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act.05


<落ち武者ですが、何か?>

 その日以来。
 芳は自宅に篭もった。
 夏休みの終焉が近づきつつあったのに、夏休みの宿題すら手を着けず、ただひたすら自宅の自室に篭もりきった。
 その陰鬱な様は、まさしく落ち武者。
 陽気な母や妹でさえも、そのキノコが自生しそうな雰囲気に声をかけるのを躊躇ったほどだ。
 結局芳が自室から出てくるのはせいぜいトイレぐらいのもので、食事時になっても姿を見せることはなかった。
 仕方なく母は食事を芳の部屋まで甲斐甲斐しく運んだが、その食事もまともに手が付けられることはなかった。
 今の芳には、食事を取る行為など寧ろ煩わしいぐらいだったのだ。
 それほど、芳は落ち武者だった。
 心身共に。
 あの日。武道館で見た彼の想い人の姿は、全く知らない彼の姿だった。
 真司のあの頬を赤くした顔。
 霧島に甘えるような口調。
 まるで照れるかのような、キレの悪い生返事。
 いやだ、いやだ、いやだ、いやだ、いやだ、いやだ、いやだ、いやだ!!!
 芳は、ボスッとベッドの上につっぷした。
 またジワリと涙が滲んでくる。
 ここ数日、まともにできることといったら、泣くことぐらいだ。
 流石にしばらく風呂にも入ってないし、顔も洗ってない。
 頬には未だに涙の跡が付いたままだし、幾ら薄いとはいえ、この年の男の子ともなればヒゲも生えてくる。
 まさしく美少年の面影なし、だが、芳にとってはそんなこと、どうでもいいことだった。
 ベッドの上で身体を二つに折る芳は、ふいにぐにゃりと顔を歪めた。
 いやでも、思考がぐるぐると回っていく。
 いやだ。
 その先を考えたくない。
 その先にある答えを見たくない。
 今、芳の心の中は純粋な不安だらけだった。
 自分の好きな人が、別の人に恋してるかもしれないという不安。
 自分の恋が実らないのではないかという恐怖。
 まるで首根っこを掴まれて絞め殺されるような息苦しさだ。
 芳は、霧島の姿を思い浮かべる。
 自分でも一瞬息をするのを忘れるぐらい魅力的な人だった。
 美しい面差し。それを裏切るような歯切れのいい男らしい声、態度。そしてあの色気。
 それが酸いも甘いも噛みしめたことがある大人の男の『フェロモン』であることにまだ気付いていない芳である。そしてその色気が、努力次第で自分も獲得できるものだなんて、まだ高校生の芳が気付くわけもない。
 ── あんなに素敵な人だもん。真司が好きになって当然だ・・・当然だ・・・!!!
 芳の視線の先には楽器や楽譜が納められているガラス張りの収納棚がある。
 そのドアに写った自分の落ちぶれた姿を見て、芳は益々げんなりとしてグスッとはなを啜った。
 自分はどう転んだって霧島さんのような色男にはなれない。
 西洋菓子はどう頑張ったって和菓子にはなれないだ・・・・!!!
 結局例えで食い物を出してくる辺り、空腹も限界・・・といったところだが、芳はわざと気付かない振りをした。
 こんなに恋に悩んでいるのに、腹が減るだなんて何だかマヌケ。
 まだまだ青い芳には、そう思えて仕方がないのだろう。
 しかし、その芳の空腹さ加減を敏感に察知した人間が、この小泉家にはいた。
 しかも、それは芳さえ想像していない人間だった。
 その日の夜、芳の部屋をノックしたのは、いつもの母親ではなく父親だった。
「入るぞ」
 芳の返事も待たず部屋に入ってきた父親は、おにぎりと大振りのお椀に盛られたみそ汁をお盆にのせて入ってきた。
 流石の芳も、正直驚いて布団から起き出した。
 父親とは、芳がベートーベンの第九と共に父親をぶん投げて以来、口もきいていなかったし、父親も芳をどことなく避けるようにもしていたせいで顔すらまともに会わせていなかった。
 その父親が、こうして自分の部屋にいることが不思議に思えた。しかも、食事のお盆を携えてなど。
「ど、どうしたの」
 思わず芳の口からそんな言葉が素直に出たのは、純粋に驚いてしまったからだ。
 父親は、布団の上から芳の膝上にお盆を強制的にのせると、自分は勉強机に納められている椅子を引き出して座った。
「そっちこそ、どうしたんだ」
 いつもの顰めツラのままだったが、声はどこか優しげに聞こえた。
 思わず芳が父親の顔を見上げると、父親はふいに力を抜いたように身体をくしゃりと傾けた。一瞬父親が苦笑いしたように見えた。
「── お前は何もかも母さん似だが、さすがにヒゲの生え方は俺にそっくりだな」
 その台詞を聞いて、あの苦笑いは錯覚ではないと思った。
 芳は急に父親が近しい存在に感じた。そんな感覚は、随分前に無くしてしまっていた筈なのに。
 それは、父親にとってもそうだったのかもしれない。
 初めて見る息子の無精ヒゲ顔が意外なほど自分に似ていたことは、彼の中でも新鮮だったに違いない。
「冷める前に食べなさい」
 今までに感じたことのない親子間の不思議に温かい空気が、芳を素直にさせた。
 芳は頷くと、さっきまであんなに意地になっていた信念をあっさり曲げて、湯気を立てるみそ汁に口を付けた。
 根菜類が沢山入っている具だくさんのみそ汁。
 それを一口飲んで、芳は眉をしかめた。
 不味い訳ではない。むしろいつもより、ほんの少しだが上手いように感じたのだ。
 それは空腹のせいかもしれないが、いや、それにしたっていつも母親が作るみそ汁とどこか違っていて・・・。
