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nothing to lose title

act.01

 「それ、何ですか?」
 出先の企業で打ち合わせをしていた女性幹部にそう言われ、羽柴は「え?」と顔を上げた。
 向かいのソファーに座る彼女は、羽柴の左手中指に填っている輪ゴムを見つめていた。
 羽柴が日本から帰国後、いろんな得意先の企業を回る度にそんな質問をされる。
 いつも市場の動向や有効な投資についてのデータ、自分の会社の社会的レベルといった固い話をしにくる彼が、そんなものを指に巻き付けているのが不思議なのだろう。
「ああ、これですか・・・」
 羽柴は、思わず自分もその指に見入ってしまった。
 思えばこれは、日本から帰国する時、飛行機の中で自分の指に填められていることに気が付いた。
 正確に言うと、その前に自分の席の隣でいる筈のないショーンが眠っているのにまず気づき、その次に堅く握り合わされている自分達の手に気が付いた。
「お目覚めになられましたか?」
 羽柴が目を覚ましたことに気が付いたフライトアテンダントが、取り損ねた食事を運んでくれることになって、思わず羽柴は繋いだ手をまた毛布の下に隠した。
 客同士が寄りかかって眠るのはよくあり得る話だが、手を繋ぐのはハネムーンを楽しむカップルぐらいしかいないだろう。ここで妙な噂の種を蒔く訳にはいかない。
「あの・・・」
 羽柴に食事を届けてくれたアテンダントが、おずおずと声をかけてくる。
「なんですか?」
「こちらのお客様の分はどういたしましょう・・・」
 あっと羽柴は思う。
 そうか。ショーンはファーストクラスの客だから、本来ならエコノミーの食事は用意されていない。
「・・・彼が起きたら、ファーストクラスに戻るよう一応言ってみます。起きるまではこのままでいいですか?」
 羽柴が眉を八の字にしてそう言うと、アテンダントはニッコリと微笑んだ。
「もちろんです。仲がおよろしいんですね」
 そう言われ、羽柴は少しテレ笑いを浮かべた。
 日本人のフライトアテンダントは欧米の人達とは違って、余り私語的な会話をしてこないが、今回ばかりは気になって仕方がなかったのだろう。
 あのショーン・クーパーが、わざわざファーストクラスから降りてきて、エコノミーのしかも日本人男性の隣に腰掛けてスヤスヤと可愛い寝顔を晒しているだなんて。
 明らかに彼女の目は、羽柴とショーンの関係を探っていた。
 彼女には悪いが、ここは正直に言うべきではない。
 二人の関係が疚しいものではないと思ってはいるが、ショーンの立場上言いふらすものでもない。それに、そんなことになると話に尾ひれがついて、またマスコミに攻撃されることになる。それは何としても避けたかった。
「彼は友人の子供で。以前から随分懐いてくれていたんですが、今日はたまたま偶然に飛行機が一緒になって・・・。久しぶりに会ったから、彼も興奮したんでしょう」
 ショーンがもし起きていて、羽柴がこんなことを言ったと知ったら途端にむくれそうだが、これは必要な『嘘』だ。
「まぁ、そうですか・・・」
 アテンダントも話を信用したようだ。
 確かに、羽柴の肩口に顔を埋めて、甘えるように眠っているショーンの様子は、父親に甘える子どものようにも見える。
「どうぞごゆっくりお食事をお楽しみくださいませ。お食事が終わりましたら、お声をかけてくださいね。食器を下げにお伺いいたしますわ」
「ありがとう」
 右手だけでは少々食事は取り辛かったが、ショーンが目覚めるまでは手を解くつもりはなかった。
 羽柴が眠っている間に、わざわざファーストクラスから降りてきて、隣に滑り込んでいたなんて、やはり可愛く思える。
 しかも、手にはなぜか輪ゴムが填められていて。
 当然それはショーンの仕業だろうが、なぜ自分の指は中指なのか、と訝しげに思った。
 だって、ショーンの手ではきちんと薬指なのに。
 このおもちゃみたいな色の輪ゴムが『指輪代わり』だということはすぐに判った。
 そしてそれを輪ゴムなんかで代用したショーンを、とても微笑ましく感じた。
 困難な状況下でも十分にスターである彼は、それなりに裕福なクラスの人間でもある。きっと収入で言えば羽柴より多いし、しかも彼はブランド品を買い漁り、高級外車を乗り回すようなことは全くしないので、金は貯まる一方だろう。
 そんな一般人が憧れるようなスターの生活が送れる状況にあっても、ショーンはごく普通の経済感覚を持っていた。幼い頃、スコットと共に堅実な生活をずっと送っていたせいかもしれない。金目の物には余り執着しないし、どちらかというと物の形より意味に拘る方だ。
 ショーンが唯一贅沢をするのはヴィンテージのギターコレクションぐらいで、それは彼の仕事の道具でもあるから、凝り性になるのは当然だ。
 だから、その『輪ゴム』は、ショーンらしい発想だった。
 それがどんな物であるかより、どういう意味が込められているかが重要なのだ。
 結局その後、目を覚ましたショーンはしばらくこのまま一緒にいたいとごねていたが、「せめて食事だけはきちんとしてきてくれ」と羽柴がお願いすると、渋々だがファーストクラスに戻った。そしてその後ショーンは、ファーストクラスとエコノミーを行ったり来たりすることになった。どうやらファーストクラスで理沙からお説教を受けたようだが、それでもショーンはめげずに羽柴の元に戻ってきてしまう。
「だってしょうがないじゃない。コウの側じゃないと、眠れないんだ」
 なんて言い切るショーンがおかしくて仕方がなかった。
 結局途中理沙がファーストクラスから降りてきたり、羽柴と理沙でアテンダントに謝ったりしながらニューヨークまで帰ったのだが、その時ばかりは『スタッフの言うことを聞かない、ワガママなスター』をショーンは見事演じていた。ただし、ファーストクラスを拒否してエコノミーに居座りたいと主張する、大変珍しいスターではあったが。
 そんな騒動のお陰で、結局中指の意味を訊きそびれてしまっている。
 
