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nothing to lose title

act.02

 香倉の今住む部屋は、大学から歩いて10分程度のところにある古いマンションだった。
 どこにでもあるような普通の鉄筋作りのマンションで、以前の任務の時に住んでいた高級マンションとは雲泥の差があった。大学の研究助手という身分相応の住処という訳だ。
 三階の角にある彼の部屋のドアには、もちろん『東條』という表札が出ている。
「ま、入れよ。狭いけど」
 そう言って部屋の中に入る香倉の背中を追いながら、以前感じなかった生活臭をふっと感じて、櫻井は少し頬が熱くなるのを感じた。
 以前の、まったく生活臭さを感じさせない香倉も魅力的だったが、こうして『普通の男』としての生活を装っている彼も彼で、魅力を感じる。理由はうまく言えないのだが、こちらの方が生々しい色気を感じてしまうのだ。任務の違いでこれほどまでに雰囲気を変える香倉を見て、さすがだなと櫻井は思った。自分が香倉と同じ道を進むようになって、余計に分かる香倉の凄さだ。
「ここは初めてだろ? いいぜ、好きに見て回れよ」
 荷物を降ろして鞄から白衣を取り出し、玄関先に引っかけてあるハンガーにそれをかけながら言う香倉に、櫻井は遠慮なくおのぼりさんを決め込むことにした。
 部屋の中は、普通の1LDKだ。玄関を入って右手に10畳ほどのダイニングキッチンがあり、玄関正面には8畳の和室がある。ダイニングキッチンに入ると、右側の壁際にキッチン・・・というよりは流し台と言った方がイメージが近い・・・があり、その裏手に風呂とトイレがあるという作りだ。白を基調とした室内に濃いブラウンの家具。その中にグリーンの鉢植えが点々と置かれているところは、以前の部屋と近いイメージがある。こういうのが香倉の好みなのかもしれない。
 部屋の中のものはいたってシンプルで、無駄なものは一切なかった。収納家具も無駄にはなく、目に付くものも少ない。必要最低限のもので暮らしているというような雰囲気だ。
 ダイニングキッチンは背の低いオープン棚でコーナー分けがされており、戸口から見て左側にダイニングルームが広がっていた。ベージュ色の二人掛けソファーとブナ材のローテーブル、ソファーの向かいにはテレビがある。ソファーの奥にはガラス戸つきの本棚があったが、以前の部屋ほどは大きくない。だが、本はぎっしり詰まっている。どれも植物学関係の本ばかりだ。
 寝室になっている和室は、セミダブルのマットレスに足がついたタイプのベッドが置かれてある。クローゼットはない。どうやら押入にしまっているようだ。結構小綺麗に片づいている。部屋の片隅に、小さなデスクセットが置かれてあり、その上にノート型パソコンが置かれてあった。
「晩飯、どこに食いに行く? どうせ訓練中、ろくなもの食わせて貰ってないんだろ?」
 ソファーの上に鞄を置いた後、櫻井のいる和室を覗き込み香倉が訊く。
 ダイニングに戻ってきた櫻井は、「あの・・・」と言い淀んだ後、香倉を見つめて答えた。
「もしよければ、あの時作ってもらった料理を食べたいんです。・・・駄目ですか。無理なら・・・いいんですけど・・・」
 そこまで言って俯いてしまう。どうやらテレているらしい。
 まったく、どうしてそんなことでテレる必要がある・・・。
 特務員の訓練を受けても今だウブさが消えない目の前の男の様子に溜息をつきながら、香倉は冷蔵庫を覗き込んだ。
「いいけど、アボガドは切らしてる。普通の野菜サラダになるけど、それでもいいか?」
「もちろん」
 香倉は、まるでカフェの店員のような丈の長い濃いブラウン色のエプロンを腰に巻くと、オープン棚の上に次々と材料を出していった。
 チキンにトマトの水煮缶、スパイス、ハーブ、人参、セロリ、タマネギ、パプリカなどなど・・・。慣れた手つきだ。
 以前香倉に食事を作ってもらった時は、櫻井が目覚めた時点で既に料理はできていた。香倉が料理を作るのを見るのは、これが初めてだった。
「・・・そうだ。米の方がいいんだよな、お前」
 香倉もあの時のことを思い出したのか、ふいに顔を上げると自然な笑顔を浮かべた。
