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nothing to lose title

act.24

<side-CHIHARU>

 今日、晩飯、どうしよう・・・。
 シノさんと夕食を食べない日は、そんなことを考える事が多くなった。
 シノさんと食べるとわかっている日は、なぜか夕食の献立もすぐに浮かんで、さっさと食材を買いに行ったりするのだが、一人となると外に食べに行くのがいいのか、家の中で済ますのがいいのか、それすらも判断がつかなくなる。
 きっと僕は、もう『シノさん依存症』になっているんだ。
「はぁ・・・」
 ダイニングテーブルで、葵さんにもらったジンジャーティーを飲みながら、頬杖をついて、暗くなっていく窓の外を眺めた。
 葵さんには「成澤くん、やっと本気で人のこと、好きになったんだ」とかって言われたけど。
 僕には、葵さんが何でそんなことを言うのか、わからなかった。
 なぜなら葵さんは、僕が十代の頃に経験した恋愛をオンタイムで知っている。
 僕が他人にあんなにも執着したことは、あの時期をともに過ごしてきた人なら知っていることだ。
 事実、渡海さんだって、いまだにそれをネタに絡んでくるわけだし。
 そんな僕を捕まえて、今更「やっと本気で」だなんて・・・。葵さん、昔の事を忘れてるんじゃないかな。
 僕は、図らずも昔の事を思い出す羽目になって、眉間に寄った皺を親指でグリグリとなぞった。
 渡海さんに指摘されたように、あの時の恋愛は、僕のトラウマになってしまっている。
 こうして思い出すだけでも、どこか胃がキリキリとしてくる感覚に襲われる。
 僕は17の時、ある大人の男の人に恋をした。
 祖母がなくなって以降、夜に悪い仲間とフラフラ飲み歩いていた僕を、唯一本気で叱ってくれた大人だった。
 当時僕は、飲み歩くといっても下世話な飲み屋とかではなく、すでに六本木や銀座の高級バーやクラブに出入りをしていた。
 僕は、14の時にゲイの大人が集うバーに出入りするようになった。自分の性的興味が男に向いている事を知ったのは、小学生の頃だったし、14になる頃には欲求も大きくなって、早く性的な体験がしたかったのだ。
 そんなガキなんて、本当なら悪い大人に都合良くカモられるところだが、最初に飛び込んだバーのマスターがいい人で、つき合う相手をよく選びなさいと教えてくれた。むろん、僕が未成年だってこともバレバレだったし、酒は一切出してくれるような人じゃなかったけど、彼自身若い頃に苦労してきたせいか、僕が早く男と初体験をしてみたいと切望していることには同情的だった。
 そんなマスターに紹介されたのが、最初のパトロンだった池上さんだった。
 彼は当時40代だったと思うが、既に大企業の役員で、セックスのことはもちろん、いろんなことを僕に教えてくれた。
 彼が遊び場所は巷の居酒屋なんかではなく、知識人や文化人が多く出入りするバーやクラブで、自然、粋だけどどこか退廃的な匂いのする人達が僕の遊び相手となった。
 池上さんと別れてからは、池上さんのような大人が代わる代わる僕の恋人として手を挙げた。
 そんな中で僕は酒の飲み方を教わり、大人との会話の仕方を教わり、そんな高尚な雰囲気の中での羽目の外し方を教わり、恋の駆け引きの仕方を教わった。
 男を誘う時の視線、仕草。思わせぶりな態度、冷めた会話。
 僕が我が儘に振る舞えば振る舞うほど、それを眺めている大人は喜んだ。
 はっきりいって大人を手玉に取るのは簡単だった。誰も僕が本当に何を考えているかなんて、そんなの気になんてしていないことを理解すれば。
 僕は、求められている役をただ演じれば、それでよかったのだ。
 そうこうしているうちに祖母が死に、一人前に落ち込んだり荒れたりして、益々僕は、夜の世界にのめり込んで行った。
 今考えれば、よくぞあの時期にいろんな病気をもらわなかったな、と思う。
 それほど僕はいろんな人とセックスをしていたし、合法ドラッグにも手を出したりしていたから。
 そんな中で出逢ったのが、吹越さんだった。
 大学の准教授で、プラズマ研究をしている人だった。
 唯一、夜遊びしている僕の事を本気で叱ってくれた人。
 ルックスは僕がそれまでつき合ってきたどんな人よりもあか抜けなかったけれど、銀縁眼鏡の奥の瞳は、本当に美しく澄んでいた。
 彼は、当時二十歳だと偽って飲み歩いていた僕を、初見でまだ未成年だと見抜いた。
 そして僕の心の奥底にある寂しさを鋭く突いてきた。
 最初は、そんな吹越さんにことごとく反発してた僕だったが、次第に吹越さんによって、本当の優しさとはどんなものなのかを知らされた。
 それは酒代を奢ってくれることでもない。ホテルで優しく頭を撫でてくれることでもない。
 吹越さんの優しさはとてもぶっきらぼうだったけれど、僕の事を精神的に成長させてくれたのは吹越さんだった。
 吹越さんとつき合っている間は夜遊びもぴたりと止まり、出席日数が危なかった高校も、吹越さんに怒られながら通った。
