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act.05

 羽柴と久々の幸せな夜を過ごした翌朝、家のチャイムが鳴らされた。
 それはショーンが待ちに待ったチャイムでもあった。
 ショーンは玄関まで走り降り、慌ただしくドアを開ける。
「シンシア!!」
 そう言ってショーンは、シンシアをギュッと抱きしめた。
「お久しぶり。といっても一週間ぐらいしかまだ経ってないけど」
 シンシアも優しくショーンを抱きしめ返しながら、笑う。
「ショーン、無精髭生やしてるんだ」
 シンシアが純粋に驚いた顔をしてショーンを見上げる。
 ショーンはシンシアをリビングまでエスコートしながら「そうなんだ」と答えた。
「この方が、俺だって判りにくいかと思ってさ。もうそろそろ伸び過ぎになるんで、ちょっとカットしようかと思ってるんだけど」
 ショーンがそこまでしゃべると、シンシアがピタリと立ち止まって、クルリとショーンを振り返る。
「?」
 ショーンも階段口で思わず立ち止まると、シンシアがニヤリと笑った。
「随分お盛んなことね」
 いつもの可憐な少女のような面差しが、そんな笑みを浮かべていると、途端に小悪魔のようになる。
「え?!」
 ショーンが鋭く声を上げると、シンシアが「また声が掠れてる。夕べ、したんでしょ」と言って、ショーンに背を向けパタパタと歩いて行った。
 ショーンは頬を赤く染めながら、ガリガリと頭を掻く。
「全く、気を付けなさいよ。あなたは曲がりなりにも歌を歌うアーティストなんだから。もうただのギタリストなだけじゃないんだからね」
 リビングのローテーブルに茶色い革製の大きなバッグを置きながら、シンシアが言う。
 その側に立ったショーンは、大きく溜息を吐いた。
「歌を歌っても声なんて嗄れたことないのに、なぜかコウとするとすぐに嗄れちゃうんだ」
「大声出し続けるからよ」
「そうかな・・・。自分ではよく判らない」
「今度録音でもしてみたら。そしたら判るんじゃない?」
 ケロリとそう言うシンシアに、ショーンはまたまた顔を赤らめる。
「そんなの、する訳ないだろ?!」
 ショーンがそう叫ぶと、シンシアはキャッキャと笑った。絶対にショーンをからかうのを楽しんでいる。
「でも、よかったわ。順調なのね」
 ソファーに座りながら、いつもの可愛らしい笑顔をシンシアが浮かべる。
「お陰様で」
 ショーンはそうやり返して一旦キッチンに戻ると、グラスにグレープフルーツジュースを注いでリビングにかえった。
「ありがとう」
 というシンシアの隣にショーンも腰を下ろす。
「もう完全に引っ越したんだ」
 シンシアが様変わりした室内を見渡す。シンシアが初めてショーンを撮影した時より随分物が増えた印象がある筈だ。
 ショーンは頷く。
「必要な物は全部運び込んだんだ。後はもう少し部屋の中の整理をして、コウの生活の邪魔になんないようにしなきゃ」
「ふ~ん・・・。で、彼、優しい?」
「・・・うん。凄く」
 なぜかショーンは俯いて、蚊の鳴くような声で答える。
 シンシアはそんなショーンを優しげに見つめた。
 ── 普通は、他の人ののろけ話など、聞いてて虫酸が走るか聞くに耐えられなくなるかのどちらだけど。なぜかショーンのはわざわざ聞いてみたくなっちゃうのよねぇ・・・。
 その辺の感覚って、マックスに対して感じる感覚と似てる。
 と、シンシアは思う。
 やっぱり、ルックスがいい男が思いっきりテレてる顔を見るのは、目の保養になるというものだ。
 ましてやショーンは、本当にもうシンシアの分身のような感じだから、余計にそう思うのかもしれない。
 シンシアにとってもショーンが可愛くて仕方がない。ま、大抵ショーンの身の回りの人は、彼に対して多かれ少なかれ、そう思っている筈だが。
 ショーンは、背もそれなりに高く、身体つきもしっかりとした男性で、おまけにこうして無精ひげまで蓄えているというのに、なぜかそれでも可愛く見える。
 もちろん、若い女の子からすると格好良く見えるのだろうが、シンシアなんかは可愛く思ってしまうのだ。
「よかったわね」
 シンシアはしみじみとそう言った。
 一時期、本当に落ち込んでいたショーンと一緒に過ごした手前、彼の恋の行く末が心配でならなかった。今こうして、彼が幸せそうな顔をしているのは嬉しい。
