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nothing to lose title

act.05

 <決闘は、夜の筈だったろ?>

 運命のバンドギグまで、あと2週間と迫った土曜の放課後、遂に芳を加えた新生バンドのお披露目をする機会がやってきた。
 ようやく雄大のコーラスが様になってきたことに加え、真司の通う道場が、八島の都合で休みとなったせいである。
「え? スタジオまるまる使っちゃっていいんですか?」
 部長の申し出に、彰が訊き返す。
「お前ら、ろくに練習する時間がないんだろ? 使えよ、遠慮なく」
 軽音部の練習は、通常放送部が使っている放送スタジオを、時間単位で借りている状態である。従って、軽音部のバンド連中は、完全な音合わせが出来始める頃を見計らって、スタジオの予約を入れるのが普通で、なかなか思うようにスタジオを使えることはなかった。だから大抵は外の有料スタジオで練習するのだが、学生の身分ゆえ早々贅沢はできない。3年連中のこの提案は、まさに異例だった。
「放送部の奴等も今日はずっと貸し出すと言ってくれてる。この好意、無駄にすんな。皆お前らに期待してんだ。頑張れ」
 そう言う部長の制服のポケットに、今回の決闘の賭けチケットが入っていることを彰が知る由はない。勿論、放送部の連中のポケットにも同様のチケットが入っていることも。
 薄々何か変だなと感じつつ、好意は素直に受ける彰である。
「ん~、やっぱタダのスタジオはいいねぇ」
 スタジオに入っての第一声、健史が伸びをしながらそう言った。
「もう、思う存分使ってくださいね」
 放送部の花、菊池みさが、はちきれんばかりの笑顔で、そう言いながらスタジオの外に出る。
「あ、ちょっと他の子と明日の放送の打ち合わせがあるんで、外の部屋にいていいかしら」
「あ、どうぞ、どうぞ。アタシらが間借りしてる方だから」
「じゃ、ごゆっくり」
 菊池さんはにっこり笑って、通称金魚鉢と言われる収録用のスタジオから出ていった。ガラスの向こうのミキサー室で、またにっこりと笑顔を見せる。
「わぁ、なんか感じのいい子だなぁ。僕、恋しちゃいそう」
「また取られるのがオチさ。さぁ、練習、練習。最初から一度通していこうか」
 しっかり雄大に突っ込みを入れつつ、彰がキーボードとサンプラーの前に腰掛ける。銘々がアンプにジャッキを差し込みつつ、チューニングを始めた。真司が椅子に腰掛けてギターの調子を整えている間、芳はその傍らでずっと緊張した面もちでいた。音あわせは何度かやっているが、こんな早い時間に、ガラスを挟んで向こう側に複数の人間がいる中歌うのは初めてだった。
 英語の発音はいいのか、音は外さずに歌えるか、迫力のある声が出るのか。
「そんなに、緊張しないで。安心していい。取り合えず、この金魚鉢の中じゃ外に音が漏れないから」
 彰にそう言われ、「判ってる」とナーバスに答えた。
(判ってる。頭じゃ判ってるけど、身体が・・・)
 肩で息をする芳を、真司が目だけ動かして様子を伺う。
(えれぇ顔が強ばってんな・・・)
 真司は、立ち上がってギターを椅子に置くと、芳の顔の前でパンッと手を叩いた。
 芳が、ギョッとして真司の顔を見る。
「おい、余計なこと考えんな。うまく歌ってやろうとかってカッコつける必要は、いっこもねぇ。歌う時はいつも、好きなヤツのことだけ思ってろ。好きなヤツのためだけに歌え。いるんだろ? 凄く好きなヤツがよ」
 真司にそう言われ、芳の表情は、梅雨空がみるみる晴れていくように、さっぱりしたいい表情になった。芳はようやく、いつもの自分を取り戻したらしい。その顔から険しい表情が消え、肩から力が抜けた。
(好きなヤツのためだけに歌う・・・。好きな人のためだけに・・・)
 なんてすてきな言葉だろう。芳は、夢見るように一回深呼吸した。
「ごめん。もう大丈夫だから」
 芳は、フッと笑みを浮かべる。
「そうだ、いつもそうやって笑ってろ」
 真司はそう言い捨てて、また椅子に座る。
「オーケー。俺はいつでも準備いいぜ」
 チューニングを終え、真司が言う。それに続き、姫と健史もオーケーを出した。
「それじゃ、行こうか。雄大」
 そして彰が、キューを出す。

