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nothing to lose title

act.20

 吉岡が、五階のフロアに出ると、廊下の手すり越しに見える空は、完全に夜の表情を浮かべていた。
 吉岡は、肩の力を抜いて、目標であるカガミナオミの元の住みか、513号室を目指した。
 ドアの前に立って、チャイムを押す。返事はない。留守だ。
 以前、ここの周辺の聞き込みをした時に、この部屋も捜索させてもらったことがある。捜査令状も出ていたし、ここの住人もすんなりと承諾してくれた。その時は何も出てこなかったのだが、吉岡の中でずっと何かが引っかかっていた。今日はそれを確かめたかったのだ。本庁の刑事が一緒だと、所轄の者のやり方はさせてくれない。
「さて・・・どうするかな・・・」
 ドア前で途方にくれていると、隣の部屋のドアが開いた。
 少しふくよかな中年の女性が吉岡の顔を見て表情を明るくした。
「あら! 刑事さんね!!」
 吉岡は、マンション界隈の聞き込みに回されて、マンションの住人自体には聞き込みをさせてもらえなかったのだが、この女性は興味津々で聞き込みの様子を伺っていたのだろう。吉岡の顔もよく知っているようだった。
「まだ何か怪しいの? ここの部屋」
 大きな声で話し掛けてくる。
 事件の捜査をしている時に、よく出てくるのがこの手のおばさんだ。好奇心の塊で、事件に関わる証言をオーバーにするばかりか、ご丁寧に推理や自分の身の上話にまで花を咲かせるタイプ。こういうタイプの人間に閉口する刑事は多いのだが、吉岡はその点、この手のタイプを扱うのがうかまった。
「いや、怪しい訳じゃないんだけどさ。ちょっとまた聞きたいことがあって。でも、留守だね」
 吉岡が笑顔を浮かべながらそう言うと、動物の模様が描かれたサマーセーターを着たそのおばさんが、吉岡の腕を掴んで、自分の家の玄関に吉岡を押し込めた。
「お隣さん、留守が多いのよ。どこで何をしてんだかねぇ~。出かけていても、働いてるって感じが全然ないのよ」
「へぇ、そうなの」
「そうよ。アタシ達もここのマンションに入るのに、そりゃもう苦労したっていうのに、隣のあの若造なんて、しら~とした顔してるの。どこからお金が出てきてるんだか、そりゃもう不思議でね」
 確かに、そのことは吉岡も気になっていた。劇団員とのことだが、売れっ子という話は聞かない。やはり彼にはそれなりのスポンサーがついているに違いない。
 吉岡は、いつか見た色白の妙に艶のある美青年の顔を思い浮かべながらそう思った。
「ま、刑事さん、上がって上がって。話したいことがいっぱいあるのよ。ここじゃなんだしね」
 吉岡が断わりを入れる前に、どんどん部屋の奥へと連れて行かれた。リビングに通されて、コーヒーとお菓子を出される。
「ビールの方がよかった?」
 おばさんはそう言いながら、ぐふふと不思議な笑い声を上げる。
「いやいや、これで結構です。職務中ですから」
 吉岡がそう言うと、おばさんは「テレビドラマみたい」と大いに喜んだ。
「前も刑事さんきたけどさ、あんまり聞いていかなかったのよ~」
 そういってせんべいを齧るおばさんを見ながら、吉岡は三谷の顔を思い浮かべた。三谷の性格なら、さぞやこのおばさんに閉口しただろう。
「お隣さんが引越ししてくる前にいた人って覚えてる? 若い女の人だけど」
