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act.16

第六章 地球にとってのガン細胞

<side-CHIHARU>

 僕は、腕時計を見て溜息をついた。
 しかしそれは無意識にしていたことらしく、岡崎さんに指摘されるまで自分自身気がついていなかった。
「── 澤くん、さっきから腕時計見過ぎ。それに、溜め息も露骨なんだから。タダでさえ、君は目立つのよ。大先生から目を付けられたらどうするの?」
 僕の隣に立つ岡崎さんは、器用に前を向いたまま、僕の無意識の行動にツッコミを入れてきた。
 僕が専属契約している流潮社の重鎮作家・長田計子の出版記念パーティーだった。
 作家に上下関係もくそもないと思うが、彼女のパーティーは流潮社と契約している作家がほぼ全員出席することが常となっている。
 長田計子は、その作風と同様に派手派手しいことが好きだから、70過ぎた今でもチヤホヤされることがお好みらしい。
 前回のパーティー、僕は具合が悪くなったと嘘をついてドタキャンしたのだが、今年はそんなことがないように、僕の体調管理をきちんとしろとわざわざ編集部にお達しがくだっていたらしい。どうも僕は、長田計子に気に入られているようだ。
 その長田計子は、今壇上で取って付けたような演説を行っている最中だ。
「何か、気になることでもあるの?」
「ええ、まぁ。ちょっと友人と約束してまして」
 今日はシノさんがジムに行く予定の日だった。
 ジムの予約時間は約二時間後だが、品川にあるこのパーティー会場から月島に戻り、僕の車に乗り合わせてジムまで向かう時間を考えると、あと1時間以内にはここを出なければ間に合わない。シノさんは自分の車を持っていないから、僕の車がなければジムまで行く道程が少々面倒くさいことになる。
「その約束、何とかならないの? 別の日にしてもらったら? このパーティーより大事なこと?」
 岡崎さんにそう言われ、僕はカチンときた。
 そんなの、大事に決まってるだろ。
 こんな化粧臭いバァさんをひたすら讃えるバーティーなんかより、シノさんを連れてジムに行くことの方が大切に決まってる。 
 シノさんがジムに通い始めて3週間経ったが、シノさんは根気よくジム通いを続けていた。
 万が一今日キャンセルするとなると、その分のレッスン代を無駄にすることになる。レッスン代はそれなりの金額だったし、レッスン代はシノさん自身が支払っていたから、それを僕の都合でふいにするわけにはいかない。── まぁホントいうと、別に僕が付き添わずにシノさんが自力で行くって方法もあるけど。でもそれは僕が嫌だった。
 渡海さんに変な指摘をされて以来、僕は自分の感情に一線引くことを努めてきた。
 仮に僕が本気でシノさんのことを好きだとしても、それをシノさんに悟られてはならない。
 幸い、シノさんは『超』がつくほど鈍感な人だったから、彼が僕の気持ちに気づくはずがないことは、絶対的な自信があった。感づかれれば、うまいこと言って誤摩化すことは、他愛のないことだ。僕は嘘をつくことに何の抵抗感も抱かない男だから。
 だから少しの間だけ、シノさんのことを見てたって許されるはずだと、僕は高をくくったんだ。
 シノさんが奥塩原から帰ってきた後、僕が電話で激しく機嫌が悪かったのは「夕食の約束をすっぽかして温泉に行った」ことに原因があると、彼は本気で思っていた。
 「二人の間に疚しいことはないから、二人で温泉に行っても大丈夫」だなんて平気で言えるところが、その証拠だ。
 シノさん、僕はね、そんなシノさんに疚しいことを考えるような男なんだ。
 疚しいことは何もないと断言してしまうシノさんの発言に、少し傷ついたりもする頭のおかしい男なんだ。
 シノさんのKYぶりに激しくやり込められている僕だけど、僕はシノさんから目を離すことができない。
 この3週間の間、その思いは干涸びるどころか、どんどんつのっていく。
 シノさんといると凄く楽しい。
 でも同時に苦しくもある。
 ああ、僕はドSで有名な澤清順ではないのか。
 これじゃまるっきりドM男だよ。
 そう考えていた矢先、司会者から「澤先生はいらっしゃいませんか?! 澤清順先生は?」とマイクごしに呼ばれた。
 僕以上に、岡崎さんが驚いて飛び上がっている。
「ここ! ここにいます!!」
 僕の代わりに岡崎さんが手を挙げる。会場内の全ての視線が僕と岡崎さんに集まった。
 一体、何なんだよ。
 司会者は、ステージの上から僕の姿を発見すると、ほっとした表情を浮かべた。
「長田先生直々のご指名です。ステージ前までお越しいただけますか?」
「なんで?」
 僕は反射的にそう呟いたが、それはあっけなく無視されて、岡崎さんに引きずられた。無理矢理ステージ前まで連れて行かれる。
 長田女史は群衆の中から僕の姿を確認すると、満面の笑みを浮かべた。
 片手に大きな花束を持っていた彼女は、ステージの上から僕に向かって左手を差し出した。
 そこで僕はピンとくる。
 ようは、エスコートしろということか。
 ── ああ、面倒くさい。
 僕は一瞬、岡崎さんの顔を見た。岡崎さんは表情だけで「一生のお願い」と言っていた。
 しょうがないなぁ・・・。
 僕は、長田女史の手を取る。
 それを合図にしたように、会場中が拍手に包まれた。
 彼女は満足そうに頷くと、ステージ前に置かれた階段を威圧感たっぷりで周囲にその姿を見せつけるようにしながら下りた。
 長田女史が階段を降りきると、ホテルの従業員が突如僕の前に現れ、長田女史を会場中央までエスコートするように促された。
 誘導されるがまま会場中央まで辿り着くと、そこには大きな円卓があって、シャンパンタワー用のグラスが用意されていた。
 ── なんだ、このバブル趣味。
 僕は、まるで昔の遺跡を見るかのような感覚でグラスのタワーを眺めた。
 長田女史が僕から手を離して、仕草だけでマイクを要求する。
 司会のフリーアナウンサーが、慌てて飛んできた。
 長田女史はマイクを受け取ると、「私はあいにくと背が足りませんから、シャンパンタワーは澤くんにしてもらおうと思うの。皆さん、どうかしら?」と言った。この会場で、長田女史に逆らう者はいない。満場一致といった雰囲気で、拍手が強まった。
 僕は周囲を見回す。
 確かに今の出版界で僕ぐらいの長身は珍しいから、理には適ってるけどさ・・・。
 そう思っていたら、ホテルの従業員にシャンパンを渡された。