 「あ、練習始まったみたい」
 その時、菊池みさは、友達二人とガラスの向こうの様子を密かに伺っていた。実は、芳の追っかけを自称する彼女らが、このチャンスを逃す筈はなかった。彼らのバンドの貴重な音を、彼らだけで楽しませるのはもったいない。彼女らにしてみれば、ちょっとした好奇心だったのだ。彼らが、どんな音楽を引っ提げて、バンドギグに望むのか。そして芳が、どんな声で歌うのか。
「スイッチ、入れるよ」
 かくして、重低音の曲のイントロが、学校中に響き渡ったのだった。

 「ま、こんなもんか」
「そ? 久しぶりに音合わせしたわりに、結構いけてたじゃん」
「何てったって、姫のギターと小泉君のヴォーカルが光ってたよ」
「そうかな、あれでよかったのかな」
「オーケー、オーケー、全然大丈夫」
「なんだか、外の様子がおかしいぞ」
 真司がやっと、外の異変に気がついた。
 ガラスの外にいる人間が、倍以上いや、もう数えられないくらいに増えている。最初からいた3人はというと、後ろの人垣に押され、身体をもみくちゃにされながらも、目をハート型にしてこちらを見つめていた。
「何だ、何が起こったんだ」
 バンドメンバーは、皆一様に?マークを頭の上につけている。よもや、自分達の演奏が大音響で校舎内に流され、その反響に校内が沸き上がっていることなど想像も出来ずに。
「やっぱりスタジオを俺らにも使わせろって、皆がごねてるのかしら?」
 ひきつった顔で万喜子が言う。
 とにかく、表のこの様子じゃ、容易にこの金魚鉢から出られはしまい。
「あ、和田が何やら血相変えて入って来たぞ」
 健史が指さす。何やら、和田はまたしても顔を真っ赤にして、周りを怒鳴り散らしながら、人混みをかき分けて金魚鉢に向けて突進してきた。ものすごい形相の和田は、しっかりと三原佐織の腕を掴んでおり、その三原佐織の腕には、適当に巻いたとしか思えない純白の包帯が巻かれてあった。
 バタンと金魚鉢のドアが開けられる。
「あら、和田君、久しぶりぃ」
 冷めた目で、万喜子がそう和田を迎える。
「どうしたんだ、和田。そんなに血相変えて」
 彰がそう訊くと、「ああああ、あの・・・・」と言い淀んだ和田が、腕を掴んだ三原佐織を自分の前に引き出した。
「あん! 痛いじゃないのよ!」
 セクシーダイナマイツ佐織ちゃんを邪見に扱った罰として、和田は佐織ちゃんの平手を受けるが、今の和田はそれどころではないようだ。
「あの、佐織ちゃん、今日の体育で手首捻っちゃって、キーボードが弾けないんだ。最低3週間は絶対安静だって、保健室の先生が・・・」
「あ~? 何が言いたいんだ、お前」
 真司が不機嫌そうな声を上げると、和田の額から玉のような汗が次々と流れ落ちた。
「そのぉ、つまり、種目変更!」
 和田がそう叫ぶ。
「あ~?」
 真司ばかりか、その場の全員が、声を揃えて言った。
「どういう意味だ」
「佐織ちゃんが怪我したので、バンドギグには参加できなくなったと言う訳さ。と言うことで、決闘の種目変更」
 また訳の解んねぇこと言い始めやがった、と呟きながら、真司は左手で首筋を叩く。
「で、種目変更って、何にするんだ」
「決闘だから、決闘らしく、格闘技でいこう」
「格闘技ぃ? 俺やだぜ、お前とプロレスなんて」
 和田と取っ組み合いなんて、虫ずが走ると顔をしかめる真司。
「プロレスだけとは限らないさ。つまり、武道ってことだ。銘々が、好きなスタイルで格闘するということだよ」
「お前、今、武道っつったな」
 真司の瞳の色が変わる。芳が、それを見てハッとした。
 今、まさに血に飢えた剣士のように獰猛な、もう一人の真司にスイッチが切り替わったと彼は感づいたのだった。
 一方和田は、ゴクンと唾を飲み込みつつ、ようやく頷く。
「ああ。武道でって、言ったね。芹沢の好きなだけ、竹刀だろうが木刀だろうが持ってくればよかろう。僕も好きな道具を持って来させてもらう」
「判った。しかし、そのねぇちゃんが怪我したかどうだか知らねぇが、お前もわざわざ土壷にはまりに来るなんてよ。俺に竹刀持たせたら、死ぬぜ、確実に」
 ニヤ~と笑った真司の顔が相当恐かったのか、直立不動で立つ和田の隣で、セクシーダイナマイツ三原佐織が、う~んと悩ましいうめき声を上げて倒れたのだった。