「あんまりよく覚えてなんだけどね。滅多に見なかったから。あたし達が入った頃にはもう隣は入ってたんだけどね、あたしが引越しの挨拶に行っても、いつも留守。というか、あれは絶対に居留守よ。そんなこんなで、まともに顔を合わさなかった。もちろん、今のお兄ちゃんも挨拶に来なかったしさぁ。いやぁねぇ、今時の若い人は・・・」
「なんか、気になることはなかった? 女の人が出て行く時とか。最近でしょ」
 吉岡は、話がわき道に逸れないように上手く会話をコントロールする。
「そうそう。気になるって言ったらそのことよ。あたし、お隣が引越してるってこと、まるっきり気づかなかったの。刑事さんに言われるまでね。てっきりこっちは、若い女のところに男が転がり込んできたに違いないって思ってたのよ」
「へぇ、どうして」
「どうしてって、引越し屋も何も来なかったし・・・。つまり、荷物の移動がなかったってことよ。あたしが知る限りではね。まぁ、あたしが留守の時に引越したっていえばそれまでだけど、それにしたってそういうのは判るもんでしょ、普通」
 確かにおばさんの言う通りだ。例え、隣の部屋が留守中に引っ越したとしても、荷物が運び出された形跡はどこかに残るはずだ。
「お隣さんが何て話したかしらないけど? 多分荷物は運び出してないはずよ。人間だけ入れ替わったって感じ?」
「それ、前にも話した? 前刑事がきた時」
 なぜか吉岡の心臓がドキドキと大きく脈打っていた。
 おばさんは、渋い顔を浮かべると、こう答える。
「だからぁ~、言ったでしょ。話したいことがたくさんあるって。前は話したくても聞いてくれなかったからさぁ。あたしもね、なんかこう胸の中が詰まっちゃった感じで。よかったわぁ、刑事さんに聞いて貰えてぇ。気になってたのよぉ。だってお隣さん、何してるか判んないんだもん。怪しいわよ」
「・・・ありがとう・・・。ちょっともう一度調べてみるよ」
 確かにおばさんの言うことは信用するなとは、捜査をする上でよく言われる冗談だが、今回は吉岡の刑事としての直感が警報を発していた。
 吉岡は立ち上がって玄関までの廊下を歩く。
 あれ?と思った。ふいに立ち止まる。
「何よ、急に立ち止まって。忘れ物?」
 危うく吉岡の背中にぶつかりそうになったおばさんは、大げさな声を上げた。吉岡が、廊下の左手にあるドアに触れながら呟く。
「このマンションって、部屋ごとに間取りが違うの?」
「ええ?」
 おばさんが顔を顰める。
「そんなことないわよ。どこも一緒。しいて言えば、同じ間取りが二部屋ごとに向かい合っているって感じかしら。水場の関係でさ。鏡で映したようになっているっていうの?」
 吉岡は、カガミナオミが住んでいた部屋を訪れた時のことを必死で思い出していた。
 丁度この部屋の壁の向こうが問題の箇所だ。
「ちょっと、この部屋入ってみてもいいかい?」
「え? いやぁ、あたしと主人の寝室だから、散らかってて恥かしい・・・」
「捜査上、とても重要なことなんです」
 吉岡が真顔でそう言うと、おばさんの顔も緊張した面持ちへと変化した。おばさんは、この手の台詞に弱い。
「判ったわ」
 おばさんがドアを開ける。たちまち生活感が漂う夫婦の寝室が現れた。吉岡はそんな部屋の風景には目もくれず、向かいの壁に手を這わせた。トントンと叩いてみる。向こうに空洞がある音だ。
「まさか・・・そんな・・・」
 吉岡は呟いた。おばさんが「なぁに?」と吉岡の顔を覗く。吉岡は、おばさんの肩を掴み、「ありがとう!」と一言言うと、外に飛び出した。時計を見る。管理人はまだ管理人室にいる時間だ。吉岡は管理人室へと急いだ。


