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act.11


<燃える男>

  よもや、まさかここで、『コレ』が役立つ日が来ようとは。
 小泉芳は、自分の目前にいつぞや貰った大量の図書券を翳した。
 全部で、16万円分の図書券。一枚1000円分だから、枚数で言えば160枚。
 多量だ。本当に多量すぎる。
 これだけありゃ、本屋でなんでもしほうだい・・・邪な妄想が芳の頭を過ぎる。
 ── いや、今は集中だ、集中。そんな軟弱な思考に捕らわれている場合ではない。
 現在芳が企てている計画は、偉大な冒険であるとともに多大な危険をはらんでいるのだ。しかし、男としてここは、超えて行くべき試練なのである。そう、男子の股間・・・いや、沽券に関わる問題なのだ!!!
 芳は、両手一杯の図書券をぐっと握りしめ、勢いよく公園の公衆便所から飛び出した。
 周囲でノンキにくつろいでいたハトさん達も、芳の熱気に驚いてバタバタと羽ばたいていく。それと同時に、昼下がりの公園に集っていた団地の奥様達も、互いに眉を顰めながら宅のおぼっちゃん・お嬢ちゃんをひっ捕まえ、そそくさと公園を後にしていった。
 芳は、グレイ色に染まった視界の中で、周囲から感じる敵対的視線をなんとな~く確認した。思わず冷や汗が頬を伝ったが、それはすぐに顔の半分以上を隠す大きなマスクにすぐさま染み込んでいった。
 そう。
 この時の芳の扮装と言えば。
 父の部屋から拝借したパナマ帽に母の部屋から拝借したシャネルの大きなサングラス、そして口元は大きなマスクで覆われ、その全身は父の着古しのトレンチコートに包まれている。
 きっとその姿を想像した皆さんの頭の中には、この文字が浮かんだに違いない。
『ザ・変質者』
 本当は、芳だってそんなつもりはなかった。
 どうせ扮装をするなら、もっと格好良く、ハードボイルドに決めたかったのだが、如何せん芳の身近にはハードボイルドなグッズなど皆無だった。しいていえば初志貫徹できたのはトレンチコートぐらいだったが、残暑がまだ根強く残るこの季節のトレンチコートなど、誰がハードボイルドアイテムだと理解してくれようか。それは限りなく、ザ・変質者アイテムに近い。
 もちろんコートの下はちゃんと服を着ていたが、そそくさと去っていった団地妻達の視線は、そうは見ていないだろう。ましてや、その変質者扮装の下に、団地一の美形アイドル・小泉芳ッチが隠れているとは、予想もしていないだろう。
 しかし、計画の速やかなる遂行のためには、この扮装が不可欠だった。
 例え、美形キャラが台無しだと言われても、美形であることがなんの足しにもならぬ時だってあるのだ。
 よしと芳は己自身を励まして、自転車で駅に向かった。
 近場の本屋で作戦を実行に移すのは、余りにも危険過ぎる。
 それならいっそ、隣町まで遠征すべきなのだ。
 そう決心する芳に、「おいおい、おまい、明日のテストの勉強はどうした」と思わずツッコンでしまう作者。いずれにしても、小泉芳、こうと決めたら道を曲げる男ではない。それは、いい意味でも悪い意味でも、彼の想い人・芹沢真司に影響を受けてのことだった。
 駅に着いた芳は、遠目で駅前商店街の方向をちらりと見やりながら、改札を潜った。
 ── 今頃芹沢、どうしてるんだろう・・・。
 新学期に入って三日目、学校では今日実力テストの初日を迎え、それは明日まで続く予定になっている。
 お陰で午後三時頃からは放課となり、こうして作戦を実行するにはもってこいという状況になったが、学校で真司の姿を見ることは叶わなかった。当然、他のバンドメンバーとも顔を合わせていないから、真司がどんな様子であるか、情報が入ってこない。
 実のところ、芳は少し気にしていた。
 新学期早々、体育館の入口で覇気がなかった真司の様子を。
 なんだか、モロに恋わずらってる様子にも見えた。
 芳が笑いかけても、反応がまったくなく、むしろ顔が強ばってるようにも見えた。
 ── やっぱり俺、脈ないのかなぁ・・・・。
 車窓を流れる住宅地の景色を見つめる芳の頭の中に、再び『真司、霧島に恋してる説』がむくむくと起きあがってくる。
 いくら霧島にその気がないにしても、真司が好きだと思っているなら問題は以前として大きいわけで、あの真司のことだ。一度人を好きになったら、もう一直線にその人のことばかり考えているに違いない。そう、今の自分のように。
「あ~・・・。ツラ」
 ゴチンと電車のドアに頭を打ち付けた芳は、その弾みでパナマ帽がずり落ちそうになって、慌てて帽子を手で押さえたのだった。
 
