act.11
<side-SHINO>
目が覚めると、まず頭が痛かった。
「う~~~~~」
俺は、ベッドの上で唸り声を上げた。
間違いない、二日酔いだ。
夕べは、調子に乗って強い酒を速いピッチで飲み過ぎた。
だって、途中から記憶ないもの。
うわ~・・・、こえぇ。
酒で記憶なくしたのって、どれぐらいぶりだろう。
いつもはそうならないように用心してあまり飲まないようにしてたんだが、夕べは成澤くんがいたせいか、彼のペースに合わせて飲んでしまった。
しかし成澤くん、酒、強すぎだよ・・・。
俺は頭を抱えて、ハァと溜息をつく。
と、枕元にあった携帯が鳴った。
メールだ。成澤くんからのメール。
『おはようございます。起きたら、朝食食いに僕の部屋に来てください。ー 千春』
と書いてある。
「相変わらず、いい人だなぁ・・・。ホント、見かけによらず」
俺は、夕べ朧気に残る記憶の中の、魔王のように怖い形相をした千春くんの顔を思い出していた。それでも、そんな顔してたって、やっぱりキレイだったんだけどね。まぁ、キレイだからこそ余計凄みがあるというか(汗)。
俺は携帯を閉じて初めて、部屋の中の様子が変わっていることに気づいた。
「 ── 部屋ん中、きれいになってる・・・」
床に散らかり放題だった雑誌は、ベッドサイドにきちんと重ねておいてある。
脱ぎっぱなしにしてあったYシャツやTシャツは、どこかに消えてなくなっていた。
俺は携帯を持ったまま部屋を抜け出すと、ダイニングも覗いてみた。
ダイニングもきれいに片付いている。
床に散らばっていた郵便物は、新聞とあわせてダイニングテーブルの上に重ねてあった。
その隣には行方不明だったテレビのリモコンにボールペン数本と角がヘコンだティッシュボックス。
スーパーのビニール袋は小さく三角形に折りたたまれて、キッチンの作業スペースに纏めて置かれてあった。
飲みかけそのままだったマグカップも洗われて、カゴの中に置かれている。
俺は頭の痛さも吹き飛んで、洗面所に向かった。
少々慌て気味に、洗濯機のフタを開ける。
あちらこちらに散乱していた衣類やタオルで一杯になっていた。
俺は顔を上げて、キョロキョロと眼球を左右に動かした。
── 散らかっているものが、勝手に片付くはずはないよな。そうなるってーと、つまり・・・
「千春くんが片付けてくれたんだ・・・」
俺は、顔が真っ赤になっていくのを感じた。
── これじゃ、どっちが年上かわかったもんじゃない・・・。
俺は再び溜息をつくと、昨日から着っぱなしになっている汗くさいYシャツを脱いで、洗濯機に突っ込んだ。
液体洗剤を入れ、フタをしめてボタンを押す。
水が多量に流れ込む音を聞いてから、俺は洗面台の鏡に目をやった。
二日酔いのワリに、顔色は悪くなかった。
久しぶりに、随分ぐっすり眠れたような気がする。
千春くんに、あれやこれやとグチったからかな・・・。
ホント、俺、ひでぇよな。
夕べは多量に汗を掻いたから、Yシャツを脱いでもまだ汗くさかった。
二日酔いの時はあまり風呂には入らない方がいいのだが、俺はまずシャワーを浴びることに決めた。
さすがにこんな有様で千春くんの家には行きたくない。
俺は、『あと30分ほどしたら、行きます』と返信して、風呂場の戸を開ける。
そこで俺はハッとした。
「パンツ!!」
俺は慌ててズボンとパンツを脱ぐと、今し方回り始めた洗濯機に、パンツを放り込んだのだった。
風呂上がりに白のTシャツとチノパンを着て、俺は少々慌て気味に千春くんの部屋のチャイムを押した。
なんだかんだいって、30分を5分ほど過ぎてしまった。
ドアが開く。
白いタンクトップの上からブルーのストライプシャツを羽織った千春くんが立っていた。下は洗いざらしのジーンズに裸足。
朝から本当に隙がなくて、モデルが立っているみたいだ。
「お風呂、入ってたんですか?」
俺の湿った髪を見て、千春くんが少し眉間にシワを寄せる。
「うん、汗くさかったからさ・・・」
「でも、アルコールを抜くのには、よくないのに」
千春くんが中に入るよう促してくれる。
「それは分かってたんだけどさ。流石に昨日の汗まみれのままじゃ、あんまりだろ。それに・・・── ああ、そういえば、部屋、片付けてくれてありがとう。千春くんだろ? 片付けてくれたの」
前を歩いていた千春くんが突然ぴたりと止まる。
「おっと」
危うく背中にぶつかりそうになった。俺は千春くんの背中に両手をつく。
千春くんは、首だけ僕の方に向けた。
千春くんの横顔が、怪訝そうに少し歪んでいる。
「今、僕のことを『千春くん』って呼びました?」
へ?
