act.26
窓の外には、今年に入って初めての・・・もっとも、今日は今年の第一日目だ・・・雪がちらつき始めた。
── ついに降ってきた・・・。
ひんやりと冷たいガラス窓越しにヒラヒラと舞い降りる純白の小さな粒を眺めながら、ショーンはぼんやりと思った。
コウは無事に帰れたかなぁ、と。
羽柴がショーンの家を後にしたのはもう随分前のことなので、普通に走れば雪が降り出す前に家に帰り着いているだろう。
ショーンは何気にチェストの上の電話を手に取ったが、番号をプッシュする前にはたと我に返った。
電話してどうしようっていうんだろう。
ここまで来て、自分の努力を無駄にするつもりか。
羽柴が帰ってからというもの、スコットは随分ショーンのことを心配してくれて、慰めてくれようとした。
どうやらスコットは、ショーンが羽柴を連れて帰ってきたその瞬間に、ある程度の状況を把握していたようだ。ただ、実際とスコットの思惑が違っていることは、スコットは羽柴に妻もしくは恋人が既にいると思っているということ。
正確にはそうじゃなかったが、ショーンはそれを敢えて否定しなかった。
羽柴の心の中には、今もあの人の存在が大部分を占めているので、意味は同じだ。
一方クリスはそう考えてはいなかったが、いずれにしろショーンが羽柴から恋愛の対象として見られていないことは判っていた。彼は「諦めていいのか?」とはっぱをかけてくれたが、スコットに諫められた。
スコットには自分の愛する息子が本当に深く傷ついていることが判っていて、それを何とか守ることに必死になっていたようだった。
スコットとクリスが見解の相違でケンカでも始めそうな雰囲気だったので、ショーンは努めて明るく振る舞って、早々に自分の部屋に引っ込んだ。
── 自分のために、争って欲しくない。
皆が自分のことを気に掛けてくれて、面倒をみてくれて、でも自分が返せることは争いとか失望とか、そういうのだけなんて、悲し過ぎる。
今も羽柴の流した涙が忘れられない。
あんなにさめざめと泣く人を、ショーンは初めて見た。
まるで呼吸を忘れたかのように、本当に静かで怖いほどの涙だった。
それだけに、羽柴の負っている傷がどれだけ深いかを知った。
羽柴にあれだけの涙を流させるほどの存在の代わりとして、そのぽっかりと開いた穴を自分が埋められるだなんて到底思えない。そんなことは、とてもできない。今の自分には。・・・いや、例え今後どれだけ自分が成長しようとも、無理なのかも・・・。
『また会おうね』
友人との別れに、当たり前のように出てくるフレーズを使わなかったのは、羽柴のためだと自分に言い聞かせた。
けれど本当は、自分のためだったのだ。
大いなる『恐怖』から逃げるための手段だった。
羽柴にきっぱりと拒絶されることが。
そして、彼の中の『彼』の存在に再び触れることが。
ショーンを嫌でも『恐怖』に駆り立てる。
羽柴の存在があって失声症から立ち直ったというのに、彼の中のタブーに踏み入れ、彼を本当に失ってしまったら、今度はどうやって立ち直ったらいいのだろう。
音楽活動ができなくなることよりも、今はそっちの方がとても怖く思えた。
それを思うと、ギターが弾けなくなって大慌てに慌てた自分が滑稽に思えてくる。
ショーンはベッドに寝っ転がり、両手を額に押し宛てた。
溜息を吐いて、目を閉じる。
コウと出会えて得たものは沢山あった。
けれど、それを失う怖さも知ってしまった。
それはまるでパンドラの箱のようで、今後自分が新たな恋を見つけるまで、ずっと付きまとう恐怖なのだろうと思う。
また見つかるかな・・・。次の恋が。そう楽天的に思うショーンがいる一方で、結局お前は逃げたままの負け犬か。と自分を責め立てるショーンもいる。
── 今はやめて。
どうか今、俺を責めるのはやめて・・・。
目を閉じたショーンの目尻から、涙が一筋零れ落ちた。
きっと今夜は眠れない。
