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nothing to lose title

act.01

 せめて妻の一周忌ぐらいは穏やかに迎えたいと思っていたのに。
 須賀真一は、作業テーブルの向こうで追いかけごっこをしている子供達を眺めながら苦笑いした。
「毎日来るのはいいけど、走り回るのは危ないよ」
真一がそう言ったところで、この愛すべき悪がき四人が言う事をきく訳がないことは、百も承知だった。
浅草の繁華街から少し離れた町の片隅に、須賀テーラー店はある。
 店の表はガラス張りで、古めかしいショーウインドウには、上品な佇まいのスーツが二着、展示してある。木枠にガラス張りのドアは重く、開くと上にかけてある年代ものの鐘がカランと鳴った。
 入口ドアを入るとすぐ左手にクリーム色の布張りのソファーセットと華奢なテーブルがある。それらを越した左手の壁には天然木のチェストがあって、その上にコーヒーメーカーが置いてあった。
 入口右手には、お客様用の洋服かけに姿身の鏡。その奥には、ネイビーブルーの布がかけられた更衣室。向かいには、テーラーの作業テーブルがあった。作業テーブルの上には、アイロン用のコードとアームが突き出している。
 作業テーブルには型紙が並べられ、仮縫いの進んだ生地がその上に覆い被さっている。 作業テーブルの奥には可動式のミシン台があって、更に奥にはクローゼットがある。その隣にあるドアをはさみ、向こう側にはオーク材の背の高い本棚が壁とドアの間にぴったりと収まっていた。狭いが機能的に配置された店内だ。
「キヨシが鬼!」
「えー!」
 益々白熱する闘争に目を細め、真一は再び仮縫い作業に戻った。
 作業テーブルとソファーの間の壁際に移動させているストーブにはヤカンが置いてある。心地よい湯気が口からシュンシュンと上がっていたが、どこに移動させようと子供達には関係がない。
「来れるもんなら、来てみな!」
 キヨシを挑発するようにおどけながら、オサムが真一の背後をすり抜けていく。
「おいおい、危ないって・・・」
「オサム、待てぇ!」
 キヨシが飛び上がった先には・・・。
「危ない!」
 キヨシの着地点にヤカンの口があることに気が付いた真一は、無理な体制でキヨシを抱きとめると、テーラーの七つ道具が入ったワゴンを倒しながら床に転がった。
 ワゴンが倒れる派手な音に驚いたのだろう、一拍おいて他の三人が倒れこんだ二人を覗き込んだ。
「・・・怪我はないかい?」
 真一の身体の上でキヨシが顔を上げると、予想していた怒鳴り声の変わりに穏やかな真一の声が聞こえた。
 キヨシは、青ざめた顔で首を横に振る。真一はそれを確認してから、ゆっくり身体を起こした。キヨシを立ち上がらせ周囲を見回し、真一は笑い声交じりに溜息をついた。
「また派手にやっちゃったな」
 辺りには裁ちバサミやまち針、しつけ糸の束が散乱している。
 床のものを拾い集めようと手を伸ばしたと同時に、一番側にいたオサムが声を上げた。
「あ! 血!」
 どうやら針が刺さったらしい。真一の左手の中指から血が浮き上がっていた。
「お兄ちゃん、大丈夫?!」
 キヨシが慌てて指に触れようとするところを「触らないで!」と真一が怒鳴って制した。今までの温厚な真一からは想像できないくらいの緊迫した声だった。
 その声に純粋に驚いたのだろう。キヨシはおろか、オサムやヨウスケ、コウジも身体を強張らせている。
「ごめん、怒った訳じゃないんだ」
 真一は血を舐め取りつつ、右手でキヨシの頭をなでる。と、キヨシのシャツの腕に血が滲んでいることに気が付いた。真一は少し眉間に皺を寄せたが、すぐにあの大らかな笑顔を浮かべた。その笑顔を見て、子供達もほっと肩の力を抜く。
 真一は倒れたワゴンを起こし、飛び出していない一番下の引き出しから絆創膏を二枚取り出すと、傷口に重ねて貼った。そうして真一は、店の一番奥にあるクローゼットを開けた。そこは仕立てあがった商品がかけてある。グローゼットの中の引き出しには、ワイシャツがしまってあった。その中の小さな一枚を取り出す。
「丁度よかった。キヨシの背格好にぴったりのシャツがあったよ。よかったら、このシャツとキヨシのを交換してくれないかな」
「えー! いいなぁ!」
 ヨウスケを皮切りに、オサムやコウジまでもが矢継ぎ早に声を上げた。皆、真一が仕立てる洋服が高価なことをよく知っている。キヨシとて、羨ましがられて悪い気はしない。
「いいよ」
 キヨシは現金な笑顔を浮かべて、シャツを着替えた。真一は血のついたシャツを受け取ると、店の奥のドアを開けた。そのドアの向こうは、居住空間になっている。
 古い建物だ。ドアの向こうは土間になっていて、そこにある黒いごみ袋にそれを入れた。
 ふと、店先に吊るしてある小さな鐘が鳴った。
 振り返ると、黒いトレンチコートを羽織った背が高くて姿のいい男が、不思議そうに店内を眺めていた。仕立屋には不似合いの悪がき共がシャツをめぐって騒いでいるところに出くわしたからだ。
「あ、いらっしゃいませ。すみません、散らかしてまして」
 真一は顔を赤らめながら、床のものをワゴンに片付け始めた。子供達も慌ててそれを手伝う。