 香倉がふいに浮かべた優しげな笑顔に、一瞬櫻井は見惚れてしまう。
 ポカンとしている櫻井に香倉は再度「米の方がいいんだろ?」と訊いてくる。櫻井は慌てて頷く。すぐに背を向け料理を始める香倉から視線を外した櫻井は、自分の顔が上せていくのを感じながら、それを誤魔化すようにテレビを付けた。夕方のニュースの時間だ。
 警察関連のニュースも流されていたが、櫻井の耳には入って来なかった。
 櫻井にしてみれば、顔の火照りをどうにかこうにか抑えるのに必死である。
 もちろん自分が香倉のことを好きなことは、櫻井自身よく分かっていることだ。
 あの雨の夜、意識朦朧としていた香倉に『愛している』と言ったことは本心だし、『愛して欲しい』と言ったのも本心だ。だが、あれ以来、互いにはっきりと言葉に出してそういうことを言い合ったことはなかった。会える時間があまりにも少なかった、ということもあるが、何より二人とも、そういう言葉をたやすく口にするような性格ではなかった。
 だが、一年振りにこうして香倉の姿を見ると、本当に姿がいい人だと痛感される。
 長い腕、長い脚、外人モデル並に整った顔。随分長く伸びた髪のせいで、以前より艶が増したようにも思える。
 一見これほどまでにクールなのに、実は彼が面倒見のいい優しい男だということを知る人間は少ない。そしてその優しい眼差しを自分に向けてもらえているのが未だに信じられない櫻井である。
 香倉がいない世界は想像できないが、香倉がなぜ自分を選んでくれたのかが分からない。
 香倉ほどの男なら、望めば望むほど素晴らしい女(ひと)を手にすることだって可能だろうに・・・。
 決して香倉のルックスだけに惹かれている訳ではない。その存在そのものに惹かれているのだが、櫻井が余計な勘ぐりをしてしまうほど香倉のルックスがいいことも事実である。さっき大学で香倉を捕まえていた女学生も、夢見るような瞳の色で香倉を見上げていた。あの調子なら、彼に言い寄る人間もさぞや多いだろう。ましてや、一年間も離れていたのだ。今でも本当に香倉は、あの頃のような意味で自分のことを好きでいてくれているのだろうか・・・。
 櫻井は、自分が『嫉妬』という感情を持つ人間だとは思っていなかったし、最初は信じられなかった。そんなことは、今まで生きてきて『諦めてきた』感情だったし、経験をしたこともなかったからだ。だから、香倉の気持ちを思って不安になったりしているような自分がいることも、正直驚いていた。
 そのことを思うだけで、櫻井は自分が恥ずかしくなってしまう。
 自分の弱さを、彼に悟られたくない・・・・。
 そういう思いが、櫻井から素直な感情の表現をついつい抑え込んでしまうのだ。
 櫻井のそんな心配など、まったく『無用』であるというのに。
 しばらく、耳で台所の物音を聞いていた櫻井だったが、ようやく気持ちが落ち着いてくる頃になると、ただ座っているのも悪い気がしてきた。
 これじゃ、休日にドトのように横たわっているぐうたら亭主のようだ。
 櫻井はソファーから立ち上がり、流しの側に近づいた。香倉の手元を覗き込む。丁度人参の皮を剥いているところだった。
「あ、手伝います」
「ん? ああ。じゃ・・・皮むきの続きしてもらおうかな。俺は鶏肉の下準備をするから」
「はい」
 櫻井はナイフと人参を受け取って、おもむろに刃を人参に押し当てた。
 料理を作ることを櫻井は今まで経験したことがなかった。遙か昔、家庭科の授業でリンゴの皮むきをした時以来だ。学生の頃は、施設で食事が準備されていたし、警察官になった後も独身寮には管理人夫妻がいてくれて、食事の面倒をみてくれていた。基本的に自炊をしたことはない。
 櫻井は不器用な性分ではなかったが、やはり久しぶりに会う香倉を隣にして初めてのことをすると何だか緊張してしまう。狭い台所だから、いやでも香倉の体温を感じることになってしまって、櫻井の動揺は余計に拍車がかかった。香倉がまったく意識をしていない様子でいることが、余計に櫻井の気持ちを焦らせる。自分だけが舞い上がっているような気がして。
 余計なことを考えながらしていると、大抵はろくな事にならない。