ショーンはそう思った。
ショーンを彼の実家に送った翌日、羽柴は何をするでもなくぼんやりと過ごしていた。
ショーンがいなくなった空間が何となく空虚で、何もする気が起きなかったというところが本音だ。
本来なら、アメリカの社会は日本みたいに三が日はないから、月曜である2日が仕事始めだったが、羽柴は毎年この時期に纏めて長期休暇を取るようにしていた。
真一の命日に合わせて帰国するためだ。
日本への出発は明後日の予定だから、そろそろ荷造りを始めないといけない。
けれど何だかそんな気にもなれなくて・・・。おまけに食欲もあまりないときたから、流石に自分で呆れてしまった。
日頃は割と食い意地の張った・・・だから自分で積極的に自炊する・・・自分が、食べることすら億劫になるなんて本当に珍しいことだ。
けれど、ショーンと過ごした数週間が特別でないと誰が言えるだろう。誰だって、特別だと思うはずだ。
世界的に有名で、その演奏でファンを熱狂させているロックスターが、実はあんなに純粋でチャーミングな素顔をしていて、おまけに自分にあんなに甘えてきてくれたなんて。
そして呼吸が届く距離で彼のギターの音を聴き、幸運なことに歌声も聴くことができた。
それに心を奪われない人間がこの世にいないはずがない。
例え彼のファンでない人間だったとしても、あの日のロジャー家のパーティーにいたとしたら、ショーンの魅力に夢中になっていたはずだ。
それほど、彼と過ごした時間は強烈なイメージで羽柴の中に残った。
世の中には、カリスマと呼ばれる特別な魅力を持つ人間がいるが、きっとショーンもそういう人間のひとりだろう。
── これが燃え尽き症候群というやつなのかな・・・?
自分が妙に的はずれなことを考えていそうだぞ、と自覚した羽柴は、脳味噌までいよいよバカになったかと、久々にまともな食事をしようと考えた。だが、自分で作る気力までは湧かず、街に出ることにする。
近所のカフェに入ってクラブサンドを頼み、先に来たコーヒーを啜っていたら、偶然昔の同僚と会った。
ジェシカ・ハミルトンは、羽柴のデスクがある同じフロアに以前勤めていた女性で、少しの間羽柴と交際していたことがある。だが今は別の会社の男性と結婚し、同時に退社していた。
羽柴が座る席の側のガラス窓を叩いた彼女の腕には、おしゃぶりを銜えた赤ん坊が抱かれていた。
「久しぶり! 元気にしてる?」
張りのある懐かしい声だった。
彼女の溌剌とした性格に押され付き合い始めたが、何となく自分と似過ぎていて、それがしっくりこず別れてしまった。彼女も同時にそう思っていたので、争わずに別れた。そのお陰で、今でもこうして気兼ねなく声を掛け合える仲だ。
羽柴が、向かいの席に座るように彼女をエスコートすると、「相変わらず卒のない優しさで逆に憎たらしいわ」と笑った。羽柴も思わず苦笑いする。
「新年からあなたに会えるなんて、ついてるかもしれないわね」
なんてジェシカが戯けるので、逆に羽柴は「旦那さんに告げ口してやろうかな」と返した。今度はジェシカが顔を顰める。
「やめてよ。ウチの旦那、あなたと違って、本当に嫉妬深いの」
「ふ~ん」
「でも、愛されてるって実感できる瞬間だから、結構快感なのよ」
そう言いながらウインクする彼女は、本当に幸せそうだ。
羽柴が、腕の中の赤ん坊をあやす彼女の姿を目を細めて見つめていると、ふいにジェシカが言った。
「でも珍しいわね。あなたがこんな日に、こうしてのんびりとお昼食べてるだなんて」
「ん?」
「いつもはこの時期、日本に里帰りする準備で大変そうにしてたじゃない。荷造りは終わったの? 出発はいつ?」
「出発は明後日だから、まだ少し時間はあるんだよ。これから帰って荷物を纏めようかと思ってる・・・」
羽柴は自分でそう言いながら、何か決定的なことを忘れているような感覚に襲われた。
── そう言えば、今朝もそんな風に感じていたんだ・・・。