 管理人に少し無理を言って、吉岡は513号室の鍵を借り、すぐに五階に取って返した。
 隣のおばさんが、興味深げに顔を覗かせていたが、「中に入って大人しくしておいてください。捜査の妨げになりますから」と吉岡が神妙な顔をして言うと、「判ったわ」とおばさんも神妙な顔をして自分の部屋に入っていった。
 吉岡はポケットからよれよれの白手袋を取り出して両手に填めると、念のため、再度513号室のチャイムを鳴らした。案の定、返事はない。念には念を入れて、大きくノックをし、「南川さん!いらっしゃいますか!潮が丘署の吉岡です!」と二回繰り返す。またしても返事はない。人の気配も伺えなかったので、管理人に借りたマスターキーで室内に入り、ロックをかけた。
 内部は、以前見た通り、なんてことはないマンションの一室だった。
 中にある物からは、女性的とも男性的ともつかない部屋の様子だった。
 テレビ、時計、鏡、ソファーやテーブル。男性が購入しても女性が購入してもなんらおかしくはないようなデザイン。ただし部屋に置かれている小物は、あきらかに男性の物ばかりだった。
 洗面台の前のシェイバーやクローゼットの中の服。吉岡には縁のなさそうなメンズトワレ。どれも男の生活臭を感じさせる。キッチンはきれいなもので、使われている形跡は少ない。お湯を沸かす程度でしか使っていないのだろう。冷蔵庫の中も、白ワインが入っている程度で、綺麗なものだ。
 男の住んでいる部屋としては、違和感はない。だが、この部屋の住人が若い劇団員だということには、些か疑問を感じていた。なぜなら、室内にある物がどれも一目で高級品と判るものだったからだ。親の遺産を継いだとのことだったが、それにしてもその高級感が鼻につく。
 もう少し、ここの住人の身元を調べてから来るんだった・・・。
 吉岡は、自分の手抜かりに少し後悔しながら、例の『問題の箇所』の前に立った。
 問題の箇所は、隣の部屋で寝室の入口になっていたところである。
 吉岡はゆっくりと目の前の「壁」を撫でた。
 そう。同じ間取りのはずなのに、この513号室には、ここに部屋の入口がない。
 前回来た時は、隣の部屋の間取りを見ていなかったせいで気がつかなかった。てっきり、この壁の向こうは、隣の部屋の構造物が張り出してきている空間だと思っていたのだ。
 壁をコンコンと叩いてみる。確かに向こうに空間がある音。
「チクショウ・・・。入口はどこだ」
 まさか分譲マンションに隠し部屋だなんて。誰が想像するだろう。
 隣のおばさんの証言からすると、彼女達が入居した後に大々的な工事をしたなら、隣も何か気づくはずだ。だが、そんなことはない。この隠し部屋は、ずっと以前から存在していた。恐らく、南川直志がここに入居する以前。・・・カガミナオミがここにいた時には、あった筈だ。言い換えれば、彼女がここに隠し部屋を作った可能性もある。いや、事件の経過を振り返ると、彼女に関係する第三者が作ったのかもしれない。
 第三者。・・・北村正顕。
 吉岡は身震いをした。事件の核心に、今まさに触れようとしているのが、肌で感じられた。
 吉岡は、廊下の壁の隅々を探ったが、入口を匂わせるものはなく、隙間すらない。
 奥のリビングに回って例の空間に向かっている壁面を調べる。異常はない。
「クソ・・・」
 吉岡は苛立たしく舌打ちをした。
 どこだ。どこなんだ、入口は。
 吉岡は焦った。ここの住人が帰ってくる前に、何か証拠を掴まなければ。
 吉岡は、自分の行為が正式な手続きに添って行われていないことは十分判っていた。何かを掴まないと、大変なことになる。
 だが逆に、ここには何かあるという核心も抱いていた。
 間違いない、ここには何かある。
 吉岡は、再度洗面所に入った。洗面所には、バスとトイレのドアが並んであり、その向かいの壁が問題の空間と隣接している。そこには大きなクローゼットが置かれてあり、壁面の半分を覆っていた。試しに横へ押してみたが、一向に動く気配がない。
 万事休すか・・・。
 吉岡が溜息をついてクローゼットに凭れ掛かった。その時、変に柔らかな感覚が吉岡の身体を受け止めた。吉岡は、ん?と足元に目をやる。クローゼットが、先ほどの位置より少し奥に引っ込んでいる。
「まさか・・・」