俺はそう指摘され、ようやく気がついた。
そそそ、そうだ。勝手に『千春くん』って呼んでた!! えっと、い、いつからだろう???
「ご、ごめん! 俺、断りもなく・・・」
「そんなことはどうでもいいんですがね。── あんまり僕を驚かせないでください」
彼はそう言って俺から視線を外すと、胸を押さえてハァと息を吐いた。
「ええと・・・成澤くん」
俺がそう呼び直すと、今度はキッとした目で俺を見た。── 出た、出たよ。ブラック・チハル。
「今更、『成澤くん』はないでしょう。千春でいいです。千春と呼んでください」
「じゃぁ、千春くん」
「 ── 『くん』もいりません」
「え? 呼び捨て?」
「だって篠田さんの方が年上だし。・・・そうだ。僕も篠田さんのこと、『シノさん』と呼ぶことにします。会社の人にそう呼ばれてたでしょ?」
「まぁ、確かにそうだけど・・・。って、何でそれ、知ってるの?」
「 ── 教えない」
彼はそう俺を切り捨てて、さっさとダイニングに向かってしまった。
こ、これが成澤千春のドSぶりか。
快感というよりは、ただ心臓がドキドキする。
── オジサン、この刺激に耐えられるかしらん・・・(汗)。
俺は、千春くん・・・いや、千春の後を追った。
「まずはこのコップ一杯のお茶を飲んで。熱いですから気をつけて」
俺は千春に言われるまま、キッチン側の壁付きに置かれたアンティーク製のダイニングテーブルについた。椅子も古びているが、よく手入れされていて座り心地がいい。うちみたいな安売り家具とは全然違う。
俺は、千春の出してくれたお茶を啜った。
んん? 何、このお茶。酸っぱいというか、出汁っぽい味がするというか・・・これ、お茶?
俺が首を傾げていると、千春は向かいの椅子に座り、俺と同じものを同じように啜った。
「梅醤番茶です。二日酔いにいいんです」
「え? うめ・・・??」
「うめしょうばんちゃ、です。祖母から教えてもらった生活の知恵ですよ。十代の頃、僕がイキがってまだ未成年なのに酒をがぶ飲みした次の日に、祖母にこっぴどく叱られながら飲んだ記憶があります」
千春はぼんやり宙を見つめながらそう呟くと、頬杖をつきながら軽く息を吐いて、またお茶を啜った。
「ふーん・・・」
俺は、湯飲みの中を覗き込む。潰された梅肉とすり下ろされたショウガがくるくると回っていた。
確かに、おばあちゃんの味って感じだな。
千春は外に出ると全く生活感を感じさせないけど、こうして家にいると途端に雰囲気が柔らかくなる。特にさっき、おばあちゃんの話をしている時の顔は、まるで少年のような顔つきをしていた。── 何か、少しだけ彼を身近に感じられる。
「全部飲みました?」
しばらくして、千春が俺の湯飲みの中を覗き込んできた。
「う、うん・・・」
「じゃ、朝食準備します」
湯飲みを取り上げられて、代わりに新聞を渡された。
俺は新聞を開きつつ、その上から目だけを出して、キッチンに向かう千春の後ろ姿を盗み見た。
背が高いから、キッチンが無駄に低く見える。
俺もそうだが、使いにくいんだよな。この高さ。
迷いのない手際ながらも少々気怠い雰囲気の所作が、何だか艶っぽい。
── 美人だよなぁ・・・。
そう思っていると、千春がこちらを振り返った。
俺は慌てて、新聞を引き上げる。
「── 何ですか?」
「何が?」
「見てたでしょ? さっき」
「そう?」
俺がしらばっくれると、広げた新聞紙の上に長い人差し指がにゅっと伸びてきて、バリバリという音を立てながら新聞が下に押し下げられた。
「白状しないと、朝食、あげませんよ」
俺を見下ろすブラック・チハル。
俺は下から彼を見上げつつ、「見てました」と白状した。
朝食より何より、千春の目が怖い。目が。
「何だっていうんです?」
またキッチンに向き直りながら、千春は言う。
「いや・・・千春に好きになってもらう恋人は、きっと幸せなんだろうなって思って」
背中を見てるだけで、彼が苦笑いをしたことが分かった。
「なぜ、そう思うんです?」
千春は、テーブルの上に朝食を並べながら、そう訊いてくる。
俺は目の前に置かれたクリーム色のおかゆを見て、逆に質問した。
「これ、なに?」
「干し貝柱のおかゆです。干し貝柱は、肝臓の働きを助けてくれるので」