怪訝そうに自分を見つめるジェシカの顔越しに、カフェの壁に貼られた昔の映画ポスターに飛行機の姿を見つけ、次の瞬間には蒼白になった。
── そうだ。
何か抜かっていると思っていたが、そうだった。
急に瞳をギョロギョロとさせ始めた羽柴を見て、ジェシカが顔を曇らせる。
「どうしたの? 急に」
「・・・忘れてた。飛行機のチケット、取ってない」
「え?!」
「うっかりしてた・・・。先々月には取るつもりでいたが、いろいろあって・・・」
その台詞を聞いて、羽柴以上にジェシカが驚いた顔をしてみせた。
「あなたの口から、うっかりなんて言葉が飛び出してくるなんて!!」
母親の叫び声に、赤ん坊が泣き出す。
「ああ、ごめんなさい。驚いちゃったわね・・・」
ジェシカは、周囲の人に謝りながら子どもをあやし、赤ん坊の口にほ乳瓶を銜えさせた。取り敢えず赤ん坊は泣きやむ。
「・・・でも、大丈夫なの? 今更、どこをどう探したって日本行きのチケットは手に入らないと思うわよ。この時期だもの。大切なセレモニーがあるんじゃなかったっけ?」
「そうなんだ・・・。チクショウ・・・」
羽柴は硬く目を瞑って、顔をゴシゴシと擦った。
1月8日が真一の命日で、羽柴はその前に毎年必ず帰国するようにしていた。この五年間ずっと。
いつもなら、飛行機の席が込み合うこの時期のことなので、大抵早めにチケットを取るはずだったが、今年は仕事も忙しくてついつい先延ばしにしていた。遅くても11月には取ろうと思っていたのだが・・・。
「一応、キャンセルがあるかどうか問い合わせてみたら?」
「そうするよ」
羽柴は、目の前のクラブサンドに手も着けず、席を立った。
「あ、よければこれ、食べて。まだ口つけてないから」
羽柴はそう言うと、慌てふためいて店を出たのだった。
結局。
結論をいうと駄目だった。
羽柴はありとあらゆるところに問い合わせをしてみたが、ワシントンで大きな国際会議があるとかで、キャンセル待ちをしない限り見込めそうになかった。けれどキャンセルも出る確率は少ないと言われ、冷静に考えると諦めざるを得ない状況だった。
取る物も取り敢えずカバンに荷物を突っ込んで、一番近いリッチモンド国際空港まで車をかっ飛ばしてみたが結局は無駄な努力で終わり、羽柴は深い溜息と共に自宅に帰ってきた。一瞬リッチモンドより発着便の多いダレス国際空港まで行ってみようかと思いもしたが、時間的なこともあって断念するしかなかった。
近年にないほどの自己嫌悪に陥り、テラスから見える街の風景が暗く淀んで見えた。
── 取り敢えず、連絡しとかなきゃ・・・。
重い体を引きずって電話の受話器を手に取り、コートも脱がないままソファーに倒れ込んだ。
まずは、真一の母親に電話をする。
羽柴が今年は命日に帰国できないことを告げると、意外にも彼女はあっさりとした明るい声で許してくれた。いや、そもそも彼女は羽柴を責めることなどなかった。逆に、謝り続ける羽柴を諫めてくれたほどだ。
真一ももう三回忌を過ぎたんだから、そんなに重く考えないで欲しいと彼女は言った。
いつまでも引きずらないで欲しいと。
── そうは言っても、あなたの性格だとそれは無理なんでしょうけれど。
そう言って朗らかな笑い声を聞かせてくれた真一の母親に、少し元気を貰ったように思った。
何だかここ数年は、自分の実の母親より、より親密に連絡を取り合っている。彼女の、心優しく時に厳しい言葉は、まるで彼女が真一の母親なのか自分の母親なのか見分けがつかないぐらいだ。
電話を切って、しばらくソファーに伏せた。
自分の身体とソファーに挟まれた胸のロケットが、羽柴の胸板をズキズキと押してくる。
『僕のことを忘れてしまったんですか?』と真一に責められているような気がした。
でもそのイメージを羽柴はすぐに打ち消す。
真一は、そんなことで羽柴を責めたりする人ではなかった。
