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act.20


<武蔵、破れたり?>
 
 日焼けした強面のおじさんは、芳を道場にたたき込んだ後、ぴしゃりと道場の戸を閉めてしまった。
 大きな光の入口がなくなった道場内は、道場の上の窓から入ってくる細長い月の光だけが差し込んでおり、蒼暗かった。
 芳は二、三回ギュッと目を閉じたり開いたりして、自分の目を何とか暗闇に慣れさせた。ようやく、うっすら道場内の様子が見えてくる。
 真司は防具を付け、道場の中央に正座したまま、肩で荒く息をしていた。
 芳は少し先に転がっているバスタオルを拾って、真司の前に同じようにして座ると、真司はやっと防具を外した。
 面の向こうから、汗まみれの真司の顔が現れる。
 彼は頭に巻いていた手ぬぐいで顔を拭おうとしたが、手ぬぐいも汗でグッショリなのを感じて、溜息をついて床に放り投げた。芳が、タオルを手渡す。真司は照れくさいのか、バツが悪いのかよく分からない複雑な表情を浮かべ、タオルを受け取った。
「おめぇの前で二度も負けちまうとはな。── 情けねぇ」
 タオルで顔を覆ったまま、真司は道場の板の間に大の字で寝っ転がった。
 芳は、しばらくそんな真司の傍らでじっとしていたが、やがて正座していた足を崩して溜息をついた。
「── 芹沢はちっとも情けなくなんかないよ。情けないのは俺の方だし」
 芳の声色を聞いて真司は何か感じたのだろうか。真司は顔のタオルを取ろうとしたが、芳の声がそれを阻んだ。
「そのままで聞いてくれる?」
 真司の手の動きが止まる。
 芳はズズッと鼻を鳴らすと、「本当はさ、ここに来るのやめようかと思ったんだ」と呟いた。
「ここで待ちかまえてる答えを聞くのが・・・とても怖くて」
「── 怖い?」
「そ。卑怯だよね。芹沢はこんなに真剣に勝負をしてたってのに、俺は逃げ腰で・・・そう、何に対しても逃げ腰で・・・自分がどんな風に誰を好きになったかなんてことまで忘れるところだった」
 芳が真司に目を向けると、タオルの上の真司の手が困惑するように彷徨った。
「こんな自分が恥ずかしいよ、まったく。それに比べて、さっきの試合は、素晴らしかった」
「でも、負けた」
「勝ち負けなんて関係ない! とても、ステキだった。カッコよかったよ、凄く。試合に負けたのは芹沢だったけど、霧島さんよりカッコよかった。ずっと」
「・・・カッコよかった? 霧島さんより?」
 どうやら真司は、また思考の迷宮に填り込んでいるらしい。しかし芳は、その迷宮の出口まで辿り着こうとしていた。試合の最後、一瞬真司と自分の目が合ったあの一瞬のお陰で。
「なぁ、芹沢。どうして霧島さんと決闘しようだなんてこと考えた?」
「えっ、あっ、それは・・・おめぇ・・・」
 珍しい。口ごもっている。
「霧島さんに勝ってたら、俺に何て言うつもりだったの?」
「試合に負けたんで、それは言えん」
 その言い草に、芳はフフッと笑った。
 いかにも真司らしい言葉だった。
 ── そうだ。こんな真司だったからこそ、俺は好きになったんだ。
 堅物で不器用で、でも真っ直ぐで。
 いつもいつも、芳の見えない遠くを見ている。
 芳にもう迷いはなかった。
 大切なのは、真司が誰を好きなのかではなく、自分が真司をどれほど好きか、だ。
 それにもう、もう頭のてっぺんにキノコが生えてきそうなほど、遠回りし過ぎたし。
「芹沢が言えないなら、俺が言う」
 芳は床を這いずって、真司の側にさらに近寄った。
 そして真司の顔にかかっているタオルの両端を、上から被さるようにして両手で押さえた。
 だって、告白する最中にタオルを取られて顔を見られるのなんて、何だか恥ずかしい。
 でも、これなら大丈夫。
 だから ──
「好き。好きです。とっても。俺、芹沢のことが」
 まるで片言をしゃべる外国人のようなナンセンス告白に、芳自身タハハとなったが、言ってしまったものは仕方がない。
 芳は告白した勢いそのままに、タオルの上から真司の唇にキスをした。
 それでも真司が一向に反応しないので芳が不安になると、真司が振り絞るような声でこう言った。