 
 「これは、大切なお守りのようなものなんです」
 羽柴がテレ笑いを浮かべながらそう言うと、その女性幹部は「きっと幸運のお守りなのね」と言った。
 羽柴が首を傾げると、彼女は笑って「だって羽柴さんの顔、一時と比べると凄く顔色がよくなって」と言った。
「前にも増してハンサムになったって、会社の女の子達が騒いでいるんですよ。── 実は、私もあなたを狙っていると言ったら、驚かれるかしら」
 ベージュのパンツスーツに身を包んだその女性幹部は、知的にまとめ上げたブロンドの髪が魅力的で、とても美人で聡明な女性だった。だから羽柴も、そんなことを彼女から言われるとは思わなかった。
 羽柴は、「すみません。僕はもう、売約済みなんです」と言って微笑んだ。
「あら、残念! 左手の薬指から指輪がなくなったんで、これはチャンスと思ったんだけど」
 女性幹部がそう言って、二人で声を出して笑い合った。
 羽柴は、笑いながらも自分の左手を見下ろす。
 長年付けていた指輪のせいで薬指の付け根がうっすらと白くなっていて、その隣の指に例の輪ゴムが填っている。
 ── ホント、これってどういう意味なんだろう・・・。なぜに、中指。
 羽柴はそう思った。


 投機に関する打ち合わせを終え、羽柴がクライアントの会社を出ると、空はもう真っ赤な夕焼けに彩られていた。
 夕焼けはショーンを思い起こさせる。
 茜色の瞳。茜色の髪。
 そして、同時に真一と一緒に見た鎌倉の夕陽も思い出すのだ。
 今回日本に帰国して、ショーンと晴れて結ばれることとなったのだが、不思議とより真一の存在をこの五年間より強く感じているような感覚を覚える。例えて言うなら、身体の中にいる真一が再び息を吹き返したような。
 羽柴は、己の左手を見下ろした。
 白く指輪の跡が付いた薬指と、青い輪ゴムが填っている中指。
 羽柴は何だかムズ痒くなって、少し笑った。
 ショーンには、一昨日ニューヨークの空港で別れてから、一週間後に羽柴の家においでと言ってある。
 ショーンは何だか不満げだったが、ショーンはニューヨークでエニグマ編集部と今後のことについて契約や打ち合わせをしなければならなかったし、羽柴はC市に戻って仕事に復帰する準備が必要だった。
 それに羽柴自身、ショーンを我が家に迎えるに当たって、準備をしておきたいこともあった。
 それはまだ、ショーンには内緒にしてある。