いつも穏やかで、羽柴を柔らかく包んでくれていた。
彼が我が儘を言うことは決してなく、子供じみたことで羽柴を責めたりすることもない。
羽柴の方が年上だったが、付き合っている間の感覚では、明らかに真一の方が年上に思えた。
だからこそ、たまには甘えてもらったり、我が儘も言ってもらいたかったりもしたけれど。でも、そうするには余りにも自分達の時間は短かった。
すぐに離ればなれになり、メールや電話で心を繋ぐしかなかった。
けれど、そんな状況の中でもいつも真一は羽柴に気を使っていて、異国の地で仕事で疲れたり傷ついたりした羽柴を癒してくれた。
自分は真一と付き合えて幸せだったと断言できるけれど、果たして真一の方はどうだったのだろうか・・・と羽柴は思う。
結局最後の時を一緒に過ごすことができなかった自分は、真一を孤独にしてしまっただけじゃないのか。残された最後の時間を、海外赴任という形で物理的な距離を作ってしまった自分のような人間と過ごすことが、彼にとって本当によかったのか・・・。
真一を亡くして今まで、羽柴はよくそういう考えに捕らわれることが多かった。
近年では、その頻度もある程度少なくなっていたが、ショーンと出会って、彼のような純粋な人間の生き方に触れてしまうと、そういう思いを誤魔化して生きている自分のことが滑稽に思えて、何となく封印していた場所を覗き込んでしまう。
── やはり、ショーンとああいう別れ方をして正解だったのだ。
これは、自分のためでなく、彼のためとして。
こんな中途半端に気持ちをひきずっている自分に、他の人を支えることなどできっこない。
満足に自分の面倒も見切れてないというのに、『支える』などとは偉そうに。
── 自分の強さは、所詮『偽り』だ。
ショーンの苦しみを受け止めても潰れないと断言したのは強さから来るのではなく、共鳴からくるのだ。
既にもう破綻しているのだから、それ以上潰れることはない。
つまりはそういう事だ。
── 俺は、人生を懸命に生きていない・・・・。
「う~~~~」
羽柴は、胸を押さえて蹲った。
そうして何時間も、そのままでいた。
バルーンの所属事務所から実家に電話がかかってきたのは、ショーンが実家に戻ってきて数日後のことだった。
羽柴が去ってから、ショーンはぼんやりと過ごす日々が続いていた。
何だか心がぽっかりとしてしまって、することが浮かばないといったところだった。
今まで・・・実家を出てからの二年間のスピードが余りにも早過ぎたせいかもしれない。特に羽柴と出会ってからは毎日が必死で、あっという間のことだった。
だから、こうして高校生の頃のように自分の部屋で寝起きをしていると、急にスピードダウンしたような感じがして、何をどうしていいのか正直戸惑ってしまう。
ショーンの中にある悲しみは・・・今のところ心の奥底で息を潜めている。
スイッチを入れれば、すぐにでもショーンを決定的に痛めつけられるほどのパワーを持って襲ってくるだろうが、今はその場所を見ないようにしている。
スコットやクリスが、それを判っていながらも普段のように接してくれていることがありがたかった。ただクリスは、妙に気を使ってくれているのか、前のように劇場に泊まってくる日が多くなった。できるだけ、ショーンがここで暮らしていた時と同じ空気を作ってくれようとしているらしい。
そこまで気を使ってもらうのは些か気が引けたが、今はそれに甘えることにした。
少しでも心に負荷がかかると例の悲しみのスイッチが入りそうで、ぼんやりと暮らしながらもおっかなびっくり毎日を送っているようなものだ。
それでも失声症が再発するわけでもないから、大丈夫なんだと思う。
事務所からかかってきた電話をまず取ったのは、スコットだった。
ショーンのために昼食を準備している最中のことだった。これまでなら、その時間帯はいつもクリスがクーパー家にいた。
