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nothing to lose title

act.01

 <駅前一丁目・芹沢鮮魚店>

 彼の家は、魚屋だった。
 しかも、汚れた正月飾りをいつまでも電柱に飾ってある商店街に建っていたりする魚屋だった。
 他の商店街よりゃ流行ってるぞ、と彼の親父は言い張っているが、何のこたぁない、商店街の親父連中の威勢がいいだけじゃねぇか、と彼自身は思っている。
 けれど・・・。ちゃんと考えてみると、ほんの少し昔まで、僅か五十メートル程度の夕焼け色したこの世界が彼の全てだった。
 赤く錆びついたトタン。すっかり擦り切れて白っぽくなったアスファルト。薄汚れた看板達・・・。見慣れた人々、見慣れた会話。義理人情の世界が、今でもしっかりと息づいている化石のような町・・・。
 それが急にうっとうしくなってきたのは、いつの頃からだったろう。彼の背が急に伸びたのと同じように、ここの空気が急に窮屈に思えてきて、そんな気持ちが思わず口に出る日は、決まって親父に殴られた。
 そう、彼の親父はよく彼を殴る。きっとそれで身体を鍛えてんだってぐらいによく殴る。彼の兄は、そんな親父にさっさと見切りをつけ、あっさりと遠い都会の大学に行ってしまった。「俺はこんなところで終わるつもりはない」と寝言にまで言っていた兄だから、彼にとって兄の上京は、ごく自然なことだった。
 それなら・・・。それなら自分はどうなのだろう・・・、と彼は思う。
 俺は兄貴みたく世渡りが上手じゃないし、頭がいいわけでもない。かといって、自分の将来を悲観するタマでもない。
 文字通り竹を割ったような彼の気性は、彼に「不器用」という荷物を背負わせた。
 彼、芹沢真司、17歳。軽音部の部室でギターをつま弾きつつ、何となく将来を悩んでしまうお年頃である。


