと、人の肩のような形が見え、すぐに頭部のようなものが見えた。
 口の中に苦々しい唾液がじんわりと滲んでくるような感覚を覚える。
 香倉は、自分がとんでもないものに遭遇してしまったことに、薄々気づき始めていた。
 ── これは『棺桶みたいなもの』なんかじゃない。棺桶そのものだ・・・
 香倉は、双眼鏡を仕舞うと穴に頭を突っ込んで部屋の様子を更に伺った。
 部屋には、天井の二ヶ所に監視カメラが設置されている。
 幸いなことに、ダクトの穴から真っ直ぐ下に降りて壁際に身を寄せるとカメラの死角に入れる場所もあるようだ。
 香倉は、新たな器具を取り出した。
 壁に強力な吸盤を貼り付けて、ロープを固定する器具だ。
 念のためと思って持ってきてよかった。
 降りることに関しては、ロープなしでも構わなかったが、帰ることを考えれば、ロープは必要になってくる。
 香倉はロープを伸ばして下に垂らすと、それを伝って静かに部屋に降りた。
 すぐに床に這い蹲って、カメラの死角になる壁際に身を寄せる。
 もしここで誰かが入ってきたらかなり危険な状況となるが、その危険を冒してまで調べる価値が、この棺桶にはあると思った。
 香倉は片膝をついた。一息つく。
 ほぅと白い息が立ち上る。
 ひやりとした空気が、香倉の顔を刺した。
 香倉は、一番側にある棺桶の様子を伺った。
 どうやら棺桶達は、それぞれが青いスチール製の四つ足台に乗せられてた。
 棺桶と寸分違わぬサイズのその台は、これ専用に作られたものだと想像できる。
 それが青白く薄明るい部屋に整然と並べられている様は、SF映画のワンシーンのようだ。
 香倉が台の下部を覗き込むと、まるで医療機器のような機械が設置されていた。何本ものチューブで棺桶と繋がっている。
 器具の中には、酸素ボンベのようなものもあるようだ。
 シューコ、シューコと定期的に呼吸するような音が僅かに響いてくる。
 ── 棺桶に酸素ボンベとは、些か相反しやしないか。
 香倉は身体を起こすと、棺桶を上から中の人体と思えるものをマジマジと眺めた。
 今度はそれがどのような様になっているのか、はっきりと見える。
 その中身が何であるか分かった瞬間、香倉は思わず呟いた。
 「 ── なんてことだ・・・」と。
 