「ショーン、事務所から電話だけど、どうする?」
ショーンの部屋のドア越しにスコットの声がして、ショーンはすぐに「出るよ」と答えた。
チェストの上の子機を手に取る。
電話に出ると、電話の相手はアシュレーだった。
「ハロー?」
『ショーン! ああ、よかった! 声出るようになったのね!』
心配げな声を聞いて、ショーンは少し微笑んだ。
「そうなんだ、お陰様で。心配かけてごめん」
『いいのよ、そんなこと。やっぱり病院よりも実家でのんびりする方がいいのね。それで、ギターの方はどう? 弾けるようになった?』
「うん。まぁ・・・」
そのショーンの声を聞いて、アシュレーの声がますます弾んだ。
『よかったわ! これで一安心。ショーンも安心して。新譜の仕上げも何とかこちらでフォローしたから、今回の件キングもそれほど怒ってない』
ショーンは思わず子機を耳から放して、マジマジと見つめてしまった。
── 俺、やっぱイアンに怒られるようなことしてたのか。
ショーンが軽く溜息をつくと、受話器から『ショーン? ショーン?』と不安げなアシュレーの声が漏れてきた。慌てて子機を耳に戻す。
「ああ、ごめん。ちょっとぼんやりしちゃって」
『もう、しっかりしてよ。新譜のジャケットは、イアンだけの写真を使うようなデザインにしたら、撮影に出てこなくてもいいようにしたわ。進み具合は順調よ。これで予定通り新譜の発売スケジュールが組める。だからショーン、一週間後にはこちらに戻ってきて欲しいの。今回も世界的に新譜のプロモーションを行うつもりでイアンはいるわ。その打ち合わせもしたいし・・・。それに年が新しくなったから契約更新のサインもしてもらわないといけないわ。本来なら、年末に済ましておかなきゃなかなかったけど、状況的に無理だったから。構わないかしら』
「ああ・・・」
『悪いわね。ああ、よかった! 今日電話してダメだったら、どうしようかと思っていたのよ。事務所の皆も凄く心配してる。安心すると思うわ』
「ごめん。皆に大丈夫だって伝えて。ありがとう」
『あと一週間は取り敢えず自由に何をしてもらっててもいいから。プロモーションが始まったら休みどころじゃなくなるから、今のうちたっぷり休んでおいて。ケガの巧妙ね』
「うん・・・そうだね」
一週間後には迎えをそっちにやるから、と最後言葉を交わして、唐突に電話は切れた。
取り敢えず、今回の一件でバルーンをクビになることはないらしい。
新譜の仕上がりが、イアン好みの満足できるものになったんだろう。
幾ら我が儘を言っても、イアン・バカランは一流のアーティストだ。
自分の納得できるいい作品ができれば、多少の不都合があっても機嫌はいい。
ただし、イアンが納得できたとしても、ショーンに取ってそれが納得できるかどうかは別問題だが。
けれど・・・、バルーンはイアンのバンドだ。
他のメンバーの意見は、重要ではない。
ショーンがゆっくりと子機を元の場所に返すと、ドアがノックされた。
「ショーン?」
スコットだ。ずっと気になって、そこにいたのだろうか。
「ダディ、入っていいよ」
ショーンがそう言うと、ドアが静かに開く。やはり少し心配げなスコットの顔が見えた。
「事務所の人はなんて?」
「うん。あと一週間休みをくれるって」
ショーンはそう言いながらベッドに腰掛け、大きく伸びをした。
「もういい加減、動き出さなきゃね。でないとカビが生えちまう。持って帰ってきた荷物、ちょっと整理しとこうかな」
笑顔を浮かべる息子の顔を、父はじっと見ている。
「無理・・・してないかい?」
そう言われ、ショーンはふいに笑みを消した。
スコットが部屋の中に入ってきて、ショーンの隣に腰掛ける。
「── このまま、ここにいてもいいんだよ」
ショーンは眉を顰めてスコットを見た。
「それって、どういう意味? ・・・俺がバルーンを辞めてもいいってこと?」
スコットは黙ったまま頷く。そして言った。