 という訳で、夜の決闘の筈が、翌日の日曜の昼下がり、場所は学校にある柔道場に変更されることになった。
 天気のいい日曜だというのに、皆他にやることがないのか、関係者以外のギャラリーが、大勢決闘開場に集まっていた。もっとも、関係者以外といっても、そのギャラリーの殆どのポケットには賭けチケットが入っているのだから、満更関係者とも言えなくはないが。
 最初に会場に現れたのは、真司の方だった。
 真っ白い胴着に濃紺の袴。その若侍がごとき颯爽とした姿が道場に入って来るなり、観衆から静かなどよめきが沸き起こった。
 真司の全身から、靄のように立ち昇る気迫のようなものが、群衆のうるさく騒ぎ立てようとする不純な心を抑えてしまったようだ。 誰もが、普段より更に磨きのかかった真司の威圧感に、息を呑んだ。
「小泉、遅いね」
 道場の入口の特等席に陣取ったバンドメンバーは、真司が竹刀を持つ姿を久々に目にしながらも、ずっと周りのことが気にかかっていた。さっきからずっと捜しているのだが、芳の姿が見えないのだ。
「昨日は来るって言ってたのにね」
「あ~、一体何してんだろ! あっ、相手が来ちゃった! ・・・あ~?」
 万喜子の声が、途中から歪んだ。万喜子ばかりではない。その場にいた誰もが、和田の姿を見て、口をポカンと開けた。
 いや、今の表現は正確ではない。和田の姿を見てではなく、正しくは、和田の後ろから付いてくる巨大な影を見て、だ。
 流石の真司も、その影には度肝を抜かれたらしい。その異常な光景に怒鳴ることも忘れ、見入っている。
「いや~、諸君。待たせたね」
 のうのうとそんなことを言いながら入ってきた和田に続いて、その影ものっそりと柔道場に上がり込んで来た。その時、柔道場の床がひどい軋み声上げ、心なしか建物が傾いたような錯覚を受けた。
 和田の後ろから入ってきた影は、汚れた柔道着を身に纏った、巨大なマシュマロマンだった。全長およそ2メートル弱。予想体重最低でも150キログラム。150キログラムと言えば、言い換えれば、およそ0.15トンである。過去17年間生きてきて、真司はこんな代物にお目にかかったことがなかった。
「おい、和田。お前、何だ、その訳の解らん物体は」
 瞳は上目遣いにその物体に目をやったまま、真司はようやく言った。
「ま~、これはその、なんだ。竹刀が君に対する道具とすれば、これが僕の道具といったところかな」
 和田が、持ち前の宝塚ポーズを決めて、さらりと言う。
「道具って、お前。俺にはしっかり有機物に見えるんだけど」
 今にも吐きそうな顔をして、真司が言う。会場からは既に、その物体の肉の密度の濃厚さに酔った人間が、気分を害してその場に蹲った。
「誠がいつもお世話になってます。誠の兄です」
 突如、物体がしゃべった。意外に甲高い可愛らしい声で、信じがたいコメントを言った。会場中、一瞬目が点になる。そんな中で、和田だけが異様に元気よく怒鳴り声を上げていた。
「もう! お兄ちゃん! お兄ちゃんだってこと、秘密にしといてって言ったじゃない!」
 唇を噛みしめながら、キーッと金切り声を上げている。
 真司はそんな中、ある事実に気づいていた。
(和田も、これだけデブりゃ、マシュマロマンみたいな顔になるのか)
 妙に納得する真司。確かに、兄弟と言われてみれば、顔のパーツがよく似ている。しかし、あの和田の兄貴が、こんなヤツだったなんて・・・。
 真司は、そこまで考えて、ん?と首を傾げる。
「おい、和田。お前、自分の兄貴を道具呼ばわりする気か? お前の代わりに兄貴とやりあえって?」
「そうとも。昨日お前は、身代わりを連れって来ちゃダメだとは言わなかったじゃぁないか」
 その和田の言いぐさに、彰がやれやれと顔を覆う。
「そりゃ、理屈はそうだけど・・・」
