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act.17

<side-SHINO>

 千春からの連絡、ないなぁ。
 携帯を見ながら、床においてあったスポーツバッグをテーブルの上に置いた時、突然チャイムが鳴った。
 玄関の覗き窓から外を見ると、そこに千春の姿があった。
 ちょっと驚く。
 バタバタと慌ただしい足音が廊下を走ってきていたので、自動的に千春でないと思っていたからだ。
 ドアを開けると、千春はほっとした表情を浮かべた。
 黒いスウェードの細身のスーツの上から首元に大振りのスカーフを巻き付けた、彼にぴったりの華やかな服装をしていたが、その額にはオシャレなスーツには少々不似合いな汗が滲んでいた。
「どうした? 走って帰ってきたのか?」
「間に合わないかと思って・・・。階段を上がってきました」
 なんかこの会話が、いつぞやの合コンの時の会話と逆転しているようで、俺は思わず拳で口元を隠しながら、笑った。
「え?」
 大きく息を吐きながら、千春が訊いてくる。
 俺は、千春より先に気がついたことにちょっと優越感を感じながら、「これ、あの合コンテストの最初の時とまったく役割逆転だよ」と指摘した。千春もやっと思い当たったのか、若干顎を上に上げつつ、まだ荒い呼吸を整えながら「ああ」と頬を緩ませた。
「ホントですね」
 アハハと笑う。
 俺は、ドキリとした。
 凄く自然な、彼にしては珍しく、隙だらけの笑顔だった。
 カッコいいとも、キレイとも違う・・・カワイイっていうのが近い感じ?
「着替えてくるだろ? 待ってるよ」
 俺がそう言うと、千春は首を横に振った。
「そんなことしてたら、間に合わなくなるから。僕は今日のレッスン、諦めます。行きましょう」
「ああ」
 俺は部屋を出て鍵を閉めようとしたが、「あ、そうだ。今日は、シノさんが運転してください」と言われたので、鍵を閉める手をとめた。
「え? なんで?」
 千春が苦笑いする。
「僕、お酒を飲んでしまいました」
「そっか。じゃ、仕方ないな・・・。でも、俺、左ハンドル大丈夫かな?」
「大丈夫、大丈夫。僕が隣に乗ってるから。フォローします」
「うん。あ、ちょっと待ってくれる?」
「ええ。何?」
「忘れ物」
 俺は部屋の中にとって返して、ビジネスバックに入れっぱなしになっている眼鏡ケースをスポーツバッグに入れた。
 今はまだ陽の光があるからいいが、帰る頃には外は真っ暗になっている。そうなったら俺には、運転するのに眼鏡が必要だ。
「お待たせ」
 俺が部屋を出ると、「さ、行きましょう」と千春に促された。
 千春の車は、マンションから3分歩いた月極駐車場に置いてある。
 見た目真っ赤なコンパクトカーだったが、それでもこれはアルファロメオだ。
 日本のコンパクトカーサイズの外装に普通車並みの排気量エンジンを積んでいる。
 内装もコンパクトカーにあるまじき高級感で、見る人が見れば小さいくせに高級車だとわかる車だ。
 車の赤い塗装もイタリア車独特の妙に艶めかしいつややかな赤。
 ── 男は憧れるよなぁ、こういう赤。
 しかし外車だけに、左ハンドル。
 ぶつけないようにしなくては(汗)。
 俺は、内心ヒヤヒヤしながら、車の運転席に乗り込んだのだった。

