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act.10

第四章 おしりの肉は、背中まで割けることがない件について

<side-CHIHARU>

 篠田さんの申告通り。
 彼は、なかなか酒が弱かった。
 酒の卸売会社に勤めているのに酒が弱いなんて、ホント笑ってしまう。
 まぁ、彼の場合は就職する時に職種が選べなかったし、就職当時は未成年だった訳だから、自分が酒が弱いなんてことを知ったのは、就職してしばらくたった後だったんだろうけど。
 僕は、耳まで真っ赤になって眠りこけてしまった篠田さんの腕を肩に担ぎ、バーを出てタクシーに乗った。
 タクシーが走り出すと、窓際に寄りかかった篠田さんの頭がゴツゴツと窓に当たる音がし始めたので、僕は慌てて彼の頭を僕の方に引き寄せた。
 篠田さんの頭が僕の肩に寄りかかる。
 こういうシチュエーション、普段なら完全にホテルなんだけどな。
 僕は、間近にある篠田さんの俯き気味の顔を眺めた。
 ── 篠田さん、意外にまつげが濃くて長い。
 普段は奥二重の奥に根本が隠れて見えてないから、分からなかったんだ。
 そのまつげの左側が何度もあくびをしていたせいで、艶やかに濡れていた。
 僕は、まつげを濡らす水滴を指で掬った。
 それを何となく指の腹で広げる。
 そうして僕は、本日何回目になるやら分からない溜息を、またついた。
 ── 誰か、これは冗談だと僕に言い渡して欲しい。
 僕は、明らかにこの人に惹かれ始めているんじゃないだろうか。
 最初は、小動物を愛でる感じ・・・なんてふざけたこと考えてたけど。
 僕が自分のこの感情を冗談にしてしまえていたのは、ほんのついさっきまでだ。
 そう、篠田さんが、「君は生まれた時からきっとずっと、好意的な視線に囲まれてきているんだろう。だから、劣っている人間がどういう気持ちでいるか、きっと理解できないんだ」と言い出す時まで。
 はっきり言って篠田さんのその発言は、僕を鋭く傷つけた。
 僕は、生まれた時から好意的な視線など全くないところで育った。自分を世界一劣った人間だと思っていたし、辛酸は幼い頃に一通り舐め尽くしてきた。今の僕が、どれほどのものを捨てて完成されてきたか知りもしないで、ただただ羨ましいと言われても。
 だから、篠田さんが何気に言った言葉は、僕がキレるスイッチとなるものだった。
 ── 本当の僕のことを見る気もないくせに。
 過去に同じようなことを僕に言い放った人間は、その場で立ち直れなくなるほど言葉責めにして、ボロボロになったところで冷たく切り捨ててきたのに。
 ── なのになぜか僕は、篠田さんにそうしなかった。
 それどころか篠田さんの手を握って、なぜ篠田さんがそうまで思うようになってしまったかを聞き出そうとまでした。
 僕のその行為は、はっきり言って反射的に出たことで、僕自身驚き、戸惑った。
 僕の中で起こった怒りの感情は、篠田さんを更正させる・・・本気でそういう単語が浮かんだ・・・ことに向かった。決して篠田さんには向かわなかった。
 これって一体、どういうことだ。
 自分の中で起こったことなのに、全く説明ができない。
 それどころか、いきがって頼んだスコッチで酔いつぶれていく篠田さんを愛おしくすら思うなんて。
 ── 本当にどうかしてる。
 相手はノンケじゃないか。
 もうノンケは相手にしないと、僕は固く決めたはずだ。
 それに、篠田さんだって困るに決まってる。
 こんな生産性のないことなんて、僕が最も嫌ってることだ。
 だから、今のうちに『これはタダの友達として好意をよせているだけだ』という暗示を自分に掛けるべきなんだ。
 けれど、うまくできるかな、それが。
 コントロールできるだろうか、自分を。
 これまでは、凄く上手にそこら辺はしてきたつもりだけど。
 今、僕がこんなにも不安になっているのは、自分の中に今ひとつ分からない感情の動きがあったからだ。
 なぜ僕は、あんなにもムキになったんだろう。
 篠田さんがネガティブなご託を並べまくっていうのを聞いて、僕はなぜあんなにも腹が立ったのか。
 そしてどうしてそこまで、知り合って間もない他人に、『そんなこと言わないで、立ち直ってほしい』と切望したのか。
 ── 分からない。本当に分からない、自分が。<

