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act.23

<side-SHINO>

 朝、会社のエントランスに入り、「おはよう」と受付に軽く挨拶をして階段に向かおうとした時、受付嬢の水城さんから「あの! どちら様ですか?!」と声をかけられた。
 最初俺はその声が自分にかけられた言葉だと思わず、そのまま歩いて行こうとすると、再度「あの、お客様!!」と慌てふためいたような声をかけられる。いくら社員でごった返すエントランスでも、エレベーターホールでなく階段に向かう社員は俺だけで、声は明らかに俺の方に向けられた声だとわかった。
 俺はびっくりして振り返る。
 え? 俺?と俺が自分を指差すと、水城さんがウンウンと頷いた。
「あの・・・篠田ですけど」
 俺はビジネスバッグから社員証を取り出すと、近づいてきた水城さんの目の前にそれを翳した。
「え?・・・あ、篠田さん?!」
 社の看板娘と呼び声の高いあの水城さんが、可愛さをかなぐり捨てるほどの驚き顔で、社員証と俺を何度も見比べる。
「ホントだぁ、篠田さんだ・・・」
 水城さんは口元に手をやり、心底感心したように俺の顔を眺めた。
「何、その反応」
 俺がそう返すと、水城さんは「だってあんまり変わってるから、わからなくて・・・」と言いながら、受付カウンターに残る同僚の斉藤さんを振り返って、同意を求めるような視線を送った。斉藤さんも、うんうんと頷いている。
「どうしたんですかぁ? 篠田さん」
「どうしたもこうしたも・・・。髪型変えたんだ」
「それは見ればわかりますよぉ・・・」
 彼女はそう言いながら、なぜか俺の手元をジロジロと見る。
「何? 手がどうかした?」
「いやぁ・・・、別にぃ・・・」
 水城さんは、そのまま意味不明な事を呟きながら、受付カウンターに戻って行った。
 俺は首を傾げながら、営業部のある三階フロアに上がる。
 自分の席に着いても、受付と同じような反応を返された。
 俺より少し後に出社してきた課長が、俺の席を一旦通り過ぎた後、またわざわざ引き返してくる。
 課長は、まるで知らない人を見るかのような目つきで俺を頭から足先まで眺めてきた。
 俺は居心地が悪くなって課長を見上げると、課長は「あ! シノか! ああ、ビックリした・・・」と胸を撫で下ろしている。
「何ですか?」
 俺が眉間に皺を寄せると、課長はハッハッハと笑いながら「全然知らないヤツがシノの席に座ってると思ったからさ。ちょっと驚いたんだよ」と言う。
 それを合図に、課内の皆もワラワラと寄って来た。
「お前どうしたんだよ。随分変わっちゃって。何だ、とうとう部長に言われてた見合いするのか」
 課長が俺の背中を叩く。
「見合いなんてしませんよ」
「こいつ、女できたんですよ、女」
 川島が課長に耳打ちをする。
 え~と課の連中が一斉に声を上げた。
「ちっ、違いますよ!!」
 俺がいくら言っても信じてもらえない。「そっかぁ、なるほどなぁ」と皆がニマニマした顔つきで俺を見ながら、皆自分の席に返って行く。
  ── なんだよ、なんだんだよ、その反応。
 そんなに俺、変わったのかな。ってか、そんなに俺、前は酷かったの?
 何だか、皆にニヤニヤ見られて、居心地悪い!
 気付けば、日本酒課ブースの入口付近に黒山の人だかりができていた。
 俺がそっちの方に目を向けると、オ~と地鳴りのような声が起こった。
 俺は人寄せパンダか何かか?
 ひょっとして、千春が日頃感じている視線って、こういうものなのかな、とか思いつつ。
 俺はカバンにノートパソコンを突っ込むと、「柿谷に行ってきます!」と大きく声を上げつつ、入口の人ごみをかき分け、フロアを後にした。 