<新人急募・和田に勝てる者求む>

 これは、まずい。かなり。
 ここまできて彼は、ようやくそう思い始めた。
 放課後、軽音部の部室に入ったなり、彼のバンドのヴォーカル和田誠がバンドを抜けると聞かされても、その原因が彼にあるに違いないから責任とれと他のメンバーからいちゃもんをつけられても、だからどーしたと蚊に刺された程度にしか思っていなかった彼だが、バンドキャプテン田中彰のこの台詞で事態は一変する。
「真司、和田に謝ってこい」
 時々発作的に起こすヒステリーでさっきまでキーキー騒いでいた彰が、ふいにマジになる瞬間は、流石の真司もちょっと背筋が薄ら寒くなるような、や~な感じになる。
「もう一度言う。謝ってこい」
「なんで俺が謝らにゃならん」
 すっかり心当たりのない真司としては、そう答えるのが当然と言えば当然である。
「えっ、昨日のこと覚えてないのぉ?!」
 筒井・ドラムマン・雄大が素っ頓狂な声をあげる。その声を聞いて、バンドのリードギタリスト浅田万喜子が「だめだめだめ」と首を横に振った。
「覚えてるワケないじゃん。真司くんってば、自分にとって大したことないって思ったことは、その瞬間に記憶から消去しちゃうんだから。ね、真司くん」
「う?」
 万喜子にそう言われ、自分はそんなつもりないけどと真司が小首を傾げたのがいけなかった。その仕草が彰の神経を逆撫でして、またヒステリーが再発。
「うわー! でかい図体のヤローが小首傾げたって、ちぃっっともかわいくなんかないんだよっ!! お前の頭って、ヴォーカルが抜けることは大したことないって処理しちゃうのか?! 俺はヤダ! こんなことでバンド解散だなんて、絶対ヤダー!」
 彰がキーキー叫んでいる間に、いつの間にやら部室内にギャラリーが増えてしまっている。よく見ると軽音部以外の連中までが野次馬しているのだから始末が悪い。学園の名物バンドの突然降って沸いた解散騒動に、皆固唾をのんで成りゆきを見つめている。なんせ彼らにとってみれば、学園一の秀才・田中君の取り乱す姿が拝めるだけでも大特典だ。(事実、日頃は冷静沈着な彰にヒステリックを起こさせるほどのダメージを与えられる人間は、学校広しといえどもこの芹沢真司ただ一人だ)
「俺だってバンドなくなるのは嫌だけど、和田に頭下げんのはもっと嫌だ」
 真司としては、彰のヒステリーは恐かったが、言っておくことはきちんと言っておかなければならない。
 昨日どんないざこざがあったかは知らないが(自分が一切覚えていないところをみると向こうがキャンキャン騒ぐだけの一方的なものだったのだろう)、どうせ和田のろくでもない発言or行動が原因なのだろう。
 正義もへったくれもないあの和田に、どうして謝れるか。
 これは、真司にとってどうしても譲れない線だった。
 そもそも、真司と和田誠は、水と油のような関係なのだ。
 曲がったことが大嫌い。文字通り竹を割ったような性格の真司と、その薄っぺらな笑顔にありったけの軟派な心を詰め込んで、あっちの花こっちの花と渡り歩く和田。この二人のどこに合い通づるものがあるというのだろう。
 それは、外見にしてみてもそうだ。甘いマスクにティッシュのような薄っぺらい笑顔を浮かべ女を口説く和田は、実際に驚くほどよくモテたし、よく人の彼女を毒牙に引っかけた。彼の笑顔は、ペラペラながらもペラペラなりの効果を発揮する、どこまでもペラペラなしろものだった。
 それに比べ、真司はどうだ。
 長年剣道をやっているお陰ですっかり身についてしまった三白眼。ビッと真っ直ぐに伸びた厳しい眉。相手に有無をいわさないぐらいに引き締まった口元。おしゃれで伸ばしているロンゲというよりは、まるで修行中の若侍といった風情のざんばら髪。時代が時代なら、実に精悍で凛々しいことよともてはやされるだろう、その姿。
 だが、こんなふにゃふにゃなご時世では、相当ヤクザなお面相としか言えない。とりわけ醜男というわけでもない。むしろ日本人特有の醤油のきいた端正な顔立ちと言ってしまえないこともない。だが悲しいかな彼の場合、それが全て裏目に出てしまった。彼の持つこれらのパーツは、人を脅すに充分な道具となってしまったのだ。
 身長185センチの高い頂から繰り出される鋭い眼光は、例え本人に悪意はなくとも、お日様の光がレンズを通して黒い紙を燃やすがごとき迫力があるのだ。おまけに人はいいくせに、愛想知らずときているから、見かけだけ言えば、まさにこれはもう、万年怒れる大魔神である。お陰で、掃いて捨ててもまたくっついてくるほどの男友達はいても、女の子に関しては、掃いて捨てることが全くできない状況なのである。
 しかし、こんな水と油な二人が、なぜゆえ一緒のバンドで一年以上もやってこれたのか。
 その理由は、はっきりしている。
 和田には、学校一注目度の高い集団に属していることのメリットがあり、真司達には、自分達の出す音についてこれるほどの実力と厚かましさを兼ね備えた人物が、軽音部には和田しかいなかったということだ。
 とにかく真司達のバンドは、強引な音楽をやることで、校内はおろか校外でも「おもろい連中」と太鼓判を押されていた。軽音部創立以来、これほど話題性と実力を欲しいままにするバンドは初めてだと、3年の先輩らも一目置いている。
 とにかく彼らは、なんでもやる。おもしろい、いいと本人達が決めたものは、全てやる。
 高校生が集まって競う半期に一度のバンドバトルのステージにも、本気で襖と鍋と掃除機を持ち込んだこともあった。そう、まさに全身これ若気の至りといった連中である。確かに、こんなデタラメな勢いについて来れる人間は、物事を深く考えることのできないティッシュ男・和田しかいない。
 そしてこの度、その和田君がやめると言い出したものだから・・・?
「キー! 責任取れ! 責任! 嫌だろうがどうだろうが、とっとと頭下げてこぉい!」
 最早彰は、白目を剥きながら怒鳴っている。