「不味いか」
 顔を顰める息子の顔を見て、父親が言う。
「久しぶりに作ったから、前と感覚が違ったかもしれん」
「!!!!」
 芳は、目をまん丸にして父親を見上げた。
 もう少しで鳶色の目玉が飛び出してお椀の中にダイビングしそうなほどだった。
「ととととと父さん、このみそ汁、父さんが作ったの?!!」
「ああ、これでも学生時代から自炊をしていたんだ。田舎から上京して大学に通ったからな」
「え?! じゃ、こっ、このおにぎりも?!!」
 目の前に鎮座するノリも何もついてないシンプルなおにぎりを凝視して芳は叫んだ。
 その真っ白いおにぎりは、ちょっと大きめの三角おにぎりだったが、形は完璧だった。
「驚くのはいいから、早く食べなさい」
 頬張ると、それは具が何も入ってない純粋な『握り飯』だった。けれど、その塩加減は絶妙で握り具合も丁度いい。
 まるでさながらグルメリポートのようだが、芳をそこまで追い立てるほど強烈なインパクトだった。一瞬芳の中から恋の悩み等払拭してしまうほどに。
 芳はあっという間におにぎりとみそ汁を平らげてしまうと、大きく息をついた。
「ごちそうさまでした・・・」
 芳がそう言うと、父親は何事もなかったかのようにスイッとお盆を持って出ていこうとする。
「あ! 父さん、ま、待って!」
 芳は思わず呼び止めた。
 父親が振り返る。
「父さん・・・何で・・・」
「何が」
「や、だから、父さんがご飯作って持ってきてくれるなんて、正直意外で・・・」
 父親はテレ隠しするように顔をわざと顰めると、「母さんに頼まれたんだ。父さんの作った料理ならあの子はきっと食べてくれるって」と答えた。
 芳が益々訝しげに父親を見ると、父親はゴホンゴホンと咳払いをし、「俺はこれで昔難攻不落の母さんを落としたんだ」と言い捨て、足早に出ていこうとする。
 芳は思わず布団から飛び出して、父親のYシャツの端をしっかりと掴んだ。全体重でグイッと引っ張ったものだから首根っこが締まり、父親はそっくり返りながらゲホゲホと咳き込んだ。
「ご、ごめん! 父さん、大丈夫?!」
 食器ごと床に倒れ込んだ父親は襟元に指を突っ込みながら、目を白黒させている。
 芳は先日のことを思い出して、あわわとなった。だが父親は、ポンッと軽く芳の頭を叩き言った。 
「本当にお前は、一夏ですっかりバカ力になったものだ・・・」
「・・・ごめん・・・。ごめんなさい」
 いろんな意味を込めて芳は謝る。
 その心境を父親も察したのだろう。
 彼は苦笑いすると、「もういい。済んだことだ」と返してきた。
「で、何だ。父親の首を咄嗟に絞めるほど訊きたいことでもあるのか」
「ええと・・・。父さんが母さんと結婚できたのって、料理が上手だったからなの?」
 父親と仲直りできたついでに、今まで質問したくてもできなかったことを正直に訊くことにした。恐らく、これから一生の間で、今しか聞けない質問に違いなかった。
 そもそも、あのミスコンでティアラを取りまくっていた超モテモテの母親が、父親のような平凡で堅物な男を選んだこと自体、全くの謎だったのだ。
 その謎は、芳と父親の溝が深まる度に更につのった。
 父が並みいるライバルを蹴落として母と軌跡の結婚までこぎ着けたのには、きっと大きな秘密があると思っていたが、まさかその答えが父親の料理の腕だったなんて。
 難攻不落の相手を陥落させた経験としては、まさしく芳の父親は『先輩』だった訳だ。
 ── ああ、自分の目は何て節穴だったんだろう! こんな身近に『経験者』がいたなんて・・・!!
 そこにこの苦境を乗り越えるヒントが隠れているような気がして、芳は食い下がった。
「ね、詳しく聞かせてよ。俺、どうしても知りたい。母さんと父さんの馴れ初め・・・」
 父は最初渋っていたが、息子の必死さときっかけを与えてしまったのは自分ということもあって、重たい口を開いた。
「昔、父さんが通っている大学の近くに女子大学があってな。母さんはそこのミス・キャンパスだった。当時、ハーフで尚かつ良い家柄のお嬢様は珍しかったから、それはそれは目立っていた。だから母さんには大学時代からいろんな男が求婚をしていてな。中には財閥出の御曹司もいて、父さんにとって母さんは高嶺の花だったんだ」
 そこら辺は、芳にも容易に想像できたから、素直に頷けた。芳の母親は、今でも同世代のお母さん方と比べると格段に美しい。
「でも、父さんだって若かったから、諦めきれなくてな。毎日大学近くの喫茶店で母さんの姿を見かける度に想いは募って、どうしたら自分の方に向いてもらえるだろうと随分悩んだものだ」
 父親はそう言って芳を見やると、顔を顰めた。
「何だ、今のお前は、丁度あの時の俺のようだな」
 と呟く。
「── まさかお前、好きな人ができたから、そんな有様なのか・・・」
「そんなことはいいから、続き教えてよ! 早く!」
 息子に急き立てられて、父親はムムムと姿勢を正す。
 父も息子があの頃の自分と同じ悩みを抱えていると気づき、これは一大事と思ったらしい。
「父さんがその時出した答えは、『今自分ができる自分らしいことをきちんとしよう』ということだった。家柄も容姿も金も、他のライバルには到底叶わない。だから自分にできることといったら大学の勉強だった。いい成績を取って名を馳せれば、近隣の大学にも名が知れ渡る。何も財産がない自分が声を掛けたって到底駄目なことは分かり切っていた。だから自分の中の財産をまず作ることにしたんだ」
 ── ああ。と芳は思った。