 柿谷酒造に着くと、蔵の方から怒鳴り合いの声が聞こえてきた。
 どうしたんだろう。
 あの声は、柿谷の親父さんと息子の征夫さんだ。征夫さんは俺より五つ年上の37歳で、柿谷の跡取り息子だ。
 上には姉の百合枝さんがいて、そのご主人・和人さんと一緒に柿谷酒造に勤めていたが、跡取りは征夫さんと決まっていた。
 俺は、走って酒蔵の方に向かった。
 入口から中を覗き込むと、大きな金属製の樽が並ぶ蔵の中で、やはり二人が言い合っていた。
「こんなもん、本気で売れると思ってんが?」
「んなん、やってみねえとわがんねえだろ。それにその話は、この前の話し合いで、はあ終わってる。いつまでもそんなこと言ってんのは、征夫だけだべぇ」
「親父はなにもわがってねえんだ。主力の吟醸酒の樽をあけてまで、そんなチャラチャラしたもんこしゃえて。もし売れなかったら、借金が逆に膨らむかもしれねえんだぞ。それをそのまま俺に押し付けようったって、こっちは困る」
「金を返すために、新しいことに挑戦するんだべぇ。お前にはそんな苦労はさせられねぇと思うから、先祖さんから伝わることを曲げてまで、皆がやろうとしてんだんべ。それがわがらねぇが」
「親父は、和人にぃの肩を持ち過ぎだ。俺が話し合いで一度は賛同したのは、吟醸酒の樽をあけてまで薫風をやるとは思ってながったからだ。親父はいっつも和人にぃの味方ばかりして、俺の言うことはひとっつもきかねえ」
「何をバカなこと言ってんだ!」
 柿谷の親父さんが俺に気がついた。
 俺は、ペコリと頭を下げる。
 親父さんは、俺を見て一体誰かわからないような顔つきをした。会社での反応と一緒だ。
 俺は声を出さずに「加寿宮です」と言いながら、再度頭を下げた。
 どうやら親父さんは、無事に俺だと気付いてくれたらしい。
 親父さんは俺を見ながら「薫風は、俊介も頑張って売ってくれると言うてくれとる。皆、お前のことを思っとるんじゃ」と言う。
 征夫さんも親父さんの視線に気付き、俺の方を振り返った。
 征夫さんは、俺を見て一瞬驚いたような表情を浮かべたが、すぐにバツが悪そうな顔をした。
 俺はもう一度、今度は深く頭を下げた。
「お、俊介、入ってこい」
 親父さんが手招きをした。
 俺は「はい」と返事をして、蔵の中に入る。
 蔵の中は、発酵菌が発する独特の甘い匂いが漂っていた。
「今日は、何の用件だ」
「薫風の販売戦略を具体的に練ってきました」
「おお、そうか。聞くべえ」
「はい」
 俺は、ビジネスバッグから新しい企画書を取り出すと、親父さんと征夫さんに渡した。
 ぺらぺらと企画書を捲っていた征夫さんの表情が曇る。
「 ── なんだ、この試飲用のミニボトルって」
「今回の薫風は若い女性をターゲットにしてるので、187mlのミニボトルを試飲用に準備します。ボジョレー解禁の11月中頃からワイン商戦と合わせて、試飲ボトルを大手百貨店や小売店で店頭配布し、まずは味を知ってもらいます。その後はクリスマスはもちろん、年末年始のパーティーにスパークリングワインの代わりに飲んでもらえるよう、広告宣伝を打ちます」
「試飲ということは、ただで配るつもりけ?」
 征夫さんが、俺を厳しい目で見る。
 俺はその視線に怯まず、頷いた。
 課の中で、熟慮に熟慮を重ねて練った戦略だ。
「『無料』という価格は、破壊的な求心力を持っています。200円や300円などと中途半端な値段をつけて売ってしまっては、試飲ボトル自体が売れません。お金を取るのであればそれなりの価格をつけた方が、ものは動きます。だがそれでは、興味のある人しか手には取らない。薫風がターゲットとしなければならないのは、これまで日本酒に興味のなかった女の人です。そのために、『無料』が絶対条件になるんです。── ボトルはワイン試飲用の既製品があるので、それをワイン課の方から安価に手に入れるよう手配します」
 征夫さんは天を仰いだ。
「これじゃ借金が嵩むだけじゃないか」
「その代わり、薫風の販売価格を想定より少し高めに設定します。試飲ボトル代は、そこで回収します」
「回収にはどれぐれぇかかる」
 親父さんが訊いてくる。
「だいたい一年を想定しています」
「一年!」
 征夫さんは乾いた笑い声を上げると、企画書を俺の胸に押し付け、酒蔵を出て行った。
  ── タイミング、悪かったかなぁ・・・。
 俺はシュンとして俯くと、その肩を柿谷さんに叩かれた。
「これで行ぐべぇ」
「・・・いいんですか? 征夫さんは・・・」
「あれには俺が言い聞かせる」
「でも・・・」
「これでも親子だ。いらん心配、しなくていい」
 俺は、胸が熱くなった。
 実に、柿谷の親父さんらしい言葉だった。
 柿谷さんを見ていると、俺の親父を思い出す。
「それで、ボトルの手配はいつできるんだ? 20日以内には大丈夫け?」
「はい。試飲ボトルのラベルデザインも、KAJIMIYAから提案させてください。これ、ボトルの見本です」
 俺は、バッグからボトルサンプルを取り出した。親父さんがそれを手に取る。
「ふん・・・。お上品な瓶だな」
「日本酒ではあまり使わないサイズの瓶ですから。これで充填機にかかるかどうか、テストをお願いします」
「わがった。まぁ、ここじゃなんだ。奥で茶でも飲むべぇ」
 親父さんに肩を叩かれ、俺は「はい」と頷いた。

