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nothing to lose title

act.36

<side-CHIHARU>

 僕が荒々しく唇を奪うと、シノさんはとても驚いた顔をして、ただ無抵抗に僕からの暴力的なキスを受けていた。
 僕はそのまま、ラグの上にシノさんを押し倒す。
 シノさんは黒目がちのその瞳を大きく見開いて、僕を見上げていた。
 僕はそんなシノさんの目を見ないようにしながら、ジャケットを広げ、中のシャツを掴むと、勢いに任せてボタンを引きちぎり、シノさんの胸を暴いた。
 その間、なぜかシノさんは抵抗するでもなく、一切声も上げないで、じっとしていた。
 いきなり僕が乱暴に扱ったから、きっと驚いて、どうしていいかわからなくなってるんだ。
 僕の耳には入るのは、ただ僕の荒い息づかいだけ。
 恐ろしく獰猛で、残酷な、獣の息づかい。
 シノさんはきっと怯えているに違いない。
 いっそその方が、僕のこの苛立ちを慰めてくれる。
 もう何もかも、メチャクチャに壊してしまいたい・・・!
 僕は、もう一度シノさんの唇を襲おうとして、シノさんの顎を乱暴に掴んだ。
 顔を近づけようとして、ハッとする。
 僕を魅了し続ける、あの真っ黒で大きな瞳は、僕に怯えてなんかいなかった。
 それはとてもとても静かな色を湛えて、僕を・・・ただ僕だけを映していた。
 恐ろしいほど純粋で澄み切った瞳。
 そんな美しい瞳に、濁った欲望を露にした醜い男の姿が映っていた。
  ── 僕は一体、何をしているんだろう。
 シノさんは、何も訊かず、僕を受け入れようとしてくれている。
 そんなシノさんに、僕は何をするつもりなのか。
 そう思ったら、両手がブルブルと震え始めた。
 僕は、シノさんを掴んでいた手を離して、身体を起こす。
 そのまま肩で息をしながら、シノさんから身体を背けた。
「出て行ってください」
「 ── 千春」
「お願い。本当にどうか、出て行ってください・・・!」
 僕は震える両手で顔を覆った。
 もうシノさんを見られない。
 苦し過ぎるよ。
 もう、耐えられない。
 吹越さんに会った事で、あの時のトラウマがよみがえる。
 つまりはそれは、シノさんというかけがえのない大切な存在を、またも手放さなければならないという苦痛。
 今夜の再会は、吹越さんに受けた仕打ちよりも、シノさんを失う事の方が僕に取って大きな苦しみだということを痛感させられた単なるきっかけとなってしまったんだ。
 嫌というほど、僕の心は、僕に反抗してくる。
  ── ああ、シノさん、好きだよ。好き過ぎて耐えられないんだ、こんなのは。
「千春」
 シノさんはもう一度僕の名を呼んだが、僕は両手で顔を覆ったまま、頭を横に振り続けた。
「どうか・・・、どうか・・・。僕の事を少しでも哀れだと思う気持ちがあるんなら、どうか独りにしてください・・・! お願い・・・」
 しばらくシノさんはその場にいたが、やがて空気が動く気配がした。
 やがて、ガコンと玄関のドアが閉まる音がする。
 冷たく響く、鉄の音。
 僕には、墓場の蓋が閉まる音のように聞こえた。