<side-CHIHARU>

 シノさんは、僕が思っていた通り、すごく真面目だし、ストイックな人だった。
 最初は大騒ぎしていたジムでの筋トレもすぐに慣れ、今では僕以上に熱心にこなしている。
 シノさんの予算の関係上、ジムには一ヶ月間だけ通うということになっていたから、それが終わるまでに筋トレの正しいやり方を身体に覚え込もうという姿勢がありありとわかった。
 ホント、何に対しても一生懸命なんだよね。いかにもスポーツマンらしい。
 今ではシノさんが、ジム一番の熱心な生徒という位置づけになっている。
 シノさんの一生懸命に取り組む姿勢は、実にひたむきだ。 
 先生の動きを見る時の真剣な眼差しといい、正しい姿勢を覚えるために何度も何度も細かな動作を繰り返す時の直向きな表情といい、うまくいかなかった時に悔やむ仕草といい、見ているこちらの胸が熱くなってくる。
 世の中を斜に構えて見ている僕でさえそう思うのに、なぜ誰もシノさんの魅力に気がつかないんだろう。
 こんな男を放っておくなんて、世の中の女は盲目としか言いようがない。
 ・・・いや、放っている訳ではなくて、シノさんが気づいてないだけなのか。
 それでも、本気で彼を手に入れたいと思えば、鈍感なシノさんでもわかるぐらいにアプローチすることはできるはずだ。なのに彼と出会ってきた女達は、それをしてこなかった。
 そうでないと、今頃シノさんは「30過ぎて今だ童貞」だなんて悩んだりしてない。
 本当に、なんて愚かな女達だろう。
 男女の恋愛には、障害なんてないだろうに。
 今の僕みたいに、相手はゲイじゃないから恋愛は無理だ、なんてこと考えなくていい立場なのに。
 近頃僕を突き動かすこのフツフツとした思いは、きっとシノさんへの想いの裏返し。
 僕は、ガラスで仕切られた休憩室のカウンター席に座り、紙コップのコーヒーを啜りながら、シノさんの汗に濡れる広い背中を見つめた。
 黙々と、シンプルだけど難しい動きを反復している。
 ふいに、数時間前に言われた長田計子の声が、僕の頭の中で響いた。
 ── いい加減、本気で小説書きなさい。人様から金を貰って本を書いてるんだ。そろそろちゃんと自分に向き合わないと、本当にどうしようもない人間になるわよ・・・
 ああ、僕は。
 本気になるのが怖い。
 こんな汚れた自分と向き合うのは怖いんだ。
 石田延敏に「枕営業してる」と言われ、思わず「そうじゃない」と頭に血を上らせたが、今になって思うと自分がしてきたことは、大差ないことなんじゃないかと思えてきた。
 僕をちやほやしてくる人間・・・ようするに僕に興味を持ってくる人間は大抵、僕とのセックスを期待している。花村や渡海さんなんか、いい例だ。
 例え気持ちがこもらないセックスでも、僕という器があれば、それで成立する関係。
 この前の渡海さんは、異様に絡んできたけど、結局はそれから何が進んだ訳でもない。
 そもそも僕は、そんなことを十代の頃から繰り返してきたんだから、身体を介して心をやり取りする方法なんかわからない。
 僕はね、もう相当に汚れてる。
 そして、その僕を取り囲む全ての人や環境も汚れてる。
 だから葵さんが「初めての健全な友達」とシノさんのことを言ったように、シノさんは僕にとって、僕を澄んだ世界に連れて行ってくれる救世主のようなものだ。
 この関係は一見、シノさんが僕に頼んできた恰好から始まっているが、でもきっと初めてシノさんと出会ったあの晩から、シノさんが僕の部屋を尋ねてくるよう仕向けていったのは僕の方。
 僕は、本能的にシノさんのような存在を求め続けていたのかもしれない。
 シノさんの真っ直ぐな生き方が、僕を浄化してくれる。
 シノさんといる時だけ、僕はキレイでいられるような気がする。
 シノさんが自分を卑下するようなことを口にした時、あんなにも腹が立ったのは、こんなにも汚れた世の中で、シノさんには諦めてほしくなかったからだ。
 シノさんのような生き方でも世の中に通用する、認められると信じたかったからだ。
 ── ああ、こんなの矛盾してる。
 僕は今まで人間なんて欲の塊で、人を陥れてでも平気で金を掴むような奴等で溢れまくっていると思っていた。今もそう思っている。
 時に自分が『人間』でいること自体に反吐が出そうになることもあるし、少々大げさだが、人間の存在自体がこの地球において大いなる罪なんだと常日頃から考えていた。
 そう、人間は生きている限り、ろくな事をしない『地球にとってのガン細胞』なんだってこと。
 僕はこれまで、大切なものを諦めながら生きていく道を選んできた。
 だから、僕を支配する諦めの力というのは強大で、悪さしかしない人間なんて、いっそ滅んでしまえと本気で考えていた。ミレニアムの時も、空から大王が降ってくるのをどこかで期待していたし、2012年マヤの暦がなくなる日に起こりえる終末の出来事も受け入れる準備はできている。
 そんな破滅的な思考の持ち主である僕の前に、シノさんは突然現れたんだ。
 シノさんは、『人間の良心』というものがまだこの世に存在することを、僕に突きつけた。
 僕はそこに、人間がよき存在であるという可能性を感じて、胸が一杯になる。
 人間はまだこの地球上に存在してもいいんだって赦されるような気がして、涙が出そうになる。 
 ── まだまだ人間も捨てたもんじゃないよ。
 ── 一生懸命生きることは、恥ずかしくないことだし、誰でもできることなんだよ。
 シノさんの眼差しは、いつもそう言っているように見えるんだ。
 十代の頃に両親を亡くしたシノさん。学校をやめて、苦労して働いて、妹家族を必死で守ってきたシノさん。自分をどれだけ追い詰めてきたのだろう。どれだけ頑張り尽くしてきたのだろう。
 初めて出会ったあの晩、シノさんが流していた涙は、それが積もりに積もって溢れ出た涙だったんだよね。
 僕は、あなたのあの涙を見た時から、あなたに夢中になりました。
 でもこの想い、あなたには一生、言いません。