 吉岡は、クローゼットの両端を押え、壁面に向かって押し込んだ。ガラガラと床からキャスターが動く音がして、クローゼットは面白いように壁の奥へと吸い込まれていく。
「おいおい・・・宝捜しじゃないんだぜ・・・」
 刑事人生の中でも初めてお目にかかったケースに笑えない冗句を言いながら、吉岡は中の空間へと足を進めた。
 奥の壁に突き当たって止まっているクローゼットの左側に人がひとり通れる隙間ができている。恐らく、その隙間に入り、右手を向くと隣の部屋の寝室と同等の広さの隠し部屋が広がっているはずだ。だが、真っ暗闇で何も見えない。吉岡は額の汗をコートの袖で拭うと、その暗闇に向かって足を進めた。
 暗闇に包まれた隠し部屋の中に入った吉岡は、しばらく暗闇を見渡して、はたと気がついた。
 そうだ、ライター。
 吉岡は力のない笑い声を上げた。如何に自分が動揺しているのかが判る。今頃になってライターのことを思い出すなんて。
「らしくないぜ・・・・」
 吉岡は悪態をつきながらライターを灯した。ぼんやりとライター周辺が照らされるが、部屋の状況はよく判らない。ふいにその狭い視界に天井からぶら下がった裸電球が掠め、慌ててそこを探った。
 よかった。明かりがある。
 吉岡が、赤い裸電球の根元にあるスイッチを捻ると、ようやくその周辺の様子が分かってくる。
 天井からは、吉岡の立つ位置から奥にかけて、いくつもの赤色電球が吊り下げられているようだ。吉岡はその全てを順番につけていく。そして赤く照らし出される周囲の様子に息を呑んだ。
 目。目。目。
 雑誌や新聞から切り抜かれた人間の目が、壁面を埋め尽くすように貼り付けられている。
 幾千もの人間に見つめられているような気分に襲われ、息苦しくなった。
 吉岡は、襟首に指を突っ込みながら、もう一方の手でネクタイを緩める。
 一畳分にも及ぶ人間の目のコラージュをやり過ごすと、今回の二つの殺人事件についての新聞の切り抜きが壁に貼り付けられていた。周囲の壁に目を凝らすと、どうやら例のクラブに通い詰めていた容疑者二人の生写真もある。その脇に、ジッパーつきのポリ袋が二つ画鋲で壁面に貼り付けられており、中にはどす黒い液体が半分程度満たされてあった。それが何の液体かは判らない。
 側の壁際に置かれてあるドレッサーの鏡の前には、夥しい数の化粧品と道具があった。最近使われた形跡がある。さらにその隣には腰の高さのチェストがあって、その上には生首のようにマネキンの頭が5つ置かれていた。それぞれが女性用のウィッグを行儀よく被っている。それらが赤い光に照らし出される様は、できの悪いホラー映画のようで不気味だった。
 吉岡が今方入っていた入口を振り返ると、その付近にはブティックからそのまま持ってきたようなパイプ製のオープンハンガーがあり、吉岡でも判るような高級ブランドの女性物スーツが何十着とかけられてある。その中には、女性の下着もかけられてあった。小ぶりのカップのブラジャーに揃いのデザインのショーツ、ガーター。どれも高級レースで彩られた、華やかな色のものばかりだ。
 目のコラージュがある壁の反対側には背が高くて細長い本棚があった。心理学の本と古典文学、そしてなぜか解剖学と剥製に関する本が詰め込まれてあった。どれも古い本ばかりで、その中の心理学本の大多数は、北原正顕の著作物である。
 そんな部屋の様子を見るにつけ、吉岡は、いやに自分の呼吸音が大きく耳に響いてくるのを感じた。
 いけない、落ち着け。落ち着け・・・。
 部屋は奥に向かって長細く、その先はまだ暗闇に包まれている。
 吉岡は、壁に貼られてある新聞記事に再び目を戻すと、壁を辿るように奥に進んだ。
 明かりの範囲が途切れるごとに小さな電球がまた現れて、それをつける度に新たな謎が明かされていく。
 子どもの写真。植物のアイビーで周囲を飾られている。その少年は、にこりとせず、こちらを真っ直ぐに見つめている。その真っ黒な大きな瞳。
 ドキリとした。
 その少年の瞳の端には黒子。
 吉岡は食い入るように周囲の壁を見回す。いくつもの写真。生まれたての赤ん坊。幼稚園の入園式。遠足。卒園式。誕生日。小学校の入学式。お風呂場でふざけている仕草。三輪車でこけて泣いているシーン。子どもとは思えない寂しげな横顔。