 父親が、あんなに勉強をしろと口酸っぱくなるまで言い続けてきたのは、この裏付けはあったからなんだと。
 父にとって、勉学に励むことは、無駄でも何でもなかったのだ。
「死にものぐるいで勉強をした結果、父さんはその年一番の成績を取った。父さんは大学三年の時にようやく母さんに声をかけることができたんだ」
「で、すぐに付き合えることになったの?」
 芳が訊くと、父親は「そんな訳ないだろう」と一蹴した。
「やっと声を掛ける自信がついたまでのことだ。母さんは、その時他の男と付き合っとったんだ。デパート業界の御曹司ってやつだ。毎日、俺の一ヶ月の食費と同じぐらいの費用がかかるディナーとやらに連れていってもらっていたらしい」
「・・・・。この話、本当に最後はハッピーエンドになるんだよね・・・?」
 余りの期待薄な展開に、思わず芳は父親にツッコンでしまう。でも逆に、「ハッピーエンドにならなけりゃ、今のお前ができてる訳がなかろうが」と逆にツッコまれてしまった。
「それで? 到底無理な状況をどうやってひっくり返したの? 何か離れ業をやってみせたとか?」
「人を化け物のように言うな」
「だってさ・・・」
「今さっき言っただろう。『今自分ができる自分らしいことをする』。その心根が変わることはなかったんだ。自分らしさを母さんに分かってもらって、気に入ってもらえれば自分にもチャンスがある。そう考えた。幸い、母さんを取り巻く男達は、その時付き合っていた男も含め、無理矢理自分を『優れた男』だと装っていることは十分分かった。大学の勉学で培った情報の追求という技術が、その時は随分役に立ったものだ」
 質めんどくさく言っても、つまり父はライバル達の身辺を隅々まで嗅ぎ捲ったに違いない。
 母親と付き合うために、そこまで必死になっている父親の姿を想像して、芳は微笑ましく思った。あの堅物だった父親が、若い頃は自分と変わらない恋に必死だった青年だったことが嬉しくて仕方がなかった。
「それで? どうなったの?」
 芳が更に身を乗り出す頃には、父親も表情も解れてきて、口の滑りもよくなっていた。誰しも、過去の武勇伝を語ることは、気持ちがいいし、嬉しいことでもある。
「俺は、等身大の自分で勝負しようと思った。元々、取り繕うには余裕がないし、万が一取り繕って母さんを我が手にしたとしても、それはすぐに剥がれてしまう。何より、偽物の自分を好いてもらって、何が嬉しい。だから俺は、母さんの行きつけの喫茶店等に顔を出しては、雑談程度に自分のことを話した。母さんもああいう性格だから、自分に好意的に話しかけてくる人には大抵きちんと向き合って受け答えをしてくれるような女性だったんだ。そこで俺は、母さんが所謂手作りの家庭料理を未だに一度も食べたことがない、ということを知ったんだ」
 芳は眉間に皺を寄せる。
「── え? 母さんって、どれくらいのお嬢様だったの?」
 父親はポカンと息子を見る。
「何だ、お前知らんのか。母さんは、当時のイギリス大使の娘さんだ。大使は日本で日本人の妻を迎え、そうして母さんが生まれたのだ」
「マジで?!」
「だからお前の母方の祖父母はイギリスにいる。結婚を猛反対されて、駆け落ち同然で結婚したものだから、未だに交流はないが・・・」
「駆け落ち?!!」
 次々と繰り出される新事実に、もはや芳の目は白黒している。
 確かに、母親方の親戚には今まで誰とも会ったことがないと思っていたが、特に気に掛けていなかった。まさか駆け落ち婚で、絶縁状態だったとは・・・。
「大使というものは、夫婦でとても忙しいものでな。当然母親が家事をしている暇はない。お手伝いさんが作る料理は西洋の高級料理ばかりで、母さんをチヤホヤしていた男共も高級レストランに母さんを連れ回していた。母さんは日本の家庭料理というものにとても興味を持っていたんだ」
「そうなんだ・・・」
「そりゃそうだろう。女子大の同級生は、自分の想い人に手作りの肉じゃがなんぞを作って持っていている。自分はそれをしたくても料理すらできないときてる。まぁ、仕方ないな。やらせてもらえないんだから」
「え?! じゃ、かあさんって、料理が全くできなかったの?!」
「ああ。母さんに料理を教えたのは、俺だ」
「うえぇぇぇ~~~~~~!!!」
 もはや、さっきまで徹底的に落ち武者ってた芳は、もうどこにもいない。
「じゃ、じゃ、父さんが母さんを落としたのって・・・」
「最初のきっかけは料理を教えたんだ。かあさんは周囲の人に秘密にして、父さんの下宿にきちゃいろんな料理を作っていった。一番最初、父さんの握り飯とみそ汁を食べた母さんは、涙を流すぐらい感激してくれたんだぞ」
 で、今に至るという訳だ・・・。
 芳は腰を抜かしたように、ベッドに背中を凭れさせた。
 余りの衝撃的事実に、むしろ感動すら覚えた。
 数十年経って、今ではうだつの上がらないこの父が、等身大の自分をアピールして、見事『勝者』になることができたなんて、奇跡のようだ。いや、もしかして母さんは、今でもうだつの上がらない『等身大』の父親に惚れているのかもしれない・・・。
「・・・父さん・・・」
 声を出すのもやっとの芳は、まるで囁くように父に声をかけた。
「ん? なんだ」
 自分を訝しげに見つめる父親に、ようやく力を振り絞って告げた言葉は。
「・・・・グッ・ジョブ・・・・」
 余りに壊れ過ぎて出る言葉が大マヌケでも、それでいいのだ。
 小泉芳、痩せても枯れても、おじいちゃんはイギリス人なのである。