 ── 開けろってことですか?
 なんと人使いが荒い人達だろう。
 僕は周囲の人間が注目する中、シャンパンのコルクをグラスタワーに向けた。
 一瞬、拍手が止まる。
 僕の後を追ってきていた岡崎さんをちらりと見ると、見たこともない形相をして両手でバツ印を作っていた。
 はいはい。わかりましたよ。
 僕は、ニコッと笑った。
 普段の僕が出し惜しみをして皆が渇望している、『無垢な笑顔』だ。
 僕がコルクを天井に向け直すと、会場中が笑いに包まれた。
 冗談だと捉えられたらしい。
 笑顔を浮かべたまま長田女史を見ると、長田女史は大げさに驚いたようなジェスチャーをした。困った子どもを見るような母親のように。
 僕はすっかり面白味もなくして、あっさりとコルクを抜いた。
 そして、さっさとシャンパンをグラスタワーのトップに注ぎ込む。
 シャンパンは、黄金の滝のようにグラスを伝って落ち、会場中が「わぁ~」という歓声に包まれた。
 こうなれば、早々にお役目を終えて、この場を失敬せねば。
 僕は空になった瓶をテーブルの脇に置き、一番上のグラスを手にとって長田女史に手渡した。
「ありがとう」
 という言葉を聞くか聞かないかでその場を去ろうとした僕を、長田女史の「あなたも飲みなさい」という声が阻む。
「飲めるんでしょ? お酒」
 僕が振り返ると、長田女史に命ぜられた流潮社の常務が僕にグラスを差し出していた。
 ── 飲んだら、車を運転できなくなるじゃないか。
「いや、実は今日、車で・・・」
 僕がそう言いかけたところを、「ウソおっしゃい」とはねつけられた。
「作家は全員、流潮社の車で連れてくるようにお願いしたのよ。あなたもそのはず」
 僕と長田女史の間に立つ常務にピントを合わせると、常務もさっきの岡崎さんのように「一生のお願い」顔をしていた。
 僕は仕方なくグラスを受け取る。
 それを確認して、長田女史が「皆さん、乾杯しましょう」と言った。
 あちらこちらでシャンパンが開けられる音がして、会場中「乾杯」の声があがる。
 僕は、長田女史と全力でほっとした顔つきをしている常務とでグラスを合わせ、グイッとシャンパンを煽った。
「まぁ、若いわねぇ、さすが」
 長田女史はすっかりはしゃいだ様子だ。
 空いた僕のグラスに、新たなシャンパンが注がれる。
 僕は破れかぶれのような気分になって、二杯目のシャンパンも一気に空にした。
「何だよ、その下品な飲み方は、まるでホストみたいだな」
 そんな声がかけられて、僕は声のした方向に目をやる。
 中堅サスペンス作家の石田延敏だ。
 僕の顔より20センチ近く下にあるその顔色を見る限り、彼は一人で随分前に乾杯を済ませていたらしい。
「顔がいいかどうか知らないが、所詮顔だけじゃねぇか。中身のない話ばっか書きやがって。お前の話は、魂ってもんがねぇんだよ。そんなお前を受賞者候補にするとは、芥川賞も地に落ちたもんだぜ」
 周囲がその不穏な空気を察して、ザワザワと落ち着きがなくなる。
「さては、枕営業でもしたんじゃねぇかぁ? 芥川賞の審査員にさ。結城か? 秦野か? ああ、両方女か。じゃぁ、轟に決まりだな。それとも、長田先生にまで気に入られているところを見ると、『男好き』なこともウケを狙った売名行為で、実は女もいけるってことないよな?」
 石田が下品な笑い声をあげる。
「まぁまぁ、石田先生。長田先生のお祝いの席で、そんな話しないでくださいよ」
 常務が、僕と石田の間に割って入る。
 一方僕はといえば、最初に言われたことに関しては、なんら不満はなかった。むしろ、「このオッサン、僕の小説、よく読んでるなぁ」と感心したぐらいだ。書いた本人が魂なんかこれっぽっちも込めて書いた覚えがないのだから、そんな話から魂が感じられる方がおかしい。
 ただ、二つ目に言われたことに関しては、はっきり言って腹が立っていた。
 僕が望んで長田女史に近づいたんじゃない。向こうが来いと言ってきたんだ。それに、確かに僕の性生活は奔放だったが、僕は自分の身体を使って権力や金を得ようとしたことはない。幸い子どもの頃から金には困っていないし、権力にはまるで興味がない。不可抗力で食事を奢ってもらったり、何かプレゼントをもらったりすることはあっても、それを目的にしたことがない。僕がセックスをする時は、肉体的快楽を得たいと思った時だけだ。だから、『枕営業』呼ばわりは、本気で腹が立った。
 それに、自分の性的嗜好を茶化されることも許せない。僕は、好んで『男好き』になった訳ではない。本能的に『男しか愛せない』脳みそになっていたのだ。ようは生まれた時から標準装備されていたものであって、あとからオプションでついてきたものじゃない。標準装備だから、変えたくても変えられないのだ。そこを笑いのネタにされたことにもむかついた。
 僕は、石田に目をやり、冷たく言った。
「そういう物言いは、あなたが今月出した新刊が、昨年出た僕の最新刊の今月の売り上げを追い越した後にしてください」
 石田の顔が、一瞬真っ赤になった後、すぐに真っ青になった。
 半分当てずっぽうで言ってみたが、どうやら図星だったらしい。
 お気の毒様。
 最近、殺人事件トリックのネタがなくなって、芳しくないんですよね、売り上げ。
 僕は、グラスをシャンパンタワーのあったテーブルに置くと、今度こそこの場を去ろうと身体を翻した。
 その腕を長田女史に掴まれる。
 眉間にシワを寄せて振り返ると、長田女史は、僕の胸元をポンポンと二回叩いた。
 その仕草がまるで祖母を思い起こさせ、僕は一瞬で身体の力が抜けてしまった。
 長田女史は、上目遣いでニヤリと笑うと ── まるで仙人のような顔つきだった ── こう言った。
「石田の言うこと、半分は当たってるって思ったでしょ。あなた、そういう顔してた。石田はただの無粋な男だけど、あたしはそうじゃない。── いい加減、本気で小説を書きなさい。人様から金を貰って本を書いてるんだ。そろそろちゃんと自分に向き合わないと、本当にどうしようもない人間になるわよ」
 僕は口を噤んだ。
 言い返せなかった。
 そんな僕を見て、長田女史はハハハと笑い声を上げた。
「さっき石田に言ったみたいな減らず口を今度は叩かないところを見ると、なかなか利口なようだ。それならあたしの言ったことはわかるね。今日はもう、お帰り」
 まるで呪縛が解かれるように。
 僕は長田女史の手が離れると、その場から逃げ出すように会場を後にした。