「ありがとう」
 ショーンがにっこりと微笑む。
 シンシアはその頬を撫でた。
 このショーンの幸せそうな笑顔が堪らなく好きだ。
 見ているシンシアも幸せになれるような気がする。
「さて、本題に入りましょうか」
 シンシアは、鞄から平べったい黒のプラスティックケースを取り出した。
 ケースを開けると、紙焼きした大判サイズの写真が出てくる。
「あ、これ、この間の?」
 日本に行った時の写真だ。
 シンシアがずっとドキュメント写真のように撮りだめていたやつ。
「それ、もうエレナが選んだやつだから。再来月のエニグマに掲載予定。オッケーかどうか確認してもらえる?」
 日本に向かう機内の様子や日本での取材の様子、プレライブのリハ、本番、楽屋裏の様子・・・とショーンのオン・オフを織り交ぜたライブ感のある表情が撮れている。
 写真はカラーやモノクロが入り混じっていたが、とても雰囲気のある写真ばかりだった。
「凄く素敵だけど・・・」
 ショーンが思わず呟く。鞄を探っていたシンシアが「ん?」とショーンに向き直る。
「いいのかなぁ。エニグマはファッション情報系の雑誌なのにさ、こういう写真ってエニグマの方向性に合ってるんだろうかって思うよ。まるで俺の宣伝をしてくれている格好になるわけだろ?」
 そう言いながら肩を竦めるショーンの小鼻をシンシアがギュッと摘む。
「ムグッ!」
 ショーンが大きな瞳を真ん中に寄せる。
「バカねぇ、ショーンの存在は十分にファッショナブルなのよ。それに、あなたの着てるこの服だって、エニグマ専属のスタイリストが用意したものだし、それがブランドの宣伝になると思って、各社が洋服を提供してきてるの。確かにこれはあなたの宣伝になるけど、同時にあなたが袖を通したブランドの宣伝にもなるの。これって、見事なタイアップでしょ?」
 ショーンは、小鼻を摘まれたまま、恨めしそうにシンシアを見た。
「── 確かに、そうだけど・・・」
 鼻を摘まれているせいで、妙な鼻声になる。
 それがおかしくて、二人同時に吹き出した。
 ショーンは再び、手元の写真を順に捲っていく。
「── うわ! え、これ採用写真なの?」
 あのステージが終わった後、楽屋裏で感極まって泣いているショーンの姿があった。
「ああ、これはあなたへのプレゼントで持ってきたの。掲載されるのはこっち」
 シンシアが次の写真を見せる。
 前の写真より幾分落ち着いた時のショーンだ。
 少し俯き加減で、放心したような瞳を横に向けている。
 唇を少し噛みしめ、零れ出る涙を堪えているようにも見えるが、その両目は涙が溢れかけている・・・そういう瞬間のショット。
 その写真はモノクロだったが、とても美しい写真だった。
「── なんか、嬉しくて泣いてる写真なのに、この顔ってちょっと悲しそうにも見えるわよね」
 シンシアがショーンと同じように写真を覗き込みながら言う。
「人間って、面白いよね。嬉しい時と悲しい時の反応が同じなんてさ・・・」
 ショーンもボソリと呟いた。その後、すぐにガリガリと頭を掻く。
「でも、泣き顔を世間の人に見られるなんて、ちょっと恥ずかしいよ」
「凄くキレイなんだからいいじゃない。今回、これが私のベストショット」
 そう言い切られ、ショーンはウ~ンと唸った。
 シンシアがこう言い切ったとなると、ショーンが「ヤダ」なんて軽く否定したところで聞き入れて貰えそうにない。ましてエニグマの編集長であるエレナはシンシアより力強いから、きっともうこのフィルムは有無を言わさず編集部で誌面に割り付けられている筈だ。
 フゥと溜息を吐いているショーンに全く構う素振りを見せず、シンシアは再び鞄を探った。
「けど、ホント言うと、ベストショットは他にあるのよね」
 鞄の中から、黒くて硬い表紙の薄い冊子が出てくる。
 ショーンはドキリとした。
 その表紙は、以前マックスの家で見せてもらった『特別な写真』と同じものだったからだ。
「これ・・・」
 ショーンがパッと顔を明るくする。
「これで誰かさんのところと同じね」
 シンシアはクスクス笑っている。
 ショーンは待ちきれなくて、早速表紙を開いた。
 裸に白いシーツを巻き付けたショーンが、穏やかな寝顔で寝入っている羽柴の逞しい胸元に寄りかかっている写真。
 ショーンの髪はぼさぼさでうっすらと無精ひげも生えているが、その表情はとても幸福に満たされた微笑みが湛えられていた。
