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nothing to lose title

act.08

 あれから数週間経っていた。
 羽柴はC市に戻り、いつものような日々が過ぎて行った。
 ただ少し以前と違うことがあるとすればそれは、テレビや雑誌でショーン・クーパーの情報が出ているものがあれば、敏感に目を向けるようになったことだ。
 どうやら、音楽雑誌の情報によると、現在ショーンは再びレコーディングスタジオに缶詰の状態にあるらしい。パパラッチを警戒して、スタジオの外に一切出てこないとあった。
 ショーンが、往年のロックスター、ビル・タウンゼントの息子であるとの報道は、一旦終息を迎えていた。
 あの騒ぎがあった数日後に、バンドメンバーのイアンに伴われてカメラの前に立ったショーンは、自分の父親がビル・タウンゼントであること、そしてビルはショーンが幼い時に亡くなった為あまり記憶がないこと、イアンとビルに交流があって、イアンのバンドに入れてもらったことをとても感謝していることなどをつらつらと話していた。
 その映像は、音楽情報番組の他にも一般の芸能番組まで配信され、羽柴は何度もそれを見る機会を得た。
 あの時は、息がかかる程近くにショーンの存在を感じたが、こうしてブラウン管を通して彼の姿を見ると、流石に雲の上の人間だということを思い知らされる。
 ショーンに向けられるカメラのフラッシュの数は尋常ではなく、満面の笑みを浮かべるイアン・バカランに肩を組まれ、クールな表情を見せながら被写体になっている様は、まさしく現在最も輝いているロックスターそのものだった。
 しかしまぁ、なんだってあんな顔つきなんだろう。
 羽柴はその映像を見る度にそう思った。
 確かにショーンは、どんな表情を浮かべていたって魅力的だったが、画面のショーンは何かが欠けていた。敢えて言えばそれは、『生気』だろうか。
 まるで操り人形のように作り物のような表情を浮かべている。
 とても固くて、強ばっているようにも見えた。
 ホテルやレストランで見せていたあの輝くばかりの表情は、一体どこに忘れてきたのか。
 笑ってる時の顔。焦っている時の顔。泣いてる時の顔。口を尖らせている時の顔。寝ぼけ眼も、驚いて大きく見開いた瞳も、全てが信じられないくらい魅力的であったのに。
 バルーンのギタリストとしてのショーン・クーパーがあのテレビの中の彼だとしたら、素顔のショーン・クーパーは今よりもっと多くの人々に愛されることだろう。
 それを思うと、やはりあの一日は、夢のような一日であったに違いない。
 バルーンのCDやライブのDVDも購入して見てみたが、異常な程に何もかもがイアン・バカランにクローズアップされていて、ライブのカメラワークもアルバムのジャケットも、他のメンバーがいつもピンぼけになっていた。おそらく、もっとショーンも前に出していれば更に売れる筈だろうに、ショーンの扱いに至っては、更に頑なだった。
 それでも、彼のギターは隠すことができない。
 いつもはジャズしか聴かない羽柴でも、ショーンのギターがどれだけ素晴らしいかは、一曲聴いただけでもよく分かった。
 ショーンのギターの音色は、まさしく『雄弁』だった。
 ショーンの考えていたり、感じていることがギターの音にのって、様々な表情を見せる。
 音というものが、これ程多彩な色を感じさせるだなんて、初めて知った。
 イアンのボーカルも確かに素晴らしいものだったが、ショーンのギターに比べると、些か迫力に欠けた。
 ショーンのギターは、まさに『歌を歌っている』。
 どこかの音楽雑誌の記事にそんなタイトルがつけられていたが、あながちそれは嘘じゃない。
 羽柴は、ショーンの扱われている雑誌を片っ端から集めた。
 バックナンバーをまとめ買いしたり、会社の同僚の子どもが持っていたものを譲って貰ったりもした。
 それらを時系列に並べ、CDやライブの音と合わせると、ビックリする程正直に、ショーンのその時の感情が分かるようだった。
 モデル出身の若手女優と付き合い出した頃に録音された曲のギターは甘く優しげで、CDの売上げがトップに躍り出た時のライブ映像は、まるで跳ねるような勢いのある演奏をしている。
 そして、羽柴が「あれ、これはあんまりよくないな」と思う時の音は、大抵イアンやマスコミの誰かに否定的なコメントをされている時だ。
 どうやらショーンは、他のメンバーより増してインタビューの機会が少ない。単独でしゃべることは皆無だったし、メンバーと共に揃って出た時でさえも、マイクを無理矢理向けられて一言二言しゃべるだけだ。
 だからショーンの気持ちを知るには、ギターの音を聴く方が分かりやすい。
 そこまで思って羽柴は、「ああ」と思い当たった。
 やはりショーンは、明らかに抑圧されている。
 ショービズという表もあれば裏もあるような世界で、何とか自分のキャラクターと折り合いをつけながら、ギターだけを必死になって弾いている。
 ── なんてこった。
 羽柴は、背筋が薄ら寒くなった。
 ショーンはデビューしてまだ二年だそうだが、二年目でこの状態なら、きっとその先はそう長くないだろう。
 あるとすればそれは、羽柴の見たあの素直な青年が押し潰されて、永遠に表に出てこなくなった時にだけだ。
 羽柴は、そんな環境に晒されているショーンに同情するよりも先に、苛立ちを覚えた。
 それも頭を掻きむしって怒鳴り出したくなるくらいに強い苛立ち。
 それは、何とかしてやりたいと思ったところで自分は結局何もできないのだと気付いたからだった。
 いずれ自分は、ショーン・クーパーが壊れていった後の惨憺たる有様を見ることになるのだろうか。
 羽柴が一瞬そう思ったことが実際に現実になったのは、そう遠くない未来のことだった。