「ちっ・・・窒息する・・・」
「わっ、わわ! ごめん!」
 慌ててタオルを放り上げる。
 真司は真っ赤な顔をして身体を起こすと、ゼイゼイと大きく息をした。
「大丈夫?」
 芳が真司の顔を覗き込むと、真司は更に顔を赤くした。握った拳を口元に持っていく。
「ひょっとして・・・今・・・した? なんか」
 芳もその質問に、顔を赤くする。
「思わずしちゃった・・・なんか。── ごめん。やだった?」
 真司は首を横に振る。
「やとかそういうんじゃぁ・・・。てっきり俺、お前は霧島さんに惚れてるって・・・」
「思ってたの? 本気で?」
 芳の質問に真司は頷く。
「だから霧島さんと決闘して、霧島さんを倒そうと思ったわけ?」
 またも真司は頷く。
 ── ああ、何だ、そうだったのか・・・
 やっと芳の頭の中にかかっていた靄が一気にパァッと晴れた。
「はは、ははは」
 芳は声に出して笑った。そうして笑いながらも、なぜか両目から涙が零れ出た。
 何だか全身の力が抜けて、凄く凄くホッとした。
 そんな芳を真司は怪訝そうに見つめている。
 芳は目尻の涙を指で拭いながら、「俺は真司が霧島さんのことを好きだって思いこんでたよ」と言った。それを聞いて、真司が目を丸くする。
「── だから、おめぇ・・・」
 芳は頷いた。
「そ。だからここにくるのが怖かったんだ。てっきり芹沢がそのことを俺に宣言するものだと思ってさ」
「なぁんだ・・・」
「・・・なぁんだ」
 そう言って二人で顔を見合わせると、今度は二人で笑った。
 一頻り、ただただ笑い合った。
「あー、疲れた」
 真司はそう言うと、また板の間にゴロンと寝ころんだ。
 芳も「俺も疲れた」とその横にゴロンと寝ころぶ。
「こんなにガタガタした恋愛って、初めてかもしんない」
 芳の台詞に、真司が芳を見る。
「前はそんなんじゃなかったのか」
 芳は、天井を見据えたまま答えた。
「大抵向こうからアプローチされてきたしね。気付いたら成り行きで付き合ってたってことばかりだったからさ。まさか自分がこんなに恋愛ベタだとは思ってなかったよ」
 芳は、今までの自分のオマヌケぶりを振り返りながら言う。
 今まで自分がしでかしてきたことを考えると、どこをどう切り取っても『うまい恋愛』とは言えず。
 でもそれも、一生懸命自分から人を好きになった証拠だった。
 だからメチャクチャカッコ悪くても、清々しく思えた。
 だって、こんなに自分から好きになった人なんて、初めてなんだから。
 芳は、ゴロリと真司の方に身体を向けた。
「── 真司は? どうだったの? 今まで」
 真司は顔を顰める。
「訊くだけ野暮ってもんだろうが」
「え? どういう意味よ?」
「だからぁ・・・・付き合ったことなんてねぇよ。今まで、誰とも」
 まぁ、そういう予感はしていたけれど。
 と、いうことは・・・。
「ファースト・キスってわけ?」
 芳は、いつぞやのトイレでの出来事を思い起こしていた。
 みんなで焼き肉合宿をした翌日の朝。
 トイレの便器にしがみついて、密やかにした口づけ・・・。
「そうだよ。それなのに、タオルの上からしやがって。何も分かんなかったじゃねぇか」
 おっと、そうだ。真司はあの時寝てたから、知らないんだっけ。
 芳は、自分自身に誓った。
 ── あのトイレの朝のことは、死ぬまで誰にも秘密にしておこうと。
 芳はクスクスと笑った。
「チクショウ、何がおかしい! ひょっとしてバカに・・・」
「バカになんかしてないよ。── 可愛いなって思って」
「かっ・・・! お前の方が可愛いんだろうが」
 目を白黒にしている真司は、すっかり頭に血が登って、何だか言っていることもよく分かってないようだ。
 ── ま、ここは経験者である僕が、ひとつリードしておきますか。
 芳は、身体を起こすと同じように身体を起こした真司の襟元を両手でグッと掴んだ。
 真司がピタリと口を噤む。
「── もっかい、キス、しとく?」
 真司はコクコクと頷いた。
 芳は少し微笑んで、今度こそはゆっくりとキスをしたのだった。
 『真司にとって』初めてのキスは、しょっぱい汗の味がした。
 