 僕は、日々の大半を吹越さんの部屋で過ごした。
 周囲には、祖母から料理の仕方を教わったと言っているが、本当のことを言うと僕は、その時期に料理をすることを覚えた。むろん、祖母から教わった事もたくさんあったけれど、それはあくまで見ていただけで、実際にキッチンに立とうと思ったのは、吹越さんの存在があったからだ。実際、吹越さんも驚くほど料理の上手な人で、本当に大学の先生かと疑ってしまうほどだった。
 遅れていた勉強も、吹越さんが仕事の合間に見てくれた。
 おかげで理数系の教科は、ろくに学校に行っていなかったはずなのに、学年でトップになった。
 周囲の誰もが僕の変化に驚き、大学進学も可能になった。
  ── 吹越さんが勤める大学に入りたい。
 その一心で、僕はかなり遅めの受験勉強をスタートさせた。
 吹越さんが傍にいてくれるなら、絶対に大丈夫だと思った。
 たくさん勉強を教わって、たくさん幸せなセックスもした。
 受験勉強は、始めた時期が時期だっただけに大変だったけれど、それでも充実していた。
 このままこの幸せが続いていくものと、信じていたのに。
 大学の合格発表があった日、合格した知らせを持って吹越さんさんの研究室を尋ねた時、僕は吹越さんが先輩教授の娘と結婚してシンガポールの一流大学へ移ることを知った。
 人生で祖母以外に唯一心の底から信じた大人に、僕は裏切られた。
 元々がノンケだった人だ。
 よくよく考えれば、そんな人と一生一緒に生きていけると考えた方が幼稚だったんだ。
 酷く混乱した僕は、吹越さんにろくすっぽ恨み言も言えず、彼を手放してしまった。
 吹越さんが旅立つ飛行機を、彼らの友人達から身を隠しながら、一人見送った。
 不思議と、涙は出なかった。
 僕は最初から最後まで、吹越さんとつき合っている間泣かなかったから、泣き方を忘れていたのかもしれない。まぁ、今までの人生でも泣いたのは赤ん坊の頃ぐらいだから、しょうがないと言えばしょうがないかな。僕はいまだに泣くことに関しては酷く不器用だ。
 それから僕は、最初に受かった大学とは別の大学に通った。
 本当なら、もう大学に行く事などどうでもよかったのだが、親から「子どもが高卒なんて格好がつかないので、何としても大学だけは出てくれ」と懇願されて、仕方なく行く事になった。
 夜遊びが再び再燃し、そんな中で知り合った作家先生の目に止まり、散文的に書いていた小説もどきが出版社の手に渡った。
 それがきっかけで僕は、『華々しく』大学生で文壇デビューを果たしたのだ。
 僕の容姿とその肩書きによって、周囲のチヤホヤは頂点に達した。
 僕も、そんなぬるま湯が心の傷を癒してくれたから、進んでそれを楽しんだ。
 で、今に至る、だ。
 吹越さんに捨てられてから立ち直るのに、4年・・・いや5年はかかっている。渡海さんに至っては、「まだ引きずってるんだな」なんて言う。
 だからこそ、ノンケはダメなんだ。
 ストレートの男は、いずれ自分の元から去っていく。
 例え気持ちが僕にあったとしても、社会的にそれが許されないこともあるのだ。
 それはシノさんだって同じ。
 もし僕がシノさんとつき合う事ができたとしても、それが一生続く保証は、限りなくゼロに近いのだ・・・。
 そんなことを考えていたら、無性に悲しくなってきた。
 そんな気持ちになっても無駄なのに。
 こんな気持ちになったところで、涙のひとつも流せやしないのだから。
「・・・紅茶、冷めちゃったな・・・」
 冷たくなって味が落ちた紅茶を口に含み、僕が顔を少し顰めた時、玄関のチャイムが鳴った。
  ── なんだろう。こんな時間にセールスか? 
 セールスだったら居留守を決め込もうと思いながら覗き窓を覗くと、そこに立っていたのはシノさんだった。
  ── え?! なんで?
 今日は、奥塩原の酒蔵に行ってるはずなのに。
 僕は、慌ててドアを開けた。
「どうしたんですか?!」
 大きな声でそう言いながらドアを開けたので、シノさんはちょっとビックリしたみたいだった。
 黒目がちな奥二重の瞳を、大きくきょとんと見開いた。
「今日、栃木に出張じゃなかったんですか?」
 僕がそう訊くと、シノさんはテレ臭そうに頭を掻いた。
「そうなんだけど。今日は帰ってきたくて早く切り上げてきたんだ」
 シノさんは僕の前に白い粉の入ったボトルを差し出した。
「お土産」
「何ですか、これ・・・」
「温泉の元。正真正銘、塩の湯の元だから、それ。一緒に泊まりに行くのが無理なら、家で温泉、入ろ」
 僕は、一瞬言葉を失った。
 ホント、なんて言っていいかわからない・・・。
「何か、言ってくれよ」
 僕が無言でいると、さすがに不安になったのか、シノさんがそう言ってくる。
 僕は鼻の先を指で摘んで擦った後、口をへの字に曲げて言った。
「バカじゃないですか? うちで温泉なんて。狭過ぎて気分でないじゃないですか」
「出たよ。ドS発言」
 シノさんがイッシッシと笑う。
 僕もおかしくなって、同じように笑った。
 