「ありゃー。どこまでも根性の腐ったヤツ」
 健史が、パイポを噛み噛みそう言う。姫は立ち上がった。
「ちょっと! やり口が汚いじゃないの、助っ人なんて!」
「1対1でやるんだから、不公平はないだろう?」
 和田は、徹底的に開き直るつもりらしい。
「真司君、こんなバカな決闘する必要はないわ!」
「そう言われてもなぁ」
 真司本人は、意外にも呑気に、ぼりぼりと首筋を掻いている。
 一方周りのギャラリーはというと、折角賭けチケットがあるのにと右往左往の大騒動である。
「逃げるのか、芹沢、卑怯だぞ!」
 自分のことを棚に上げて、よく言った和田。
 真司も、そんな和田につき合うのもそろそろ疲れてきたらしい。
「もうこれで終わりにしてやる。この勝負すんだら、もう二度と俺達の周りに寄るんじゃねぇ。いいな」
 真司は、和田を睨んだ。 「別につきまとってる訳じゃないよ~」とか言いながら、声が尻窄みになるのにあわせるかのように、和田がすごすごと兄貴の巨体の後ろに隠れる。
「とにかく、ちゃっちゃと済まそうぜ」
「本当にいいのか、芹沢」
 今回の公式審判を仰せつかった校内一の正義の人、片瀬敬一郎(国立文型コース3年・現生徒会長、1月1日生まれ)が、真司の顔を覗き込んだ。しかし真司の表情には一点の曇りもない。
「ああ。俺の方には異存はねぇ」
 その声に、道場が割れんばかりの歓声に包まれた。その白熱振りに、バンドメンバーがようやく「おかしい」ことに気づく。万喜子が隣にいる男の首根っこを捕まえて、「おとなしく吐きやがれ!」とドスの効いた声で怒鳴ると、弱々しく「ごめんなさぁ~い」と謝る男の懐から例のチケットが出てきた。そのチケットの内容に、流石の彰も怒りの声を上げた。
「男のプライドをかけた戦いで金を賭けようだなんて、酷すぎる!」
「そうよ! あんまりよ!」
 男に詰め寄る彰と万喜子の様子を見て、雄大の心がじんわり熱くなっていく。
 皆、何だかんだ言ったって、やっぱ殿のこと大切なんだよね・・・。
「元締めは誰だ!」
「そうよ! チケット、まだ余ってないの?!」
 万喜子の言い草に、雄大の顎が外れる。
「姫ったら、酷いよぉ~! 殿が真剣に戦おうとしてんのにぃ!」
「ま! 雄大ったら、まるでアタシが悪者じゃないのよ!」
「だって、そうじゃなぁい! 彰クン、姫に言ってやってよぉ~!」
 彰は男の襟元をしっかと掴んだまま、雄大を振りかえってコクリと一回頷くと、男に向き直りこう言った。
「バンドメンバーは倍賭けにしなさい」
「ひどい~~~~!」
 観客席から、絹を切り裂くような男の叫び声が聞こえ、片瀬審判の頬に冷や汗が垂れる。
「いいんだろうか、本当に試合続行して」
「ここでやめると、あんた袋叩きだけじゃすまなくなるようだぜ」
 熱いギャラリーの視線の意味をようやく知った真司が、呑気な声を上げる。流石の人格者片瀬君も、この真司の発言には背筋が寒くなったらしい。彼はゴクリと生唾を飲み込むと、「それでは試合を始めたいと思います!」とこの決闘の開会を告げた。わっと歓声が上がる。
「両者中央に」
 赤く仕切られた畳の中央に、袴姿の若武者と笑顔の巨大天然マシュマロマンが歩み寄る。心なしか床が傾いているようで、皆、若干斜めになりながら、片瀬審判による説明を聞いた。
「勝負は、無制限一本勝負。どちらかが参ったというか、僕が試合続行不可能と判断した時に終了します。反則についてだが・・・」
 片瀬審判が真司の手元の竹刀を見る。真司はにやりと笑い、それを床に投げ捨てた。
「相手は素手だ。俺も道具は使わねぇ」
 道場内が途端にざわめく。
「ちょっと真司君本気なの?!」
「素手で適う相手じゃねぇよ!」
 観客席から万喜子と健史の声がする。
「僕は使ってもらっても構わないけど」