 
 後日談になるが。
 一週間後、バンドメンバーは久しぶりに喫茶・モニカに集まることとなった。
 この一週間、バンドメンバーそれぞれが個人的に忙しかったせいもあるし、どことなく集まりにくい雰囲気だったからだ。
 また集まろうと言い出したのは芳だった。
 確かにもうすぐ受験シーズンが始まるし、そうなれば部活動もきっとこれまでのようにはできなくなってしまうだろう。それは、バンドの自然解散を意味していた。
 そうして皆、高校時代の楽しい出来事の数々を『良き思い出』にしていく。青春時代はあっという間だというけれど、それはその時代が過ぎてようやくその意味を知るのだ。誰でも、例外なく。
 けれど芳は、このまま終わらせるつもりはなかった。
 これまでバンドの皆にはいろいろ迷惑をかけたし、感謝をすることも沢山あるから。それに・・・彼らのお陰で、この素晴らしい人と会えたのだから。
 
 
 今、芳の目の前には、本当に好きで好きでたまらない『恋人』が座っている。
 図体がでかくて、時に三白眼で、五分刈りの強面な彼だけど。
 芳はその彼の『とても可愛い』面を知っている。
 多分それを知っているのは、この地球上で小泉芳だけだ。
「── ん? なんだ。何か顔についてるか?」
 芳が飲みかけのコーラを、ストローが刺さったままでグラスから直接ガブ飲みしながら、真司が訊いてくる。芳は肩を竦めて、首を横に振った。
「別に、何も。それより、皆来るの遅いな。ホームルーム終わるの遅かったのかな」
「えぇ? 健史とは一緒に教室出たはずだけど」
 おかしいなぁと真司がボリボリと頬を掻いているうち、窓越しにメンバーの姿が見えた。
「あ、来た来た」
 カランカランと入口のドアにぶら下がってる鐘が鳴る。
「遅いぞ、お前ら。何してたんだよ」
「や、姫が欲しいものがあるっていうからさ、薬局に行ってた訳よ」
 健史がそう言いながら、真司の隣に座る。他のメンバーもドヤドヤと座り込んできた。
 今までゆったり座っていたボックス席が、ぎゅうぎゅうになる。
「そうなのよ。私じゃ買いにくいからさ、健ちゃんに頼んだの」
 芳の隣に座った万喜子がそう言うと、真司が顔を顰めた。
「何だ、万喜子。どっか具合が悪いのか」
「── 違うわよぉ。そんなんじゃないの」
 万喜子はそう言いながら、健史とその隣の彰と視線を合わせる。
「はぁ?」
 首を傾げる真司を横目で見ながら、彰が「それにしてもこうして揃ってここに座るのも久しぶりじゃないか?」とさり気なく話題を変える。
 単純な真司は、「そうだよ。何もひとつのボックス席に固まって座る必要はねぇじゃねぇか! ただでさえ狭ぇのに。分かれて座ろうぜ」とぼやき始めた。
「え~、いいじゃん真ちゃん。久しぶりなんだし、皆でくっつきあって座ろうよぉ」
 健史がニヤニヤしながら真司の身体にすり寄っていく。
 真司はビクリビクリと身体を震わせながら、微妙に首筋に鳥肌を立てつつ、顔を歪めた。
「毎日教室で顔を合わせてるお前にすり寄られたって、いっこも嬉しくねぇ」
「じゃ、誰かさんならいいの?」
 万喜子の台詞に、真司の動きがピタリと止まる。
 芳もぎょっとして万喜子を見た。
 万喜子と健史と彰は満面の笑みを浮かべて、真司と芳を交互に見ている。
 その視線を受けて、真司がギロリと芳を睨む。
 芳は慌てて首を横に振った。
 真司と芳がつきあい始めたことは、真司から「知られると恥ずかしいからまだ秘密にしていてくれ」と言われたため、まだ誰にも言ってないはずだけれど。
「え~~~、なになに? なぞなぞなのぉ~~~~~。僕を無視して、視線で会話するのやめてくれるぅ~~~~~??」
 どうやらこの場で、真司の意向に添えているのは万喜子の隣に腰掛けた筒井雄大ただ一人らしい。
 男連中が雄大をダシにヤイヤイと騒いでいる間に、万喜子が芳の腕を叩いた。
「あ、そうだ。ところで、芳君、お誕生日おめでとう」
 突如万喜子がそう言って、芳に小さな紙袋を渡してくる。
「── え? 姫、俺の誕生日って・・・」
 まだだけど・・・と言おうとしたが「いつかくるでしょ」と万喜子に畳みかけられるようにして言われて、思わず「うん」と頷いた。
 ドラッグストアの紙袋を開くと、ピンク色の綺麗な液体が詰められた小瓶が入っている。
「?」
 それを目の前に翳して目を凝らしラベルを読んだ後、きっかり1秒後にギョギヨギョッとして、物凄い早さでそれを紙袋にしまった。
「姫?!!!」
 芳が思わず大声で悲鳴の如き声を上げると、万喜子はキョトンとした顔で小首を傾げ、芳を見た。
「あら? 必要でしょ、それ。未来の天才ドクター、田中彰も推薦してる水溶性のものだから、大丈夫。── あら、それとももう、使ってる? 使ってなかったら、使わないとダメよ。身体壊しちゃうから」
「!!!!!」
 その言い草に、芳の顎は外れそうになる。
「お、何だ、芳。何もらった?」
 真司が身体を起こして芳の手元を覗き込んでこようとする。
 芳は慌てて、真司の身体を手で止めた。
「や、ま、その、うん、真司もその内すぐに分かると思うよ・・・」
 その内すぐ・・・すぐにね。
 芳は顔を真っ赤にしたまま、心の中で微笑んだのだった。