「意外にエロティックにならなかったわね」
 なんてシンシアは口を尖らせている。
 その写真は、確かに情事の後というには和やかで微笑ましい小春日和の日差しのような写真だ。
 ショーンはふふふと微笑む。
「確かに、ベストショットだね」
「いいえ、それ、ベストショットじゃないの」
「え?」
「ベストショットなのは、こっち」
 シンシアがそう言いながら、ページを捲る。
 ショーンは初めてそこで、この手作りアルバムに二ページ目があることに気が付いた。
「あ」
 思わずショーンは声を上げる。
 明らかに飛行機の機内と判る写真。
 狭いイスに窮屈に収まるようにして、羽柴とショーンが身体を凭れさせ合いながら、眠っている写真。
 ショーンは、少し口を開け、無邪気な寝顔を見せながら、羽柴の首もとに頭をすりつけるようにして眠っている。
 ショーンの頭に顎をのせる格好になった羽柴も、心地よさそうにまるでショーンの髪の香りを嗅いでいるように見える。
 なんだかこちらの写真の方が温度が高そうに見えるのは、なぜなんだろう。二人とも眠っていて、おまけに服もちゃんと着ているのに。
 ショーンはこんな格好で眠ってたんだと思うと、急激に恥ずかしくなって顔を赤らめた。
 シンシアは、そんなショーンの顔を覗き込んで一言言う。
「ほらね、こっちの方がベストショットでしょ?」
 ショーンはタハハと額に手をやり、天井を仰いだ。
「あ~・・・、スチュワーデスさんに変に思われたかも・・・」
「大丈夫よ。あなたと彼の間柄は、あなたの父親と羽柴さんが親友で、あなたの父親が亡くなった後、彼があなたの父親代わりをしているってことにしたから。滅多に会えない足長オジサンに甘える子ってシュチュエーションなら、何とか見えないこともないでしょ」
 シンシアが写真を眺めながら言う。ショーンは顔を起こして、眉間に皺を寄せた。
「何、それ」
「羽柴さんと皆で話し合ってそういう設定に決めたの」
 益々ショーンの雲行きが怪しくなる。
「コウと一緒に決めた? 俺が彼の息子みたいなものだって?」
 パチンと額を軽く叩かれる。
「怒んないの。気持ちは分かるけど、あなたを守るために決めたことなのよ。ただでさえ、ショーン・クーパーに恋人ができたなんて知れたら大騒ぎになるのに、それが17歳年上の同性で日本人だなんてことがバレたら、どういうことになるか・・・。マスコミに騒がれて、この関係がおしまいになる、だなんてことは死ぬほど避けたいでしょ?」
 渋々ながらもショーンは頷いた。
 ショーンは『嘘』が嫌いだったが、世の中には優しい『嘘』や必要な『嘘』があることをショーンは学んでいた。
 確かに、羽柴を守るためなら、ショーンだって率先して『嘘』をつくと思う。
 でも、そうしなければならないなんて、本当に悔しいけれど。
「実際に、彼はショーンの足長オジサンみたいなものじゃないの。彼はショーンが一番苦しい時に手を差し伸べてくれて、底なし沼から救ってくれた張本人でしょ? 彼はいつも優しくショーンを守ってくれた。羽柴さんとショーンの本当のお父さんが友人であったっていうのは嘘だけど、彼がショーンを支えてくれていることは嘘でもなんでもないと、私は思うわ」
 シンシアには、ショーンが声を失った時のことも既に話していたし、羽柴との出逢いのことも、どうやってショーンが羽柴に夢中になっていったのかも全て話していた。今では、一番の理解者と言える。ショーンだって、父親であるスコットやクリスなんかには言いにくい、同世代の親友だからこそ言えることだっていっぱいある。
「その内、羽柴さんと一緒にいたら、マスコミだって嗅ぎつけてくるかもしれないわ。そしたら、そういう話にしなさいよ。ショーンの身の回りに今居る私達は、全てそれで口裏を合わせているから。矛盾しないように、皆で協定結ぶことにしたの」
「協定?」
「そ、Wing協定」
 シンシアは、胸に手を当て、まるで宣誓するようなポーズを取った。
「皆であなた達のサポートをするって誓ったのよ。普通の人と違って、ショーンの場合はショーン自身じゃどうにもできない敵とかもいるから。だから、困ったことがあったらいつでもすぐに言うのよ。こっちには百戦錬磨のキレ者がたくさんいるんだから」
 そう言って、シンシアは協定を結んだメンバーの名前を挙げる。