 

公務員ゴブガリアン老舗 act.05 end.

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編集後記

さ、今週、小泉パパの真実と息子さんとの仲直りの場面をお届けした国沢なんですが・・・、ええと実はこんなに暢気に構えている場合ではなく(汗)。

つまりその~、何が言いたいかっていうとですね。
先週くしくも足のお話をした国沢なんですが。
ええと二週続けてまた足のお話というのも、本当に恐縮で申し訳ないのですが。

国沢、先日、左足をケガしてしまいました。
正確に言うと、

足の小指の骨にヒビが入りやがりました(脂汗)。

・・・。

こ、このクソ忙しい時期だってぇのに・・・・(フルフル・・・)。
たかが小指なんですが、これが意外にあなどれない(汗)。
しかもヒビっていう中途半端な状態なゆえにギブスで固定される訳でもなく、ただ足先に湿布と包帯攻撃で、一見すると、とっても

し・ぜ・ん v

怪我したように見えないっす、ホント(涙)。
くそぉ・・・。全然ケガした甲斐がねぇじゃんかよぉ・・・。
仕事先でビッコひいてると、「足、痺れたの?」だなんて言われる始末(脂汗)。
しかも、いっちょまえに痛いときてるから辛いのよ。これが(汗)。
医者によると、全治一週間ってとこらしいけど・・・ホントに一週間で治るんだろうなぁ、マジで(汗)。

[国沢]

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