 うわぁ~、彰、ニヒルなハンサム顔がかなり台無しだぞぉ?・・・などと思いつつ、親友のホラーな顔に真剣に怯える真司並びにその他の皆さん。だが、そんな中で一人冷静さを保っている人物がいた。
「そんなに和田君に謝るのが嫌だったら、他の人捜してくればいいじゃないの」
 バンド紅一点、万喜子姫だ。この姫のセリフに、彰もピタリと口を噤む。
「考えて見れば、何も軽音部だけで人間捜さなくってもいいじゃん。どこか他から見つけてくればさ」
「けど、姫ぇ。それってかなり強引じゃぁ・・・」
 雄大が、いつもの情けない声で言う。その雄大を、万喜子はキッと睨んだ。
「あのね。アタシだってバンド解散なんかしたくないの。おまけに和田の奴、君らもあの野蛮人に見切り付けちゃった方がいいんじゃない? ま、どうせ僕がいなけりゃ、このバンドもおしまいだしねって、お尻ペンペンしてったのよ。やたら悔しいじゃないのよ。あの脳味噌軟体タコ人間にそんなこと言われてさ。そんであいつ、三原佐織のインチキ巨乳女バンドに鞍替えしたのよ! もう許せない!」
 しゃべってるうちに段々熱くなってきたらしい。最後万喜子は、握り拳を振り回して、仁王立ちの状態だった。
 ちなみに、三原佐織とは、本学園のセクシーアイドルを欲しいままにするダイナマイトボディーな乙女である。目下、万喜子が目の敵にしている人物だ。
 身長も小さく、大きな瞳と真っ黒いおかっぱ頭がお人形さんのようで愛らしいと評判の万喜子とは対局にいる、限りなくアダルトな少女なのだ。
「でもさぁ、あの和田君に勝てる奴なんて、いるのかなぁ・・・」
 雄大が、姫の気迫に押されつつ、細々と発言する。全くこの雄大という男、名前は雄大とかでかいこと言っちゃって、本人はというと「あなたの知らない世界」(※1)を見ておしっこをちびっちゃうほどの小心者なのだ。
「確かにそれは、難しい問題だな」
 姫に怒りの熱気を吸い取られたのか、普段の冷静さを取り戻した彰が顎に手をあて、考え込む。だが、その問題は、すぐに解決された。姫がこう発言したのだ。
「大丈夫だもん。アタシもう決めたもん。誰をスカウトするかって」
 おお~と部室中の群衆がどよめく。
「え? 誰? 誰なんだ、姫」
 大勢の人間が注目する中、万喜子姫は一言こう言った。
「吹奏楽部の小泉君」
 少しの間。一瞬止まる空気。奇妙な沈黙。その後に、一気に揺り返しが・・・。
「くぉ?いぃ?ずぅ?みぃぃぃ?!」
 部室中、大合唱となった。そんな中、真司だけ取り残された気分になる。
「おい、ちょっと待て。誰だ、小泉って」
「えっ! 真司君、知らないの?」
 絶対こいつ人間じゃねぇ・・・ってな顔つきで万喜子が真司を見る。
 何だよ。小泉を知ってないと、人間にもなれんのかとむくれる真司を、彰が尽かさずフォローする。
「当たり前さ、姫。真司って、自分の歩く道しか見えない競走馬みたいな男だもの。自分に関係なかったら、覚えてる訳がない。姫だってさっき、コイツが鳥頭だって言ったばかりじゃないか」
 あの~、キャプテン、全然フォローになってないんっすけど・・・と真司が言ったところで相手にされる訳がない。
「もう! しっかりオタンコナスなんだからっ!」
 プゥッと頬を膨らませ、両手を腰に当てた白●麗子的立ち姿(※2)で下から真司を睨み付けてくる万喜子姫。だが、そんな仕草もお人形みたいで愛らしく、真司も万喜子には叶わないところがある。
「すごぉ~く偏っちゃった真司君に教えてあげる。小泉君はね、白馬の王子様を地で行くような男の子なのよ。うちの学校で和田君のトイレットペーパーなハンサム顔に対抗できるのは、彼しかいないね」
 しかし、和田も敵に回ると酷い言われようだな・・・と和田にちょっぴり同情してしまう真司。
(しかし、顔だけが判断基準じゃなぁ・・・)
 真司のその思いが伝わったのか、雄大がこう発言した。
「えぇ?、顔だけで選んじゃうの?」
 そうだ。雄大、よく言った!
 真司が思わずガッツポーズをする。
 いくら真司達のバンドがデタラメなことをしていると言っても、彼らの音は、結構きちんとしているのだ。バンドのメンバーそれぞれがきちんとしたテクニックを持っているし、リズム隊が作り出す重低音にも負けないくらいの声が出せるヴォーカルでないと困るのだ。
 だが、意外にも、意外なところから姫の意見に賛同する者が現れた。
「あ、それ、いいかもしれない」
 バンマス田中彰、その人である。
 真司と雄大が、ギョッとした顔で彰を見る。音の事に関しては、バンド一厳しい意見を持っている絶対音感男・彰があっさり姫の意見を認めるとは、これは一体どういう事。
「まぁ、まぁ、そう睨むなよ。俺だって別にヤケになって言ってる訳じゃないんだから」
 ほんとかなぁ?ってな様子で、またまたかわいく(?)小首を傾げる真司と雄大を見て、「また不気味なものを見てしまった」と顔をしかめつつ、彼は続ける。
「俺、小泉君と音楽の授業が一緒なんだけど、彼、なかなか声量があっていい声で歌うよ」
 疑り深げな二人の表情。
「もう! 埒があかないわね! こうなったら、多数決バトルロイヤルなんだから!」
 痺れをきらして万喜子が叫ぶ。
「賛成の人、手を挙げて」
 ハーイと、部室中のあちこちから手が挙がるが、関係があるバンドメンバーの手は万喜子と彰の二つだけ。
「雄大ぃ?」
 睨む万喜子。竦む雄大。その間に、サッと真司が入り込む。
「おっと、脅しはよくないぜ」
 普段の自分の行いも省みず、よく言ったものだ。
 と、その時、部室入口の人混みをかき分けて、部室に入ってくる人物が。
 学生服にラスタカラーのニット帽。そして目には丸いサングラスという異様なスタイル。バンド最後のメンバー、小山・ベーシスト・健史がベースケースを肩からぶら下げて立っていた。
「小山健史! 両手を挙げておとなしくしろ!」
 間髪入れずそう怒鳴る万喜子の声に、健史が反射的にホールドアップしたのは、仕方がないか。
「4本対2本でアタシ達の勝ち」
(健史・・・。後でリンチだ)
 真司がそう思ったのと同時に、健史の肩からベースケースがずり落ちた。