<side-SHINO>

 もう遅い時間だったので、家の近所にある俺行きつけの居酒屋で晩飯を食べる事にした。
 千春はあまり居酒屋とかに来た事がないらしく、物珍しそうに店内を眺めていた。
 店の女の子とかは、俺が久々に現れたと思ったら、いきなり相当の男前を従えていたので、かなりテンションが上がっていた。
 千春は店の中で完全に浮いていたが(千春って、どこか高級感のある雰囲気は消せないんだよな、どこへ行っても)、相変わらずここでもいろんな人にモテていた。
 店の大将にもすっかり気に入られて、美味い出汁のひき方とかを教えられてた。
 やっぱり千春って、凄く魅力的なんだよな。どんな人にとってもさ。
 そんな千春を連れてる俺も、何だか優越感。
 いや、ただの友達なんだけどさ。
 その後、千春ン家に帰って風呂に入った。もちろん、温泉の元入れて。ただしやっぱ家の風呂は狭いから、本物の温泉みたく一緒には入れずに交代になっちゃったけど。
 千春は「先に入ってください」って言ってくれたけど、一応お土産だしさ。それは悪いんで、千春に先に入ってもらった。
 その間に俺は一旦家に帰ってスーツを着替えて、新しい下着を持って千春の家に取って返した。
 千春が入っている間に、ビジネスバッグの中のパソコンを取り出して、今日の打ち合わせの内容を簡単にデータにまとめる。
 そうこうしているうちに、千春が風呂から上がってきた。
「お待たせしました」
 濡れた髪をタオルで拭いながら和室に入ってくる千春。
 う~ん、水も滴るどころか、湯気が立ち上るいい男ですな。
 妙に色っぽい。
 何でだろ? ジムでシャワーから上がった時とは、何か違う。
「やはり本物の温泉の元ともあって、かなり身体の芯から温まりますね、これ。いつもはもっと入ってられるんですけど、さすがにすぐ出てしまった」
 ああ、そうか。
「いつもよりホッペタとかが桜色だからなのか」
 思わずそう俺が口に出して言うと、千春が「どういう意味ですか?」と訊いてくる。
 俺はハッとして口を左手で覆った。
「何かまた、よからぬことを考えていましたね?」
  ── はい。その通りです。
 別に下心がある訳じゃなかったけど。
 いつも愛用のAVに出てる女優さんより色っぽいなぁと思っちゃったんだ。
 いや、そもそもそんな女優さんと比べるのが凄く失礼だってわかってるんだけどさ。
「俺も風呂、入ってくる」
 俺は、タオルを引っ掴んで風呂場にダッシュした。