 相変わらず顔に似合わないキューティーボイスで、和田兄が言う。その笑顔がちょっと不気味だ。
「どうする芹沢?」
 片瀬審判が真司に向き直る。
「使いたいなら使っても構わないぞ。相手もこう言ってることだし。和田によれば、彼の兄さんは一応和田の道具ということらしいからな。プッ」
 人格者であるはずの片瀬君が少し笑っちゃったとしても、許してあげてください。
「道具だろうが、なんだろうが、相手は生身だ。卑怯なことはしたくねぇ」
 男のプライドだけは十二分に高い真司は、きっぱりとそう言い切った。最早、真司に賭けた連中の「きれいごというなぁ」という大野次にも動じることはない。
「いいんだな、芹沢」
「何度も訊くな」
 ここにきて更に潔い真司の態度に、和田兄もにんまりと笑う。
「君のその度胸、なかなか気に入ったよ。言っとくけど僕は、去年のインターハイで重量級準優勝をもぎ取った男だよ?」
 あんたの場合、押しつぶした、だろう・・・。
 会場内の誰しもがそう思って溜息をついたが、最早試合の舞台は、針で刺すような緊張感に包まれていた。
「インターハイが、なんぼのもんじゃい。こっちは剣道の試合があるごとに、全国の県警の猛者を相手にしてんだ。学生同士なんて、ナマっちょろくて虫唾が走る。竹刀なんてなくったって、ちょろいぜ」
「よし、分かった。両者、線まで下がって」
 互いに睨みを効かせながら、両側の線まで下がる。
「それでは、試合を開始します! はっけよ~いのこった!」
 片瀬君は本当に人格者であることを、ここで強調しておきます。
「うぉりゃぁー!!」
「きょぇぇぇ!!」
 二人の気合の声が道場内に響き渡る。
 マシュマロマンの怒涛の突っ込みを素早い身のこなしで交わすと、真司は背後から相手の足を蹴った。だが、びくともしない。手ごたえのなさに、真司は後ろに跳び退った。マシュマロマンが振り返る。
「僕の突っ込みを交わした素人は初めてだよ」
 真司は肩で息をした。蹴った足がじんわりと痛い。まるで大木を蹴ったみたいだ。
「ダメだ・・・ウエイトの差がありすぎる・・・」
 彰の呟きに、今までチケットはどこだと騒いでいた万喜子も心配げに試合場を見た。
「足が痛むだろう? 僕のほうは、ほどよい脂肪が守ってくれるからね」
 ほどよい脂肪? 和田を含め、会場中が小首を傾げる。さすが、和田の兄だ。物事をよい方に捉える芸当はそっくりである。
「さぁ、今度は避けれるかな? きょぇぇぇぇぇ!」
 耳を塞ぎたくなる奇声を発しながら、異様な速さで肉の塊が走る。
 今度も後ろに身を交わすのかと思いきや、真司は真っ向からダッシュして、牛若丸がごとき身のこなしで和田兄の身体を踏み台にして飛び上がると、相手の首筋に向かって上から膝蹴りをお見舞いした。膝は体の中でも特に固い部位である。2メーター近い巨漢を誇る和田兄には、頭部に近いところをこうして攻撃されたことはなかった。「いた」とか細い声を上げて尻餅をつく。真司はその隙をつくと、和田兄の後ろに回りこんで、両の腕で兄の首を締め付けた。首周りも半端でない和田兄に対して、リーチの長い真司だからこそできる技ともいえる。
「くっ、くるじいい・・・」
 とうめく和田兄に、「早く落ちちゃえよ」と唸るように言う真司。
「お兄ちゃん!」
 弟が、心配げな悲鳴を上げる。
「お兄ちゃん、死んでも参ったって言わないで!!」
 彼が心配しているのは自分のことらしい。
「ええい! 往生際の悪い兄弟ね! 早く負け認めないと、本当にマシュマロマン死んじゃうわよ!」
 万喜子の怒鳴り声に、和田弟が「わはっは!」と強気な笑い声を上げた。
「君達は、このマシュマロマンの本当の怖さを知らないね?」
和田の発言に、群集が「和田がアニキをマシュマロマンと認めたぞ」とざわめく。
「アニキの本当の怖さはこれからさ」