 リサにアン、ルイはもちろんのこと、スコットやクリス、そしてエレナ・ラクロアやマックス、ジム、ホテル・アストライヤの従業員、総支配人の名前まであって、心底驚いてしまう。
 確かに、百戦錬磨のキレ者ばかりだ。ショーンだって、今上がった人達を敵には回したくない。
「皆、あなたのことを愛してるのよ、ショーン。もちろん、羽柴さんのこともね。あなた達が幸せそうにしているのが、この協定メンバーの至福の喜びなの」
 シンシアが言ってくれた言葉は、それがただのリップサービスではないことが容易に想像できた。皆が心の底から自分達を心配してくれているのが判って、思わずショーンは涙ぐんでしまう。
「ありがとう・・・」
 ショーンがそう呟くと、シンシアはショーンの髪をグシャグシャッとする。
「何なら、今後も引き続き私がショーンのガールフレンドとしてカモフラージュしてもいいわ。現に私とあなたは仲がいいんだし、仕事でもプライベートでも会う機会が多い。今更他の女の子とありもしない噂立てられるより安心できていいんじゃない?」
「え・・・。でもそれじゃ迷惑かけるかもしれないよ。ルイだって気分悪いだろうし」
「ルイと相談して決めたのよ。このことで私とルイの関係がこじれるなんて絶対にありえない」
 ショーンはシンシアをじっと見た。
 確かに、変な女の子にちょっかい出されるより、既にシンシアみたいな彼女がいるということにしておけば、そっちの攻撃も弱まるだろう。変に煩わされなくて済む。
「じゃ・・・お願いしようかな。でも住むところはどうするの? ロスのルイの家にいるんじゃ、移動が大変じゃない?」
「今まで通り、ニューヨークの私のアパートメントを拠点にするわ。ルイもニューヨークとロスに拠点があるのは都合がいいみたい。私達、ショーンが思ってるほど離ればなれじゃないのよ」
 シンシアがウインクする。
 ── 本当にシンシアとルイってお似合いだと思う。
 ショーンは心底そう思った。
 シンシアはどちらかというと北欧系の顔つきをしていて、雪の国のお姫様っていうルックス。対照的にルイは、南米系のグラマラスでセクシーな褐色の肌にとろけそうなほど甘く優しげな顔をしている。それに、背が高くて誰もが惚れ惚れするような逞しい身体つきだし。
 外見はまったく正反対の二人だったが、その芯はとてもよく似ていた。
 その気持ちが良くなるほど清々しい心の形とか。
「ねぇ、シンシア。早くルイと結婚しなよ」
 思わずショーンがそう言うと、シンシアに「バカねぇ! そんなに早く結婚なんかしちゃうと、ショーンのカモフラージュ彼女ができないでしょ!」と言われた。
 ── でも、シンシアとルイには長く一緒に居てもらいたいんだ。ルイもシンシアも俺の恩人だし、俺と同じように幸せになってもらいたい。二人で。
 ショーンはそう思った。

 

hear my voice act.05 end.

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編集後記

すみません、今週はヒヤマイっす。うふv
笑ってる場合じゃないですか? や、ほんとすみません(汗)。
先週から仕事でバタバタしてて、おまけに夏の祭りの練習までがスケジュールに入ってきて、まじ時間のない国沢です・・・。ああ、自由な時間がほすぃい・・・。
国沢の場合、ストレスがたまるとついつい散財したくなるんでホント困ります。
別に買い物依存症ではないと思いますが・・・。
以前は散財したくなっても時間がなければ買い物に行けずにモンモンとしてたんですが、最近では、ネットで買えるじゃないですか。夜中でも。それですっかり味をしめて、買っちゃうんですよ。ついつい。
で、普通のご婦人なら、洋服やバッグとかになるんでしょうが、そこはほら、約80%男の国沢(←相当根に持ってる)。大概が、本やCD、DVD関連で消えていったりするわけですよ。
で、今週はついにそれがこうじて、iPod nanoを買っちゃいました(汗)。
ついついapple storeの「今なら無料でお好きな刻印が入れられます」のうたい文句に誘われちゃいました。まんまと(大汗)。
ああ・・・意志が弱い人間です・・・。

[国沢]

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