 
 その頃、真司はというと相変わらず道場にいた。
 真司ははなからテスト勉強だなんてもの、生まれてこの方したことがない。強いて言えば、高校受験の時だけだが、そうとは言っても一般の受験生からしてみれば全然していない方である。それでも一応進学校である今の高校には入れたのだから、なかなかどうして強運の持ち主だ。
 真司が今の学校を選んだのは、あくまで家から一番近かったからということと、学校帰りに道場によるのに地の利がよかったからだ。彼の判断基準はあくまでその点オンリーで、そこが進学校であったとかなかったとか、余り深くは考えていない。だからクラス分けの選択でも、短大・就職コースのクラスにした。将来のことをまだ決めた訳ではないが、多分自分には、大学を出て大手商社に勤める・・・というような人生は待っていないだろうと彼自身は思っている。
 だから今日も、学校を出ると道場に向かった。
 これはもう習慣になっているので、頭で考えるより先に身体が動く。
 このところ、己の剣に集中できず、なんとなく中途半端さを感じていながらも、だ。
 制服から胴着に着替えて、念入りな準備運動を終わらせた後、いよいよ竹刀の素振りを始めようかとした時だ。
 道場の入口から、道場には不似合いな格好の男がふらりと入ってきた。
 袖口がすり切れたカーキ色のジャケットに同色のズボン。硬いキャンバス地のその風合いは、まるでアメリカの軍人からの払い下げであるかのようなイメージである。
 その時道場にいた他の門下生達から怪訝そうな視線を受けても、その男はまったく怯む気配もなく、裸足でのっそりと道場に上がり込んでくると、道場の片隅にいる真司の姿を見つけて、ニヤリと笑った。
「── よぉ、小僧」
 男は、ここの道場主・八島久蔵の次男、久重だった。
 長男の久隆は既にこの道場の後を継ぐべく会津で修行しているそうだが、この次男坊は根っから風来坊らしく、大学を出て以後家を飛び出しっぱなしでたまにひょっこりと帰省する。
 久蔵の話を聞くところによると、戦場カメラマンをしているらしい。「あのバカ息子が」というのが、久蔵が久重のことを語る上での常套句となっていた。
 幼い頃からずっとここに通っている真司は、もちろん久重のことを知っていた。しかしもう何年も前に会ったきりなので、その頃と比べると久重も年を取ったようだ。よく日に焼けた顔には、新たな皺と小さな傷が付け加わっていた。
「お久しぶりです」
 真司が頭を下げると、真司に近寄った久重は感心したように、ほぅと声を上げた。
「お前、傍に寄ってみるとデカイなぁ。でかくなるとは思ってたけど、とうとう追い抜かされちまったな」
 久重はそう言いながら、オーバーに真司を見上げてくる。
 真司は思わず苦笑いした。
 正直言って、今の自分の状態で久重には何となく顔を会わせずらいと感じていた。しかし、そういうタイミングで帰ってきた久重は、やはり彼らしいとも思った。
 実を言うと、久重は剣の腕で言えば長男・久隆を凌いでいた。そして、どんな猛者に対しても無敗神話を築き上げているあの霧島秀造に、県下で唯一土をつけた人間だ。
 とはいっても、霧島は元々東京の出の人間で、久重と霧島が剣を交えたのは学生時代、インターハイでのことだったらしい。
 