 

all need is love act.16 end.

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編集後記

一週間ぶりのご無沙汰です。
国沢はと言えば、ゴールデンウィークしっかり休んだツケが今になって襲ってきて、仕事がめちゃくちゃギュウギュウになってまいりました(泣)。ああ、疲れとれない・・・。舌地図出っぱなし・・・。しかも口内炎付きだし・・・。こんなんで、来週ミッチロリンのライブに望めるのかしら???

さて、弱音はさておき。
国沢、相変わらずオルラブ訂正作業に追われております。彩音さん、校正作業、ありがとうございました。
自分の間違いっぷりの酷さにガックリしております。ああ、ホント、恥ずかしい・・・。
何度も読んでるんですけど、気づかないんですよね。目が節穴過ぎて(大汗)。
漢字の思い違いも多いし。
国語の成績、悪かったからなぁ(脂汗)。
それなのに、今、小説もどきを書いてるって。わはは。
大いなるチャレンジですよね。

で、オルラブの本編に目を向けると。
千春は相変わらず、「仮に僕がシノさんを好きだとして」だなんて仮定の話をしてますが、

いや、あなた、もうシノくんに
惚れてるから。


と作者自身がセルフ突っ込み状態(笑)。
ういヤツです。
いろいろ書いていて、ネタが多いのがお手本でも茶様の方だから、自然とオルラブも千春の方がいろいろ行動や態度においてネタが多い。
だから、今ひとつシノくんの魅力を開花させることができていないような気がしています。書き終わっていうのもなんですが(汗)。
まぁ、これからシノくんのルックスがどんどん変わっていくから、外見はね、それなりに素敵ですよ。でも、内面の魅力がなぁ・・・・。難しいです。

では、また来週。

[国沢]

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