 

公務員ゴブガリアン老舗 end.

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編集後記

あ、なんか唐突に終わっちゃいました(汗)。
す、すみません・・・。ラブいシーン、本編に組み込めませんでした(青)。
告白シーンのみに終わってしまいました(ザブザブ)。
なんだか道場でそのまま・・・って感じにはもっていけませんでした。
軟弱者の国沢をお許しください・・・。
とは言っても、アンケートまでとってそりゃないよって感じなので、むろんラブなシーンは書きますよぉ!書きますとも!!!
で、でも、今週は書けませんでした・・・。
じ、次週、ボーナストラックとして、配信開始しようかと思っています。
その際は、new topicにてお知らせいたしますので、チェックしてください。
なんだかこれまでにない異例パターンでドキドキです。ははは(←渇いた笑い)。

ということで、一応20話をかけて語り終わりました、公務員ゴブガリアン老舗。
いかがだったでしょうか。
なんだか作者全不調で、中途半端なお話になってしまったのでは・・・と後悔仕切りです(涙)。ご期待に添えなかった方々もたくさんいるのではないかと思っています。本当にすみません。
もう金輪際、行き当たりばったりな書き方をするのは止めようと心に思わず誓ったのであります・・・(へなちょこロボット三等兵め・・・)。
本来なら、連載終了の場合は、一ヶ月間お休みをいただいておりますが、今回はもう少し長い期間お休みを頂こうかと考えています。
実は国沢、小説を書く姿勢を今一度見直したいと思っておりまして・・・。
書きたいネタはあるのですが、今回のように中途半端なものにはしたくないと思っています。
今の状態ではきっと上手くいかないという感じが否めないので・・・。
ワガママを言ってすみません(汗)。
毎週楽しみにしていますというコメントもいただいているのに、心苦しい限りです。
ただ、サイトを休止したり閉鎖したりするつもりはまったくありません。
定期更新はしばらく(いわゆる無期限で)お休みいたしますが、イレギュラー更新のヒヤマイやp-talkなどはちょこちょこ更新していこうかと思っています。
それにおそらく、450,000ヒッツもその間迎えることになると思いますので、そのお祭りも行いたいと思います。
しばらくはゲリラ更新になると思いますが、超絶暇な時に、ちょこっとこのサイトのことを思い出して頂けると有り難いです。
むろん、来週はメール配信を行いますよぉ!
ぜひ我こそは!とお思いの方は、次週、ふるってメールをくだされ。

[国沢]

小説等についての感想は、本編最後にあるWEB拍手ボタンからもどうぞ!

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