 街中が、ジングルベル一色になっていた。
 誰もが、家族や恋人など愛する人達になんのプレゼントを買うかと思案しているような楽しい時期。
 それは羽柴にも訪れて、家族ぐるみのつき合いをしている同僚の子ども達に今年は何を送ろうかと思いつつ、その日帰路についたのだった。
 羽柴は、C市の比較的古い地区にあるフラットを根城にしていた。
 どちからといえば高給取りの部類に入る羽柴ぐらいになると、アメリカでは十二分な広さのフラットを手に入れることができる。
 羽柴のフラットも一人で生活するには広すぎる程広いところで、作りも少し変わっており、とても気に入っていた。日本での狭いマンション生活が嘘のようである。しかもこれで、同僚のものに比べると質素な方だから更に驚きだ。
 真っ赤な色のドアを開けて中に入ると、まずL字型になった階段がある。階段の下は物置で、スキー道具やスーツケースなどが纏めてたっぷり入る収納スペースになっていた。
 階段を上がると急に視界が開け、壁一面に白いペンキが塗られたリビングに出る。
 天井はその脇にあるロフトの部分も合わせてなので、かなり高い。ソファーやテーブル、オーディオセット、古びているが画面が大きなテレビなどなど、必要な物をいろいろ置いても天井が高いので、圧迫感はまるでない。
 また、リビングから直接ベランダに出ることができた。いや、正確に言えばそこはテラスだ。前の住人が置いていったガーデニングがそのまま残っており、羽柴も比較的マメに手入れをしている。テラスには庇のような屋根のせり出しがあり、その下に椅子を出せば雨の日でも濡れずにオープンエアが楽しめた。
 リビングを抜けると、右側にダイニングキッチンがある。そこは天井がリビングに比べて低く、比較的狭い。ネイビーブルーのタイルがキッチン沿いの壁にびっしりと貼られている。キッチンは備え付けで、コンロは三口、オーブンつきだ。物は古いが、十分に使える。羽柴は比較的自炊を好んでするので、動線を考えると、狭いキッチンの方が使い勝手がよかった。
 バスルームとトイレはそれぞれ自立しており、リビングを抜けて左側、キッチンの向かいにドアが並んでいる。
 バスルームの窓からはテラスの様子が見える仕組みだ。テラスの壁は比較的高いので、時には風呂場からタオルを巻いただけの格好でテラスに出て、涼むこともある。
 寝室は、ロフトの上にしていた。
 ロフトと言っても、広さや天井の高さも十分あって、オープンエアな普通の部屋といったところだ。
 基本的にはリビングと同じ空間にあるので、ベッドに寝ながらオーディオのリモコンが使えるのがいい。
 お気に入りのオールドジャズを聴きながら、軽く寝酒を嗜みつつ眠りに落ちるのが、羽柴にとって至福の一時だ。ベッドはシングルベッドだったが、アメリカサイズなのでゆったりと眠れる。
 唯一この部屋に文句を言うとすればそれは、空調代がかかるぐらいのもので、他はほぼ完璧といえる住まいだった。
 その住まいに夜遅く突然の来訪者が現れたのは、週末、たれもった仕事をやっと片づけ、冷たい小雨が降る中帰宅し、夕食の支度を終えたまさにその時だった。
 いただきます、と両手を併せた瞬間だったので、羽柴はクイッと片眉を上げた。
「誰だ、こんなベストなタイミングに・・・」
 と嫌みを言いながら、玄関まで行って覗き窓を覗き、ギョッとした。
 慌ててドアを開ける。
「ショーン!」
 そこには、髪を濡らしたショーン・クーパーがひっそりと立っていた。
 くすんだオレンジ色のダウンジャケットに履き古されたストレートジーンズ。いい具合に汚れたコンバースのスニーカー。およそ華々しいスターとは程遠い、素朴な格好。
 少し寒さに晒されたのか、青白い顔色をしている。
 ショーンは、担いでいた青のディバックからA4サイズのスケッチブックを取り出すと、徐にそれを捲った。
『本当に来ちゃった』
 と黒いマジックで書いてある。
 羽柴がそれを読み終わると、ショーンはテレくさそうな微笑みを浮かべ、また紙を捲る。
『中に入ってもいいですか?』
「あ、ああ。もちろん。入って」
 ショーンを中に誘ってドアを閉めると、ショーンはまるでおのぼりさんのように、キョロキョロと羽柴の家の中を見回した。
 階段を上がってリビングに出ると、パッと表情を明るくする。
 羽柴を振り返ったショーンの目は、明らかに「広い!」と言っているようだ。
「君の部屋より広いのかい?」
 羽柴が訊くと、ショーンはすぐに頷く。羽柴は自分もぐるりと部屋を見回した。
「ま、ニューヨークよりここは田舎だから、住宅事情がいいんだよな」
 そう呟く羽柴を置いて、ショーンはいそいそとソファーに向かう。
 その背中は、明らかに『弾んで』いた。
 まるで秘密アジトを手に入れた子どものようだ。
 ディバックを床に下ろしたショーンは、濡れていたダウンジャケットを脱ぎ、ソファーに掛けた。中は、チャコールグレイのタートルネックセーターを着ていた。軽く腕まくりをしているので、腕にはあの黒い革製のリストバンドが覗いている。
 羽柴は、ダウンジャケットをリビングの片隅にあるコート掛けに掛けた後、バスルームの脱衣所にあるフェイスタオルを持ってきて、ソファーに足を広げ腰掛けていたショーンの髪の毛をザッと拭いてやった。
 ショーンは、あのホテルで見せたような、ゴロゴロと喉を鳴らしている猫のような顔つきで、気持ちよさそうに身を任せている。
「あ、そうだ。晩飯食うか? 俺、今から食べるところなんだ」
 羽柴がそう言うと、ショーンはゴソゴソとディバックを探り、大きなマジックペンを取り出すと、スケッチブックに『食う』と書いた。それを羽柴に向ける。
 羽柴は、顔を顰めた。
「別に、夜だからって隣近所に気を使うことはないぞ。お隣といっても向かいにひとつしか部屋がないし、どんなに大声上げても、部屋の外には聞こえにくいんだ。確かに、廊下やテラスで大声を上げると上や下に響くが・・・」
 そこまで言って、羽柴はショーンの様子がおかしいことに気が付いた。
「・・・何か・・・違うのか?」
 羽柴は口ごもる。
 ショーンは、鼻の下を擦って少年のような表情を浮かべると、またスケッチブックを捲って新たな文字を書き記した。
『声出ない。失声症』
 失声症のところに二重線を引く。
「失声症?!」
 思わず羽柴は大きな声を出して、しまった、と思った。
 あまり詳しくは分からなかったが、どんな病気か察しはつく。数年前に日本の皇后陛下が罹った病気の筈だ。声が出なくなる原因は、主に心的ストレス。
 そんなストレスを抱えるまで弱った彼の前で、病名を大声で叫ぶなど、やはりよくないことだろう。
 羽柴があからさまに『しまった』という表情を浮かべるのをショーンは見逃さなかったようだ。
 天井を見上げている羽柴の腕を、トントンと叩く。
 羽柴が再びショーンを見ると、ショーンは以前にも増して明るい笑顔を浮かべた。鼻の頭にくしゃくしゃっと皺が寄る程の笑顔だ。
 どうやら、『気にすんな』ということらしい。
 羽柴はガリガリと頭を掻くと、こう返した。
「ま、声が出なくったって、飯食うには困らないからな」
 それを聞いてショーンは、また笑顔を浮かべる。
 今度は、無理のない穏やかな笑顔だった。
 その瞳が少し水っぽく潤んだことに、羽柴は敢えて気付かない振りをしたのだった。