 その夜、羽柴が家に帰ると、留守番電話のライトが点滅していた。
 ── ショーンかな?
 そんなことを思いつつボタンを押した羽柴は、次の瞬間、その場で固まることになる。
『あんたのせいで、初キス逃したんだからね』
 ── ガチャ。プー、プー・・・
 そのふてぶてしい日本語を話す声は、明らかに隼人だった。
 初キス・・・逃した? 俺のせいで?
 羽柴は一瞬電話を凝視して、その後ギョロギョロと目玉を動かした。
 どうしてそういうコメントが留守電に吹き込まれているのか、羽柴にはさっぱり意味が分からなかったが、とにかく隼人が怒っていることには違いない。おそらくその原因は・・・
「・・・早くも、バレたの・・・かな?」
 羽柴は、背中が薄ら寒くなる感覚を覚えた。
 バルーンファンの隼人・・・いや、ショーン・クーパーのファンである隼人には、結局日本を発つその瞬間まで、羽柴がショーン・クーパーと恋愛関係に陥ったことは言わなかった。
 別に疚しいことをしているつもりは全然なかったが、いきなり話したのでは信じてもらえないか、刺激が強すぎて卒倒させてしまうか、そのどちらかだと思ったからだ。
 どうやらショーンが日本にいる時に隼人の家の留守電に羽柴宛のメッセージを残したらしいが、その内容も差し障りのないものだろうし、それに隼人は英語ができない。バレる筈もないと思っていたのだが・・・。
 羽柴は、ゴクリと唾を飲み込み、恐る恐る日本までの国際電話をかけた。
 隼人は、ツーコール目で出た。
 そのスピードに一瞬羽柴は面食らう。
「よっ、よう・・・。隼人、元気か?」
 しばらくの沈黙が流れる。
 羽柴の額に冷や汗がうっすらと浮かんだ。
「な、なんだよお前、あの留守電のコメントは。・・・怒ってんのか?」
 羽柴が言うと、長い沈黙の後、『あんた、俺に報告することない?』と返された。
「報告? あっ、ああ。無事にこっちまで帰ってきたから心配すんな・・・」
『そんなことじゃなくて』
 即座に返された。
『あんた、バレてないと思ってんの?』
「バレる? バレるって・・・」
『確かに俺は英語できないけどさ。あんた、忘れてない? あんたがそのドデカイ図体にキューピットの羽根を生やして連れてきた俺の彼氏様は、英語もドイツ語もベラベラなんだぜ』
 あ。
 羽柴の顔色がサァッと青くなる。
 そうだ。忘れてた。
 空港で晴れて隼人に大告白をした杉野君は、医者だからゆえ、英語ができて当然だった・・・。
 羽柴の沈黙をどう取ったのだろう。
 今度は逆に隼人が捲し立ててきた。
『もう!! あの留守電メッセージ訳してもらったせいで、俺、気絶したんだぜ!! 気絶!!! 自分でもそのことに驚いて、唖然としたよ。お陰で愛の晩餐が、メチャメチャ。杉野マンは俺の介抱した後に、具合が悪そうだからまた今度って、帰っちゃったんだよ?! 初めての愛の晩餐だったのに!!!』
 キーーーーーッと女性ばりの悲鳴が受話器越しに飛んできて、思わず羽柴は指で耳に栓をする。
 ああ、それで合点がいった。
 杉野君に帰られて、キスするどころではなかった訳だ。
「悪かった! 悪かったよ! とにかく、少し落ち着け、隼人。お前の身体に悪い」
 羽柴がそう声をかけると、隼人もそれに気が付いたのか、ゼイゼイと呼吸する音が聞こえてくる。
「分かった。何でも正直に言うから。何でも訊きたいことを訊け」
『ええと・・・ああ、何だか訳が分からなくて、何から訊いていいか、分かんねぇ・・・』
 いつぞや杉野が言った台詞を彷彿とさせる言葉を隼人が吐く。
 羽柴は、隼人の頭の中の整理がつくまで、じっと待っていた。
 電話代は凄いことになりそうだが、ここまできたら真正面から隼人と向き合わなければ、彼に失礼になる。
『とにかく、一番訊きたいことはだね』
「ああ」
『旦那の新しい想い人って、ひょっとしてショーン・クーパーなの?』
「ああ」
『あの、ショーン・クーパーなの? 空港で見た?』
「そうだな」
 沈黙。
「・・・隼人?」
 不安になって羽柴が声をかけると、『待って! 今、押し寄せる感情に浸ってるんだから』と釘を刺された。
『じゃ、空港で彼がこっちを向いて手を振ったのって、旦那に対してだったの?』
「それは本人に訊いてみないと分からないが・・・。だってほら、お前の方が随分目立ってたから」
『あんたに振ってたんだろ?!』
「はい、そうですね」
 羽柴は思わず天井を見上げる。
 何だかまるで、彼女に浮気の取り調べを受けてるみたいだ。
 ふ~と息を吐く音の後、『で? 彼の気持ちにはちゃんと応えてあげたの?』と今度は穏やかな声が訊いてくる。
「あ、ああ。それはまぁ・・・って、何でお前、ショーンも俺のこと好きだって知ってんだ? あ、留守電に何て吹き込んであったんだよ」
『 ── 教えない』
 ガチャ。
 唐突に電話が切れる。
 羽柴は、マジマジと受話器を見た。
 羽柴は、再度電話をかける。
『もう、だから何? これからちょっと忙しいんだけど』
 何て隼人に言われてしまう。
 羽柴はそれでも怯まなかった。
「あんな電話の切り方あるか」
『教えないったら教えないってば。そんな大事なことを隠そうとした罰』
「別に隠すつもりはなかったさ。ただ、何となく云いにくくてさ・・・。刺激強すぎだろ? それに・・・いきなりそんな話なんてさ。隼人だって、気分悪いかもしれないと思ってさ・・・」
『気分悪い? それって、あんたが真一さん以外の人を好きなることに対して?』
「うん・・・まぁ・・・」
『そんなこと、ある訳ないじゃん! 病院であんたと話したことってなんだったのさ? でもま、流石にその相手がショーン・クーパーだとは思わなかったけどね・・・。一体あんたって、どういう強運してんの? どうやったら、そんなのと知り合うチャンスがあるんだか・・・』
 羽柴はガリガリと頭を掻いた。
「まぁ、それは今度日本に帰った時にゆっくり話すよ。電話じゃ長すぎる話になるから」
 隼人もやっと自分達が膨大な金を投入して話していることに気が付いた。
『それもそうだ。本当に、ちゃんと教えてよ。それから、今度日本に来る時は、彼のサインもらってきて』
 羽柴はふっと笑う。
「何ちっぽけなこと言ってんだ。本物を連れていくよ」
『え? マジで?!』
「ああ。ショーンも隼人に会いたいって言ってたよ」
『ああ、マジ嘘みたい。何だか泣けてきた・・・。あ、でもこのことは他のみんなに内緒にしとくから。その方がいいんだろ?』
「そうだな。そうしてもらえると有り難いな。・・・隼人」
『なに?』
「── ありがとうな。いろいろと」
 しばらくの間の後、隼人は言った。
『しおらしいあんたは気持ち悪いだけ』
 いつもの隼人の毒舌に、羽柴はふふふと笑ったのだった。