 <side-SHINO>

 翌日。
 俺は千春のことが気にかかりながら、会社に出勤した。
 会社に行きしな、千春の部屋のチャイムを鳴らしてみたが、当然返事はなかった。
 バスの車窓を流れる風景も満員電車の混雑も、いつもと同じ景色なのに、まるで灰色に見えた。
 千春が、あんなになるなんて。
 子どものように泣きじゃくって、獣のように俺を押し倒した。
 俺はそんな千春が怖くもあった。
 ・・・けど。
 それで千春の哀しみが癒されるのなら、それでもいいって俺は思ったんだ。
 例え、どんなに酷く扱われたって、俺は大丈夫なんだって思えたから。
 だって、千春なんだから。
 あんなに俺のことを気遣ってくれて、励ましてくれた人だから。
 俺は、もっともっと君を理解すべきだった。
 強いとばかりずっと思いこんできた。
 でも、そうじゃなかったんだよな。
 葵さんが言っていたように、君にだって、他の人と同じ弱さが心の奥底にあったんだ。
 それなのに君は、それを表に出すことを決してしなかった。
 そうさせたのはきっと、この俺や君を取り囲む人達が、君をその場所においやったんだ。
 いつも超然としていて、冷静で、頭がよくて、何でもできて、ちょっと冷たくて、でも困ってる人間を見るととてつもなく優しくなる人。
 俺達はいつしか、君にそんな完璧な仮面を付けるように強制した。
 君は自分こそが罪人だとでもいうような顔をしてみせたけど、本当に悪いのは俺だよ、千春。
 君にそんな顔をさせたのは、俺だ。
 俺がきちんと自分の気持ちと向き合っていれば、きっと君があんな顔をすることはなかったのに。
 ── 俺は、千春のことが好きだ。
 あんなに彼女が欲しいって連呼してた俺だけど。
 本当に好きなのは、千春、君なんだ。
 男同士の恋愛なんて最初は想像もしなかったけど、初めて肌を合わせた時から、俺は君に愛されることが嬉しくて仕方がなかった。
 君と過ごした時間全てが、愛おしかった。
 いつもそこにいるのが当たり前になっていて、俺はそれに甘えて、自分のこの感情が一体なんなのかということにきちんと決着をつけなかった。
 自分がそんな甘い感情に捕われている事に目を向けるのが何だか凄くテレくさくて、そんなことをしなくても千春なら何となくわかってくれているんじゃないかって、勝手に都合よく思い込んで。
 自分のこの気持ちが、「千春を好き」だというところから全て沸き上がってくるんだってことに、ちゃんと答えを出さなかったんだ。
 もっと早く、そのことをはっきり千春に伝えていれば、千春はあんな顔をせずに済んだのかな・・・?
 でも、今頃になって・・・君に拒絶されてから、こんなことを思うなんて、俺は卑怯だよな。
 ── ごめん、千春。ごめん・・・。
 俺は、電車からホームに押し出されるようにして出た。
 それでも立ち止まっている俺に、何人もの人がぶつかっていく。
 皆、一瞬迷惑そうな顔をして俺を見たが、俺の顔を確認するとちょっと驚いたような、そして気まずそうな表情を浮かべ、去っていく。OL風の女の子には、足先から顔までジロジロと怪訝そうに見つめられた。
 俺は、自分の頬に手を当てた。
 濡れた感覚。
 俺は、ラッシュ時のホームのど真ん中でバカみたいに泣いていた。

 「課長、今日、早引けしていいですか」
 会社に出勤したなり、俺がそんなことを言い出したんで、課長は目を白黒させた。
「おい、なんだよ、朝っぱらから。まぁ、大事なイベントは昨日終わったらから一先ずは構わないが・・・それで? 何時から早引けしたいんだ」
「今からです」
「はぁ? お前、何言ってんだ?」
 課長が口を歪めた。
 俺の顔を見た途端、課長は口を噤んだ。
「・・・なんだ、お前、マジに言ってるのか」
「はい」
 課長は赤くなった俺の目に気がついたのだろう。
「体調が悪い訳じゃないんだな」
「はい」
「どうした? ご家族にご不幸でもあったか」
「いいえ」
「じゃどうしたんだ。理由をきかねば、許可も出せん」
「好きな人を失いそうです」
 俺がそう言うと、課長はポカン口を開けた。
 課長の隣に席のある田中さんも、同じような表情を浮かべている。
「おっ、お前、本気でそんなこと言ってんのか?」
「はい」
「仕事とプライベートは別だっていうのは、社会人としての常識だろう」
「わかっています」
「それでもお前は、早引けしたいのか」
「はい」
「・・・それならお前、ズル休みすりゃよかったじゃないか」
「会社に来る時に、思いついたので」
「それにしたってだなぁ・・・。── ま、変なところまで律儀というか、真面目というか。全く、お前らしいがな」
 課長はそう言って苦笑いを浮かべる。
「明日は、ちゃんと出社するんだぞ」
「ありがとうございます」
 俺は一礼すると、身を翻して部屋を出た。
 田中さんの「頑張って!!」との声が、俺の背中を押してくれた。

 俺は、さっき乗ったばかりの電車にまた乗り込んで、月島に取って返した。
 途中何度か携帯を鳴らしたが、千春は携帯の電源を切っているようだった。
 何だか物凄く胸騒ぎがする。
 不安で不安でたまらない。
 早く、早く千春の声が聞きたい。顔が見たい。
 ── 千春・・・千春・・・!
 駅に降り立つと、タクシーを捕まえた。
 バスなんて悠長に待ってられない。
「運転手さん・・・、急いで!」
 俺があんまり急かすものだから、タクシーの運転手も前のめりになって運転してくれた。
 マンションの前に降り立つと、俺は階段を駆け上がって、303を目指した。
 303のドアは、朝と何ら変わらない様子で閉まっていた。
「千春! 千春!!」
 俺はチャイムを数回押し、ドアを何回も叩いたが、まるで応答がない。
 気付けばドアを叩く俺の手は真っ赤になっていたが、そんなの構っている場合ではなかった。
 あんまりしつこくドアを叩いていたのが迷惑だったのか、302の主婦がドアを開けて顔を覗かせた。
「お隣さんなら、30分前に出かけましたよ」
「どこに?」
 俺がそう訊くと、「そんなの、私が知る訳ないでしょ」と言われた。
 確かに、そうだよな。
 どこに・・・どこに行ったんだろう・・・。
 そうこうしてたら、マンションの管理業者の人が姿を現した。
 303の前に立つ俺を、怪訝そうに見る。
 俺が頭を下げると、「あ、篠田さんですか」と俺に気がついた。
「どうされました? 何か、トラブルですか?」
 彼は心配げに俺に話しかけてくる。
「え? どういう事ですか?」
「今朝ほど、突然連絡がありまして。成澤さん、お引っ越しを希望されるとかで。こちらとしては、一ヶ月前にお知らせしていただくのが条件ですので、そこら辺を直接会ってお話しようと思いましてね・・・」
 俺はそれを聞いて、愕然とした。
  ── 何でだよ、千春。どうして・・・・
 