「── ほら。こんなことできるの、男女問わず滅多にいないと思うよ。だって干し貝柱って、俺も商品として扱ってるから分かるけど、夕べから下準備しないと使えないんだぜ? こんなに相手のこと考えてよくしてくれるのって、凄いって思うんだけど」
千春は向かいに座って溜息をつくと、右手で顔を覆いながら天を仰いだ。
「僕も、自分がこれほど『つくせる男』だとは知りませんでしたよ」
「そうなの?」
俺が訊くと、千春はまるで何かに観念したように、2・3回頷いた。
「もし僕が女性だったら、僕をお嫁さんにもらってくれますか?」
「え?!」
「── もしもの話ですよ」
頬杖ついて俺を見つめる千春の視線にあてられたのか、何だか頬が火照ってくる。
「そ、そりゃ・・・こんなにキレイで片付けも料理もできる人なんだから・・・俺にはもったいないぐらいのお嫁さんになれるよ」
「へぇ。シノさん、僕のことキレイだと思ってくれてるんだ」
「君のことキレイだと思わない人間なんて、いるのか?」
「そりゃ、いるでしょうよ。好みなんて人それぞれだし。ちなみに僕は最近、柴犬が好きになりましたけどね」
「柴犬?」
「ええ。特に黒いヤツとか。可愛いですよね・・・凄く・・・。── さ、おかゆ、冷めないうちに食べましょうか」
「う、うん」
俺達はしばらく無言で、朝食を食べた。
「 ── ありがとう。凄く美味かった」
「そうですか。よかった」
千春は食器を片付けながら、「今日は終日休みでしょ?」と訊いてきた。
「うん。うちは基本、週休二日制だからね」
「じゃ、シノさん、取りあえず少し・・・絞りましょうか、身体」
「へ?! お、俺、太ってる?」
俺は、自分の身体を見下ろした。
「いや、太っている訳じゃなくて。今までついてた筋肉が脂肪へと緩んできかけてるんです。夕べ、シノさんを担いで帰ってきた時、ちょっと思ったんですよね。── 学生時代、なにか運動してました?」
「ずっとバレーボールしてた」
「なるほど。で、今、運動は?」
「仕事の六割が肉体労働だから、別に構わないと思ってた・・・」
「それじゃ、使う筋肉が決まってくるでしょ。それ以外の筋肉は緩んできますよ。── ほら」
千春は布巾で手の水滴を拭った後、俺の側までやってきて、脇腹を指で摘んだ。
── ムニュといった感触。
次の瞬間、俺達は顔を見合わせ、ハハハと同時に笑った。
「筋肉が戻ればまた代謝が上がって、他の部分もどんどん締まってきます」
「はぁ・・・。千春も鍛えてるのか? 身体」
「ええ。それなりにやってますよ。職業的には必要ないですけど、自分的にブヨブヨする己の身体が許せないだけです。脂肪で弛んだ肉体ほど醜いものはありませんから」
「出たー、ナルシス発言」
「でも事実でしょ。シノさんだって、シノさんらしい身体をつくれます」
「ホントかなぁ・・・」
「ええ。僕の通っているジムに行けば、すぐです」
そう言って千春は、実に屈託のない天使のような笑顔を浮かべた。
<side-CHIHARU>
「いででででで~~~~~~!! 無理! 無理無理!!」
「はい、篠田さん、こっから頑張って~~~~!!」
「せっ、先生っ、俺の腕は、そっちの方向には曲がりません!!」
「い~や、絶対曲がるから!!」
「うわ~~~~~!!!」
僕は、シノさんの奮闘を見て思わずクスクスと笑ってしまう。
僕が通うジムは、最小限の動きで筋肉を鍛えていくタイプのところで、大きなマシンなどはない。
その代わりトレーナーがマンツーマンでついてフォームを修正していくので、一切の妥協は許されない形になっている。
使う道具はダンベルとかゴム製のベルトだとか凄くシンプルなものだけだが、ゆっくりとした動きで筋肉を鍛えていくので、見た目以上にきついのだ。
「シノさん! 頑張って正しいフォームを覚えてくださいね。ある程度筋肉が戻ったら、あとは一日たった5分だけ自宅でやればいいですから」
僕がフロアの外から呑気に声をかけると、シノさんは基本中の基本のスクワット体勢のまま、顔を真っ赤にしながら派手に顰めつつ、叫んだ。
「わっわっわっ、分かった! 分かったけどっ!! せ、先生!! これ以上腰を落としたら、尻が背中まで割ける!!」
「割けるか、んなもん!!」