 

hear my voice act.01 end.

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編集後記

祝40マンヒッツを記念して、ついについに満を持しての連載開始でございます!!
ザ・プリセイ続編、題して「HEAR MY VOICE」。
これで40マンヒッツのご愛顧にお応えできますでしょうか???
この回はショーンが出てないので、若干幸も薄そうな気配がしますが・・・(大汗)。
しかも、通常更新お休みしての特別枠でございます。つまりは、続きが書けていないというのがモロ解りですが(汗)、隼人のかわいいオコリンボウさ加減で、許してください(汗汗汗)。(←無理っぽい・・・)

で、ついに連載開始!!と銘打ってはみたものの、以前に宣言したとおり、のんべんだらだら書きスタイルでいきますので、非常に不定期な更新になると思われます。 気分は何だか、あちらこちらにビックリ箱を仕掛けている感じっすよ。なんだかウキウキします。作者的には。

内容的には、普通の小説みたいに山あり谷ありな感じとは程遠くなると思いますが、ま、羽柴君とショーンの後日談的なかる~い気分でお楽しみいただければと思います。
考えてみりゃ、小説なんてものはそのキャラクターの一時の人生を切り取って文章化したものなので、キャラクターの人生はそのキャラクターが架空の世界で亡くなるまでずっと続いていくものなんですよねぇ、多分。だからきっと普段の我々のように、毎日ドラマチックな日々を送っているわけでもなく、なんでもない日を過ごしている方が断然多いんだと思うんです。
だから、今回書き始めたお話は、まさに二人の『観察日記』。ゆる~い感じで進んでいきますが、どうぞご容赦を(汗)。

さて、今回は早速隼人から『確認の電話』が入った訳ですが(笑)。
初キスを逃したようで、逆にお母さんは隼人と杉野マンの方が微妙に心配だったりします。大丈夫かな、あの二人。
おいおい、その二人の様子も伺えるような回が出てくると思いますが、どれくらい先のことになるのやら・・・(汗)。

次回は、早速URL請求の回となりそうです。
もちろん、アップ時期は不明ですが、きっとゴブガリアンが煮詰まってアップできなくなった段階(大汗)だろうと思うので、遠い日じゃござんせんよ!皆さん!!!
ま、URL請求とはいっても、ラブなシーンじゃないので、大したこたぁないです。
ただちょっと下世話なネタのHOW TO系なので、お子さまには読ませられないと(脂汗)。そういった次第です。次回出演予定は、ショーンとクリス。興味のある方はぜひともURLをご請求くださりませ!!!

[国沢]

小説等についての感想は、本編最後にあるWEB拍手ボタンからもどうぞ!

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