 ジムからの帰り道。
 運転席に乗るなり、シノさんはスポーツバッグから黒縁の眼鏡を取り出してかけた。
 僕は驚いた。
 知り合って一ヶ月足らずだが、眼鏡姿のシノさんは見たことがなかった。
「シノさん、眼鏡かけるんですか?」
「夜の運転の時だけね。少しだけ悪いんだ、視力」
「ふ~ん・・・」
 街灯の光が、一定間隔でシノさんの横顔をオレンジ色に照らす。
 筋トレのお陰で頬の肉がすこしタイトになり、エラから顎のラインがきれいに浮かび上がっている。横から見ると、鼻梁は高く真っ直ぐ伸びていて、唇は下唇が意外なほどふっくらとしていた。男っぽくて、カッコいい横顔だ。
 意外に眼鏡も似合っている。
「シノさん・・・痩せたねぇ・・・」
 僕がしみじみそう言うと、シノさんは僕をちらりと見て、嬉しそうに口角を上げた。
「やっぱ俺、太ってたんだよな。今日計ったら、学生時代の体重に戻ってたよ」
「へぇ、そうなんだ」
「同僚の川島にも、『何かお前、ちょっと変わったな』って言われた。でも川島は鈍感だからさ、俺が痩せたってことに気づいてねぇの」
 そう言って、おかしそうに笑う。僕も同じように笑った。  
 シノさんとは別の意味でおかしかった。
 鈍感なシノさんの同僚もまた鈍感で、シノさんがそれを捕まえて「あいつは鈍感だ」なんて言いながら笑ってるだなんて。おかしいでしょ。
「心配しなくても、シノさんも鈍感ですよ」
「え?!」
 シノさんが笑うことをやめ、僕を見る。
「シノさん、前、前。前向いて運転してください」
 僕は冷静な声でつっこむ。
 シノさんは慌てて前を向いて、ハンドルにしがみつくように運転を続けた。
 ほらほら、そういうところも何というか、天然というか。
「俺って、鈍感?」
 まだ気にしてる。
「あ~、明日なんか雨降りそうですよね」
「なぁ、どんな風に鈍感?」
「シーツ洗おうと思ってたのになぁ・・・」
「どんな時に鈍感だと思う?」
「コインランドリー行くついでに、シノさんの分も洗濯してきましょうか?」
「なぁ、鈍感ってどういう意味?」
 プッ。
 僕は耐えきれずに吹き出してしまった。
「気にしすぎだよ、もう!」
「気になるだろ、普通!」
 シノさんはそう言って、ハンドルから両手を離し、両手の平を前へ放りだした。
「ちょっと!」
 僕は、慌ててハンドルを横から握った。
「つまりは、こういうところですよ!!」
 僕が半分笑いながら怒鳴ると、今度はシノさんが笑い出した。
「悪い、悪い」
 そう言って、ハンドルを握る。
 シノさんってば、興奮してくるとオーバーアクションになるんだよな。
「・・・ホントにもう、世話の焼ける・・・」
 僕は、腕組みをしながら助手席のシートに身を沈めると、大きく息を吐き出した。
「だってさ。千春が答えを教えてくれないから・・・」
 まだそんなことを呟いている。
 僕は、その呟きをあえて無視した。
 僕を慌てさせた罰です。
 あなたが実は既に女の人からモテていることは、しばらく教えてあげません。
 せいぜい、苦しむといいよ(笑)。
 僕もあなたから、かなり苦しめられているんだから。
 しばらくの間、二人とも黙ってカーステから流れるジプシーキングスの曲を聴いていた。
 ふいに、シノさんが口を開く。
「筋トレ終わったら、次何する?」
 僕は片眉を上げて、シノさんを見た。
 何か心の奥がくすぐったくて、思わず僕は唇を引き締めた。そうしてないと口元が無駄に緩んでしまいそうで。
 なぜ僕がそうなったかというと、シノさんの口調がまるで五歳ぐらいの子どもが同い年の友達に「次は何して遊ぶ?」と誘っているような口ぶりだったからだ。
「次、何しましょうか・・・」
 僕はそう答えながら、シノさんの横顔を改めて眺めた。
 横顔は、僕の理想の形にかなり近づいていたが、髪型がイマイチだ。
 いかにも床屋でカットしてます、といった具合の色気も味気もなんにもない、無難な髪型がただ伸びたというヘアスタイル。
 もったいないよ、シノさん。これじゃカッコいい横顔が台無しだ。無造作に伸びたこめかみの髪が、耳や頬を粗雑に隠してる。
 僕は、その邪魔な髪を指ですくって、彼の耳にかけた。
 指先に、シノさんの柔らかな耳タブが僅かに触れる。
 突然のことで驚いたのか、彼はくすぐったそうに肩を竦め、ちらりと僕を見た。
「ん? なに?」
 低くて優しげな、声。
 そんな風なトーンで言われると、なんだか勘違いしそうで怖い。
「シノさん、今週の土曜日、空いてる?」
「うん。多分大丈夫だと思うけど」
「じゃ、髪、切りにいきましょう」
 シノさん改造計画・第二段階開始だ。