「声を失うまでしてするものじゃないよ、仕事は」
ショーンは目を見開いた。
「知ってたの?」
「さっき、電話を掛けてきてくれた女の人がそう言ってたからね。前々からクリスに、お前が友達のところに身を寄せてると聞かされた時から多少は心配してたけれど、まさかそこまで悪かったとは・・・。気付いてやれなくてごめん」
「そんな! ダッドが謝る必要なんてない。隠してたのは俺の方だし・・・。だからクリスのことは怒らないで。絶対だよ」
スコットは再度頷く。それでもスコットは厳しい目つきをしていた。彼は、心配そうな表情でショーンの髪を撫でた。
「最初はお前のデビューがすぐ決まって手放しで喜んだが、今では少し後悔してる」
「ダディ・・・」
「こんなに傷ついて・・・。そうするまで続ける価値があると思うかい?」
頬を撫でられて、ショーンは瞳を閉じた。
脳裡には、ビル・タウンゼントの姿が浮かんだ。酒と薬浸りで床をのたうち回っていた父の姿が・・・。
「ごめん・・・、ダディ。やっぱり俺には無理だよ。バルーンを辞めるだなんて」
ショーンが目を開けると、唇を噛みしめたスコットの顔が見えた。
「怖いんだ。ビルみたいになるのが。都会で一度成功を収めて、一気に墜落するその様を、俺はすぐ側で見てた。ああいう風にはなりたくない・・・」
「でも、ショーン。音楽を続けようと思ったら、方法は幾らでもある・・・」
「判るよ。ダディの言うことは。そういうのもありだって思う。けれど、バルーンを離れて、本当にそんなことができるかどうかなんて、今の俺には全く自信がないんだよ。きっと途方にくれてしまう。そうしているうちに、ビルのようになっちゃうんだ、きっと・・・」
「ショーン・・・」
「無理だよ。今は、コウのことを思い出にするのでさえ精一杯だっていうのに、そんなことまで考えられない・・・!」
本音を吐き出した息子を、父は静かに抱きしめた。
「ごめん、ショーン。パパが急ぎ過ぎたな。ただ判っていて欲しいのは、例えショーンがバルーンを辞める決断をしても、パパはそれに喜んで賛成できるってことを知って欲しかっただけ。世界を敵に回しても、パパだけはお前の味方でずっといることを判って欲しかった。帰れる場所はあるんだよ、ここに」
「うん・・・うん・・・」
ショーンはスコットの腕にしがみついて頷いた。
しばらくショーンが落ち着くまでスコットはずっとそうしてくれた。
やがてショーンが身体を放すと、スコットはショーンの頭をポンッと叩いた。
「荷物の整理は昼ご飯を食べてからにしなさい。もうできてるよ」
「うん」
ショーンはそう言って、微笑みを浮かべたのだった。
please say that act.26 end.
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編集後記
皆様! 天使、天使ざますよ!!
次週はいよいよ、愛のキューピットの登場です!!
って、この話、今後、後から後からザクザク恋のキューピット達が現れてくるけど(汗)。
ま、その第一号目の登場ということで(笑)。
次回予告を読めば、それが誰かはもうお分かりですね。前回はちょい役だったけど、次回はもっとでずっぱりです。こうご期待!ということで(笑)。
さて、今週は羽柴のトンチンカン振りが発揮された訳ですが・・・。
耕造さん、完全に忘れてました(汗)。チケット取るの・・・。
11月から12月にかけて、本当にドタバタしてたもんね、ね!!(何となくここでフォロー(汗))
ま、マヌケなんですけど、マヌケって言わないでください・・・←無理そう(涙)
そこまで追い込んだのは、作者であるオイラですきに・・・。(何となく方言)
耕造、ひたすら反省の回なのでした(大汗)。
[国沢]
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