<side-CHIHARU>

 目の前で、岡崎さんがせわしなく電話をかける。
「 ── ええ、ええ。今日運んでもらえます? 夜までに。ええ、急で申し訳ないんですけど。はい、すみません」
 その背後では流潮社の社員が、様々な荷物を持って右往左往していた。
 僕はと言えば、仕事場のだだっ広い部屋にあるソファーにポツンと座って、ぼんやりと空を見つめていた。
 岡崎さんが、僕の向かいに座る。
「ねぇ、どうしたの? 急に仕事場の方に寝床を移すって。どんな心境の変化よ」
 僕は溜め息をついた。
「本腰入れて、執筆活動に力を入れたいと思っただけですよ」
 僕がそう言っても、岡崎さんはあまり信用していないというような表情を浮かべた。
「本当にそう思ってるの? まぁ、嘘でも、こちらとしてはいいことだけど」
「家具は部屋に入りそうですか」
「ええ」
 岡崎さんは、分厚いスケジュール帳をソファーの上に投げ置いた。
「仕事部屋以外の部屋は書籍の物置と化していたから、そこを片付ければ大丈夫でしょ。リビングダイニングもほとんどモノがなかったから、丁度いいわ。ま、月島のマンションはただでさえ、あなたに取っては不釣り合いなところだったんだから、よかったんじゃないかしら」
  ── 不釣り合い・・・か。
 そうだね。
 僕が、過去のよき思い出に縋り付き過ぎたんだ。
「それにしても酷い顔色よ。ちゃんと休んでいるの? 夜遊びも程々にしてね」
 岡崎さんの小言を聞きながら、僕はソファーに横になった。
 そっと瞳を閉じる。
 もう何も考えたくない。 ── 何も。
 あのまま月島のマンションにいたら、きっと僕はシノさんを傷つける。
 精神的にも、肉体的にも。
 それなら、物理的に離れてしまえばいい訳で。
 だから僕は、ほとんど夜逃げ同然の心境で仕事場に転がり込んだ。
「それで、携帯はどうしたの? 今日かけても、全然繋がらなかったけど」
「 ── 壊しました」
「ええ?」
 岡崎さんが僕の前にしゃがみ込んで、顔を覗き込んでくる。
「本当に大丈夫? 何があったの?」
「話したくありません」
 岡崎さんは溜め息をついた。
 僕がそう言うと、絶対にしゃべらないことを彼女はわかっているからだ。
 さすがのキャリアウーマンの彼女も、まるで母親のような顔つきをして僕を見ると、少し中座してタータンチェックの膝掛けを取ってきて、それを僕の身体にかけた。
「今日の予定はどうする? キャンセルしましょうか?」
 岡崎さんは、僕の前髪を指で掻き上げながら、そう言う。
 僕はウンと頷いた。
「わかったわ。しばらく休みなさい。ここのところ、私達も本業以外の仕事をあなたに頼み過ぎていたかもね。引っ越しは、業者さんにしっかり頼んでおいたから。夕方には来てくれるはずよ。取り敢えず家具の配置とかは、こちらで指示を出しておくから、気に入らなければ後で自分で直しなさい。じゃ、夕方、また来るわ。いいわね」
 僕はまた、無言で頷いた。
 もう、喉がぴったりと張り付いたような感覚で、一生声が出ないような感覚だった。

 

all need is love act.36 end.

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編集後記

先週、あまりにも酷い内容だったせいか、読み手の皆様の反応がまったくなかったので、ちょっと不安になった国沢です(大汗)。

感想目当ての更新からは卒業しよう!とかたく誓った国沢なのですが、オルラブをアップし始めて、皆さんがまったく「無言」っていう状況がお初だったので、普通にびびっちゃいました(笑)。

千春をイジメ過ぎたかな・・・おいら・・・(青)。

とはいっても、今週も二人に取っては修行の回です。
ということで、国沢の「無言」の業(とはいっても自分が無言じゃなくて、無言を受ける業なのですが)もしばらくは続きそう。
皆さん、こんな酷い作者で、すみません(脂汗)。
でも、千春の鎧は堅いのよ・・・。簡単には壊れないのよ・・・。

ぶっちゃけ、しばらく二人が離ればなれの状況が続きますが、なにとぞ最後までお付き合いいただければと思います。
これからは、シノくんがチー様を追いかける番です。

[国沢]

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