 奥の部屋に上がると、親父さんは事務所に向かって、「おーい、茶を淹れてくれ」と大声で言った。
 すぐに「は~い」と奥さんの返事が聞こえてきて、パタパタと足音が近づいてくる。ガラリとガラスの引き戸が開くと、奥さんが座敷に座る俺を見て、「あら!」と素っ頓狂な声を上げた。
「まぁまぁ! 誰がと思ったら、俊ちゃん?」
 俺は何だか照れくさくなって、ペコリと頭を下げる。
「やぁ~、随分カッコよく変身しちゃったがら、おばさん、一瞬誰かわがんなかったわ」
 奥さんはそう言って、豪快に笑う。
「おい、早ぐ茶ぁ淹れねえか」
「はいはい」
 親父さんの気難しい声もなんのそので、朗らかな笑顔のまま、奥さんはテキパキとお茶の準備を始める。
 柿谷さん家は完全な亭主関白型だが、その実、奥さんの発言力は大きい。
 結局、俺が柿谷さんと信頼関係を結ぶことができたのも、奥さんの存在が大きいんだ。
「おいしいお煎餅あるがら。まぁ、これでも先に摘んでて」
 ポットから急須にお湯を落とし、茶葉を蒸らしている間に奥さんは茶箪笥から煎餅の入った木の器を取り出してきた。
 俺は街育ちだけど、こういうの凄くいいって思う。
 何より、落ち着くんだよな。
 俺には、おじいちゃんもおばぁちゃんもいないけど、もしあるとしたら田舎ってこんな感じなのかなって思う。
「食え」
 俺が遠慮していると、親父さんが器を突き出してきた。俺は香ばしい香りのする煎餅を手に取る。
「いただきます」
「おう」
 俺は、親父さんと一緒に煎餅を齧った。固い。かなり。
「うんまいだろ」
 親父さんが訊いてくる。俺はうんと頷いた。
 俺がバリバリと煎餅を齧っていると、親父さんは少し顔を綻ばせた。俺は頭の上に?マークを散らせながら親父さんを見ると、親父さんはこらえきれなくなったのか、フフフと笑う。
「外身は変わっても、その食べ方は変わんねえ」
「食べ方、ですか?」
「何もしゃべんねえで、ただ黙々と食べる愛想のねぇところだ」
 それを聞いて、俺は頬が熱くなるのを感じた。
「す、すみません、愛想、なくて」
 俺が慌てて謝ると、お茶を蒸らし終えた奥さんが同じように笑いながら、親父さんの隣に座る。
「褒めてるのよ。征夫は食べてる最中もあれやこれやとうるさいでしょう。いっつも喧嘩になってんの、俊ちゃんも見てるでしょうが」
「はぁ・・・」
 確かに、そういう場面には幾度か遭遇している。でも、ああして喧嘩できるのも親子だからだよな。
 俺は、さっき親父さんが言っていた「これでも親子だ。いらん心配、しなくていい」という言葉を思い出していた。少し、胸の奥が寂しくなる。俺にはもう、そう言ってくれる人はいないからさ。
「それにしても、随分オシャレになったわねぇ。もしここに百合枝や貴美チャンがおったら、もうキャーキャー言われるだろうねぇ。おばさんでも、ちょっとトキメクもん」
「お前、いい年して、何を言ってんだ」
 親父さんが派手に顔をしかめる。酒蔵で働く誰もがビビるその親父さんの表情にも、奥さんは全く怯まない。
「女は、トキメクのに年は関係ないのよ。どうしたの、俊ちゃん。さては、彼女ができた?」