 和田弟は、後ろから羽交い絞めにされている兄の正面に向き直ると、こう叫んだ。
「デブデブデブデブ、百貫デブ~!」
 この言葉で、兄がキレることを弟はよく知っていた。これは、インターハイの試合でも、彼のチームメイトが使った技だった。
「俺を百貫デブと呼ぶなぁ~~~~!!!」
「うわっ!」
 和田兄の振り回した腕に、真司が弾き飛ばされる。その勢いはすさまじく、危険を察知した観客が避難した後の壁に、真司の身体は叩きつけられた。
「トミーとマツ(※1)みたい・・・」
 現代の高校生にあるまじき古の知恵を披露する健史の隣で、雄大や万喜子、彰でさえ顔を青くした。
「マジでヤバイかもしれない・・・」
 彰が呟く。
 その時、背後の観客を押し分けて、芳が姿を現した。
「芳君! 遅いよ~!」
 万喜子が隣の席を譲りながら言う。「ごめん」と芳は謝った。
「親とちょっとケンカしてて」
 急いで来たのだろう、芳は荒い息を吐きながら試合場を見た。
「どうなの? 戦況は?」
「ちょっちヤバし」
 芳の後ろで少し伸びた無精ひげをガリガリと掻きながら健史が言う。
 確かに、現在真司は和田兄に袴の襟首をつかまれて、試合場の中央まで引きずられている最中だった。
「芹沢?!」
 芳は叫んだ。ぐったりした真司が少し顔を起こし、ちらりと芳の方を見た。
「どうした、たったこれっぽっちで終わりかな?」
 今や怒れるマシュマロマンと化した和田兄が、仕返しとばかりに真司の首を掴み、引きずり上げる。
「ぐっ!!」
 苦しさに顔を真っ赤にしながらも真司は、相手の急所を探るべく、相手に視線を這わせた。
 そうだ。こめかみ。
 真司は、物凄い勢いで相手の両方のこめかみを平手で叩いた。
 和田兄が思わず仰け反って真司を放す。
 思い切り力を込めて叩いたのだ。竹刀を振り下ろす腕力は道場ピカイチの真司である。
 和田兄は、両耳を押さえてその場に蹲った。
 真司は襟を正すと、ゆっくりと立ち上がった。その姿にギャラリーが熱い歓声を上げる。
 しかし和田兄も負けてはいない。起き上がった和田兄と真司は、今度は真正面から組み合った。
「無茶よ、真司君!」
 万喜子が悲鳴を上げる。
「いや、真司はあれでよく考えてるみたいだ。押し倒されないように、うまいこと身体を使ってる」
 冷静さを取り戻したのか、彰が静かな声で言った。
 汗だくになりながら、和田兄と真っ向から組み合う真司を見て、涙もろい雄大は早くも大粒の涙を流している。
「殿、かっこいいですぅ~!」
 傍に転がる竹刀を持てば恐らく優に勝てるだろうに、決してそれを掴もうとしない男の潔さに、会場中が惚れ込んだとでもいうのだろうか、今まであんなに騒がしかったギャラリーが野次を飛ばすことも忘れて二人の戦いに見入っていた。
「こんなにしぶといヤツは初めてだ」
「それはこっちの台詞だ」
 両者とも一歩も譲らず、肩で大きく息をしながら、唸りあう。
 芳は、そんな真司から目が離せなかった。この勝負で自分の名誉がかかっていようがいまいが、そんなことはもう関係なかった。
 真司には、勝ってほしい。誰にも負けてほしくない。だって、真司は皆の・・・、いや俺のヒーローだから・・・。
「真司! 真司負けないで!」
 気づけば思わずそう叫んでいた。真司、負けないでと。
 真司が、目を見開いて芳を見る。
 芳にこうして名前を呼ばれることは初めてだった。
「この時計、あげるから、絶対負けないで!」
 芳が胸元から引き出した、銀の時計を見て、真司は顔を真っ赤に赤面させた。
 アイツの好きなやつって、ひょっとして・・・
「スキありゃぁぁぁぁ!」
 次の瞬間、真司の視界は道場の天井を仰ぎ、気づけば暗闇になっていた。
「グエ」
 これが芳の叫び声に答えた真司の最期の声だった。