 
 「臓器移植?」
 小日向が言った言葉に、櫻井と井手は同時にそう聞き返していた。
 小日向は無言で頷いた。
 櫻井と井手は顔を見合わせる。
 しばらくの沈黙の後、小日向が再び口を開いた。
「あの病気らを完全に完治させようとすれば、どの病気も臓器移植が必要です」
「でも、そんなことは誰の口からも聞かなかったわ」
 井手はそう反論した。
「彼らの通っていた病院にも行ったけれど、臓器移植をしたのなら、病院側からその情報も引き出せたはずよ。それは彼らにとって隠す必要のない情報だもの」
 井手がそう言うと、今度は小日向が意味ありげな目をして、井手と櫻井を見た。
 櫻井は、その視線からぴりぴりとした感覚を感じ、ふと頭に言葉が浮かんできた。
「それは彼らにとって隠す必要のある情報なんですね」
 井手が櫻井を見る。櫻井は先を続けた。
「違法な臓器移植ならば、十分隠す必要はある」
 井手は驚いたように口をあんぐりと開け、手で口を被った。
 小日向は懐から細巻きのタバコを取り出すと、酷く疲れたように首を傾けながらタバコを咥えると、おもむろに火を付けた。
 それに反応して、井手が小日向の方に手を差し出す。
 人差し指と中指だけを突き出すような指の形に、小日向は井手が何を欲しがっているか察すると、今咥えているタバコを彼女の指の間に置き、自分は新たなタバコを咥えたのだった。井手は、考え込むような難しい顔つきをしたまま、無言でタバコを吹かした。そんな様子を、横で櫻井はまるで小学生のような幼い表情で代わる代わる眺めた。まるで子どもが自分の言い出したことで、両親の雰囲気が悪くなったと思いこんでいる子どものような表情だ。
 井手は、数回タバコの煙を吐き出すと、今度は大きく息を吸い込んで吐き出した。
「そうね・・・。そうかもしれない」
 井手が呟く。
「世の中には、残念ながら金のために自分の臓器を売る貧しい人達と、それを買う裕福な人達がいるわ。問題の患者達は、8人ともその恩恵にありつける財力がある人達ばかりよ」
「では、オゾッカが手引きをして・・・」
 櫻井はそこに答えを見いだして、井手を見る。しかし井手は首を横に振った。
「でもね。それで問題が全て解決した訳ではないわ」
 櫻井はその発言に迷ったように、小日向を見た。
 小日向は櫻井の視線を感じ姿勢を正すと、テーブルの上の灰皿にタバコを押しつけた。
「通常、社会問題的に取り上げられている違法な臓器移植は、腎臓が圧倒的に多いのです。腎臓は二つあるから、一つを売っても、人は生きていけますからね。でも、これらは」
 小日向は、再度テーブルの上の病名を書いたメモを指し示した。
「腎臓だけじゃない。骨髄、肺、角膜、そして・・・心臓」
「角膜や肺、骨髄ならまだしも、心臓を取っては人は生きていけないでしょ?」
 井手にそう言われ、櫻井はぶるりと身体を震わせた。
「じゃぁ・・・」
「もし本当に違法な移植が行われたとして、このケースは最悪の部類に入る案件ね」
 櫻井は、先ほど訪れた重い沈黙がその事実を表していたことをようやく悟った。
 井手の抱える謎に『移植』という答えを与えるのなら、必然的に誰かの生命が不当に奪われていることを指し示している可能性が出てくるということだ。
 櫻井は、思わずその情景を思い浮かべ、顔を引きつらせた。
 一部の金持ちのために罪もなく殺されていく人達。彼らは死してなお、臓器さえも奪われていくのだ・・・。
「そんな・・・。そんなことが・・・」
 櫻井は吐き気を覚えて、数回咳払いをした。しかし気分はよくならず、うっとえづいて口を手で覆った。
「大丈夫かい?」
 小日向が席を立って櫻井の横に片膝をつくと、優しく背中をさすってくれた。
「吐いてしまってもいいんだよ」
 小日向にはそう言われたが、櫻井は何とか吐き気を我慢した。「すみません・・・」と力なく返すと、井手が自分の水を差しだして、「私が少し口つけちゃってるけど、変な病気は持ってないから大丈夫」と言った。
 その言い草に櫻井は少し笑みを浮かべ、グラスを受け取り、一気にそれを飲み干した。
 小日向は立ち上がると、空いたグラスに新たな水を注ぎに行った。
「ひょっとしたら、オゾッカ製薬が絡んでいるのは生物化学兵器なんかではなく、違法な臓器移植の斡旋なのかもしれませんね」
 小日向は、グラスを井手の前に置くと、再びソファーに腰掛けた。
「アメリカは、移植大国です。当然技術も進んでいるし、ニーズも高い。アメリカに母体があるオゾッカ製薬にとって、生物化学兵器の開発を行い自国を危険に晒してまで怪しい顧客にそれを売り飛ばすより、高額な見返りが確実に保障されていて、しかも定期的に収入が入り、ニーズがあり続ける闇の移植産業に手を染める方がよりしっくり来るでしょう」
「母国で築いたノウハウを、支社を通じて日本にも輸出してきたってことね」
「まだ、確定という訳ではありませんけどね。あくまでこれは、可能性のひとつであって、所詮推測です」
 小日向が、櫻井に言い聞かせるようにそう言った。
 櫻井はゴクリと唾液を飲み込んだ。
 小日向は「推測だ」と言ったが、櫻井にとってこの話は、十分リアルな話に思えた。
 井手の言っていた、オゾッカ製薬の営業が直接患者と接触していたこと、そして圧力をかけた井手に、殺害が目的と言わんばかりの勢いで襲いかかってきたのも、『違法の臓器移植取引』という秘密をオゾッカが抱えているのであれば、それを行う価値は十分ある。
「井手さん。あなたの8人の患者が一定期間国外に滞在した記録を探してみるのもいいかもしれません。時期としては、病気を発症してから現在までの間のいずれか。おそらく国内のかかりつけ病院に通院しなくなった直前の時期が一番怪しいでしょう。違法な形で得た臓器を日本国内に持ち込むのは困難を伴いますし、臓器の『鮮度』を保つにも問題が多い。臓器を摘出した場所ですぐに移植を行うのが理想なのですから」
「 ── 分かったわ。調べてみます」
 井手はそう言ったが、その手を櫻井に握られた。井手が櫻井に目を向けると、櫻井が首を横に振った。
「これ以上、井手さんは動かないでください。また奴らに襲われるかもしれない。危険です。この件、自分達に任せてもらえませんか」
 櫻井の澄んだ瞳には、力強い使命感が漲っていた。
 井手はふっと表情を緩ませる。
「そうね・・・。流石に今回ばかりは私も堪えたわ。もちろん、フォローアップはさせて。私でないと情報が集められないこともあると思う。そこら辺は、あの親父ときちんと交渉してほしい。ここまでのネタを提供して、あとは締め出し・・・だなんてこと、あの親父なら平気でしそうだもの」
「分かりました」
 櫻井は頷いた。

 

接続 act.21 end.

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編集後記


今週は『接続』のメインテーマ(というかメインネタ)違法な臓器移植という秘密が明らかになりました。
その意味では、一つめの山場とでもいえるんですかね。
その割に地味だけど・・・。
櫻井君、吐きそうになってたけど・・・。
アニキが見たものも、相当グロいはずですね。
やっといよいよ、触覚シリーズっぽくなってまいりました!!
あとは、国沢がどれほど鬼畜になれるかにかかっているようです・・・・・(いや、前回ほどはなるつもりはないですけどね・・・)←これでも一応いい人でいたいようです。


[国沢]

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