※1 「あなたの知らない世界」
某テレビ局のお昼の番組でしていた怪奇現象系名物特集。夏休みや春休みといった学童達がお昼に自宅にいる時期を見計らってしていた、狙い通り番組。ホラーが流行っていなかった時期からやっていたというのはすごい。この時必ず出てきていた解説者「新●イ●ヲ」氏は、なんと「笑天」の放送作家。いやはや奥が深いのです。今も時々やってますかねぇ?

※2 「白●麗子的立ち姿」
某少女系漫画雑誌に掲載され、ドラマ化もされた究極のお嬢様漫画の主人公がしていたポーズ。一応これが基本形で、その他にも「白●麗子的笑い作法」や「白●麗子的威張り方」などがある。

 

魚屋ドレッド本舗 act.01 end.

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編集後記

一作目に公開したものがあまりにもディープな感じなので、頭を使わずに読めそうなものをひとつ・・・ということで、なぜか禁断の学園物。でも、魚屋だとか床屋だとかってゆ~庶民色の強い話ですからねぇ。全寮制・男子校・目くるめくデカダンな世界とは見事に逆行してますから(笑)。臭いです。魚くさい(笑)。年代も少々古いお話なので、皆さんの知らない時代単語の数々が出てくる可能性が大です(笑)。分かる人は、私と同年代かそれ以上ってことで。一応注釈は、いれるようにしますけども。今後とも、「魚屋」をよろしくごひいきに。

[国沢]

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