 「シノさ~ん、風呂、長過ぎる!」と千春からせかされながら風呂から出てくると、千春がキュウリの浅漬けと炭酸水を出してくれた。
 風呂の熱さに茹でられて千春より赤くなった俺には、非常にありがたい心づくしだ。
「何か、懐かしい味がする」
 俺がキュウリを齧りながらそう言うと、「僕の祖母から教わった作り方だから」と千春は言った。
 ミョウガが決め手らしい。
 俺にはちっともわからんが。でも味が美味いのは、はっきりとわかる。
「千春は本当に料理上手だよなぁ。さっきの居酒屋でも、大将と料理の話をしてたし。その話聞いて、周りの女の子達の目がハートマークになってたよ。年配のおばさんまでだぜ?」
 千春は苦笑いする。
「僕にしてみれば、女の人からモテても仕方がないんですけどね」
「まぁ、そうだけどさ・・・。でも、料理できるってインパクトあるんだなぁ。お運びの女の子も、『料理できる男って最高』って叫んでたじゃん。やっぱポイント、高いよなぁ」
 俺が一頻りそんなこと言ってたら。
「じゃ、習いますか? 料理」
 と千春が言ってきた。
「へ? 料理? 千春が教えてくれるの?」
 俺がそう聞き返すと、千春は首を横に振った。
「僕のは見よう見真似なんでね。正しい料理法じゃないかもしれないから。男でも行ける料理教室を知り合いに訊いて、調べておきます」
 俺は何だか急に不安になった。
 千春が教えてくれるのならともかく、いきなり料理教室だなんて大丈夫かな???
 そんなことを思っていたら、まんまと千春に見透かされた。
「ひょっとして、ビビッってます?」
「え?!」
「ビビッてますね」
 千春の大きな瞳が、いやぁな感じで細められる。
 これって、ブラック・チハル降臨の前兆ってやつ?
「いや! その! ほら、俺って、人見知り激しいから! 何つーか・・・」
  ── ガンッ!!!
 拳を固めた千春が、側の壁を物凄い勢いで殴った。俺の身体が、その音に驚いてビクリと飛び上がる。
 ヒィィィイ!! こっ、怖い!!!
「僕の前で、ネガティブ発言は許しませんよ」
「はっ、はい! 先生」
 俺は反射的にそう答えてた。
「よろしい」
 千春は鋭い目つきのまま、恐怖に怯える俺を流し目で見つめつつ、炭酸水を口に含んだ。
 うわぁ~、なんだろう。6つも年下なのに、この迫力(大汗)。
 恐怖以外の何ものでもないよ・・・ブラック・チハル・・・。

 

all need is love act.24 end.

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編集後記

皆様、こんにちは~。三連休ですね。いかがおすごしでしょうか。
ちなみに、赤ペンはいまだ現れず、です・・・。
もうこうなったら、いい加減方言で頑張るしかない(脂汗)。
ま、それはおいておいて。
今週は、千春の過去の恋愛話が出てきました。
千春が「ノンケとは恋愛しない」と決めた直接的原因です。
このしがらみのせいで、千春はシノくんを「絶対に好きにならない」と抵抗している訳ですが、作者としては「ユー、早く観念しちゃいな yo」的な心境です(笑)。
それに、温泉のもと買ってくるシノくん、かわいいでしょ?! 千春!!!といいたい心境でもあります。 ── 完全に親ばかです。シノくん、かわええ。
ブラック・チハルに怯えるシノくんもかわええです。

[国沢]

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