 

please say that act.08 end.

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編集後記

一週間も我慢できませんでした(脂汗)。
結局、とっとと羽柴とショーンを再会させてしまった国沢の弱さを許してください(汗)。
といっても、時間的には大分経っているので、その間に起こったことも後々出て参ります。

さて、無事に再会を果たしたといいつつも、ショーンはトラブルを抱えた状態です。
果たして羽柴はどうするのでしょうか・・・?って感じなんですけど、もちろん甘々路線でまいりますよ~~~~!!!これで益々ショーンは羽柴氏にはまっていくんだろうなぁ・・・・。
(もっとも、そうなってもらわなきゃ困りますが)

それと、今回は羽柴の「建物探訪」な回でした。
はっきりいって、この部屋の様子は国沢がこんな部屋に住んでみたいと思っている理想そのものです(笑)。海外のアパートメントって、狭い狭いといいながらも、日本に比べてずっと広いし、部屋数も豊富でおしゃれ。壁の色とか、結構日本では考えられないようなペンキの色が塗られていたりしますよね。(ニューヨークとかの住宅事情は日本と極めて近いと思いますが)
映画を見ていて、この部屋いいなぁと思ったのは、『グリーン・カード』の温室つきアパートメントとか、『ブリジット・ジョーンズの日記』のブリジットの部屋とか。『ラブ・アクチュアリー』のサラのお部屋もよかったです。本当に憧れます。ただ、広くて作りが複雑そうなので、お掃除が大変そうですけどね(それが大きな問題だ)。

[国沢]

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