「お兄ちゃん、俺らもう帰るね」
「その方がいいかな」
「じゃ、また来るね」
 あらかた片付けがすむと、「じゃぁね」と口々にそう言って店を出て行こうとする。
「あ、上着忘れるなよ! 外、寒いぞ!」
 子供達は、ソファーに散らかった上着を手に取りながら、次々店を出て行く。ふと、キヨシが再び戻ってきた。ドアを少し開けて小さな声で「ごめんなさい」と謝ると、また外へと駈けて行った。思わず真一の口から笑い声が零れ出る。
 ふとそれを男に見つめられていることに気がついて、真一は再び顔を赤らめた。
「すみません、騒がしくて。で、御用は?」
「あ、ああ」
 男の方も、少し呆気に取られていたのだろうか、真一に話し掛けられて、初めて正気に戻ったというように、瞬きを二回した。
「ええと・・・、タキシードを作ってもらいたいんだが。私は、羽柴と言います」
 落ち着いた声だった。
 ひょっとして彼は、海外に住んでいた経験があるのかもしれない。英語が堪能な日本人特有の、特徴のある日本語の発音だった。
「冬物ですか? それとも、春物?」
「冬物がほしいのだが・・・。オーダーメイドだと、どれぐらい時間がかかるのかな? 年明けにはほしいんだけど・・・」
「間に合いますよ。まだ、十二月の初めですし。コートをお預かりしましょう」
 左手首についた針山をとって、真一は羽柴の背中に回り、男の背からコートを取った。
 商売柄、男のスーツを素早く見てしまう。
 仕立てのいいスーツだった。生地も外国製であったし、縫製もきちんとしている。ただ、脇のところに不自然な皺ができているところを見ると、羽柴の身体にはきれいにフィットしていないことが見て取れた。一流ブランドの店で購入はしているが、オーダーメイドではなく、既製品ということだろう。
「ソファーにおかけください。オーダー票を作りますから」
 真一は作業テーブルの引き出しから、オーダー用紙を取り出した。
「このコーヒーはもらってもいいのかな」
 真一が顔を上げると、羽柴はソファーの向かいにあるコーヒーメーカーの前に立っていた。
「ああ、結構ですよ。すみません、気が付かなくて。お好きなカップでどうぞ」
 コーヒーメーカーの隣に置いてある小さな総ガラス製のケースには、色や風合いの違った陶器製のコーヒーカップが五つ並んでいる。いずれも気の利いた器だ。
「仕立て屋は、いつもこんなものなのかな。子供に、コーヒーメーカー」
「いや、多分うちだけだと思いますよ」
 真一は笑いながら、そう答えた。
「子供もそうだけど、時々ここがご近所さんの簡易集会場になるものですから。セルフサービスでお願いしているのです」
「そうか、なるほど」
 羽柴が初めて笑顔を見せた。最初は難しそうな雰囲気だった羽柴だが、笑顔を浮かべた途端、急に人懐っこくなった。
「お名前とご住所、ご連絡先を書いていただけますか?」
 ソファーに座った羽柴の前に、真一はオーダー票用紙とよく手入れされた万年筆を差し出た。その薬指にはシンプルな金の指輪が輝いている。羽柴はチラリと真一の顔を見た。
「もしよろしければ、生年月日も書いていただければ。参考になりますから」
 その視線に気づいているのか、真一は穏やかな微笑を浮かべると、再び立ち上がった。羽柴がオーダー票に書き込んでいる間、真一は再び店の奥に足を運んだ。
「今日はご希望の生地とデザインをざっとお伺いして、まずはお見積もりをいたします。もしご予算があるようでしたら、それにあわせて仕立てることもできますよ」
 真一は、クローゼットの横にある本棚から外国製のタキシードカタログと青い布張りのファイルを取り出し、羽柴の向かいに腰を下ろした。
 オーダー票には、意外に少し落ち着きがない文字で「羽柴耕造」と書いてあった。1969年生まれだと、現在32歳。真一が思っていたより若い。
「連絡先は携帯電話の方でよろしいですか?」
 真一が顔を上げると、羽柴は青いファイルを開いて、興味深げにページをめくっていた。
 そのファイルは生地のサンプル表だった。小さく切った生地が分厚い台紙に貼り付けられていて、生地のメーカー名や特徴が細かく書かれてある。素朴だが丁寧な仕事である。
「携帯の方がむしろ都合がいい。忙しい身なんで、連絡がつかないと申し訳ないから」
 羽柴は真一の手作りの生地カタログが気に入ったようで、小さな生地の手触りを楽しんでいる。
 見かけによらず、少年っぽいところがある人だな。
 真一は思わず笑い声をたててしまった。
 羽柴が、顔を上げて不思議そうに見る。
「失礼。生地カタログをそんな風に熱心にご覧になる方は珍しいので。大抵の方は、まずデザインから検討されるものですから」
 真一はそう言って、タキシードのデザインカタログを開いた。
「ああ、そうか。そうだな」
 羽柴も照れくさくなったらしい、きれいに撫で付けられた髪をがりがりと掻いて、あははと笑った。
 これが、須賀真一と羽柴耕造の最初の出会いだった。



Nothing to lose act.01 end.

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