act.17
<武蔵はまだかいな>
カラン、コロン。
八島久重は、道場と母屋の間の狭い通路を下駄の音をさせながら歩いていた。
だが、ふいに背後に気配を感じて、ぴたりと足を止めた。感じた気配が『馴染み』のもので、久重はニヤリと笑う。そしてゆっくりと振り返った。
「あいつが突拍子もないことを言ってきたと思ったら、君が帰ってきていたとはな」
溜息混じりのその声には、聞き覚えがあった。
もっとも以前聞いた時は、今よりも大分若かったのだが。
「よぉ、久しぶりだな。霧島」
「まだ、名前を覚えていてくれたとはな」
剣士姿の霧島は、そこでようやく笑みを浮かべた。
久重が霧島の元まで歩みを進めると、建物の屋根の影になっていた久重の顔がようやく見えてきたのだろう。霧島は、久重の日に焼けた顔を見ると、少し片眉を引き上げた。
「── 随分、男ぶりが上がったな」
霧島の目線の先には、おそらく久重の顔に幾筋かついた傷があるのだろう。
久重も、学生の頃はツルンとした顔をしていた。でも今では、いろんな戦地を巡る度についてきた小さな傷が顔や身体の様々なところにある。久重は傭兵ではないから、誰かに銃を向けたりだなんてことは一切ないが、それでも銃を向けられるようなことは多々あった。そのお陰か、記念品のような傷が顔や身体についてしまった。戦場カメラマンにとっては職業病のようなものだ。
「そっちこそ、男ぶりを上げたんじゃないのか。警察の偉い手なんだろう? 十数年以上前に東京で一戦交えた相手が、よもや今、俺の実家でこうして相まみえているとはな。正直、驚いた」
はははと軽快に久重が笑うと、霧島は苦笑いを浮かべた。
「長い剣道人生の中で完敗したと感じたのは、お前との一戦のみだったからな。移動先の希望を訊かれた時に、そのことが浮かんだのだ。八島久重の実家がある土地に赴任すれば、ひょっとしたらがあるかもしれないと思ってね」
「おっと。── くわばら、くわばら。男の執念は怖いねぇ~」
「茶化すな。なぜ、家を継がずに海外に出てしまったのだ。腕の方は、兄上よりお前の方が立つだろうに」
今度は、久重の方が渋い顔を浮かべる番だった。
「人に物事を教える為には、剣が立つだけでは不十分だ。教育者としての度量がでかくないとダメなのさ。その点は、兄貴の方が優れている。── おい、人ン家の家督争いに首つっこんでくるなよ、警察官僚。越権行為だぞ」
「── そうだな。すまん」
二人はしばらく見つめ合って、同時に笑い出した。
道場の端にせり出した縁側に二人で腰掛ける。
「で、今夜のこの一件を焚き付けたのは、君なんだろう?」
霧島がそう切り出すと、久重はニヤニヤとしながら顎をしきりと撫でた。
「夜に呼び出されて一対一の決闘だなんて、流石に僕も経験したことがない。一体どういう事だ?」
「真司から訊いてないのか?」
「あいつには、今日の夜八時に道場で剣を交えたいと連絡をもらっただけだ。それ以上は何も訊いてない」
ふ~ん、と久重は顎を触る。
ちょいと腕時計を見て、「随分早い到着だな。もう一人の主役はまだ来てないぞ」とノンキに言う。
そんな惚けた様子の久重の脇腹に霧島のひじ鉄が軽くお見舞いされた。
「おい、惚けるな。教えろ。きっと真司に訊いたとて、まともな答えが返ってくるとは思えない」
よく分かってるじゃないか、と久重はクスクスと笑った。
「恋する男は盲目っていうからな」
「恋は盲目? 小泉君のことか?」
「── 小泉?」
久重は怪訝そうな顔つきで霧島を見た。
「誰だ、そいつ」
久重が訊くと、霧島は何か勘違いをしたのか、「いや、いい。こっちの話だ」と返してきた。
「ええと要は真司が、盲目になってるということか?」
霧島の質問に、久重は頷く。
「何でも、あいつの惚れた女がお前のことが好きで、今日の決闘にご招待しているらしい。お前と戦って勝利した勇姿を惚れた女に見せて、相手に見直させようという魂胆だ。──
少々青臭い方法だが、若い頃は俺達だって似たような経験しただろ」
霧島の眉間に皺が寄る。
「真司の好きな相手が、僕に惚れてるって?」
「ああ、あいつ、そう言ってたぞ。同じ学校の子らしいな。何でもその娘、武道館でお前と会ったことがあるとか」
霧島はその白い顔を久重に向けたまま、しばらく考え込むような表情を浮かべていたが、やがて彼の中で何か合点がいったらしい。
ふいに霧島が、これ以上にないほどの大きな笑い声を上げた。
流石の久重もこれには驚いて、ぎょっとした顔で霧島を見た。
「何だ、いきなり」
久重が訊いても、しばらく霧島は笑い続けた。
今度は久重が霧島を軽く小突くと、霧島は目尻に浮かんだ涙を指で拭いながら、「いや、分かった、分かった。そういうことか。それは大変なことになっているな」とようやく答えた。
「霧島、お前、どこの娘か思い当たる節があるんだな?」
久重が訊くと、霧島は大きく何回も頷いて「ある、ある」と言った。
「おい、どんな娘だ。かわいいのか?」
「え?」
「え?じゃねぇよ。真司の惚れた相手はかわいいのかって訊いてんだ」
霧島は宙を見つめて思いを馳せるような表情をすると、「かわいいというよりは、美人さんだね」と答える。
「へぇ、美人なのか。真司のやつもなかなかやるな」
感心している久重を、霧島がじっと見つめてくる。
久重はその曰くありげな視線を感じて、顔を顰めた。
「ん? なんだ?」
「── きっと、今夜真司の惚れた相手をお前が見たら、ビックリして腰を抜かすだろうな」
「え? おい、そんなに美人なのか?!」
霧島は久重の質問に答えず、さっと立ち上がり、道場の入口へと歩いていく。
「おい! 霧島!」
久重が呼び止めると、霧島は振り返った。
「真司の恋がかかってるとはいえ、手加減するなよ」
久重がそう言うと、霧島はふっと笑みを浮かべた。
それは今までの温厚な彼の表情とは違い、もはや天才剣士の名を欲しいままにするギラリとした男の表情だった。
「── むろん、する訳がない」
そうして霧島は、道場の中へと姿を消していった。
公務員ゴブガリアン老舗 act.17 end.