トレーナーから背中に喝を入れられて、シノさんは悲鳴を上げている。
僕はとうとう吹き出してしまった。
ホント、可愛くて、ウケる。
「あら~、めっずらしい! 成澤くんが爆笑してる。こりゃ雪でも降るかな、今晩」
僕は右から聞こえてくる声に、顔を向けた。
「葵さん」
ジム仲間の葵さんだ。
彼女はプロのベリーダンサーで、確か30代半ばという年齢だったが、まさにフェロモンの塊といった美女だ。
彼女は僕が十代後半に夜遊びを始めた頃からの知り合いで、今では『澤』と僕の事を呼ぶ人が多い中で、『成澤くん』と僕の本名を呼ぶ数少ない友人の一人だ。彼女はバイセクシャルで、生きる上で同じマイノリティーとしてのつながりもあるから、僕もずっと縁を切らずにきた。
「なんだか楽しそうじゃない、今日。誰、あれ? 新しい彼氏?」
葵さんにそう言われ、僕は顔を顰めた。
「違いますよ。彼は僕の生徒です」
「生徒?」
「ま、話すと長くなるんで」
「ふ~ん・・・」
葵さんは、再びシノさんに目をやった。
「先生! 太ももの震えが、とっ、止まんなくなってきた!! これ、おっかしいんじゃないのっっ!!?」
「そぉだ! それがいいんだ!! その震えが、筋肉を育てていくんだよ!!」
その様子を見て、葵さんも笑い出す。
「やだ、なんだか先生、凄く楽しそう。久々じゃない? 新入生は。どんな屈強な人でも、初日は絶対にああなるものねぇ。あはは、なんだかドギマギしてる感じが可愛いわね、彼」
僕は、葵さんの発言にドキリとする。
昨日、西森さんもそんなこと言っていた。
やはり見る人が見れば、シノさんは今でも十分魅力があるということだ。
── しかし、本人がそれを認めてないんじゃな・・・。
「葵さんも可愛いと思いますか?」
「『も』ってことは、成澤くんもそう思ってるんでしょ?」
「そう思っているのは、僕ではないです。第一、彼はノンケですから。対象外です」
「そうなの?」
葵さんからマジマジと見つめられる。
「そうですよ」
しばらく僕は、葵さんと見つめ合った。
葵さんはプッと頬を膨らませると、僕の胸を叩く。
「ホント、この子は目の表情すら読ませないんだから。まったく、可愛いげのない子」
「そんなこと言うの、葵さんぐらいですよ」
僕がそう言うと、葵さんは派手に顔を顰めた。
「やだ。みぃ~んなそう思ってるわよ! 誰もが成澤くんのこと怖くて、直接君に言わないだけ」
── ま、それは確かにそうなんじゃないかって思うけど。
葵さんはペットボトルの水を少し飲みながら、フロアを見る。
「でもま、いいお友達見つけたじゃない、あなた。今まで成澤くんが引き連れてた人種とは全然違う。凄く『健全』って感じ。せいぜい大切にすることね」
葵さんはセクシーな微笑みを浮かべると、背中越し手を振りながらジムを出て行った。
all need is love act.11 end.
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編集後記
いかがだったでしょうか? 本日のオルラブ。
思えば、この頃から篠田くんと千春の会話を書くのが楽しくなってきた頃でした。やっとエンジンがかかってきたというか。
会話だけきいてると、書いてるこっちも「もうお前ら、とっととつきあっちまえよ」と思う事しばしばなんだけど(笑)、それじゃ、小説書いてることにならんからな(汗)。
千春はこれからどんどん篠田くんに振りまわされて、一方篠田くんは千春のドS攻撃に怯える(笑)ことになっていく・・・と。そういうことですね。
いや~、楽しくなってきたわ。←完全に作者のみの萌えとしたら、皆どん引きだ(汗)
でも書いてる本人が楽しまないと、やっぱ読んでて楽しいお話はできないんだ!と思いつつ。強引グマイウェイの精神で参りたいと思います。
先週の貧血騒ぎでは、ご心配をおかけいたしました(汗)。
アドバイスのおかげで、焼き肉食べにいったら、翌日貧血が改善されました!
(爪の色が戻ってきた)
いやぁ~、肉、効きますね。牛肉。
今度から、貧血気味に陥ったときは焼き肉食べることにします。
[国沢]
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