<映画のようにはいかないのね>

 芳は、目の前で揺れる細い髪の束にぼんやりと見とれていた。
「あ~あ、ホント、惜しかったよねぇ」
 雄大が口惜しそうに言う。
「惜しかったどころじゃないわよ! 今月のお小遣い、全部なくなっちゃったわよ!」
 万喜子が金切り声を上げる。
 あの死闘から、約一週間経っていた。放課後の土手を歩きながら、バンドメンバーはそれぞれの手にあるアイスクリームを舐めた。言わずもがな、今回の賭けで負債を抱えた方々への慰謝料として、真司の奢りなっている。
「まったく、彰クンが倍賭けって言っちゃったから、根こそぎもってかれちゃったんだから!」
「悪い。今回は本当に反省してる」
 珍しくしおらしいバンドキャプテンである。
「俺はお陰で楽しませてもらったよ」
 相変わらず呑気な健史である。何を隠そう、今回真司の髪をドレッドに仕上げたのは健史だった。
 健史の腕は、ダイナミックな彼の父親とは違って繊細である。前から真司には似合うと思っていたと豪語する健史の言う通りの三つ編みドレッドに仕上がった真司の髪は、実際なかなか様になっていた。そこで悲劇的な声を上げるのは雄大である。「なんで僕の時と違うのぉ?!」と悲鳴を上げる雄大に、例のごとく誰も耳を貸さなかった。
「でも・・・。ごめんな、芹沢。俺が声をかけたばかりにこんな髪になって・・・。大切な髪なのに・・・」
 しょげた顔の芳が、風に靡く真司の髪に少しだけ触れた。当の真司は、案外ケロリとしている。
「女じゃあるまいし、別にいいって」
 和田兄に押しつぶされた後、完全に窒息していたところを彰の人工呼吸によって救われ、何とか命だけは取り留めた真司である。
 あの後、あの試合のことが学校にバレ、危険行為を行った咎で和田共々生徒指導室の前に晒し者のように正座させられた。
 隣でキャンキャンと叫ぶ和田の声も馬耳東風に、真司はずっと考えていた。
 あんな試合の結末でわやくちゃになってしまってたが、最後に言った芳の一言について。
 元来鈍くできている真司であるが、気づいたことについては、すっきりするまで気になる性分である。いつもは単刀直入に問題は解決するタイプなのだが、今回ばかりは少々事情が違う。その件について、結局一言も芳に訊けずに、とうとう1週間以上も経ってしまった。
 真司は、ちらりと隣の芳を見る。
 夕焼けに照らされた芳は、相も変わらずあっぱれな美少年振りだった。
 やっぱ俺の思い違いなのかなぁ・・・。
 いつもの殿らしからぬ弱腰に気づくのは、やはり忠実な家臣Aである。
「あれ、真司君、どうしたの?」
 雄大が、下から真司の顔を仰ぎ見る。
「熱でもあるんじゃないの? 顔、赤い」
「え?」
 雄大の台詞に、彰や健史、万喜子が真司の傍に寄ってくる。
 あの試合会場では友達とは思えない言動の数々を行ってきた3人であるが、いざ真司の息がないことを知ると、途端に態度を変えた3人だった。
 彰はすぐさま的確な応急処置を始め、あの勝気な万喜子は大泣きして、真司の体に縋った。日頃穏やかな健史は、人が変わったかというほどの剣幕で、和田兄を攻め立てた。「いくら勝負とはいえ、これは酷いんじゃないか」と。雄大が止めに入っていなければ、今度は俺が勝負してやるとでも言い出しそうな雰囲気だった。和田兄弟は、3人の勢いにすっかり怯え、真司が無事に息を吹き返すと、勝利宣言もそこそこにスゴスゴと退散して行ったのだった。
 あれ以来、自分達の殿様に妙に過保護な3人である。
「大丈夫か?」
「風邪でもひいたんじゃないの? ダンナ」
 そう言って自分の顔を覗き込む男達を手で払い、真司は「ちげーよ!」と怒鳴った。
「何でもないって。どこも悪くねぇ。それより、ちょっと先行っててくれよ」
「なんで?」
「いいから、早く行かないと、スタジオが予約で埋まるだろ?!」
 彰と健史をシッシと追い払おうとする真司を見て、ははぁ~と万喜子は気が付いた。万喜子は、真司の隣に立つ芳と真司を見比べた。
「早く行きましょ! ほら、早く、早く!」
 万喜子が、彰と健史の腕を引っ張って先に連れて行く。数メートル行ったところで振り返り、真司と芳に向って舌をペロッと出すと、「こら、雄大! 置いてくわよ!」と鋭い声で怒鳴った。案の定雄大が、脱兎のごとく駆け出す。その様を見て、芳は少し笑いながら、四人の後を付いて行こうとした。その腕を後ろから掴まれる。
「お前はいい」
「え?」
 芳が振り返る。やけに真面目な真司の顔があった。
「ど、どうしたの?」
 自分をじっと見つめる真司に、芳の顔も赤くなった。
 真司は何か言おうとしたが、すぐに口をつぐんだ。
 そんなことを2、3回繰り返して、とうとう焦れた芳は、いつかのようにボンッと鞄で真司の身体を叩いた。
「本当にどうしちゃったんだよ、芹沢」
 芳のその声に、真司が憮然とした表情を浮かべる。
 あの時のように怒られるかなと芳は身構えていたが、意外にも真司の口から出た声は、弱々しかった。
「なんだよ。もう俺のこと、名前で呼ばないのかよ」
 一瞬、何と言われたか分からなかった。
「へ」
 思わず芳はマヌケな声を出してしまった。
 真司が、口を尖らせて明後日の方向を見やる。
「だから・・・。何度も言わせんなよ」
 芳は、やっと微笑を浮かべる。
「いいの? 呼んでも」
「ああ、いいよ」
「皆に先に行かせた理由って、それだけを言いたかったから?」
「ああ、そうだよ! 悪いか!」
 逆切れとはこういうことをいうのか、真司は怒鳴るだけ怒鳴って、一人でズンズンと歩き始める。
 芳は、笑いが堪えられなかった。時々ひどく大人びた顔を見せる真司が、妙に子供っぽく見えて、何だか体の奥がムズ痒い。
「おい! 置いてくなよ! 真司!」
 芳は真司を追いかける。
「うっせぇ! テメーなんか、知らねぇ!」
「顔、赤くしてたくせに!」
「してねぇよ、バカ!」
「バカとはなんだよ! この蕎麦頭!」
「誰のせいで蕎麦みたいな頭になったって思ってやがんだ!」
「さっきは気にしないって言ったじゃん?!」
「気にしない?! 気にしないで済む髪形だって思うか?! 2週間も頭洗えねぇんだぞ!」
「キムコ(※2)持ってりゃいいじゃん!」
「俺は冷蔵庫かってんだ! 俺は、魚屋だ!!」
 そう、魚屋ドレッド本舗なり。