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編集後記
先週お休みしたゴブガリアン、今週はこれっぽっちの更新ですみません(汗)。
今週は、大人な二人のみの登場です。
次週こそは、主役を出さねば。や、ホントに。
さて、学生時代馴染みだった八島久重と霧島秀造。そんな雰囲気、出てたでしょうか?
ライバルとして張り合いながらも、仲がいい。
いいですね、こういう友情。
そういうのも萌えます(笑)。
ところで、プライベートの方はというと、相も変わらず変に忙しいのですが、昨日は『アンデルセン・プロジェクト』という演劇舞台を見に行ってました。
友人に誘われて、なんの予備知識もなく行ったのですが、その内容と質の高さに驚いて、こんなことだったら、ちゃんと事前に勉強していくんだったと思ってしまいました。
『アンデルセン』とのことだったんで、てっきり子どもが見ても大丈夫な演目なんだと思いこんでいたのですが、内容は結構アダルティーで、それで最初にびびったんですが(なんせしょっぱなからアンデルセンの肖像画に下世話な落書きをするところから始まる)、その舞台装置の展開というか段取りというかシステムというのが本当に素晴らしく、ハイクォリティーだったので、純粋に感動してしまいました。
国沢、そういう段取りがきちんとしているとか、緻密なものが組み合わさって大きくて完璧なシステムができあがっているとか、そういう系統のものとか事柄とかが大好きなんですよ。少々分かりにくい表現だと思いますが。
そういう、『段取りのよい』時間経過の中に身を投じていると、非常に心地が良い。
この演劇の中にも、その心地よい段取りのよさというのがあって、とても心地よかったし、面白かったです。
むろん、役者さんも凄かったですよ。
この『アンデルセン・プロジェクト』というのは、アンデルセンの生誕だか没後だか、●●年を記念して(ようするに何もかも分かっちゃいないんですが)、デンマークの国家から依頼されたカナダ人天才演出家ロベール・ルパージュが創り出した『一人芝居』なんです。
今回、国沢が見に行った公演は、元々外国語だったものを日本語に訳して、なおかつ日本人の役者・白井晃氏が演じたもので、純粋にいうとオリジナルとは違います。
けれど、日本人独特の感性とかも盛り込まれていて、多分オリジナルにはない味も出ていたのではないでしょうか。
ちなみに白井氏は、ロベール氏に唯一外国語圏(ロベールにとってですけど)で演じることを許された唯一の人らしい・・・。すげぇ。
それに、国沢、初めて生で一人芝居というものを見ましたが、物凄いですね。
一人であれほど何人もの人格を表現したり、場面展開を表現したりするのって、並大抵の力量じゃできない。
もちろん、ロベール独自で考案した舞台装置のシステムが尋常じゃないほど優れているお陰でもありますが、役者が一人しか出ていない舞台で、あれほど濃厚な内容のものが見られるとは思いませんでした。
しかも地方の特権で、めちゃめちゃチケット代安かったし。なんでも噂では、東京でそんな値段では見られないぐらいの安値販売だったそう(大汗)。いいのか、そういうの。
おそらく、今後も東京では公演される機会も多いと思います。(東京では、ロベール自身が出演しているオリジナル版も相当回数公演されているようですから)
興味のある方はぜひどうぞ。かなりオススメです。
しかし・・・。
あんなセクシャルな問題をおおっぴらに扱った作品を、国家から依頼されて作っちゃうロベール氏も凄いですが、あんな内容のものを国家的に許してしまうデンマークの度量の大きさも痛感しました。
日本じゃ絶対に許されないよな~・・・。あんなの・・・。
[国沢]
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