 夜の月島は美しい。
 元々埋め立て地だから水辺が近く、最近では近代的な高層マンションが建ち並ぶようになったので、まるで小さな摩天楼といったところだ。月島の玄関・勝鬨橋を渡ると、背の高い建物から瞬く明かりが水面に映ってキラキラしている風景に出会う。
 でも悲しいかな、僕が初めてここにきた頃の昭和の匂いが染みついた下町風情の風景は、どんどん少なくなってしまっている。
 地下鉄が開通したお陰で交通の便は便利になったけれど、得体の知れない連中の人口だけが泡のように膨れて、古くから住む人達との間に歪んだ空間が存在しているように感じる。
 こうしていつも、僕が大切にしたいとこだわることは、ことごとく失われていくんだ。
 祖母に、この月島に、そして ── 過去に一度だけ本気で愛した人。
 だから僕は、失いたくないものほど、目を逸らして生きてきた。
 適当に生きてもそれなりに楽しいし、有意義に過ごしていける。気持ちいい思いもできるし、気分よくなれることも多い。上辺だけで書いた小説だって、黙っていても売れる。そんな偽物でも、世間は認めてくれるんだ。
 だから本当に大切なものぐらい手に入らなくったって平気だって、ずっとずっと言い聞かせてきたじゃないか。
 僕は、再びぼんやりと篠田さんを見つめた。
 僕と一緒に無理して何杯も飲んだグレンフィデックの香りが、寝息から漂う。
「お客さん、着きましたよ」
「ああ、ありがとう」
 僕はタクシー代をカードで支払うと、再び篠田さんを抱えて、マンションに入った。
 つい先日似たようなシチュエーションだったことを思い出して、僕は少し笑った。
 あの時は花村だったけど、今日は篠田さん。
 花村の身体の重みは反吐が出るほど苦痛だったけれど、篠田さんの重みは悪くない。でもま、確実に篠田さんの方が重いけどね(笑)。
「篠田さん、家に着いたよ。鍵、どこですか?」
 篠田さんの部屋の前で、篠田さんの身体を揺する。
 篠田さんは眉間にシワを寄せて、「う・・・うぅ・・ん」と唸った。
 僕は苦笑いする。
 ── ちょっと別のことを想像してしまうから、篠田さん、それはやめてほしいんだけど。
「ほら、もうちょっとだから、頑張って。鍵のありかを教えてください」
 篠田さんはスンと鼻を鳴らすと僕の胸元に頭を押しつけ、目を閉じたまま「・・・カバンの・・・ポッケ」と呟いた。
 その子どもっぽい口調に、僕はまた苦笑を浮かべる。
 ── ホント、いい加減にしてほしいね。
 僕は、僕と篠田さんの身体の間で揉みくちゃになっているビジネスバッグのポケットを片手で何とか探った。
 やっと鍵を探し出し、部屋に入る。
 部屋は僕の部屋を反転した造りになっているはずだったので、スイッチの位置は直ぐに分かった。 
 僕は迷いもなく、奥のダイニングに向かって進む。
 ガラスのドアを開けて、ちょっと驚いた。
 いろんなものがダイニングテーブルの上や周囲に散乱している。
 まるで嵐が通り過ぎたか、空き巣が入ったかといったような有様だ。
「なに、このカオス状態・・・」
 僕はそれを横目で見ながら、ダイニングの隣にあるはずの和室の引き戸を開けた。
 ギクリとした。
 僕は篠田さんを抱えたまま、その場に思わず立ちつくしてしまう。
 ── そこには、全く何もなかった。がらんどうだった。
 ダイニングの散らかりようとは比べものにならないくらい、本当に何もない。
 畳の上に家具が置いてあった痕跡がうっすらと残るだけの空虚な空間。
 まるで篠田さんの心の中にぽっかりと空いた穴のように思えた。
 ── そうか、ここ妹さんと甥っ子が使っていた部屋なんだ。
 ということは、篠田さん部屋は玄関側にある一番狭い部屋か。
 逆戻りだ。
 僕は、篠田さんを引きずりながら、玄関廊下に面した洋間のドアを開けた。
 この部屋だ。間違いない。
 室内の様子を見て、僕は確信する。
 狭い空間に篠田さんの身体のサイズにしては少し窮屈そうなベッドと、本棚やオーディオ・AV機器、テレビ、クローゼットがぎゅうぎゅうに詰め込まれていて、僅かながら見える床には洋服やらタオルやら雑誌やらが散乱している。
 きっと今まで部屋の片付けは、妹さんがしてくれていたんだろう。今は完全に『男やもめ』といった具合の部屋だった。
 僕は、篠田さんをベッドに横たえる。
「う~ん・・・・」
 篠田さんは1回身を捩らせて安心したように大きく息をすると、スヤスヤと心地の良さそうな寝息を立て始めた。
「篠田さん、そのまま寝ると、スーツ、シワになりますよ」
 そう僕が声をかけても、起きそうにない。
 僕は、篠田さんの上着と靴下を脱がせた。
 スラックスは正直迷って、ベルトだけ外した。
 別にここまできて下心は更々なかったが、今の僕に篠田さんのズボンを脱がす勇気はなかった。
 ── しかし、それにしても。
 僕は周囲を見回して、溜め息をつき、呟いた。
「・・・この散らかりようったら・・・ヒドス」

 

all need is love act.10 end.

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編集後記

ああ、昨日から胃痛に悩まされております(汗)。
その前の日に久々の貧血になって、鉄剤を飲んだら、テキメン胃が荒れました。
そうだ、そうだ。鉄剤のパワーって半端ないから、胃薬と一緒に飲まなくちゃならなかったのに、それをすっかり忘れてたよ(汗)。
本当なら、及●ライブのご報告と「オルラヴ」の続きを書こうと思ってたのに、集中できん(T T)。とほほ。

[国沢]

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