 どの写真の子どもにも、同じ箇所に黒子がある。
「・・・まさか・・・櫻井・・・?」
 櫻井は、これまでどう育ってきたって言ってたっけ・・・?
 吉岡は、額に浮かぶ脂汗をしきりと拭った。
 次の電球をつける。
 ポラロイド写真。
 驚くことに最近の櫻井の写真だ。
 よく見ると、自分も写っている。
 背筋が凍った。
 最初に、ここを訪れた時の写真に違いなかった。
「いつの間に・・・」
 吉岡は喉がカラカラに乾き食道の皮が引きつる感覚に襲われた。何度も唾を飲み込もうとする。だが、上手くいかなかった。
 次の写真に目をやる。
 今度こそ、背筋に悪寒が走った。
 血まみれの櫻井の写真。
 あのファミレスでの逮捕劇が報道された時のもの。どうやらビデオ映像を専用のプリンターにつないで出力されたものに違いない。
 何枚もある。何枚も。
 コマ送りする度にプリントアウトされた写真。
 櫻井が顔を上げて一瞬カメラに目線をやった写真が、一際大きく引き伸ばされていた。そこにどす黒くくすんだ茶色の文字で、『私のことがわかる?』と書かれてある。
 頭がぐらぐらと揺れた。思わず足元が絡みつき、数歩先の隣の壁に片手を預け凭れ掛かった。その壁が少し揺れる。
 違う。壁ではない。
 はっとして吉岡は顔を写真から外した。側の電球のスイッチを入れた。
「ひ!」
 吉岡は思わず腰を抜かした。
 口を戦慄かせたまま、下から上に視線を上げる。
 裸の男。
 肌の表面が妙にてらてらとした、中年の男。
 瞬きもしない、表情もない、口をポカンと開けたままの男の顔は。
「・・・き、き、き・・・、北原・・・・正顕・・・・」
 間違えようがなかった。
 吉岡の目の前の男は、吉岡が資料で持っている20年前の北原正顕とさほど変らない容姿でそこに立っている。だらりと垂れた両腕と肩、両足の数ヶ所を鉄製の台に直接大きな黒いビスで固定されている。両目はどうやら義眼で、首筋に深い刺し傷の跡が残されている。白髪の混じった髪は乾燥しており、入口から入ってくる小さな風にぱさぱさと揺れていた。
 目の前の物体が、北原正顕の剥製であると気がついた時、吉岡は胃の中のものを全て床にぶちまけた。吐く物が胃液だけになってもなお、吉岡は吐き続けた。
 なんてことだ・・・なんてことだ・・・。
 全身がひくひくと痙攣した。
 自分達の追っていた北原正顕は、当の昔に殺され、しかも中身を抜かれて剥製にされていた。
 こんなことがあっていいのか。こんな何食わぬ日常が繰り返されている法治国家の時代に、こんなことが・・・。
 吉岡は、涙を流していた。それは北原に対する同情心でもなく、胃が痙攣する痛みのせいでもなく、純粋な恐怖のためだった。
 こんなのは、普通の人間の感覚を越えている・・・。
 早く、早くここから逃げなければ。
 頭は警報を打ち鳴らしていたが、身体が動かない。
 吉岡は、自分が吐いた物の上を何とか這いずって、出口を目指した。
 早く・・・早く・・・・。
 ふと、狭い視界に黒い靴下を履いた人間の両足が入ってきた。
 吉岡はピタリと動きを止めた。ゆっくりを顔を上げる。
 そこには、息を呑むほどに美しい男の笑顔があった。
「ようこそ。私の世界へ」
 吉岡には、自分の呼吸音がまったく聞こえなかった。

 

触覚 act.20 end.

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編集後記

またもやってしまいました(汗)。
主役の登場しない回(汗汗)。
しかも、グロイ。内容が。
・・・・。
山場だから・・・・ねぇ・・・。
・・・・。
皆さん、如何だったでしょうか。今回。前回の宣言通り、ミスター・「あの男」、北原正顕さんの登場です。といっても、さんざんな登場の仕方でしたが(ざぼ~ん)。 皆さんの「いや~ん(顔に縦線)」が聞こえてきそうな感じです。 今回は、書いている本人もちょっと気持ち悪かったっす。
吉岡の兄さんの運命は如何に・・・・。
次回はちゃんと櫻井君でてきますので(ほんとですよ)。

[国沢]

小説等についての感想は、本編最後にあるWEB拍手ボタンからもどうぞ!

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