 気づけばナイフの刃が、人参ではなく自分の指の皮を剥いていた。
「あ」
 皮が流しにポタリと落ちるのを見て、思わず櫻井は声を出した。その声に反応して、鶏肉を炒めていた香倉がひょいと櫻井を見る。
「あ、バカ。人参置いて手を上に上げろ」
 火を止めた香倉が、親指の先からタラリと血が垂れる櫻井の手を押さえて、上に引き上げてくれた。
「意外にドジだな」
「す、すみません・・・・」
 櫻井は痛みとは別の意味で、顔を真っ赤にしてしまった。無性に恥ずかしい。自分が世界一マヌケな男になったような気がする。
 香倉はそんな櫻井にはお構いなしで、櫻井の指を自分の口元に近づけると、指先を口に銜えてキュッと血を吸い上げた。
「あっ」
 櫻井の心臓が跳ね上がる。
 指先はジンジンとしていたが、それが痛みのせいなのかどうなのか、よく分からない。
 櫻井は思わず驚きの声を上げてしまった口を、右手で覆った。
 香倉は血の滲みが弱まったのを確認して、オープン棚からアルミ製のボックスを取り出す。中には、ぎっしりと応急処置用のクスリや包帯が整然と詰まっていた。普通の家庭にあるものよりは少し専門的な用具まで入っている。
 香倉は、消毒液と脱脂綿を取り出すと事務的な手つきで傷を消毒し、それに軟膏を付けて絆創膏を貼った。
「ま、たまの休みなんだからゆっくりしてろよ」
 香倉にぽんと腕を叩かれ、櫻井は益々萎縮した。
「すみません、役立たずで・・・」
「誰もそんな風には思ってない。お前、そろそろ自分を過小評価する癖、やめたらどうだ」
「はぁ・・・」
 妙に歯切れの悪い返事を返す櫻井に、香倉が「そこにあるワインを向こうのテーブルまで持っていっててくれ。飯食う時に開けよう」と言う。櫻井は素直に香倉の言うことにしたがった。このまま香倉の側にいるのは、とても『マズイ』。
 折角さっきなんとか心の動揺を鎮めたというのに、これでは逆効果だ。
 香倉が櫻井の指を捕らえて舐めたのは一瞬のことだったのに、櫻井の身体にはあっけなく火がついてしまった。
 この場から消えてしまいたい・・・。
 自分が酷く淫乱な男のような気がして、櫻井はソファーの上で膝を抱え、身を固くした。
 額からは冷や汗が滲み出てくる。
 耳までのぼせ上がっているのが分かって、櫻井は膝の間に頭を埋めた。
 まるで心臓が身体のあちらこちらにあるようだ。
「あと少し煮たら食えるぞ」
 すべての仕込みが終わって香倉が台所で振り返ると、ソファーにいる櫻井は顔を埋めたまま、ソファーの上に体育座りで座っていた。
「どうした? 痛むか?」
 香倉はエプロンを取りながらソファーに近づき、隣に座り込む。あからさまに櫻井が更に身を固くした。
「気分が悪いのか?」
「・・・ち、違います。だ、大丈夫です」
 くごもった返事が返ってくる。
 しかしどう見ても大丈夫そうには見えない。
「櫻井」
 香倉は語気を少し強めて櫻井の名を呼んだ。櫻井がおそるおそるといった様子で顔を上げる。可愛そうなぐらい真っ赤だ。
「風邪なのか?」
 香倉が櫻井の額に手を置くと、ビクリと櫻井の身体が震え、「あっ」とごくごく小さいが艶のある声が漏れてきた。
 香倉は、ようやく気が付く。
 香倉は、櫻井の方に身体を寄せた。櫻井が身体を引く。それでも香倉は、ずいっと櫻井の顔に自分の顔を近づけ、ニヤリと笑うと一言言った。
「あなた、食事にします? それともベッドが先?」
 櫻井が切れ長の目を大きく見開きながら、口を戦慄かせる。
「ん? どうする?」
 更に香倉が詰め寄ると、櫻井はギュッと目を瞑って囁いた。
「ベ、ベッド・・・」
「よく言えました」
 香倉はそう言って、櫻井の唇を奪う。
 香倉に優しく甘い口づけをされて、櫻井の身体から強ばりがみるみる解けていく。
「・・・ん・・・」
 櫻井が緩く鼻を鳴らすのを見計らって、香倉は身体を起こした。少しぼんやりしている櫻井を少し置いておいて、コンロの火を消しに行く。
 香倉は、櫻井の腕を掴むと強引に立ち上がらせ、和室に誘った。
 香倉は櫻井を立たせたまま後ろから彼を抱きしめ、耳の後ろに口づけを落とす。「はっ!」と櫻井が息を呑んだ。さりげなくジーンズの上から股間を撫でると、そこはもう息づいていた。