 
 「やー!!」
 鋭い掛け声と共に、竹刀が激しくぶつかり合う音がする。
 そんな道場の片隅で、真司と久重は壁に寄りかかりながら稽古の様子を眺めていた。
 今日はまだ道場主・久蔵の姿は見えない。所用で少し遅くなると昨日真司は久蔵から言付かっていた。
「何だかお前がここの跡継ぎだって言う方が様になるな」
 久重は、見慣れない門下生達を見つめながらそう言う。
 確かに年齢こそ真司より年上の人間はたくさんいたが、ここで一番の古株は真司だ。
 道場主がいない時は、皆自然と真司の様子をどことなく伺いながら稽古に励む節がある。久重は、少しの間で道場の中に漂う雰囲気を察知していた。
「それを先生が聞いたら、アンタ、またしこたま怒られるぞ」
 真司がそう言うと、久重はさも楽しそうにハッハッハと笑った。
 歯に衣着せぬ芹沢真司の気性が、久重はとても気に入っていた。
「ま、確かにな。剣道に向いてない兄貴は跡を継ぐために必死こいて修行してるってのに、剣道に向いてる次男坊はこんなんだしな」
 久重はそう言って、傍らに脱いだボロボロの上着をつまみ上げる。
「兄貴をバカにする権利なんて、俺にはねぇな。── で、どうよ。首尾は」
 久重がそう訊くと、真司はバツが悪そうに顔を顰めた。
 へぇ、そんな表情もするようになったのか、こいつは、と久重は心の中で感嘆する。
 小さな頃は、猪突猛進を絵に描いたような少年だったが、今の真司はどことなく憂いを帯びているようにも見えて、大人びている。思春期っていうことか。
「── ふぬけてるって言いたいんだろ」
 真司が口を尖らせて言った。心底バツが悪そうだ。
 久重は目を細めた。
「ふぬけてんのか」
「そんなの・・・自分じゃよく分からねぇ」
「確かに、ふぬけてるな」
 真司がパッと久重に顔を向ける。
「やっぱ、ふぬけてるか?」
「ああ、昨日の稽古を見てる限りじゃな」
 久重は、人差し指を竹刀に見せかけて面を打つ素振りを見せた。
 雄大との練習試合のことを言ってるのだ。
 確かに雄大に対して楽勝も楽勝だったが、いつもの真司の剣とは違っていた。
「昨日から帰ってきてたのか?」
「正確には、おとといの深夜から」
「昨日声をかけてくりゃいいのに」
「だってお前、あの試合の後、でっけぇタンコブ作った友達送って、大慌てで道場出ていったろ」
「── ああ・・・、そうだった・・・」
 真司は苦笑いする。
「で、友達は大丈夫だったのか?」
「ああ。タンコブ作っても、一応面の上から叩いただけだから、大事はねぇ。ただ、コブを見たおばさんはぶっ倒れてたけど」 
 久重は、またハッハッハと豪快に笑った。
「お前の友達はラッキーだったな。お前がふぬけててよ」
 久重がそう言うと、真司は益々苦々しく顔を顰めた。
「そうもふぬけた、ふぬけたって言うな」
「おっ、いっちょ前に傷つくってか?」
「── そうじゃねぇけど・・・」
 真司はそう言いながら、俯く。
「何だ、好きな人、できたか」
 返事は返ってこなかったが、唇を噛みしめている表情を見る限り、あたらずも遠からずといったところか。
 久重は何だか嬉しくなってしまう。にこにこが止まらない。や、他人が見れば『ニヤニヤ』か。
「いいことじゃねぇか」
 久重が大きな手でポンッと真司の頭を叩くと、真司は恨めしそうに顔を上げた。
「どこがいいことだよ。── お陰でまったく稽古にも身が入らねぇし、四六時中胸を上から押さえつけられてるみてぇだ。苦しいばっかで、いっこも楽しくねぇ」
「一応、恋してるっていう自覚はある訳だ」
「うるせぇ」
 顔を真っ赤にしながら唾を飛ばしている様が何とも青臭い。
 ああ、青春だなぁ、と久重にも甘酸っぱい感覚が蘇ってくる。
「お前が苦しい想いをしているって~と、もちろんうまくいってない訳だな。片想いか」
「・・・・」