※1 トミーとマツ
懐かしの大ヒット刑事ドラマ。国広富之氏演ずる「普段は臆病者のトミー」と当時からすでに油ギッシュな松崎しげる氏演ずる「スケベ刑事マツ」コンビがあらゆる難事件(?)を解決する。とはいっても、事件を解決するのは、番組終了10~15分前に「トミコーッッ!」と呼ばれて逆切れし、メチャ強になった二重人格者トミー。大概、そのトミコが大暴れして事件は無事解決(?)。しかも、正気に戻ったトミーは、自分が大暴れした記憶をすっかり忘れていて、手柄をマツにいつも取られるところがミソである。今から考えれば、まるで刑事物の水戸黄門と言っていいほど安心して見れた異色刑事ドラマ(笑)だった。

※2 キムコ
冷蔵庫の定番と呼べる脱臭剤。硬質なパッケージデザインには、バウハウス時代の気品すら感じたもの(ちょっと言い過ぎ?)キムコ、マイブームだったのよねぇ、中学生時代。キムコってネーミングに惹かれてました。なぜか。現在も、多分販売されていると思います。

 

魚屋ドレッド本舗 end.

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編集後記

すんませ~ん。こんなアホアホな終わり方。怒って途中で読むの止めた人もいるんじゃないかしら?(ドヨ~ン) もっとアダルティーな展開を期待されていた方もいらっしゃるでございましょう(タラタラ)。この話は、マジで「次回作に続く」(いわゆる二番もあるぜっちゅーキタナ技(ザボ~ン))ってことを考えているので、そっち方面の話は、次回をお楽しみにってことにしていただいて・・・。え?ダメ? 「魚屋」の次回作は、いまだまったく手をつけていないので、いつアップできるか分かりませんが、またよろしくお願いしますね。
ちなみに次週は、新たな作品を公開する予定です。
タイトルは 「神様の住む国」 。
この話も、ちょっと暗げぇで、切な系です。
興味のある方は、またご覧下さいね。

[国沢]

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