 

all need is love act.17 end.

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編集後記

仕事がにわかに忙しくなってきて、ブログ更新もできてないという最中、わたくし本日、

ミッチロリンツアーに旅立ちます。

結局、遊んでんじゃんってね(汗)。
ややや、遊びは遊びでも、本気の遊びだから。今年のツアーは、未だかつてない特別なツアーだから。頑張って参ります。

ところで、オルラブですが。
シノくん肉体改造は一先ず完結編で、次週から本格的に外見改造にうつります。
やっと花開く時がきたvvv
で、本日お手本となったお写真はこちら↓

 



千春のパーティースタイルのお手本。
や~茶様。お似合いですわ。このスタイル。素敵です。
この写真、まだ十代の頃かなぁ? なんかまだあどけなさがありますね。
これからどんどん美人になっていくのね。オナゴのあたくしでも羨ましいほどの美人ぶりですわ、最近ね。

で、シノくんの眼鏡スタイルも本日出てきたので、ユノヒョンの眼鏡男子写真もアップ。

 



シノくんに比べ、ユノヒョンは目が悪くないんですよね?確か。
でも彼は眼鏡結構持ってるみたいで、割と眼鏡男子率高いです。オフの時とか。
やっぱカモフラージュしてないと真っ直ぐ歩けないほどだからなのか?
や~、でもこの時の眼鏡男子ぶりが最高に好みです。髪型もばっちり。
この時期、痩せてたしね。
いずれにしてもよい燃料があることはよきことですな。

[国沢]

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