「おい、どうなんだよ」
 久重が真司の足を乱暴に蹴ると、「多分」と口を尖らせて答えてきた。
「何だ、相手に好きなヤツでもいるのか」
「── 多分」
「相手の男は、お前が怯むぐらいの男なのか? そりゃよっぽどだな」
 久重が片眉を引き上げながらそう言うと、考えてもみない答えが帰ってきた。
「霧島さん」
「え?」
「だから、霧島さん」
 久重は、まじまじと真司を見つめた。
 仕事の現場で、数々の驚くべきことと顔を突き合わせてきた久重だったが、流石にこの真司の発言にはしこたま驚いた。
「── マジか?」
「マジだ」
「でもアイツ、妻持ち子持ちだぞ」
「でも、そう思うんだ」
 久重は、は~と息を吐きながら後ろの壁に頭をコツンとぶつける。
「ということは、お前の好きなヤツも霧島に対して片想いっていう訳か。── お前、初めての恋愛のくせに随分ハードル高いの選んじゃったな。・・・ま、お前らしいか」
 久重は、斜めに真司を見る。
「でも、相手もお前と同じなら、まだ脈はあると俺は思うぞ」
 真司がまたチラリと久重を見る。
「で、相手はどんな子だ。可愛いか」
「可愛いっていうか・・・。顔はいい、と思う。というか、皆そう言ってる」
「へぇ、美人か。で、性格は?」
「何か・・・一生懸命だ。いつも」
「ふぅん」
 真司がその子に惚れるのが、久重は分かる気がした。真司とよく似ているのかもしれないなと思った。
 久重は、もう一度ポンポンと真司の頭を叩いた。
「きっとうまくいく」
 真司は久重の手を避けながら、「何にも知らねぇくせして」とぼやいた。
 久重は、ニヤリと笑う。
「ちなみにお前、未だに霧島に勝てた試しねぇだろ」
 真司が、言葉には出さないが「どうして分かる?」という顔つきをする。
「俺だって伊達に、世界を跨いできた訳じゃねぇぞ。でも、今のお前なら、霧島に勝てるかもな」
 それを聞いた瞬間、真司がギョッとして姿勢を正した。
「本当か? 稽古にろくすっぽ身も入らねぇっていうのに・・・」
 久重は、真司の気持ちよく刈り込んだ額の生え際をペチと叩いた。
「だぁ~からお前は青いってんだよ。── お前がどうして霧島に勝てるか、訊きたいか?」
 真司は、ゴクリと喉を鳴らし、コクコクと頷いた。
 久重は身体を起こし真司の前に身体を移動させると、ゆっくりと口を開いた。
「それはなんでかって言うとな・・・」

 

公務員ゴブガリアン老舗 act.11 end.

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編集後記

さて!一週お休みをいただいてのゴブガリアン、いかがだったでしょうか!!
また新たなキャラクターの登場・・・っていっても、この人もあくまで端役なんで、今後そんなにでばってきません!(ということにしたい、本当に・・・)
とはいっても、またまた美味しい匂いを感じさせるオッサンです・・・(苦笑)。
こういうタフネスなおっさん、大好物です、国沢。
いろんなところでいろんなアバンチュ~ル(という名の悪さ)をしててそうで、興味があります。そして、あの霧島氏とも知り合い。
数年来に帰国したくせに、なぜ霧島が妻持ち子持ちと知っているんだ、八島久重!!!
またそっちの方の妄想も深まりつつ(笑)。
肝心のバカップルは、互いに今だ誤解しっぱなし(青)。
しかも、芳に至っては、もはや変質者(爆笑)。
わっはっは。
どんどん美少年の殻をぶちやぶりやがってますよ~~~~~~。
こういう芳君、すごく好きです。
国沢、ホント鬼でしょ(笑)。
ただの美形でいさせてもらえないのよね。酷いわ、ホント。
芳の受難はまだ続くのであります。

[国沢]

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