以下のシーンについては、URL請求。→編集後記



 香倉が櫻井の身体を濡らす残滓をタオルできれいに拭き取ると、櫻井は拗ねたように香倉に背を向けた。
 少し鼻を啜っている。
「どうした? きつかったか?」
 今日はちょっと乱暴だったかな、と香倉が櫻井の顔を覗き込むと、「香倉さんは、卑怯です」と櫻井が呟いた。
「え?」
 香倉が驚きの顔を隠しもせず、訊き返す。
 櫻井は再び仰向けに身体を向けると、香倉を見上げ言った。
「今日初めて言われました。・・・あ、愛してるって」
「え・・・、あ・・・、そう・・・だったか?」
 あまり意識していなかったが、よくよく考えるとそうだ。
 櫻井がまた少し鼻を啜る。
「俺・・・何となく自信をなくしてました・・・。あんまり長いこと、会えずにいたから・・・。香倉さんはいつもと変わりないし、俺だけ舞い上がっちゃってて、てっきり俺、香倉さん、前みたいに俺のこと好きでいてくれてないんじゃないかって、不安になって・・・。セックスしてくれるのも、きっと俺の気持ちを察してだって思ったから。香倉さん、凄く優しい人だし・・・」
 その発言に、香倉は呆れてしまう。
「いくら優しいからって、ボランティアでセックスするよう人間じゃないぜ、俺は」
 櫻井の目尻に薄く浮かぶ涙を指の腹で拭ってやりながら、「それにな」と続ける。
「俺がどんな人間にも優しいと思うか?」
 櫻井はしばらく意味を考えていたようだが、やがて納得したのか笑顔を浮かべた。そして言う。
「何か、『愛してる』っていう言葉、自分が言うのはやたら恥ずかしいけど、言われるのは凄く嬉しいものなんですね・・・」
「そう思うなら、俺にも言ってくれよ」
 香倉が優しく櫻井を見下ろすと、櫻井は頬を赤らめた。
「・・・あ、愛してます・・・。これからも、ずっと・・・」
 香倉は、その返事を熱い口づけで返した。
 その時、互いの腹の虫がグルグルと鳴く。
 互いに目を見合わせ、プッと吹き出した。
「腹が減っている時にする運動にしては、ちょっと過激すぎたかな」
「本当ですね。・・・猛烈に腹が減ってきました」
「飯、一緒に食おう」
 香倉がそう言うと、櫻井は更に嬉しそうにニコニコと微笑んだ。
 その笑顔を見て、香倉は気づく。
 その台詞は、とても簡単で日常的な言葉だった。
 だが『家族』というものに縁の薄かった櫻井にとって、その言葉はとても大切な言葉なのだ。
 だってそこには、幸せな日々があるという証拠なのだから。

 

日々 act.02 end.

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編集後記

いや~、一週間に渡り続いた第二回煮干し大作戦、またの名を『オペレーション・ザ・ニボシ』の最終日を迎えることが出来ました・・・。(といっても、最終日日付変更線を跨いじゃいましたけどね(汗))
いやはや、やはり毎日更新ってのは大変ですね。毎日更新していらっしゃるサイトマスターさん、本当に凄いって思う。国沢は、もう当分いいです・・・(前回もそんなことを書きましたね・・・いや、あん時は「もうやらない」っていったんだっけ(笑))。
終盤戦、『触覚』のおまけ続編をアップしましたが、いかがでしたでしょうか?
やまなしおちなし、ただひたすらゆるゆるラブなテキストなんで、あれなんですけど(汗)。なんか歯切れ悪くってすびばせん・・・。テレているもんだと思ってください。ひたすらラブなだけな話ってあんまり書いたことないんで(汗)。ただ、”『触覚』その後”っていうのが、全く頭の中になかった訳ではないので、今回少し書いてみました。
香倉アニキの髪がロンゲになっていたり。櫻井くんがジーンズ姿を披露してみたり。国沢にとっても新鮮で、楽しかったです。で、もっとお楽しみなのはもちろん・・・。
ということで、メール配信です!!
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[国沢]

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