 奥さんの発言に、親父さんが渋い顔つきのまま俺を見る。「何事だ?!」といった雰囲気。
「なんだ俊介。早ぐ言えって」
「この人、俊ちゃんが結婚する時には、とっておきの古酒を開けるって意気込んでたがら」
「おい、魚雅になんか美味い刺身ないか、訊いてこい」
 ちょっ! 彼女ができたどころか、これじゃ結婚が決まったとかって思われてる?! 俺!!
「いやいやいや!! 違いますから! 彼女できてないですから!!」
 俺は思わず絶叫した。
「・・・なんや、違うんか」
 目の前の二人が、明らかに落胆した表情を浮かべる。だから俺は、「すみません」と謝った。
「これから彼女作るのに、いろいろ友達にアドバイスをもらって・・・」
 俺がそう言うと、やっと事情を理解したらしい。
 またも二人で、「ああ」と同時に声を上げた。
「俊ちゃん、大丈夫よ。そんだけカッコよくなったんだがら、すぐにできるわ」
「はぁ・・・。だといいですけど」
 俺が頭を掻くと、親父さんがお茶を飲みながら一言言った。
「俊介。外身が変わっても、中身が変わったらいかんぞ」
 俺は、ハッとして親父さんを見た。
「お前の中の大切なもんは変えたらだめだ。チャラチャラしてるだけじゃ、だめだ」
 そういう親父さんの腕を、奥さんがオーバーに叩く。
「もう、折角俊ちゃんがやる気になってるのに、アンタはいつもすぐにそうやって水を差す。応援してあげなくちゃ」
 奥さんにそう言われ、親父さんがぶすっと口を尖らせた。
 でも、親父さんにそう言われ、嬉しかった。
 俺が千春に「俺の知っている千春に戻って」と思わず言ってしまったように、親父さんも素の俺を好きでいてくれてるんだと思うと、胸が熱くなる。
 心の奥底で感じていた寂しさとも相まって、何だか凄く、千春に会いたくなってしまった。
 昨日会ったばっかりで変だけど、千春に会いたい。
 俺は、親父さんと奥さんの掛け合い漫才のようなやりとりを微笑ましく眺めながら、そう思っていた。

 

all need is love act.23 end.

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編集後記

一週間ぶりのご無沙汰です。皆様いかがお過ごしですか?
今回は柿谷酒造の様子がメインで出てきました。
田舎の人らしさを出したいなと思って「訛り」を入れたのですが、お気づきの通り、この国沢、栃木訛りが

全くわかりません。

・・・。
いやぁ・・・。南国育ちなんで、東の言葉はわからんのですよ・・・(汗)。
なので、現在柿谷酒造の人達の訛り言葉は全くの

デタラメ状態(脂汗)。

むしろ西日本もしくは南の方の訛り言葉に近い、なんてことに。
いやはやお恥ずかしい。
ネットで栃木訛りを調べてみたんですが、よく分かりませんでした(汗)。

もし、「あたし、栃木の言葉、わかるわよ」という方がいらっしゃったら、ぜひ添削をお願いしたいものです・・・。

きたれ!赤ペン先生!!

[国沢]

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